【完】ラスボス(予定)に転生しましたが、家を出て幸せになります

ナナメ

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第1章 念願の国外追放

side エオロー

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 あの日ウルティスレットがやって来て、そして翌朝明るく出て行った日の事だ。
 
 俺――エオローと俺の店の売れっ子娼婦シーラはどちらからともなく顔を見合わせた。

「……父親が息子を穢す為に暴漢を雇ったって……?」

「……嘘を言っている顔じゃなかったわ」

 昨晩、終わった、とやって来て鼻血を出しながら倒れた時も相当驚いたが目を覚ますなり最後の仕上げが残ってた、と服を破ろうとし出した時は本気で頭がおかしくなったのかと思った。
 貴族が自分の息子を穢そうとした――その事実に頭がついてこない。
 本来貴族というのは体裁を気にして少しの汚点もつかないように振舞う物だ。中には中身の伴わない貴族もいて無駄に威張り散らしたりする事があるが、少なくともこの国の貴族は自分達が貴族である事を誇りとし弱い民を守る為に力を尽くす。俺の中の貴族の在り様はそうだった。
 だというのに、ウルティスレット――ウルは隣国の貴族学院の制服を着て、いつも何かしら不調を抱えてここに来ていた。
 毒を盛られた、とヘラヘラ笑いながら血を吐いて、父親に殴られた、とやっぱりヘラヘラ笑いながら頬を腫らして。
 何故楽しくもないのに笑うんだ、と聞いた事がある。体だって心だって痛い筈だ、と。そんな事感じていないかのような笑顔に腹が立って大人げなく詰った事が、一度だけ。

 ――オーナーがいるから、頑張れる。

 やっぱりへらり、と笑ったその顔はまるで泣く事を知らないようでらしくもなく俺の方が泣きたくなった。
 だからウルが本当にそんな目に遭っていて貴族籍を捨てる事が出来たなら、ここにいる従業員や教会の孤児たちのように行先が出来るまで暮らしたらいい――そう思った。

 あの日からウルはここにいる。
 毎日ニコニコと笑って、時に呆れるくらいバカな事を言い出すけれど基本は素直で多分賢い。
 賢いからいつも相手との距離感を測っている。これ以上踏み込んだらダメな線を理解していて、だから店の奴らもウルの事が好きなのだろう。
 あれこれ世話をやいたり、からかったり、あの誰に対しても一定距離で接するシーラですらウルが側に来るのを許すくらいだ。

「オーナー!!今日はおパンツ灰色だね!」

「嗅ぐなよ?」

 嗅いだら教会の方で預かってもらう、って伝えてからは我慢しているようだけどきゅう、と眉を寄せて悲しそうな顔をしてきやがるからつい許可しそうになる自分が怖い。だが自分の使用済み下着を相手に嗅がせるなんて変態趣味、俺にはないからな!

 ウルは今日も笑っている。
 夜中になると体を縮めて、

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、父様。殴らないで
 ――息が出来ない、苦しい……
 ――誰か僕を愛して……

 そう言って魘される日がある事を本人は知らないんだろう。
 夢の中ですら涙を流さないのか乾いた目元を撫でて抱き締めてやると落ち着いて胸にすり寄ってくる。
 たまに寝たふりをしてすり寄ってくる時は頬をつねってやるけれど。

 朝になるとケロっとした顔で『オーナーおはよ~!今日もいい雄っぱいだね!』なんて言ってくるが、夜中のウルはあまりに儚くて今にも消えてしまいそうで恐ろしい。
 親にも見捨てられ、本来なら国民から祝福される立場にいた事すら偽りで、濡れ衣を着せられて、それなのにどうしてまだ笑っていられるんだろう。

「お前、俺なんかの何が良くてこんな所まで来た?」

 来なかったらこの子供は命を落としていたかも知れない。
 ぼんやりとそんな事を思いながら小さな白金頭を見下ろした。艶やかな髪は店の奴らが羨ましがって毎日のように撫でている。確かに撫でやすそうな頭の位置だ。

