二分の一の世界

ナナメ

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第二章

柱じゃなければ

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 暗く、カビ臭い小屋の中で浅葱は目の前の男を睨み付けた。男はそれを真っ向から受け止め、そして浅葱の前髪を掴んで上向かせる。至近距離の男の瞳に宿る怒りと憎悪は酷く浅葱の心をざわつかせた。
 憎まれる理由はある。受け止める覚悟もしている。しかし男の言いなりにはならない。

「……いつ本性出すのかと思ってた」

「は!知ってて黙ってたって?相変わらずの馬鹿だな」

「何もかも偽ってまで追ってきて、そんなに俺を殺したいの?」

「あぁ殺したいね。でもただでは死なせない。お前がもうやめて、って泣き叫んで殺してくれって懇願してもギリギリまで殺さねぇ」

 普段の面影は欠片もなく浅葱を見下ろす瞳は変わらず憎悪に燃えている。今すぐにでも殺してやりたい、と口ではなく目が雄弁に物語る。

「お前の心が砕けて何もわからなくなるくらい蹂躙して、それから切り刻んでやる」

 自分が何をしたのか後悔しながら壊れていけ、と伸ばされた、髪を掴む手と反対の手の両方を叩き落とした。
 自分が何をしたのか。それは言われなくとも自分自身が良くわかっている事だ。けれどそれで憎まれて、それを受け止めることはあっても後悔して死を選ぶ事はもうしない。
 浅葱は憎々しげに見下ろす珠稀を……過去、ドロシーの護衛として旅をした唯一の生き残りである案山子を見上げた。

「俺は、旅に出たことを後悔なんてしない。結果的に秕と雨音を死なせてしまったけど……、俺が後悔したらそれこそ二人は無駄死にじゃないか」

 帰ろう、と何度か言われたあの分岐点で帰らない選択をした。あの瞬間に戻ったとしてもきっと自分は帰らない。
 死なせてしまって後悔するのなら、その後悔を背負って自分の道を進むのだとケイが教えてくれた。どんなに苦しくても押し潰されそうになっても先に進むのだと。

「でもお前は役目を放棄して逃げただろうが!!!」

「あの時は……俺がいたから二人は死んだんだって思った」

 王宮から出たあの時、死のうと思った。二人も死なせた、宝珠も奪われた。信じてたのに、敵だった。何もかも嫌になった。
 それをケイが拾い上げてくれた。道を教えてくれた。苦しみながら前に進んできたその背中を格好いいと思った。まだケイに教わっていない事は沢山ある。二人への罪滅ぼしだって何もしていない。あの時逃げ出したから知った道だ。
 そして、そうやって冷静になってもう一度案山子に出会って見えたこともある。

「……案山子。あの時、俺を誰に渡そうとしてたんだ?」

 あの時、がいつなのか言わなくとも当事者である案山子にはわかるはず。果たして案山子は別人に作り替えられた顔を歪めた。

「俺の周りの警備は厳重になってた。あの時の記憶は曖昧だけど、森の中で後ろから襲ってきたのはあんただよな?」

 どうやってあの厳重警備の中から外へ出られたのかは何故か記憶が曖昧でわからない。ただあの時誰かの手を掴んだような気がするのだ。それが逃避の先にあった幻覚なのか本当に誰かいたのかは定かではないけれど。しかしその後森の中で後ろから誰かに襲われたのは間違いない。
 相手を特定されないように細心の注意を払ったのだろう。案山子だとわかってしまう精霊との契約の証の紋様は包帯で隠されていた。だが浅葱はオズの柱であるドロシーだ。紋様が見えなくとも気配でわかる。
 そうしてまで何者であるかを隠して捕らえ、海賊に引き渡した。あの海賊達に捕まっていた時の記憶もサラの葉の所為でほとんどないけれど、浅葱に手を出すことがなかった彼らは“どこか”を目指していた。

「だったら何だって言うんだ?俺が誰に引き渡そうが今ここでお前を犯して殺そうがお前に関係ない」

“柱”に意思は必要ない。そう、吐き捨てる。

「……そうだな。あんたは最初からそう言ってた」

 心を壊してしまえ、意思があるから面倒なことになる。
 浅葱の側でおどけながら、内心ではそうやって思っていたのだ。知らずに心を許していた自分はさぞ滑稽だっただろう。
 案山子の手がぶち、と服のボタンを弾き飛ばす。

