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ナナメ

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北町のコインランドリー

手の鳴る方へ3

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 *****

 兄貴に佳那汰から電話があった。

『桂弥かも。北町のコインランドリーに行く』

 たったそれだけで切れたらしいけど、兄貴はすぐ出掛ける用意をする。
 もし桂弥だったら捕まえて、一緒にコインランドリーで待ってるから迎えに来てって意味なのだそうだ。普段から無口な佳那汰とどうやって会話してるのかと思ったけど、佳那汰の少ない言葉の中から正確に情報を読み取る兄貴はすごいと思う。それだけ佳那汰を観察してるって事だ。流石ショタコン犯罪者。

 それより今は桂弥だ。
 一人で外に出るなんてバカな真似をして、あいつらに見つかったらどうするつもりなんだ。
 静かな音楽の流れる車内に重い沈黙が下りて、兄貴はイライラと窓の外を眺める俺に少し迷うような素振りを見せた後言った。

「なぁ、タケ。お前素直になったら」

「何がだよ」

「桂弥の事。俺達とも千秋とも龍介とも違う目で見てるよな」

「…」

 桂弥を見つけたのは偶然。まだ千秋と龍介もいなくて、気儘な一人暮らしをしていた頃。
 夜道を歩いてたら暗い路地裏から啜り泣く声が聞こえた。今から4年前、当時の桂弥は17歳。
 桂弥は、殆ど裸に近い格好で路地の隅で泣いていた。
 その細っこい首に犬みたいな赤い首輪がはまってて鎖の先は無理矢理引っ張った感じに歪んでて。
 ガラスの破片で体のあっちこっち切り裂いていた桂弥の手は自分の血で真っ赤だった。
 話しかけようとしたら酷く怯えて暗がりに逃げ込んでしまって、怖がらせないように気を引きたくて。
 鬼さんこちら、手の鳴る方へーーなんてふざけて歌った。

「……桂弥はさぁ……、親に売られたの。そこでいっぱいいっぱい悪夢見たんだって」

 ドラッグのせいで感じたくもないのに勝手に体は熱くなる。逆らえば暴力で捩じ伏せられて、心も体も限界だったって嘲笑ってた。

「家族になってやりたかった。あいつの安心できる場所、作ってやりたかったんだ」

 暗闇で一人泣いてるだけの桂弥に、本来なら親から受けれる筈の暖かい無償の愛情ってやつを注いでやりたかった。本当に、そう思ったんだ。
 一緒に暮らしてくうちに惹かれてる自分に気が付いた。でも桂弥は不必要な接触に未だに怯える。
 そんな桂弥に何で身勝手な恋愛感情をぶつけられる。その体を隅まで愛して思うまま貪りたいとか、そんなの桂弥を汚した奴らとどう違う。
 だからその気持ちに蓋をした。
 俺の“好き”は、家族の“好き”。

「……桂弥はそれを望んだのか?」

「……笑うようになったよ。怒るようにも、なった」

 悪夢に飛び起きて泣き叫ぶ事もなくなった。

「だったら、それ以上は望めねぇよ……」

 幸せそうに笑っててくれるなら、俺はいくらでも蓋をする。

「不器用だよな。お前も、桂弥も」

 兄貴は軽くため息をつく。
 それから、ちゃんと向き合えって言ってその後はずっと黙ってた。
 俺に答えを出せって事なんだろう。俺もただ黙って桂弥の顔を思い浮かべた。

 たどり着いたコインランドリーの中はぐちゃぐちゃで、何人もの男がいて、佳那汰は口の端から血を出してるし桂弥は隅で青ざめてる。
 一瞬で男達が誰なのか悟って、激昂しかかった俺の肩を兄貴が強く掴んで、直ぐ様警察を呼ぶ。
 警察が来るまでに何故か呆然としてる男達をすり抜けて二人を保護。割れてない蛍光灯がチカチカ瞬いたから、どっか電器配線がイカれたのかも知れない。
 少しして警察が来て、俺は桂弥とようやく向き合った。
 俯く桂弥を見たら色んな感情が爆発して気が付いたら思い切り、叩いてた。


 *****

「おい、タケ……」

 何か言おうとしたワタルの腕を佳那汰が掴んだのが見えた。ワタルは佳那汰が何を言いたいかわかったみたいで何も言わず微笑んで、佳那汰の傷に触れる。

 それを横目に叩いた自分の方が泣きそうな顔をして見下ろしくるタケルを見上げた。

「……」

「心配した……ッ」

「ごめん」

「ふざけんな、ごめんで済むか!!どれだけ捜したと思う!?どれだけ心配したかわかるかッ!?何で家出なんてしたッ!!」

 何で?そんなの。

「だって、もう……側にいられない、から」

 俺は、“家族”。それ以上にはなれないんでしょ。

「……あんたがいつか誰かの物になるってわかってて……、何で一緒にいられるんだよ…ッ!?俺は…っ」

 俺は、あんたの“特別”になりたかったんだよ。それが無理なら、もう苦しくて側になんていられない。

「俺、は……っ」

 涙が溢れた。後から後から流れる。俯いてしゃくりあげて目を閉じる。
 もう嫌だ、苦しいよ。苦しくてもう何も見えない。何も見たくない。
 なのにパンッ!!と手の平を打ち付ける音がして、俺は驚いて顔を上げた。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 タケルが打ち付けた手を広げた。いつかと同じ、光の中から俺を呼ぶ声。俺はあの時と同じようにタケルが広げたその腕の中に飛び込んだ。
 あの時も誰かに助けてほしくて、でも怖くて、タケルはふざけて歌ってから手を広げたまま待っててくれた。飛び込んだタケルの腕の中は暖かくて、涙が止まらなかったのを覚えてる。
 これで最後にするから後少しだけ、この温もりを。
 でもタケルは泣きそうな声で言った。