「オーナーはね、僕の神様なんだ」

「だから。どうしてそうなった?この国の生まれじゃないお前がどうして俺を知ってるんだ?」

 しかもこの店を開く前は冒険者としてあっちこっち飛び回っていた。ティールを引き取ってからは背中に赤子を背負った子連れ冒険者なんて有名になった事もあったがあいつより年下のウルが知ってる筈もない。
 尤も子連れ冒険者なんて二つ名が『神様』になるとは思ってないが。

「う~ん。説明は難しいんだけど……僕じゃない僕が知ってたから、じゃダメかな」

「お前が真面目に答えるわけがないのが良くわかった」

「えー!めちゃくちゃ真面目だよ!」

 笑うとへにょ、と下がる目尻。
 くるくると良く変わる表情は見ていて飽きない。最初に制服で現れた時から整った顔だったウルは年を重ねる毎に美に磨きがかかっている気がする。
 ただ本人の性格がアレだから黙っていれば芸術品のような顔も宝の持ち腐れ状態になってるんだがな。

「ついにエオローにも春が来たってわけね」

 客が帰った静かな朝。
 店の外は快晴でこの店とは逆に今から活動を開始する町の奴らの声が微かに窓から入ってくる。

「何の話だ」

 ウルは外で洗濯をしていて、たまに水を変える為か窓の側をヒョコヒョコと白金頭が横切っているのが見える爽やかな朝だ。
 その窓辺の頭を無意識に追っていた事を揶揄されたと気付いてカウンターで気だるげにパイプ煙草をふかしているシーラを見た。

 仕事終わりでほどけたままの艶やかな黒髪と黒曜石のような黒い瞳はまるで全てを見透かすように深い色をしている。
 割りと派手な髪色の多いこの国で漆黒の髪は珍しく、その黒髪が白く滑らかな肌に映える。この辺りでは珍しいその色合いが艶かしいとシーラの指名は耐えない。
 さらに珍しい事にβ×Normalばかりのこの店で俺の他に唯一α×Domであるシーラは、教会で育ったわけでもなく、他にどんな仕事でも出来るだろうに自分からこの店にやってきた変わり種だ。

「自分でわからないの?あんたずっとあの子を目で追ってるのよ」

「子供だぞ。何かあったら親に申し訳ないだろうが」

「ハッ、顔が腫れ上がるくらい殴る親に?」

 ウルが愛されてないのはあいつの寝言からも明白だ。
 万に一つの可能性で親に殴られた、というのが本人の妄言だった場合を考えなかったわけじゃなかったが妄言だったなら夢の中でまで怯えはしない。
 殴らないでと震える小さな体を抱き締めて守ってやる大人は一人もいなかったのか。そう思うと腹の底から煮えるような怒りを感じる。

「……親とは縁を切ったんだったな」

「誤魔化しかたが下手ね。……いいじゃない。あの子、いい伴侶になるわよ」

 紛いなりにも貴族だったからには家事全般はからっきしだと思っていたウルの料理は絶品だった。

 ――待ってても僕のご飯は残飯になるだけだし、こっそり夜中に作ってたんだ

 凄いでしょ、とニコニコ自慢げに言う細い体を抱き締めてやりたかった。
 その時は恋だとかそんな甘酸っぱいものじゃなく、ただ不憫だと思ったからだ。
 ウルの手付きは慣れていたから、それが昨日今日始まった事じゃなくてずっと以前――この店に来る前から行われていた事だとわかってしまって。
 今より小さなウルが腹を減らして厨房に忍び込んで見よう見まねで食事を用意する光景を思い浮かべる。
 きっと今みたいに泣きもせず、誰かに助けも求めず、ただ黙々と練習を重ねたんだろう。

 ――ご令嬢から食べてほしいって出されたご馳走には毒が入っててね。参った参った

 毒耐性があるから大丈夫、なんて血を吐きながら笑っていた。
 誰かが作った食べ物には毒がある――それは幼い頃から染み付いた癖なんだろう。本人は気付いてなさそうだけれど、ウルは人が作った料理は決して自分から先には食べない。必ず相手が一口食べた後に食べ始める。それは俺が作った料理でも同じことだ。

