冷遇側妃の幸せな結婚

玉響

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番外編

騎士団長の恋愛事情(20)

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王宮の敷地内を抜けると、愛馬の腹を強く蹴る。
ブラマーニ公爵邸へと続く、まだ人もまばらな石畳の道を全力で駆ける愛馬の速度が、これほどまでに遅く感じたことはなかった。

「アンナ………」

目立たないように、公爵邸の少し手前の路地裏でで馬を降りたところで、ダンテははっと重大なことに気が付いた。
エドアルドの敵対勢力であるブラマーニ公爵家に馬で乗り付けて、そこに潜入しているアンナに会おうなど、言語道断であるということに。
近衛騎士団長をしているダンテの顔はそこそこ知れているため、警戒されるに決まっている。
何より他家の人間が先ぶれもなしに馬で訪れて、新入りの侍女に会わせろなどと押しかけてきたら怪しいことこの上ない。下手をすればアンナ達が疑いを掛けられる可能性だって出てくるだろう。

「………飛び出して来たのはいいが、会える訳ないよな………」

少し冷静になれば分かりそうなことなのに、まったく気が付かなかった己が、どうしようもないくらいに恥ずかしかった。
あまりに衝動的な行動をとってしまったことを公開しながらも、この垣根の向こう側にアンナがいると思うと、胸の奥が切なく疼く。

「会いたいときに会えないというのは、このような気持ちになるものなのか………」

フィリッポ王が崩御するまで、エドアルドが後宮のほうを見ながら頻繁に溜息を零していたのを鬱陶しく感じていたのを思い出し、今更ながら敬愛する主のあの時の心境を思い知る。
その気持ちか段々苦しいような、何とも表現し難い感情を心にもたらしていく。
木々の向こうに見えるブラマーニ公爵邸を見つめながらも、屋敷の前を通り過ぎようとした時だった。

「あら?………騎士団長様?」

不意に声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。
会いたい気持ちが齎した幻聴なのかと思いながらも、ゆっくりと振り返ると、そこには公爵家の仕着せを身に着け、箒を手にしたアンナが立っていた。
栗色の瞳が、大きく見開かれた。

「こんな所でお会いするなんて………。お仕事の帰りですか?それとも、何か御用でも………?」

ふわりと匂い立つような笑顔を浮かべたアンナに、暫し呆然とする。
まるで色褪せた世界の中で彼女だけが輝いているような錯覚に囚われ、ダンテは目を瞬いた。

「あ………いや、たまたま通りかかっただけだ。特に用事があった訳ではないんだ」

ぶっきらぼうにそれだけ答えると、どうしていいのか分からなくてただアンナをじっと見つめた。
会いたくて、どうしようもなくなって王宮を飛び出してきたというのに、いざ本人を目の前にすると、気の利いた言葉の一つも紡げない己が情けなかった。

「………ブラマーニ家ここに潜入しているのだと聞いたが、………大丈夫なのか?」

声を潜めながら、ダンテが静かに問い掛けると、アンナは少し驚いたような表情を浮かべた。

「気に掛けて頂いてありがとうございます。ご覧のとおり、何も問題はありませんよ。でも、私のような者まで気に掛けて下さるなんて………騎士団長様はお優しいのですね」

アンナはふわりと微笑んだ。
その笑顔を見ると、やはり心の奥に陽が差したかのように温かな気持ちが湧き上がる。

「あ………いや………、問題なければいいんだ。だが、まだ訓練を受けてから日が浅いのだから、無理はするな」
「ありがとうございます。伯爵夫人からこの任務をやり遂げたらクラリーチェ様の許に戻って良いとのお言葉を頂きましたので、多少辛いことがあっても頑張れます」

二人の間を、穏やかな風が駆け抜けていった。
アンナが口にしたのは、クラリーチェへの忠誠心で、ダンテに向けたものは社交辞令にほんの少し色が付いたものに過ぎなかった。
分かりきった事なのに、ダンテは自分で思っていた以上に胸が締め付けられるのを感じた。
ふと、屋敷の方からアンナを呼ぶ声が聞こえて、アンナは振り返った。

「あ………呼ばれているみたいです。私はこれで失礼しますね。騎士団長様、クラリーチェ様をよろしくお願いします」

洗練された仕草でお辞儀をすると、アンナはくるりと仕着せの裾を翻して小走りで公爵邸の中へと入っていく。

「アンナ………」

ダンテは、彼女の姿が消えていった屋敷の扉を、暫くの間見つめていたのだった。
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