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翌朝真希は案の定熱を出した。元々学校に行けるような状態ではなかったが、通常時でも休ませる必要のある高熱。うわ言のように真央、真央、と言って泣き続ける真希に警察に捜索願いは出してあるから少しでも休めと言うが、寝られない、とずっと玄関に座り込んでいる。

今日も目を覚ますなり捜しに出ようとした真希を止めたのは帰ってきた時ここに誰もいなかったら真央が困るだろう、と言う裕司の一言。捜しに出たいけれど真央が戻ったら困る、という反する思いで身動きの取れない真希は玄関から動こうとしない。

何も食べたくない、という彼にせめて薬は飲めと無理矢理飲ませて布団を体に巻いてやって。

そうこうしている内にその知らせは来た。

二人の母親だという相手が管理人の所へやってきて、二人を引き取ることになったから鍵を開けてくれと言った。学校へ真希に鍵を借りに行ったら鍵を忘れてしまったらしく、真央は真希以外には鍵を開けてくれないから管理人に鍵を借りてくれと言われたのだと。

管理人も疑いはしたものの幼い頃の真希の写真や太一も写っている写真、生まれたばかりの真央を抱いている写真を見せられ、太一が無理矢理二人を連れていってしまってからずっと捜していたのだ、と泣かれて鍵を渡してしまったのだと言う。

勿論部屋に行くときは管理人も立ち会った。真央は急に開いたドアに兄が帰ってきたかと喜んで出てきて見知らぬ相手に固まって泣き出したのだけれど、母だという女は生まれたばかりに引き離されて顔もわからないわよね、とさめざめ泣いた。

あまりにも真央が泣くからせめて真希が帰ってから、と提案すればならばここで真希を待つからと彼女は部屋に上がり込んだそうだ。

管理人は少し疑問に思いながらも鍵を返してもらい部屋を後にした。直後女は泣き喚く真央を連れ高級車に乗り去ったらしい。それは子供の泣き声を不審に思った同じ階の住人が目撃している。

母だと名乗った女が置いていった名刺の電話番号へ電話をかけてみたが『おかけになった電話番号は…』というアナウンスが流れるばかり。

ただ、相手は本当に二人の母親らしいというのは唯一残っていた母の写真を見た管理人のこの女だった、という証言で確定している。あとは何故今更彼女が真央を連れていったのか、ということ。真希も母親の今の住所は知らず唯一の連絡先は太一が亡くなってから繋がらなくなってしまった。

とにかく今は真央がどこでどうしているのか、母親が何のつもりでこんなことをしたのかを最優先に調べてもらっている。

見ず知らずの人間に連れ去られた訳ではないことに安堵はしたもののそれもわずかばかりの安心感。彼女は子供達を捨てた人物で、真希の中では全く信用に値しない相手。証拠にそれを知っても尚真希は玄関から動かなかった。





それから三日。薬のおかげか真希の熱は下がったけれど相変わらず彼は玄関先でほとんど眠ることなく真央を待ち続けている。

自分の冷蔵庫にも真希の冷蔵庫にも食べるものがなくなり、その日仕方なく裕司は買い物に出た。管理人にはもしここを真希が通ったら全力で止めてくれと何度も言い含め、管理人も責任を感じているのか重々しく頷いて。

そして急いで行って急いで帰ってきて玄関を開けて愕然とした。

「何を…っ!!!」

やっているんだ、と叫びかけて後半は何とか飲み込む。
真希は右手に血まみれのカミソリを持ってぼんやりと裕司を見上げた。左手首には何本もの赤い線が引かれている。少し浅めのものから割りと深いものまで、何本も。

何度か深呼吸をして、彼の目の前にしゃがみこんでも真希はぼんやりとした瞳のまま裕司の動きをただ見ているだけ。

「真希、これはどうした」

今の彼を刺激してはいけない、と出来るだけ穏やかに尋ねると真希は手首に視線を落として

「死のうと思った…けど、真央が帰ってきたら困るから…死ねなくて…」

ぽろ、と新たな涙を頬に滑らせた彼はごめんなさい、と呟く。

ごめんなさい、ごめんなさい、死ぬこともできなくてごめんなさい。

謝り続ける真希を引き寄せて抱き締め、謝るのは自分の方だと唇を噛む。

(僕は何一つ守れてやしないじゃないか)

あれだけ守ると言ったのに。真希も真央も、どちらも守れなかった。

まだごめんなさい、と呟いている真希に

「謝らなくていい。ひとまず手当てしないと」

そう告げて立ち上がる。きっと真希は部屋には入ってくなれないから、かつて太一がいた頃救急箱が置いてあった場所をあさって目的の物を見つけて、また真希の側に座った。

真希は変わらずごめんなさい、ごめんなさい、と泣き続けていて裕司はその腕をそっと掴む。

「痛かっただろう、真希」

「でも、でも…これじゃあ死ねないんだ…ごめんなさい、オレ、死ねなくて、どうしよう、どうしたらいい…?」

消毒をして包帯を巻いてやって、どうしよう、どうしよう、ごめんなさい、と泣く真希を腕におさめた。

「真希、少し休もう。寝てないから考えが後ろ向きになるんだ。な?ここにいるから、ここにいていいから。休もう、真希」

胸に抱き込んで髪を優しく梳きながら、幼い頃母親が歌っていた子守唄を小さく口ずさんで時折涙に濡れる頬を撫でて目蓋に唇を落として。

しばらく、ごめんなさい、ごめんなさい、死にたい、真央に会いたい、どこいったの、と繰り返していた真希は裕司の体温に安心したのかうとうととしはじめて、やがて呼気が寝息へと変わった。それでも動けばきっと起きるだろうからそのままそこで髪を梳き続ける。