「あいつはな、俺の事も信用してないんだ」

 好きだよ、と笑うその顔は料理が好き、お菓子が好き、刺繍が好き、そういう時の『好き』と何も変わらない。

「案外ロマンチストね?相手が好きだって言ってくれてるなら勘違いでも嘘でも良いじゃない。それとも何?心から惚れた相手しか嫌だとか抜かす小娘みたいな事を言うのかしら」
 
「……仮に俺が好きだって言ったら多分あいつは笑うよ」

 いつもみたいに、

 ――ホント!?僕もオーナー大好きだよー!!!僕達両思いだね!!

 そう言ってちっとも信用してない顔で笑うだろう。 
 
「大体な、本当に惚れてる奴の隣で何にも意識せずに寝られるか?」

「やだわ、下心があるのかしらこのオッサン」

「ねぇわ!」

 α×Domの本能だろうか。Ω×Subへの庇護欲が日に日に増していく。
 ウルは盛られ続けた毒や体への暴力の所為でSubの本能は感じなくなったと言っていたから俺の庇護欲に気付くことはない筈だ。

「でも最初ガリガリで心配だったけど、良かったわね。多少でも肉がついてきて」

「まあな。ようやく子供の一人前程度は食べられるようになった」
 
 来たばかりの時は必要最低限の肉しかなかったウルの体は健康的に少しふっくらとしてきた。
 直ぐ変態的な事を言うが良く働くし、確かにシーラが言うように伴侶には申し分ない。本人が本当に望むなら、だ。

「もう少し健康的な体にしないとな」

「……太らせてから食いたいなんて、そんな童話がなかったかしらね」

「誰もそんなつもりで言ってないだろ!」

 白い肌に映える赤い唇がにやりと弧を描くと途端に魔女のようにも見えるから恐ろしい。

「スタンレールは本当にウルを捜すかしら?」

 シーラにだけは昨晩の話はしてある。俺の他に事情を知ってるやつがいた方がいいと思ったからだ。シーラなら無闇矢鱈に言いふらさないし、万が一の時にもきっと冷静に対処してくれるはず。

「捜さないだろう。バカな王太子の妄言だ。家臣も聞き流してるだろうな」

「バカな王太子と婚約者を見限って、優秀かもしれないウルを捜したい一派もいるんじゃないの?」

「ウルは礼儀作法しか習ってないらしい。学園の成績は良かったかも知れないが、それとこれとは違うだろう。何よりあいつの背中に鞭による傷跡がある」

 ウルの小さな背中には酷い跡が沢山ついていた。新しい物から古い物まで。

「もしウルを王太子妃に、ってなったら未来の皇后の肌にあれだけの傷をつけた事が問題になるだろ。あいつの教育係だった奴は絶対にウルが優秀だったなんて言わないだろうさ」 

 一番古い傷跡はもう治癒魔法でも治せないだろう。それ程に痛々しく深い傷だ。

「わざわざ国を跨いで捜すくらいなら新たに優秀そうな相手を国内で見繕った方が早い。ハガルとやらが正妃にならないなら、例え愛がなくてもいいから我が子を正妃にしたい貴族連中はごまんといるだろうしな」

 今度は洗い終わった洗濯物を干しているのか白金頭と生っ白い腕が懸命にシーツを干し竿にかけているのが見える。
 暑い中でも長袖を羽織っているのは脂肪の少ない体は寒がりなのと、腕にも傷があるからだ。目立たない上腕の内側にはタバコの熱を押し当てたような跡があった。
 腰には大きな火傷の跡があって、本当にあっちこっち傷だらけ。体だけ見れば歴戦の戦士のように傷だらけの、けれど骨の目立つ痩せた体。

