冷遇側妃の幸せな結婚

玉響

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番外編

初夜(9) ※R18です

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 夜明けを待たずに永和宮に皇帝が訪れ、建前上初めてとなる男御子を出産した徳妃と出産にかかわった宮の者たちを労った。満面の笑みを浮かべた柏と侍女たちに迎えられた皇帝は、驚いたように目を見開き、それでいて感慨深げな表情で赤子と対面を果たした。
 既に何人か子がいるのでしわくちゃの赤子を見ても動じることもない。ふむふむといいながら赤子の額を撫でている姿は、年齢もあるのだろうが父というより祖父のようにも見えた。
 そして後日、皇帝より徳妃と皇子には山のような褒美が下賜されたが、それ以上に宮に届いたのが後宮の妃嬪を通して献上された貴族たちの贈り物だった。
 瞬く間に倉や使っていない部屋が贈り物で埋まり、片付けても片付けても後を絶たない数々の贈り物を前にして白狼を含む宮の者は皆呆気にとられるしかなかった。
 これが皇子を産んだということか。
 滑らかで色とりどりの絹織物、陶器の茶器や食器、螺鈿や象牙がふんだんに用いられた楽器など、どの贈り物も一目見ただけで高級品と分かるものばかりだ。生まれた皇子と徳妃、そして徳妃の実家に対する実に分かりやすい賄賂である。
 皇帝の皇子が産まれるということは、本来このように祝われるものなのだろう。実家の力がなく、ひっそりと生まれ性別を偽らなければいけなかった銀月とは雲泥の差だと白狼は苦々しくそれを見ていた。
 また、工芸品のほかにも珍しい菓子や高価な茶、果物なども献上されていた。足が早いものについては徳妃が惜しげもなく下女たちに下げ渡し、お菓子をもらった下女たちは大喜びで休み時間に頬張っていた。もちろん白狼もご相伴に預かったのは言うまでもない。
 徳妃は侍女たちにも十分に気を配っていた。頂き物の織物や飾りものについては年の順番に下賜しているらしく、出産という一大事を経ても永和宮はおおむね平和であった。

 そんな中、周りとは明らかに異なる気配を放っている者がいた。
 宦官の柏である。
 徳妃が産室に籠ってからの情緒不安定さは側仕えとして心配のあまり、という言い訳もできよう。しかしここ数日の柏の様子は所謂「狂喜乱舞」という言葉がばっちり当てはまるのではないかと白狼は思う。
 男御子を得たという喜び、他の妃嬪より一歩抜きんでたという喜びなど、側近が大喜びする要因があるのは分かる。おそらく権力に対する期待も高まっているだろう。それにしてもあからさまだ。
 祝杯と称し昼間から酒を飲み、有力貴族からの贈り物を前にしてまるでこの世の春とばかりに始終大笑いをしているのだ。侍女や下女の仕事を差配することなど、すっかり忘れてしまったかのようだ。
 そして皇子誕生から数日経ったころのことだった。白狼が相変わらず増え続ける贈り物の片づけを手伝っていると、浴びるように酒を飲んでいた柏が贈り物の山の傍らで潰れているところに鉢合わせた。
 潰れた、とは贈り物の山の下敷きになっていたということではない。酒の瓶を片手に泥酔し、竹製の行李を背もたれ代わりにして大いびきをかいていたのだ。

「……ったく、いい気なもんだぜ」

 夕餉の支度に忙しい時間で他の侍女があたりに居ないため、ふっと悪態が口をついて出てくる。抱えていた漆器の箱を行李こうりの隙間に納めたいので退いてほしいが起きてくれそうもない。仕方なく、本当に本当に仕方なく、白狼は寝ている宦官をそうっと跨いだ。
 そのついでに躓いた風を装って柏の腹を軽く蹴飛ばしてやる。軟禁されてからこっち、憂さ晴らしもままならないのだ。このくらい許されてもいいはずだ。
 一回あてた程度では目が覚めないようなので二回、三回と脇腹を蹴っ飛ばすと、ようやく意識が浮上したのだろう。うう、と小さく柏が呻いた。

「起きたか?」

 尋ねるが返答はない。くぐもった声で唸る柏は、相当深酒になっているのだろう。つるりとして毛が薄い顔も、その下に続く首まで赤い。鼻を近づけずとも酒のにおいがぷんぷん漂っていた。

「おい、おっさん。んなとこで寝てると風邪ひくぞ」

 今この宮で流行り風邪になどに罹患されてはかなわない。抵抗力皆無の赤子と、まだ自力で移動するのも難儀をする産褥期の徳妃がいるのである。
 白狼は宦官を蹴る脚に徐々に力を込めていった。何度か繰り返すと、やっと少しだけ柏の目が開いてきた。しかし意識はまだ夢とうつつを彷徨っているようで、瞳の焦点は合わないままだ。

「おっさん。寝るなら自分の部屋に行け。こんなところで寝てられると迷惑なんだよ」

 おい、と白狼は丸みのある肩を叩いた。すると柏はその手を乱暴に払いのけると、もう片方の手に持った酒瓶に口を付けて煽った。

「ちょっと、もうやめとけって……」
「うるせえ! 気分よく前祝いやってんだ……! 邪魔するな……」

 ぐびり、と柏は喉を鳴らして酒を飲み込む。聞き分けのない酔っ払いは大嫌いだ、と白狼は宦官の手から酒瓶を奪いかけて、そしてふと考えた。

 ――これ、逃げられるんじゃねえの?

 泥酔している柏の意識は朦朧としている。まだ飲み続けているこの状態を放置すれば、またこいつはこのまま眠ってしまうだろう。今は夕刻。もう半刻もしないうちにあたりは暗くなってくる。夕餉の配膳でバタバタしているところで、宵闇に紛れて宮を出てしまえるのではないか。
 白狼は酒瓶から手を離した。拘束が解かれた柏は、ここぞとばかりに酒瓶に口をつけ、さかさまにする勢いで中身を煽る。唇の端からつつっと液体が零れているが、本人は気がついてもいない。
 逃げよう、と白狼が決心するまで時間はかからなかった。
 倉庫に積まれた贈り物の山の中には保存のきく酒もあったのを思い出す。それを取り出し柏の手の届くところに置くと、白狼はそうっと部屋を後にした。
 それから一目散に自室へ戻り、暗くなるのを待った。階下では下女たちの配膳をする声がするが、気配を消してじっと待つ。
 もう少し暗くなれば、窓から外へ出ても目立ちにくくなる。早く、と焦れながら白狼は待った。しかし、そんなときに限って邪魔が入るものだ。

「白玲……いますか? 話を、聞いてください」

 自室の前で、白狼を呼ぶ徳妃の声がしたのだった。
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