「壊してやる……っ、お前なんか……!!」

 浅葱は抵抗しなかった。ただ無感情な瞳のまま案山子を見ている。脱がされた服で腕を縛られようが、ズボンを脱がされようが、ただ見ていた。
 恐怖はない。嫌悪はあるけれど、我慢できない程でもない。一度は可楽の慰み物にされて、つい先日までは空良に好き勝手されていた身である。空良への恐怖は――勿論抱かれる嫌悪もあるけれど――また別の物だ。
 何も言わない浅葱に余計苛立ったのだろう。最初に平手が飛んできて、次に拳が振り下ろされた。

「……っ」

 流石に頬骨がガツリ、と音を立てた時は小さな声が出てしまったがそれだけだ。

「何で何も言わない」

「これであんたの気が済むなら好きにすればいい。――その代わり俺が死んだらオズがどうなるか知らないけど」

 わかっているからこそ案山子は“殺す”より“壊す”方を選んだのだろう。殺したい程憎んでいるのは間違いないが、本気で殺すつもりならとうにしている筈だ。

「……っ!!」

 ガツ、と再び頬骨が嫌な音を立て、口の中にじわじわと鉄の味が広がる。

「お前じゃなきゃ……っ、お前がドロシーでさえなきゃ先輩は死なずに済んだんだ……ッ!!!!」

 何でお前だったんだ、と2度、3度、と拳が振り下ろされた。

「じゃああんたが代わってくれたのか?あんただったら良かったのか!」

 決して何も言うまいと思っていたのに思わず声を荒げてしまったのは“柱”として3年以上もの時を奪われてきたからだ。
 急に自由を奪われ自分とは何の関係もない世界でたった一人閉じ込められて、気が狂いそうな痛みを強要され続けた。その痛みから解放されるのは死ぬときだ、と暗に言われた時の絶望感がわかるとでも言うつもりか。
 外から聞こえる誰かの話し声や笑い声にどれだけ焦がれたか、話し相手だった秕に急に冷たくされてどれだけ寂しくて傷付いたか。
 全ては浅葱が“ドロシー”だったからだ。ドロシーでなければ。柱でさえなければ。

「俺が柱じゃなきゃ良かったなんて……っ!!そんなもの俺が一番思ってるよ!」

 だったらあんたが柱になって一生あそこに縛られたら良かったじゃないか、と叫ぶ浅葱へと振り下ろされた4度目の拳を

「そこまでー」

 間の抜けた声と共に押さえた者がいる。
 馬乗りになる案山子を押し退けたのはアーセルムで、駆け寄ったのはカルだ。出口を塞いだレプリカンは血にまみれた浅葱に顔をしかめた。

「大丈夫か!?」

「カル……」

 カルが布で鼻を押さえる所を見るとどうやら鼻血も出ていたらしい。他人事のように考えて解かれた腕に絡まる衣服を着ながら案山子を見上げた。
 案山子はアーセルムに押さえ込まれながら憎悪に燃える目を浅葱に向け続けている。あんなにも必死に隠していたのは海賊達の目を盗む為だっただろうに、もう隠す事さえ出来ないらしい。

「これは驚いたなぁ。てっきり俺達を出し抜いてオズに連れ帰るつもりなんだろうなぁ、って思ってたのにー」

「つまり端から信用してなかった、ってわけか」

 普段の口調とまるで違うその物言いにも驚いたりしない様子を見ると、最初から“珠稀”の全てを疑っていたのだろう。

「当たり前でしょー。今停戦してるとは言え敵同士な事に変わりはないしー。で?これはどういった状況なのー?」

「案山子……珠稀は、ドロシーの護衛だった。俺の所為で仲間が死んだから」

 復讐に来た、でいいのだろうか。いや、アーセルム達が警戒したように壊した上で連れ帰るつもりだったのだろう。

「それより何でここが……?」

 唇や口の中も切れているようで喋るたびにチリ、と痛む。歯が折れなかったのは幸いだ。

「土地勘のないヤツがでけぇもんを隠すなら人気のない小屋、って相場が決まってらぁ」

 自力で歩けない人間を一人で遠方に連れ出そうと思えば馬が必要だが、夜は馬を扱っている店が開いていない。あまり遠くまで担いでいけば目撃される確率は高くなる。ならば馬が借りられるまで時間を潰すべきだ。しかし宿を取るにはワンダーの通貨が必要で、一泊できるほどの通貨を珠稀は持っていない。
 そこから出てくる答えは何個かあったが、土地勘がない以上無理に夜中に移動はしないだろう、だったら宿からそう遠くない場所にいるはず。それも通った道から見えるか見えないかという位置にあり、人気の少ない、使っているかいないのかわからない小屋辺りが怪しい。
その予測に合う場所はここ1つしかなかったのである。

