228 / 268
番外編
騎士団長の恋愛事情(20)
しおりを挟む
王宮の敷地内を抜けると、愛馬の腹を強く蹴る。
ブラマーニ公爵邸へと続く、まだ人もまばらな石畳の道を全力で駆ける愛馬の速度が、これほどまでに遅く感じたことはなかった。
「アンナ………」
目立たないように、公爵邸の少し手前の路地裏でで馬を降りたところで、ダンテははっと重大なことに気が付いた。
エドアルドの敵対勢力であるブラマーニ公爵家に馬で乗り付けて、そこに潜入しているアンナに会おうなど、言語道断であるということに。
近衛騎士団長をしているダンテの顔はそこそこ知れているため、警戒されるに決まっている。
何より他家の人間が先ぶれもなしに馬で訪れて、新入りの侍女に会わせろなどと押しかけてきたら怪しいことこの上ない。下手をすればアンナ達が疑いを掛けられる可能性だって出てくるだろう。
「………飛び出して来たのはいいが、会える訳ないよな………」
少し冷静になれば分かりそうなことなのに、まったく気が付かなかった己が、どうしようもないくらいに恥ずかしかった。
あまりに衝動的な行動をとってしまったことを公開しながらも、この垣根の向こう側にアンナがいると思うと、胸の奥が切なく疼く。
「会いたいときに会えないというのは、このような気持ちになるものなのか………」
フィリッポ王が崩御するまで、エドアルドが後宮のほうを見ながら頻繁に溜息を零していたのを鬱陶しく感じていたのを思い出し、今更ながら敬愛する主のあの時の心境を思い知る。
その気持ちか段々苦しいような、何とも表現し難い感情を心にもたらしていく。
木々の向こうに見えるブラマーニ公爵邸を見つめながらも、屋敷の前を通り過ぎようとした時だった。
「あら?………騎士団長様?」
不意に声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。
会いたい気持ちが齎した幻聴なのかと思いながらも、ゆっくりと振り返ると、そこには公爵家の仕着せを身に着け、箒を手にしたアンナが立っていた。
栗色の瞳が、大きく見開かれた。
「こんな所でお会いするなんて………。お仕事の帰りですか?それとも、何か御用でも………?」
ふわりと匂い立つような笑顔を浮かべたアンナに、暫し呆然とする。
まるで色褪せた世界の中で彼女だけが輝いているような錯覚に囚われ、ダンテは目を瞬いた。
「あ………いや、たまたま通りかかっただけだ。特に用事があった訳ではないんだ」
ぶっきらぼうにそれだけ答えると、どうしていいのか分からなくてただアンナをじっと見つめた。
会いたくて、どうしようもなくなって王宮を飛び出してきたというのに、いざ本人を目の前にすると、気の利いた言葉の一つも紡げない己が情けなかった。
「………ブラマーニ家に潜入しているのだと聞いたが、………大丈夫なのか?」
声を潜めながら、ダンテが静かに問い掛けると、アンナは少し驚いたような表情を浮かべた。
「気に掛けて頂いてありがとうございます。ご覧のとおり、何も問題はありませんよ。でも、私のような者まで気に掛けて下さるなんて………騎士団長様はお優しいのですね」
アンナはふわりと微笑んだ。
その笑顔を見ると、やはり心の奥に陽が差したかのように温かな気持ちが湧き上がる。
「あ………いや………、問題なければいいんだ。だが、まだ訓練を受けてから日が浅いのだから、無理はするな」
「ありがとうございます。伯爵夫人からこの任務をやり遂げたらクラリーチェ様の許に戻って良いとのお言葉を頂きましたので、多少辛いことがあっても頑張れます」
二人の間を、穏やかな風が駆け抜けていった。
アンナが口にしたのは、クラリーチェへの忠誠心で、ダンテに向けたものは社交辞令にほんの少し色が付いたものに過ぎなかった。
分かりきった事なのに、ダンテは自分で思っていた以上に胸が締め付けられるのを感じた。
ふと、屋敷の方からアンナを呼ぶ声が聞こえて、アンナは振り返った。
「あ………呼ばれているみたいです。私はこれで失礼しますね。騎士団長様、クラリーチェ様をよろしくお願いします」
洗練された仕草でお辞儀をすると、アンナはくるりと仕着せの裾を翻して小走りで公爵邸の中へと入っていく。
「アンナ………」
ダンテは、彼女の姿が消えていった屋敷の扉を、暫くの間見つめていたのだった。