「……好き、だよ」

「……え……?」

 幻聴かと思った。都合のいい幻聴が聞こえるんだって。見上げたらタケルは泣きそうな顔で優しく笑ってる。

「好きだよ、好きだ、桂弥。好きなんだ」

 また強く抱き締められた。
 好き?タケルが、俺を好き、って言った?

「……嘘、だぁ……っ」

「嘘じゃない。お前を傷付けたくなくて、怖がらせたくなくて、言えなかった。そんな事言ってお前がいなくなったらどうしようって思って怖かった。お前を、失いたくなかった」

「嘘……っ」

「嘘じゃないよ」

 タケルは泣きそうな顔と優しい笑顔のまま俺の手を自分の心臓に当てる。普段より早い、力強い鼓動が手の平ごしに伝わる。

「……嘘じゃないよ」

 嘘じゃないの?夢じゃないの?タケルが俺の事、好き、って。
 手の平の向こうでタケルの鼓動は力強く、多分いつもより早く、脈打ってる。  
 嘘じゃないよ、って何度も何度もタケルが繰り返した。
 どれくらいそうしてたんだろう。ジワジワとタケルの言葉が体に浸透してく。ーーこれは、最後に見る夢かもしれない。だったら答えなきゃ。夢が醒めた時に後悔しないように言わなきゃ。

「……っ、ひ、ぅ……お、れ……、俺も、俺も……っ、タケルが好き、大好き……ッ」

 コインランドリーの自動ドアが開いたり閉まったりしてるのが視界の隅に映ったけど、もうそんなのどうだっていい。
タケルに力一杯しがみつく。

「ごめんな、叩いて」

「心配、かけて、ごめっなさ……ぅ、ひっ、ぅう……」

 ーーその瞬間、危ないッ!!って叫んだのがワタルなのか佳那汰なのか、警察だったのかわからない。
 気が付いた時には橋場の血走った目が見えて白刃は目の前まで迫ってた。




 *****

 一度開けた寝室の扉を無言で閉めた桂弥に俺は苦笑する。

「……また犯罪者がいた」

「まぁ、いいんじゃないかな……」

 世間的には問題大有りなんだろうけど。

「……それにしても、凄かったな」

「……うん」

 あの日、桂弥を白刃から守るために俺は桂弥の前に立ち塞がった。誰かの叫び声がして、男の体がぶつかって来たとき刺されたって思ったんだ。
 でも。

「いい加減、しつこい」

 言い放ったのは警察じゃなく、佳那汰だった。
 俺は目を閉じてたから見てないけど佳那汰はあの一瞬で男に足払いをかけた上にナイフを蹴り飛ばしたんだそうだ。怒り狂って飛びかかった男は背負い投げを決められ気絶した。一本!!って叫びたくなるくらい華麗な背負い投げだった。
 後で聞いたら佳那汰は柔道初段、剣道5段の強者で。
 逆らうの、やめようね。って兄貴とコソコソ言い合ったのは内緒だ。

「かっこよかったな」

「……嫉妬するよ」

 ムッ、と言ったら桂弥が笑って頬にキスする。
 それだけで機嫌の治る俺は相当やられてる。今まで我慢した分尚更だ。
 頬にお返しのキスをしたら、桂弥は幸せそうに笑った。

ーー鬼さんこちら、手の鳴る方へ。



 *****

「めっちゃ出にくい」

 ワタルがドアの隙間から窺ってそう言うから、俺はじゃあもうちょっと寝ようと目を閉じる。戻って来たワタルもまた布団に潜り込んで額にキスされた。

「何」

「何となく?」

「……」

 部屋の向こうから桂弥の笑い声がして俺は自分の手を持ち上げて見つめる。ワタルがその手に指を絡めて引き寄せて、どうした?って首を傾げた。

「柔道、習って良かった」

「……親父さん?」

「うん」

 父親に雁字搦めに縛られて、普通の親子なら有り得ない事もされたけど。おかげで手に入れられた物もたくさんある。

「友達、助けられた」

「そうだな」

 まだ面と向かって話はできないけれど、普通の親子に戻って話せる日はそう遠くないんじゃないかって。ワタルといたら素直に思える。

「……あっちもまだ終わりそうにないし、もうちょい寝るかぁ」

 腕の温もりに誘われて柔らかな夢を。


ーー鬼さんこちら、手の鳴る方へ。光の方へ。


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ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
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