「とりあえず一旦宿に戻ろう」

 ここは寒い、とカルが言い出したのは腕の中の浅葱が震えているからだ。それに鼻血もまだ止まっていないし、珠稀が無理に動かしでもしたか足首からも血が滲み出している。その様子をちらり、と一瞥したアーセルムが珠稀を引き摺るようにして歩き出し、カルは浅葱の体を抱えて珠稀から充分に距離を取って後ろを着いていった。

 宿屋について手当てをしている途中、浅葱が震えているのが寒さではなく痛みなのだと気付いたアーセルムが飲ませた痛み止めが効きすぎたか、今浅葱はすぅすぅと寝息を立てている。殴られた目元も口元も大層な腫れ具合で足首に至っては熱まで持っているのだ。我慢していたが相当痛かったのだろう。蒼白になっていた顔色は寝入ってからようやく元に戻った。
 案山子、という名を捨て別人に成り変わった珠稀は現在レプリカンと鎖で繋がっている。
 “案山子”は魔術師だと言っていたから珠稀もそうだろうが、恐らくワンダーで精霊は喚べまい。仮に喚べたところでワンダー中心部に近いここではオズの魔術師の力は半減している。もしも精霊を使って逃げようとしてもアーセルムもレプリカンも優秀な魔術師で力の半減した相手など取るに足りないし、武力行使された所で二人共武闘派である。珠稀の力がどれ程かはわからないが単純な力比べでこの筋肉だるまのレプリカンに敵うとは思えない。
 それでも念の為、こうして年長二人は監視を兼ねて起きているのである。やはりカルがいる方が安心するようで寝入った浅葱がカルの手を握ったまま離さなかった為、彼は今回も見張りを免除され浅葱と同じようにベッドに転がっていた。ただ珍しく寝入ってはいないようだ。時折浅葱の背中をさすってやっているのは痛みかそれとも悪夢でも見ているのか彼の眉間に皺が寄るからで、カルが撫でれば表情が和らぐ。
 そうこうしている内にカルからも寝息が聞こえ始めた頃。

「あんな子供殴るなんてオズの人間は野蛮だねぇ。そもそも戦いに身を置く以上あんたの仲間だって死ぬ覚悟はあったろうにー」

「お前に何がわかる」

 あいつさえ大人しくしていれば、宝珠を取りに行きたいだなんて言い出さなければ。

「柱の護衛なんて名前ばっかりだ。城の中まで入り込めるヤツなんていないし、戦いになることなんてある筈なかった」

 それなのに、浅葱が出たいと望んだ。王が宝珠を望んだ。あいつらが望まなければ仲間が死ぬことはなかったのだ、と珠稀は憎々しげに寝入っている青年を睨む。それをアーセルムは鼻で笑った。

「あんた年、本当はいくつなのー?考えが子供過ぎてびっくりするわぁ」

「お前大戦には出てねぇだろ。あれに出てたヤツならンな甘っちょろい考えしねぇわ」

 自分達の船長であるケイとて世間から見ればまだ若いけれど、その彼が艦隊を率いていたのは今よりさらに10年も前の事である。今の浅葱とそう変わらない年の頃、ケイはこの世の地獄を見た。彼の采配で敵味方沢山の命が散り、彼も命を賭けていた。

「武器は飾りじゃあねぇ。相手の命を奪う覚悟も、自分の命を失う覚悟も、仲間を失う覚悟も持ってねぇなら武器を持つ資格なんぞねぇな」

 睨み付けてくる珠稀を見下ろして言い放つレプリカン自身もあの地獄を潜り抜けてきたのだ。言葉の重みが違う。

「うるさい……」

 ボソリ、と小さく低い声がした。

「うるさい」

 珠稀がもう一度低く呟く。

「あー、うるさい……」

 寝ていたカルが殺気に飛び起きるのと同時にレプリカンが咄嗟に手錠を外す判断を下したのは間違った反応ではなく、結果珠稀が外へ逃げたのも致し方ない。最後に、邪魔するなら全員殺してやる、と呟いた彼は闇夜に消えた。

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