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第2章 魔王動乱
side エオロー
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「オーナー!!!!」
ウルの声が聞こえたと同時にその細くて小柄な体が視界に入って。
ドン、っと固い物を当てた時のような音がした。
よろよろと俺の体にぶつかってそのまま崩れ落ちていくウルの細い体から見慣れない“何か”が伸びている。
気持ちの悪い紫色のぬるついた触手。
こぽ、っとウルの口から血が溢れて力の抜けた体はそのまま地面に倒れた。
何が起きたかわからない俺の代わりにティールとギフトの2人が怒り狂って魔物に突っ込んでいく。
誰かが「光魔法!?」と驚いた声を出したけど、俺は目の前のウルの体を抱き上げた。
「ウル!!!!」
小さな、細い体だ。まだ軽くて弱くて、今からもっと太らせようと思ってた体。
着ていた服は泥だらけだったけど今は真っ赤に染まっている。
死に行く者の虚ろな瞳は戦場で何度も見た。力のない濁ったガラス玉のようになってしまう瞳。
ウルの、普段は海のように真っ青な瞳がどろりと濁っていてその目が微かに動いた。
――おーなー、ぶじ
口を開く度ごぼごぼと血を溢れさせながら微かに聞こえた問い掛けなのか自身に言っているのかわからない声。
ここで何が起きてるのかわかっていない、遠くで戦っていた騎士達の喜びの雄叫びがウルの声を掻き消してしまう。
魔物は退けた。魔王っぽくなってた王太子も無力化したしこれだけの騒ぎを起こした彼はもう王太子でいられない。だからこの先ウルは安全なはずだったんだ。
なのに何故今この子は俺の腕の中で物言わぬ人形のようになってるんだ?血にまみれた口で、笑みを貼り付けたまま。どうして。
思わず触手を切り捨てて引っこ抜いてやろうとした俺を止めたのはマリオットだった。
「下手に触るな!ハガル!治癒は!?」
いつもの敬語をかなぐり捨てて駆け寄ってくる。
「もう……魔力ないよ……!」
他の治癒師も同様にほとんどが魔力を使い果たしている。それでも何人かがまだ辛うじて治癒が使えると名乗り出てくれた。
だけどマリオットの表情は厳しい。
「この魔物の触手は獲物に突き刺さった後中で広がるんだ」
ただ刺すだけじゃなく中で広げる事によって抜けなくする。体内でどのくらい広がってるのかわからないから臓器のほとんどがやられてるかも知れない。だから生半可な治癒じゃおいつかないんだと。
そもそも中で広がってるのをどうやって抜くんだ、と訊いた声は俺の物だった。
頭の中は冷静じゃないのに声だけがいつもの通り平静を装ってる。
「触手を広げてる腱を切る。場所はわかってるんだ。後はすぐ治癒出来るならまだ助けられる」
ぼろぼろと泥だらけの頬に涙を溢しながら言うマリオットに諦めが見えた。ポーションの効かない、何だったら希少なエリクサーですら常人がポーションを使った程度しか効かないウルのこの傷だ。今いる治癒師じゃダメなんだろう。それでも諦められない心が口を開かせているのはわかった。
俺の腕の中でウルの体が重たくなっていく。もう少ししたら血が巡らなくなった体は冷たくなる。それも戦場で嫌と言うほど見てきた。
だけど、どうしてウルなんだ。どうして今こいつは動かないんだ。どうして最後まで笑って。
起きたら説教だ、と。それからもう二度と危険な場所には連れて行かないし、危険な目には遭わせない。
だから頼む。
「連れていかないでくれ……」
神に祈った事なんてない。だけど今初めて心から祈った。
返してくれ。俺の大事な奴なんだ。不器用で優しくて痛くて辛いのに笑ってるような馬鹿で。
でも俺の命より大事な奴なんだ。
「頼む……、返してくれ」
「退いて!」
耳に届いたのは今ここで聞こえる筈のない声だった。
いつもの露出が多めな服とは違ってしっかり防寒具をまとった彼女の後ろからヴァルドが着いてくる。困惑してるのはヴァルドも同じようだがそれよりも俺の腕の中のウルを見て青ざめた顔で駆け寄ってきた。
そのヴァルドすらも押し退けて。
「治癒は私がするわ」
黒曜石のような瞳が強い意思を持って俺達を見据えた。
「シーラ……出来るのか?」
