冷遇側妃の幸せな結婚

玉響

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番外編

初めての聖夜祭

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キエザ王国に今年も、冬がやってきた。
そして、冬の大きな行事といえば、聖夜祭。
神の子の誕生を祝う伝統行事で、初夏の開港祭や初春の謝肉祭などに並ぶ大きな祭だ。
キエザ港の中ほどにはプレゼーべと呼ばれる、祭の主役である神の子とそれにまつわる物語をモチーフにしたジオラマが飾られ、街全体が華やかな雰囲気に包まれる。
クラリーチェにとって王宮で迎える聖夜祭は二度目だが、エドアルドとともに過ごすのは当然初めてだ。

「………エドアルド様は、何を差し上げたら喜ぶのかしら………」

クラリーチェの目下の悩みは、聖夜祭に送るプレゼント選びだった。
国王であるエドアルドに、手に入らないものなどないということは分かっていた。
だが、エドアルドが喜ぶようなプレゼントを用意したい。それとなく探ってはみたのだが、なかなかこれといったものが見つからず、クラリーチェは途方に暮れていた。

「陛下の一番喜ぶもの?それならクラリーチェ様の口づけに決まっていますわ!」

一緒にお茶を楽しんでいたリリアーナに相談すると、開口一番そんな答えが返ってきた。

「え………っ、あ………っ」

クラリーチェは頬を真っ赤にして俯いた。

「もう、クラリーチェ様ったら本当にお可愛らしいですわ。開港祭の時にも、結婚式の時も、あのように大勢の観客の前で熱い口付けを交わされたというのに………!」

恥ずかしがるクラリーチェに追い打ちをかけるかのように、うっとりとリリアーナが呟くと、更にクラリーチェの顔が赤く染まる。
リリアーナの指摘が全て事実だということ自体もこの上ない羞恥なのだが、リリアーナの前に相談したリディアとアンナ、そしてカンチェラーラ侯爵夫人も皆揃いも揃って同じことを口にしたということ、そして何よりも、婚約を結んだ時のプレゼントとしてエドアルドに口付けをしたことが思い出される。
だが、それをわざわざ明かすのも恥ずかしく、どう反応を返せばよいのかすらも分からなかった。

「あ、あの……せっかく初めての聖夜祭なので………その……違うものをお送りしたいのです……」

何度も何度も深呼吸を繰り返して、ようやく少し落ち着きを取り戻したクラリーチェが、何とか言葉を紡ぎ出す。

「あら、残念ですわ。……きっと、陛下ならクラリーチェ様の贈り物は全て喜ぶでしょうけれど………」
「因みにリリアーナ様はラファエロ様には何を送るのですか?」

今は婚約関係にある二人はどうなのだろうと気になったクラリーチェが尋ねると、リリアーナは嬉しそうに微笑んだ。

「私は、ガラスペンをお送りしようと思ってますわ。ラファエロ様が執務の最中も私を思い出してくださるように、私の瞳の色のガラスペンを作らせましたの」
「それはきっとラファエロ様も喜ぶでしょうね。それにとても素敵だわ」

リリアーナの案を手放しで褒めると、クラリーチェはにこりと微笑んだ。
だが、心の中はそれとは裏腹に重たい。
リリアーナの案は、心底素敵だと思えた。だが、リリアーナと同じようなものを用意しても、特別という感じがしない。
それは、自分が考えたものではないからだということにクラリーチェは気が付いていた。

(………やはり、誰かに頼るのは良くないわ。私自身が、エドアルド様を想って用意することに意味があるのよ)

小さく溜息をつくと、クラリーチェは長い睫毛で彩られた瞼を伏せた。


*********


そして迎えた聖夜祭。
開港祭もそうだったが、クラリーチェにとって、聖夜祭をこうして祝うこと自体が初めてのことだった。
大切な人たちとともに食卓に着き、神への祈りを捧げて談笑する。
ほかの人たちにとっては当たり前のことだが、クラリーチェにとってはそれが贅沢すぎるほどの幸せに思えて仕方がなかった。

「クラリーチェ」

聖夜祭の定番料理であるパネトーネや子豚の丸焼きポルケッタなどが所狭しと並べられた晩餐の席に着くと、エドアルドが満面の笑みを浮かべ、何かの包みを差し出してきた。

「あの、これは………?」
「あなたの為に用意したものだ。喜んで貰えれば嬉しいのだが………」

受け取った包みは存外重たく、厚みもある。
だがその質感だけでクラリーチェは中身が何なのかをすぐに察した。

「開けてみても、良いですか?」
「ああ、勿論だ」

優しい眼差しを感じながら、クラリーチェが包みに掛けられた水色のリボンを解いていくと、案の定、分厚い本が出てきた。

「まあ………、これは絶版になってしまった東帝国の歴史書では………?!」

クラリーチェの淡い紫色の瞳が、驚きに大きく瞠られた。
それは以前、エドアルドと雑談していたときに話題に挙がった、とても希少な本だった。
いくらエドアルドといえども、入手するのには相当苦労したはずだ。

