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7.記憶の断片

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飛び込んだのは冷たい水の中のはずなのに、柔らかな温かさを感じて、アンネリーゼは薄っすらと目を開ける。

「アンネリーゼ様!」

馴染みはないのに見覚えのある天井が視界に入ってきたのと同時に、ニーナの声がして、アンネリーゼの意識は覚醒する。

「………わたくし………?」
「やはり、覚えてらっしゃらないのですね?………私の事はお分かりになりますか?」

困ったような表情を浮かべたニーナが、おずおずと尋ねてきた。

「ニーナ、よね?」

アンネリーゼの返答に、ニーナは嬉しそうに微笑んだ。

「………ああ、良かった。また記憶が無くなっていたらどうしようと、心配していたのです。……
アンネリーゼ様は突然、過呼吸を起こして倒れられたのです。お体に異変はございませんか?………その、意識を失っている間に、随分と魘されていらっしゃいましたけど………」

アンネリーゼは驚いて、体を起こして立ち上がろうとするが、力が入らない。まるで魔力が枯れてしまったかのような、そんな感覚だった。
気がつくと、額はじっとりと汗ばみ、纏っている衣服も同じように汗で濡れて体に纏わり付いていた。

「着替えが必要なようですね。今、お体を清める物をお持ち致しますので、お待ち下さいませ」

静かな足取りでニーナが部屋を出ていくのを見送りながら、アンネリーゼは未だに収まらない胸の鼓動を隠すように、胸元をぎゅっと握りしめた。

伸ばした手も、掴まれた腕も、悲しくて、苦しくて流れた涙の冷たさも、絶望に押しつぶされそうな胸の痛みも、夢だとは思えない位に生々しく脳裏に蘇る。
その感覚が恐ろしくて、アンネリーゼは思わず身震いをした。

「アンネリーゼ様?」

いつの間にか戻って来ていたニーナが、心配そうにアンネリーゼに声を掛けてきた。

「寒いですか?随分と顔色が悪いようですが………?」

アンネリーゼは震える手を強く握りしめてから、少しの間考えると、徐に口を開いた。

「………恐ろしい、夢を見たのです。わたくしの目の前で人が刺されて、嫌がるわたくしを誰かが捕まえようとする、そんな夢でした」

俯きながら、なるべくあの光景を思い起こさないよう、慎重に言葉を選びながら口にする。
それでも、己の唇から吐き出される息が、妙に冷たく感じた。
不安気に、アンネリーゼの、宝石をそのまま嵌め込んだかのような深い蒼色の美しい瞳が揺らぐ。

「アンネリーゼ様………」

何と声を掛ければ良いのか分からない様子のニーナは、アンネリーゼを慰めるように、優しい手付きでアンネリーゼの体を清め始めた。

「………それは、旦那様に報告しておいたほうが良さそうです」
「クラルヴァイン辺境伯様もお忙しいでしょうから、わたくしの事でお手を煩わせるわけには……


困ったように視線を泳がせると、ニーナはほんの少しだけ、鋭い顔つきになった。

「アンネリーゼ様が気に病む必要などありませんよ。アンネリーゼ様を助ける判断をしたのも、城に留め置くと決めたのも旦那様ですから」

城主であるジークヴァルトの判断に従うというのは理解できるが、少し妙な物言いだとアンネリーゼは感じた。

「さあ、これで大丈夫だと思います。体が冷えないように今温かいお茶をお淹れしますね」
「………ありがとう、ニーナ」

その違和感を悟らせるまいとするかのように、ニーナは手早く片付けを済ませると、お茶の準備を始めたのだった。
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