問いかけた声は情けなく震えてる。マリオットも縋るようにシーラを見て、魔物に止めを刺したティール達も戻ってきた。
「良いから!今は信じて!」
何でも良い。今ウルを助けられるのなら悪魔にだって魂をくれてやる。そう思ったのはきっと俺だけじゃなかった筈だ。
涙を拭ったマリオットが、やります、と呟いて魔物の腱がある辺りにナイフを押し当てる。もう1回シーラと視線を合わせ、シーラがしっかり頷いて。
ぶしゃ……!っと飛び散った青い体液を浴びながらマリオットが触手を引き抜くと、なるほど確かに触手の先は手のひらのように裂けて広がっている。ただ腱を切られたそれはだらりと垂れて引っ張られるままウルの体から抜け落ちた。
同時にまだ体を巡っていたウルの血が傷口から溢れ出てくる。
「ウル……!」
もう吐息すら聞こえないウルの体。傷の入り口は触手の太さの穴しか空いていなくても体内はどれ程傷ついているのか。
その具合さえ確かめる事もなくシーラの白い手のひらが傷口に当てられた。
一瞬だけ悩むような間を空けた、次の瞬間。
光。
光。
目も開けていられない程の光の洪水。
魔力の多くない俺でもわかる膨大な魔力はもしかしたら魔王だというウル以上じゃないだろうか。
ウルの傷口に収縮していく光の渦が消えたあと、ごほ、と咳き込んだウルが血を吐いたがその胸はゆっくり上下している。血の気を失っていた顔にうっすら赤みがさして冷たくなりつつあった体がほんのり暖かくなってきて。
思わず抱き締めた体からはトクトクと命を刻む音がした。
◇
初めて神に感謝したのにそれから2週間も目覚めなかったウルが今日ようやく目覚めた。柄にもなく涙が溢れて、その顔を見られないようにきつく抱き締めた体はあの日と違ってしっかり血が通っているし、いつもの通りハーブのような爽やかな香りがしている。
何度目かのごめんなさい、を受けてようやく体を離して、それからあの日の事を伝えた。
「シーラ姉さん……ただ者じゃないと思ってたけど、聖女だったって事?」
まだ聖女信仰のあつい神聖国から逃げ出してきた歴代最強の聖女――それがシーラらしい。
ウルにうっすらついてた聖なる加護はシーラがかけたもので、魔王相手でも加護をなんとかつけられる程の魔力の持ち主。ただ流石に魔王の魔力で打ち消されてしまうからずっとはつけられない。だからパルヴァン王城にいる間だけ保つようにとかけていたそうだ。
そう言われたら出掛けにまじないだとかなんだとか言ってウルの頬にキスしてたな。思い出すともやっとなるが、あれがあったお陰で王太子以外は魔王じゃないって信じたらしいからシーラのおかげだろう。
その後も王太子がやって来てウルが魔王化しかけてた時側にいたのもシーラだった。あの時にも聖女の力でウルの魔王化を抑えてたらしい。
「聖女である事に嫌気がさして逃げたんだとさ」
貞潔さを求められる聖女だからこそ真っ先にそれを捨ててしまえとこの店を選んだのだそうだ。
――貞潔でないと聖女の力は使えない、なんて真っ赤な嘘だったわね
教会から出ることも許されず、凍えるような寒い日でも聖なる湖での毎日の禊と、質素な食事。厳しい修行に、やってくる人々への癒し。婚姻も許されず、生涯貞潔さを保つ事を求められた。そうでないと聖女としての力を失う、と。
それが当たり前だと過ごしてきた少女と呼べる年齢を過ぎた頃、不意に疑問を感じてそして逃げた。理由を詳しく言うつもりはないのだろう。それ以上何も言わなかったが。
「長い間聖女としての自分から逃げてきたけど、魔王になりたくないって抗ってるお前を見てたら同じように抗ってやろうと思ったらしい」
だから神聖国にバレる覚悟を決めて聖女として癒しの力を使った。例え貞潔さがなくても聖女としての資質はなくならない。追手が来たとしてもそれを突きつけてやるつもりだ、と笑っていた。
ゆくゆくは神聖国に戻って聖女制度の廃止を訴えに行こうと思っているらしい。昔の自分のように何の疑問も持たず人生を無為に過ごしている少女達を解放する為に。
でも今はただのシーラとしてウルが目覚めるのを待っていた。そろそろ店のやつらにも声をかけてこないといけないだろう。
この後店の奴らやヴァルド達が喜びのあまり嵐のような騒がしさになるんだが今は静かな部屋でもう一度ウルの体を抱き締めてその存在を確かめたのだった。