 α×Domというやつは厄介だ。
 弱い存在を見るとどうしても庇護欲がわく。中には嗜虐心からの支配欲がわくやつもいるらしいが俺やシーラは庇護欲が強いタイプだ。
 だから厄介なんだ。
 最初にウルを見た時から庇護欲がわいた。小さくて、弱そうで、そしてDomと惹かれ合うSub。αとΩである事も関係しているかも知れない。
 教会にだってSubはいる。Ωも。もちろん彼らにだって庇護欲は感じているが、ウルに出会った時はその比じゃなかった。多分あの弱々しい見た目の所為だろう。
 教会にいる奴らはダイナミクスがなんであれ皆逞しく育っている。むしろそういう風に育てた。
 Subだから、Ωだから、と何かを諦めなくていいように。本能に従って望まない結果にならないように。それでも抗えない時だってあるだろうから、その時は助けを呼べ、抗え、と教えてきた。ダイナミクスの所為で諦めても良いことなんて1つだってないんだ、と。

 それなのにウルは本能が機能しなくなっているのに誰よりも何かを諦めている顔をしていたから。
 見た瞬間に、こいつは守ってやらないといけないと感じた。
 俺が守らないと、俺の手の届くところで。俺が。

 あまりに強いその欲に他国の貴族子息である事を思い出して遠ざけようとしたのに、結局ウルは側にいる。
 教会に行かせる事も出来たのに、ただ俺の目の届くところにいさせたかったから。

「何事もなく平和であると良いんだけどね」

「しばらくはギフトに頼んで店の周りの警邏を増やしてもらうか」

「オーナー!洗濯終わったよー!!あ、シーラ姉さん!おはよう!まだ寝ないの?」

 おはよう、と寝るは=で繋がらないだろ、という突っ込みは飲み込んで。

「お前は朝飯にするから座ってろ」

「は~い!ね、シーラ姉さん。今日はマッサージする?」

「あら?今日はナナルの番じゃなかった?」

「ナナル姉さん、今日は疲れちゃったからガッツリ寝たいんだって。夜まで起こすなって言ってたから」

 じゃあ頼もうかしら、なんて言いながらこれみよがしにウルの頭を撫で回し勝ち誇ったような笑みを浮かべてくるシーラにイライラしつつ、少食のウルでも食べられるように軽食を作り始めたのが今朝の事。
 そうして夜になって、さっきまで客のバカ騒ぎに付き合ってたウルは案の定熱を出した。

「ほら見ろ。やっぱり疲れが出たんだろ」

「疲れてないもん。オーナーがいるから元気百倍だし」

「俺は滋養の薬か」

 医者を呼ぶ、って言えばこんな夜中に呼んだら悪いからと頑として譲らなかった。素人目に見ても何か悪い病気のようには見えないし大丈夫だろう。

「オーナー、お店戻る?片付けまだだよね」

 そんな不安そうな顔で訊かれて戻るなんて言えるわけがないだろ。
 そう口にしない代わりに額にかかる前髪を払ってやる。少し触れただけの指先からも伝わる熱はかなり熱くて側に置いた桶で冷やしたタオルをそこに乗せてやった。

「寝るまではいてやるから早く寝ろ」

「え~、じゃあ起きとく……」

 そんな事を言いながら体は辛いんだろう。徐々に落ちてくる目蓋を手のひらで押さえた。

「そのまま寝てろ。片付けが終わったらすぐ戻る」

 ん~、と気の抜けた返事からしばらく。手のひらの下で瞬いていた長い睫の動きがなくなって、穏やかとは言えないが寝息が聞こえるようになってから手を離した。
 赤く上気した頬、うっすら開いた唇。熱が籠っているからか洗濯に使ったらしき甘い香りが微かに漂っている。
 布団の上に置かれた手は店の奴らの洗濯物を手洗いしているにも関わらず指先まで滑らかだ。使っているハーブ石鹸とやらが肌に良いんだろうか。それとも本人が元々持っているものか。
 確かにこんなに良い香りがするのならみんながこぞってマッサージやら洗濯やらを頼むわけだ、と俺より小さな手を一度撫でて布団の中に入れてやる。

 この時感じた違和感をもっとちゃんと調べておけば良かったと思ったのはそれから2ヶ月後の事だった。
 
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