どれ程そうしていたのだろう。穏やか、とは言いがたいがそれでも熟睡している真希に一息ついたとき床に置いてあった真希のスマートフォンが鳴り出した。バイブ設定にしてあるそれが床に当たる騒音に彼が起きてしまうと慌てて拾い上げ、その顔を覗くが目を覚ます気配はなく、ホッとしてディスプレイを見る。

登録外らしく番号のみ。真央の事は全て裕司の電話へ連絡が入ることになっているが、もしかしたら真希の番号を知っている誰かが直接話した方が早いとかけてきたのかもしれない。そう思って咄嗟に電話を繋げた。

『真希ちゃーん?元気ぃ?』

が、予想に反して聞こえてきたのはどこか粘ついた雰囲気の声。相手の背後からは下品な笑い声と野次が聞こえてくる。

傷はまだ痛む?だの真希ちゃんの喘ぎで昨日もヌいちゃったよー、だのと下劣きわまりない台詞に、彼の体につけられた傷を思い出してみしり、と音が立つ程電話を握りしめた。相手はそれに気付かず、むしろ真希が絶望に染まっている事を想像しているのか

『こないだの記念写真現像したから一緒に見ようよ。良く撮れてるからきっと真希ちゃんも気に入ると思うよー?』

言いながら下品に笑う。それでも無言でいると、

『まあいいや。真希ちゃん俺達と仲良しだから明日いつものコンビニ来てくれるでしょ?それともまた学校まで迎えに行ってあげよーかぁ?』

背後から、迎えにとかやっさしー!などと笑い声と共に誰かが言って、また明日ねぇ、と電話は切れた。

ツー、ツー、と無機質な音をたてる電話を耳から離し一度真希が寝ているのを確認する。真央が居なくなって5日、ほとんど眠っていなかった真希の眠りは深く動かなければ起きなさそうだ、と裕司は自分の電話を取り出した。






その同じ日の夕方。裕司の腕の中で1時間程休んで悪夢に飛び起きた真希はそのまままたぼんやりと玄関を見つめていた。

それでも裕司がいると安心するのか彼が隣に座れば自らぴたりと寄り添ってくる。その真希の頭を――背中に触れたら痛みか知られる恐怖か、怯えてしまったので――撫でて過ごしていた時またも真希のスマートフォンが鳴りはじめ、二人同時に反応する。

真希は番号だけの通知にあからさまに怯えて切ろうとしたけれど裕司の手前切れなかったのか、震える指が動いて電話が繋がった。

『もしもし?』

が、聞こえてきたのは例の電話と違い優しげな女性の柔らかな声。予想外のそれに真希も困惑したのか返事もできずに固まっていて、手を出したら素直に電話を委ねる。

『あの、もしもし?雨宮真希さんの携帯電話でしょうか?』

「はい、そうですがどちら様ですか」

『あぁ、良かった』

心底ホッとした声に首を傾げどういうことか尋ねると。

『申し遅れました。私、児童養護施設の施設長をしております白石と申します』

「児童養護施設?」

『はい。本日うちに来たお子さんがここへ電話をかけてくれ、お兄さんに会わせてくれ、と泣くもので、どうにも様子がおかしいと思いまして…』

「待ってください、その子の名前は!?」

何となく会話が聞こえている真希が久しぶりに光の灯る黒曜を見開いて電話を凝視している。裕司も逸る気持ちを持て余しながら返事を待った。

『真央君、と仰いますが…』

「真央は!?真央はそこにいるんですか!?」

その名が聞こえた瞬間に真希が電話を引ったくって叫ぶ。きゃ、と大声に驚いた悲鳴は聞こえたが、そんなことは気にしていられない。

白石と名乗った女性も真希の必死さにどこか合点がいったような声でよくわかりました、と独り言を呟いて真央を呼ぶ声がして。

『にーちゃん…?』

次に聞こえたのは、真央の声。

「真央…っ!」

『!にぃちゃぁぁぁん!!ぅぁあぁぁぁぁ、にぃちゃん、にーちゃん…っ、にーちゃん、にーちゃん、にーちゃぁぁぁ…っ』

大声で泣き出した真央と同じように真希も泣き出して会話らしい会話はできない。裕司が電話を受け取り、向こうも白石が電話を受け取ったようで次聞こえたのは優しげな彼女の声だった。

