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52.秘された事実(2)
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「失礼致します、旦那様………?」
騒ぎを聞きつけた使用人が扉越しに声を掛けてきたことで、侯爵は我に返ったようだった。
「すまぬ、少し取り乱しただけだ。下がっていろ」
盛大に溜息をつくと、侯爵は休憩用のソファにアンネリーゼを座らせ、自身もその向かいに腰を降ろした。
「お前の言うとおりだ、アンネリーゼ。まだお前に話していない事実がある」
渋い表情を浮かべた侯爵は、光の加減のせいなのか、いつもよりも疲れているように見えた。
「もうずいぶん長いこと、わたくしの記憶は戻らないままです。ならばいっそ、過去を捨てて生きていかれるのならばと考えた事もありましたが………どうやらわたくしにはそれは難しそうです。お父様やお母様がわたくしの身を案じて下さっているのは重々承知しております。………でも、だからこそ、過去のわたくしに何があったのかを知っておいたほうがいいと思うのです」
穏やかな、しかしはっきりとした声をアンネリーゼは父に向けた。
「………分かった」
侯爵は、愛娘の表情に揺るぎないものを感じ、眩しそうに目を細めた。
「そこまでの気持ちがあるのならば、私も腹を括ろう。………アンネリーゼ。お前の婚約者はルートヴィヒ殿が初めてではない。その前に………ギュンター・ノイマンという男がお前の婚約者だった」
感情を押し殺したような、少し震える声が室内に響き渡る。
「ギュンター・ノイマン………」
その名を口にした途端、アンネリーゼの心がぴしりと音を立てた気がした。
「今は襲爵して、ノイマン伯爵を名乗る忌々しい男だ。奴の父は人の良い優れた人物で、私のかけがえのない友だった。その関係もあってお前と奴の婚約が結んだが………今になっては後悔しかない」
侯爵の荒々しい息遣いが、彼の怒りを物語っていた。
アンネリーゼは黙ったまま父の話に耳を傾ける。
「奴はお前という婚約者がありながら、クラネルト男爵令嬢と恋仲になり、大勢の前で………それもよりにもよってお前の誕生祝いとして開いた舞踏会の場で婚約破棄を言い渡した。巫女姫に選ばれるであろうクラネルト男爵令嬢こそが自分に相応しい婚約者だと言ってな………」
「婚約破棄…………?」
思いもよらない事実に、アンネリーゼは思わず息を呑んだ。
『もしかして、本当は巫女姫じゃないんじゃないですかぁ?』
悪意の籠もった、耳障りなフローラの声が耳元でこだましている。
あの時に彼女から向けられた感情が何だったのか、分かった気がした。
騒ぎを聞きつけた使用人が扉越しに声を掛けてきたことで、侯爵は我に返ったようだった。
「すまぬ、少し取り乱しただけだ。下がっていろ」
盛大に溜息をつくと、侯爵は休憩用のソファにアンネリーゼを座らせ、自身もその向かいに腰を降ろした。
「お前の言うとおりだ、アンネリーゼ。まだお前に話していない事実がある」
渋い表情を浮かべた侯爵は、光の加減のせいなのか、いつもよりも疲れているように見えた。
「もうずいぶん長いこと、わたくしの記憶は戻らないままです。ならばいっそ、過去を捨てて生きていかれるのならばと考えた事もありましたが………どうやらわたくしにはそれは難しそうです。お父様やお母様がわたくしの身を案じて下さっているのは重々承知しております。………でも、だからこそ、過去のわたくしに何があったのかを知っておいたほうがいいと思うのです」
穏やかな、しかしはっきりとした声をアンネリーゼは父に向けた。
「………分かった」
侯爵は、愛娘の表情に揺るぎないものを感じ、眩しそうに目を細めた。
「そこまでの気持ちがあるのならば、私も腹を括ろう。………アンネリーゼ。お前の婚約者はルートヴィヒ殿が初めてではない。その前に………ギュンター・ノイマンという男がお前の婚約者だった」
感情を押し殺したような、少し震える声が室内に響き渡る。
「ギュンター・ノイマン………」
その名を口にした途端、アンネリーゼの心がぴしりと音を立てた気がした。
「今は襲爵して、ノイマン伯爵を名乗る忌々しい男だ。奴の父は人の良い優れた人物で、私のかけがえのない友だった。その関係もあってお前と奴の婚約が結んだが………今になっては後悔しかない」
侯爵の荒々しい息遣いが、彼の怒りを物語っていた。
アンネリーゼは黙ったまま父の話に耳を傾ける。
「奴はお前という婚約者がありながら、クラネルト男爵令嬢と恋仲になり、大勢の前で………それもよりにもよってお前の誕生祝いとして開いた舞踏会の場で婚約破棄を言い渡した。巫女姫に選ばれるであろうクラネルト男爵令嬢こそが自分に相応しい婚約者だと言ってな………」
「婚約破棄…………?」
思いもよらない事実に、アンネリーゼは思わず息を呑んだ。
『もしかして、本当は巫女姫じゃないんじゃないですかぁ?』
悪意の籠もった、耳障りなフローラの声が耳元でこだましている。
あの時に彼女から向けられた感情が何だったのか、分かった気がした。
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