「こんな希少なものを………。本当にありがとうございます………!」

あのような他愛ない会話の内容を覚えてくれていたエドアルドの気遣いと、その優しさに、クラリーチェは胸がいっぱいになり、思わず涙ぐむ。

「クラリーチェ様」

そんなクラリーチェに、後ろで控えていたアンナが、こそっと小さな包みを手渡してくれた。

「………エドアルド様の贈り物に比べたら何てことはないかもしれませんが………」

ほんの少しはにかみながら、クラリーチェは小さな包みを手渡した。

「開けていいか?」
「勿論です」

クラリーチェが穏やかに微笑むと、エドアルドは微笑みを浮かべたまま器用に包みを開けていく。

「刺繍入りの、ハンカチか」

それは青色に染め上げられた上質な絹のハンカチに、白い獅子の絵柄が刺繍されたものだった。
それはまさに、キエザ王家の紋章だ。
それを手にしたエドアルドが嬉しそうに目を細める。
旗の図柄を忠実に再現したそれは、職人が作ったのかと思うような、実に見事な出来だった。

「それならばいつも身につけていただけるかと思いまして………」
「………まさか、これはあなたが?」
「はい。………色々考えたのですが、結局ありふれたものしか思い浮かばなくて……。でも、一針一針、気持ちを込めて縫いました」

恥ずかしそうにクラリーチェは微笑んだ。
エドアルドはハンカチとクラリーチェの顔を交互に見て、破顔する。

「あなたからの贈り物なら何でも歓迎だが………、あなたがわざわざ私のために作ってくれたと思うと、喜びもひとしおだな。肌身離さず身につけて、大切にする」
「そんな大層なものでは………!」

エドアルドの言葉にクラリーチェが慌てるが、エドアルドは全く意に介していない。

「しかし素晴らしい出来だな」
「とんでもありません………!幼い頃から針仕事には慣れておりますが、こんなに沢山の刺繍を施すのは初めてだったので、なかなか上手くいかなくて………」
「いいや、今まで見た中で一番素晴らしい」

そんなに大袈裟に褒められると、余計に恥ずかしくて、クラリーチェははにかんだ。

「………ところで」

コホン、と小さく咳払いをしたエドアルドは、クラリーチェを窓辺に飾られた宿木の花束フェストゥーンの下へと連れて行った。

「宿木にまつわる聖夜祭の言い伝えを、知っているか?」
「宿木、ですか?ええと………北方の国々の神話では、神殺しの武器として扱われたというものがありましたが………」

離れたところにいたリリアーナが、「流石はクラリーチェ様ですわ」と叫ぶのが聞こえたが、エドアルドは何故か微妙な表情を浮かべているところを見ると、どうやら求められていた答えとは違うらしい、とクラリーチェは思った。

聖夜祭の主役である神の子と宿木は、確かに深い繋がりがあり、神秘的なその生態故に、他国では儀式に使われたりもするそうだが、それもエドアルドの求めている答とは違うように感じた。

「博識なあなたにも、知らないことがあるのだな」

懸命に考えを巡らせているクラリーチェに向かって微笑むと、エドアルドはゆっくりと顔を近づけて、そっと口付けをした。

「宿木の下で口付けをすると、その愛は永遠に続くという言い伝えがあるんだ」

ほんの少し唇を離して、エドアルドが甘い声で囁いた。
途端にクラリーチェの頬がみるみる紅潮していく。

「宿木の下では口付けを拒めない、という言い伝えもありましたね」
「ええ!本当にロマンチックですわね」

皆の前で口付けられ、羞恥に震えるクラリーチェに追い打ちをかけるようにラファエロが満面の笑みを浮かべるのと同時に、リリアーナがそれに同意する。

「あなたは今まさに宿木の下にいるな。………では、心ゆくまで口付けを交わすとしよう」
「え………っ?!」

驚いて逃げようとするクラリーチェの細い体を、エドアルドの大きな掌が捕らえたかと思うと、次の瞬間唇が塞がれた。
先程の羽が触れ合うような優しいバードキスとは違う、息が止まるような熱く深い唇に、クラリーチェの羞恥心は一気に、めくるめく幸福感に塗り替えられた。

彼に触れられるだけで、こんなにも幸せに浸れる。
彼の温もりを感じるだけで、こんなにも心が満たされていく。
今、この瞬間が本当に幸せだと、クラリーチェは思った。
どれくらいの間、そうしていたのだろうか。
ようやく唇を離したエドアルドは、腕の中のクラリーチェを愛おしそうに見つめながら微笑んだ。

神の子の誕生を祝う、聖なる夜。
そんな二人と、二人を見守る彼らの大切な人々を、美しい月が見つめていたのだった。
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