真央を預けに来たのは兄だと名乗る若い男性。
両親に先立たれ、自分一人で手一杯。どうしても弟を育てられない、と頼み込んできた。だが不審な点が多かったし、何よりも真央自身があのお兄さんは知らない人、ここはどこ?兄ちゃんの所へ帰らせて、と泣き叫んだ。

試しに真央に尋ねてみた住所は男性が書類に書いたものとは全く違うし、兄ちゃんの電話番号と口にした番号も全然違う。どうにも犯罪のにおいがする、と担当した職員に言われとりあえず真央が言う番号へかけてみよう、ということでかけてきたらしい。

「すぐ迎えに行きます!」

白石が告げた住所は車で10時間以上かかる遠方。そんなところまで連れていかれていたのか、と思うと憤りを隠せないがとにかく今は真央を迎えに行くのが先だ。

車の中で少しでも寝るように言ったが真希は結局その施設に着くまで一睡もしなかった。
長閑な田舎の田園地帯を通ってナビの指し示す建物が見えはじめると気が逸るのか、シートベルトを外して車が停まればすぐにでも飛び出そうとドアに手をかけている。車内にはシートベルト未装着の警戒アラームが鳴り響くが裕司も咎めはしない。

真希は車が玄関前に入るや否やまだ僅かに動いているそこから飛び出してしまい、慌てて停め後を追う。

真央は玄関前のベンチで髪の長い女性と一緒に座っていた。ぎゅ、と服の裾を握って泣くのを耐えている顔で、彼女が話しかけると首を振って答えて。玄関の自動ドアが物凄い音をたてた時だけ驚いて涙が引っ込んだ様だったが開く数秒すら待てないとばかりに突っ込んだのが兄だと気付いた途端に耐えていた涙が溢れ落ちる。

「真央…!真央!!」

「にぃちゃぁ…っ、ぅあぁぁぁん!!」

互いに駆け寄ってひし、と抱き合う。

「良かった、真央…無事で良かった…!」

「にーちゃん!にーちゃん!こわかったよぉ!しらないおばさんきたの!まおイヤだって言ったのに、くるまのせられたの…っ!いっぱい、い~っぱいたたかれたよ!こわかった…!」

どんなに尋ねても答えなかった事を真希に訴えながらしっかりしがみつくのを見、相手が本物の真央の家族だと確信して微笑む白石に裕司は二人の頭を撫でてから向き合った。

「連絡、ありがとうございました」

「お礼はいりませんわ。それよりも真央君が電話番号を覚えていた事を誉めてあげてくださいな」

それがあったから早く本当の家族を見つけられたのだと微笑む。

「真央を連れてきた男は何か…」

彼を連れ去った理由は言わなかったか、と訊きかけたが恐らく言っている筈もないし守秘義務がある彼女が答える筈もないと問いを飲み込んだその時。

「遺産の為だってさ~」

白石の背後からかかった声。もう、七瀬さん、とたしなめるが七瀬と呼ばれた彼女は黙らない。

「子供がいれば遺産の取り分が増えるんだって知ってその子連れてきたけど、旦那と血繋がってないじゃん?だから無効って言われた上にその子はにーちゃん、にーちゃん、って毎日大泣き。金にもならない、懐きもしないその子が邪魔になったんだって」

なんて身勝手な、と腹の底から怒りが込み上げたと同時に何故彼女がそんな事情を知っているのか不思議に思ったのが顔に出たか、彼女はにやりとどこか凶悪に笑う。

「世の中には知らない方がいい事、いっぱいあるよ」

「…そうだね」

「あれ、随分あっさりだね」

それはそうだろう。彼女に良く似た笑みを浮かべる相手を裕司は良く知っている。

「知らない方がいい事は多いんだろう?」

同じような笑みを返せば七瀬は何を察したか、そうだね、と頭の後ろで手を組んで笑った。同族の空気が流れ、共犯者のような笑みを交わしあったその時。

「にーちゃん!?」

彼らの話など耳に入らない様子だった兄弟の、弟の叫び。

「真希!!」

真希が床にぐったりと倒れている。慌てて抱き起こせば隣に座った白石が状態を確かめ、やがてくす、と笑った。

「大丈夫、寝ているだけですわ。真央君が見つかって安心したんでしょう」

目の下の隈をそろりと撫でる指は優しい。にーちゃん、にーちゃん、と不安に泣く真央を宥めて書類の手続きを終わらせて帰ろうとする裕司を呼び止めたのは七瀬である。

「誘拐犯は放置?」

「…構わない。どうせ彼女は元から親権を放棄しているし、金にならないとわかったんだろう?」

「お優しいねぇ?」

「僕にはもう背負うべき業があるからね。それに仮にも彼女は真希達の母親だ。報復するなら真希がそう言った時にするよ」

ふぅん、と納得がいくようないかないような複雑な顔の七瀬に、君もあまり危ない橋を渡らないようにと釘をさせば

「その辺はうまくやってるから平気だって。そっちも同業に宜しく」

にやりと笑われ苦笑する。
車の後部座席を倒して寝やすいように整えてくれていた白石とそのまま見送りに出てきてくれた七瀬に手厚く礼を述べて、彼らはようやく穏やかな気分を取り戻し帰路についた。


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