ブラマーニ公爵邸へと続く、まだ人もまばらな石畳の道を全力で駆ける愛馬の速度が、これほどまでに遅く感じたことはなかった。
「アンナ………」
目立たないように、公爵邸の少し手前の路地裏でで馬を降りたところで、ダンテははっと重大なことに気が付いた。
エドアルドの敵対勢力であるブラマーニ公爵家に馬で乗り付けて、そこに潜入しているアンナに会おうなど、言語道断であるということに。
近衛騎士団長をしているダンテの顔はそこそこ知れているため、警戒されるに決まっている。
何より他家の人間が先ぶれもなしに馬で訪れて、新入りの侍女に会わせろなどと押しかけてきたら怪しいことこの上ない。下手をすればアンナ達が疑いを掛けられる可能性だって出てくるだろう。
「………飛び出して来たのはいいが、会える訳ないよな………」
少し冷静になれば分かりそうなことなのに、まったく気が付かなかった己が、どうしようもないくらいに恥ずかしかった。
あまりに衝動的な行動をとってしまったことを公開しながらも、この垣根の向こう側にアンナがいると思うと、胸の奥が切なく疼く。
「会いたいときに会えないというのは、このような気持ちになるものなのか………」
フィリッポ王が崩御するまで、エドアルドが後宮のほうを見ながら頻繁に溜息を零していたのを鬱陶しく感じていたのを思い出し、今更ながら敬愛する主のあの時の心境を思い知る。
その気持ちか段々苦しいような、何とも表現し難い感情を心にもたらしていく。
木々の向こうに見えるブラマーニ公爵邸を見つめながらも、屋敷の前を通り過ぎようとした時だった。
「あら?………騎士団長様?」
不意に声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。
会いたい気持ちが齎した幻聴なのかと思いながらも、ゆっくりと振り返ると、そこには公爵家の仕着せを身に着け、箒を手にしたアンナが立っていた。
栗色の瞳が、大きく見開かれた。
「こんな所でお会いするなんて………。お仕事の帰りですか?それとも、何か御用でも………?」
ふわりと匂い立つような笑顔を浮かべたアンナに、暫し呆然とする。
まるで色褪せた世界の中で彼女だけが輝いているような錯覚に囚われ、ダンテは目を瞬いた。
「あ………いや、たまたま通りかかっただけだ。特に用事があった訳ではないんだ」
ぶっきらぼうにそれだけ答えると、どうしていいのか分からなくてただアンナをじっと見つめた。
会いたくて、どうしようもなくなって王宮を飛び出してきたというのに、いざ本人を目の前にすると、気の利いた言葉の一つも紡げない己が情けなかった。
「………ブラマーニ家に潜入しているのだと聞いたが、………大丈夫なのか?」
声を潜めながら、ダンテが静かに問い掛けると、アンナは少し驚いたような表情を浮かべた。
「気に掛けて頂いてありがとうございます。ご覧のとおり、何も問題はありませんよ。でも、私のような者まで気に掛けて下さるなんて………騎士団長様はお優しいのですね」
アンナはふわりと微笑んだ。
その笑顔を見ると、やはり心の奥に陽が差したかのように温かな気持ちが湧き上がる。
「あ………いや………、問題なければいいんだ。だが、まだ訓練を受けてから日が浅いのだから、無理はするな」
「ありがとうございます。伯爵夫人からこの任務をやり遂げたらクラリーチェ様の許に戻って良いとのお言葉を頂きましたので、多少辛いことがあっても頑張れます」
二人の間を、穏やかな風が駆け抜けていった。
アンナが口にしたのは、クラリーチェへの忠誠心で、ダンテに向けたものは社交辞令にほんの少し色が付いたものに過ぎなかった。
分かりきった事なのに、ダンテは自分で思っていた以上に胸が締め付けられるのを感じた。
ふと、屋敷の方からアンナを呼ぶ声が聞こえて、アンナは振り返った。
「あ………呼ばれているみたいです。私はこれで失礼しますね。騎士団長様、クラリーチェ様をよろしくお願いします」
洗練された仕草でお辞儀をすると、アンナはくるりと仕着せの裾を翻して小走りで公爵邸の中へと入っていく。
「アンナ………」
ダンテは、彼女の姿が消えていった屋敷の扉を、暫くの間見つめていたのだった。
21
お気に入りに追加
7,129
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。