■■
読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。
良いお年をお迎えくださいませ。
ウルの声が聞こえたと同時にその細くて小柄な体が視界に入って。
ドン、っと固い物を当てた時のような音がした。
よろよろと俺の体にぶつかってそのまま崩れ落ちていくウルの細い体から見慣れない“何か”が伸びている。
気持ちの悪い紫色のぬるついた触手。
こぽ、っとウルの口から血が溢れて力の抜けた体はそのまま地面に倒れた。
何が起きたかわからない俺の代わりにティールとギフトの2人が怒り狂って魔物に突っ込んでいく。
誰かが「光魔法!?」と驚いた声を出したけど、俺は目の前のウルの体を抱き上げた。
「ウル!!!!」
小さな、細い体だ。まだ軽くて弱くて、今からもっと太らせようと思ってた体。
着ていた服は泥だらけだったけど今は真っ赤に染まっている。
死に行く者の虚ろな瞳は戦場で何度も見た。力のない濁ったガラス玉のようになってしまう瞳。
ウルの、普段は海のように真っ青な瞳がどろりと濁っていてその目が微かに動いた。
――おーなー、ぶじ
口を開く度ごぼごぼと血を溢れさせながら微かに聞こえた問い掛けなのか自身に言っているのかわからない声。
ここで何が起きてるのかわかっていない、遠くで戦っていた騎士達の喜びの雄叫びがウルの声を掻き消してしまう。
魔物は退けた。魔王っぽくなってた王太子も無力化したしこれだけの騒ぎを起こした彼はもう王太子でいられない。だからこの先ウルは安全なはずだったんだ。
なのに何故今この子は俺の腕の中で物言わぬ人形のようになってるんだ?血にまみれた口で、笑みを貼り付けたまま。どうして。
思わず触手を切り捨てて引っこ抜いてやろうとした俺を止めたのはマリオットだった。
「下手に触るな!ハガル!治癒は!?」
いつもの敬語をかなぐり捨てて駆け寄ってくる。
「もう……魔力ないよ……!」
他の治癒師も同様にほとんどが魔力を使い果たしている。それでも何人かがまだ辛うじて治癒が使えると名乗り出てくれた。
だけどマリオットの表情は厳しい。
「この魔物の触手は獲物に突き刺さった後中で広がるんだ」
ただ刺すだけじゃなく中で広げる事によって抜けなくする。体内でどのくらい広がってるのかわからないから臓器のほとんどがやられてるかも知れない。だから生半可な治癒じゃおいつかないんだと。
そもそも中で広がってるのをどうやって抜くんだ、と訊いた声は俺の物だった。
頭の中は冷静じゃないのに声だけがいつもの通り平静を装ってる。
「触手を広げてる腱を切る。場所はわかってるんだ。後はすぐ治癒出来るならまだ助けられる」
ぼろぼろと泥だらけの頬に涙を溢しながら言うマリオットに諦めが見えた。ポーションの効かない、何だったら希少なエリクサーですら常人がポーションを使った程度しか効かないウルのこの傷だ。今いる治癒師じゃダメなんだろう。それでも諦められない心が口を開かせているのはわかった。
俺の腕の中でウルの体が重たくなっていく。もう少ししたら血が巡らなくなった体は冷たくなる。それも戦場で嫌と言うほど見てきた。
だけど、どうしてウルなんだ。どうして今こいつは動かないんだ。どうして最後まで笑って。
起きたら説教だ、と。それからもう二度と危険な場所には連れて行かないし、危険な目には遭わせない。
だから頼む。
「連れていかないでくれ……」
神に祈った事なんてない。だけど今初めて心から祈った。
返してくれ。俺の大事な奴なんだ。不器用で優しくて痛くて辛いのに笑ってるような馬鹿で。
でも俺の命より大事な奴なんだ。
「頼む……、返してくれ」
「退いて!」
耳に届いたのは今ここで聞こえる筈のない声だった。
いつもの露出が多めな服とは違ってしっかり防寒具をまとった彼女の後ろからヴァルドが着いてくる。困惑してるのはヴァルドも同じようだがそれよりも俺の腕の中のウルを見て青ざめた顔で駆け寄ってきた。
そのヴァルドすらも押し退けて。
「治癒は私がするわ」
黒曜石のような瞳が強い意思を持って俺達を見据えた。
「シーラ……出来るのか?」
問いかけた声は情けなく震えてる。マリオットも縋るようにシーラを見て、魔物に止めを刺したティール達も戻ってきた。
「良いから!今は信じて!」
