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本編
211.花冠
しおりを挟む 小葉ら侍女の私室は銀月の居室がある正房から裏手に伸びた渡り廊下の先、後罩房にある。翠明、黒花も同じ房に部屋があり、一番若い小葉は渡り廊下から一番遠い一室を与えられていた。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
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