何でも良い。今ウルを助けられるのなら悪魔にだって魂をくれてやる。そう思ったのはきっと俺だけじゃなかった筈だ。
涙を拭ったマリオットが、やります、と呟いて魔物の腱がある辺りにナイフを押し当てる。もう1回シーラと視線を合わせ、シーラがしっかり頷いて。
ぶしゃ……!っと飛び散った青い体液を浴びながらマリオットが触手を引き抜くと、なるほど確かに触手の先は手のひらのように裂けて広がっている。ただ腱を切られたそれはだらりと垂れて引っ張られるままウルの体から抜け落ちた。
同時にまだ体を巡っていたウルの血が傷口から溢れ出てくる。
「ウル……!」
もう吐息すら聞こえないウルの体。傷の入り口は触手の太さの穴しか空いていなくても体内はどれ程傷ついているのか。
その具合さえ確かめる事もなくシーラの白い手のひらが傷口に当てられた。
一瞬だけ悩むような間を空けた、次の瞬間。
光。
光。
目も開けていられない程の光の洪水。
魔力の多くない俺でもわかる膨大な魔力はもしかしたら魔王だというウル以上じゃないだろうか。
ウルの傷口に収縮していく光の渦が消えたあと、ごほ、と咳き込んだウルが血を吐いたがその胸はゆっくり上下している。血の気を失っていた顔にうっすら赤みがさして冷たくなりつつあった体がほんのり暖かくなってきて。
思わず抱き締めた体からはトクトクと命を刻む音がした。
◇
初めて神に感謝したのにそれから2週間も目覚めなかったウルが今日ようやく目覚めた。柄にもなく涙が溢れて、その顔を見られないようにきつく抱き締めた体はあの日と違ってしっかり血が通っているし、いつもの通りハーブのような爽やかな香りがしている。
何度目かのごめんなさい、を受けてようやく体を離して、それからあの日の事を伝えた。
「シーラ姉さん……ただ者じゃないと思ってたけど、聖女だったって事?」
まだ聖女信仰のあつい神聖国から逃げ出してきた歴代最強の聖女――それがシーラらしい。
ウルにうっすらついてた聖なる加護はシーラがかけたもので、魔王相手でも加護をなんとかつけられる程の魔力の持ち主。ただ流石に魔王の魔力で打ち消されてしまうからずっとはつけられない。だからパルヴァン王城にいる間だけ保つようにとかけていたそうだ。
そう言われたら出掛けにまじないだとかなんだとか言ってウルの頬にキスしてたな。思い出すともやっとなるが、あれがあったお陰で王太子以外は魔王じゃないって信じたらしいからシーラのおかげだろう。
その後も王太子がやって来てウルが魔王化しかけてた時側にいたのもシーラだった。あの時にも聖女の力でウルの魔王化を抑えてたらしい。
「聖女である事に嫌気がさして逃げたんだとさ」
貞潔さを求められる聖女だからこそ真っ先にそれを捨ててしまえとこの店を選んだのだそうだ。
――貞潔でないと聖女の力は使えない、なんて真っ赤な嘘だったわね
教会から出ることも許されず、凍えるような寒い日でも聖なる湖での毎日の禊と、質素な食事。厳しい修行に、やってくる人々への癒し。婚姻も許されず、生涯貞潔さを保つ事を求められた。そうでないと聖女としての力を失う、と。
それが当たり前だと過ごしてきた少女と呼べる年齢を過ぎた頃、不意に疑問を感じてそして逃げた。理由を詳しく言うつもりはないのだろう。それ以上何も言わなかったが。
「長い間聖女としての自分から逃げてきたけど、魔王になりたくないって抗ってるお前を見てたら同じように抗ってやろうと思ったらしい」
だから神聖国にバレる覚悟を決めて聖女として癒しの力を使った。例え貞潔さがなくても聖女としての資質はなくならない。追手が来たとしてもそれを突きつけてやるつもりだ、と笑っていた。
ゆくゆくは神聖国に戻って聖女制度の廃止を訴えに行こうと思っているらしい。昔の自分のように何の疑問も持たず人生を無為に過ごしている少女達を解放する為に。
でも今はただのシーラとしてウルが目覚めるのを待っていた。そろそろ店のやつらにも声をかけてこないといけないだろう。
この後店の奴らやヴァルド達が喜びのあまり嵐のような騒がしさになるんだが今は静かな部屋でもう一度ウルの体を抱き締めてその存在を確かめたのだった。
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