二分の一の世界

ナナメ

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第一章

精霊祭

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 船底を叩く水の音を聞きながら見上げる夜空には、まるで降ってきそうな程の満天の星。月明かりはなく、星の光を妨げるものは何もない。
 3日前新たに仲間に加わったセイレーンは操舵手ジルタを気に入り彼を主と決めたけれど、前の主がつけた“テューラ”という名を変えることは望まなかった。故に彼らの間の繋がりはリツに宿る鳥族ハーピーのフランや、カルに宿る水棲族蛇のサンリ、アーセルムに宿る炎族サラマンダーのラネル程強くないけれど、元々ジルタは魔術を使う戦い方はしないからその事を気にしてはいない。
 ただ、他の使い魔達よりも頻回に表へ出てくるテューラからの“お色気”攻撃に若干困惑はしているようだ。
 テューラが仲間になってからただでさえ賑やかだった船はさらに騒がしくなって毎日何かしら大騒ぎしている。アサギにはそれが楽しくて、そしてたまらなく…辛い。

「アサギ」

 船縁についた腕に顔を伏せたタイミングで声をかけてきたのはいつもの通りケイだ。アサギは近付いてくる気配を背後に感じながらも顔を上げない。やがて隣でふわりと風が起こり、ケイがたどり着いたのを知る。いつものように頭の上に乗った手が柔らかく髪を梳いて離れた。

「――あんたは、何で……」

 顔を上げないまま、自分の肘を掴む手の平にグッ、と力を込めて小さく呟くと、ん?と聞き返してくるやっと聞き慣れてきたその優しい声に甘えてしまいそうになるのを耐えて、もう一度。

「あんたは、何で何も訊かないんだ……?」

「……訊いてほしいか?」

 首を横に振る。
 それが本音、だけれど。幽霊船で力を解放した姿は見た筈なのに何も触れられないのは不自然だ。何故、という疑問が疑心と恐怖に変わる。
 本当は何もかも知っていて、あの人達に頼まれて自分を捜しに来て、手懐けて安心させて送り返そうとしていて……あの場所から逃げたつもりなのに逃げられてなかったのではないか。
 暫くの沈黙の後、ケイがふ、と笑った気配がした。

「……俺は、お前が何なのか知ってる」

「!」

 疑心が現実になったかと上げたその顔は青ざめて絶望にまみれている。しかしケイはそんなアサギの横に立ち船縁に肘をついて夜空を見上げた。

「勘違いするなよ。お前が望まないなら帰らせたりしねぇ」

「何で……」

「……昔話をしてやろうか」

 青灰色は何かを探すように夜空を見つめていて、アサギはその横顔を見る。どこか哀しそうな、自嘲しているかのようなケイらしくない笑みを浮かべて彼はぽつりぽつりと語りだした。

「10年前……大戦の末期の頃だ」

 世界をかけた大きな戦いがあった。10年も続いた大きな戦いだ。多くの人命が消え、沢山の悲しみを生んだ。軍部は兵力補強の為に10代の子供達をも徴集し、ケイが徴集されたのは戦争の終わる2年前、15歳の時だ。彼は2年兵士として戦った。

「……俺には婚約者がいたんだ。お前と同じ役目を背負わされてた」

 そう言ってポケットから出したのは傷のついた懐中時計。婚約を決めたその日に彼女から送られた、彼女の宝物。蓋を開ければ本来時を刻んでいる筈の針は動いていない。

「最初はちゃんと動いてたんだ。あれから……何度直してもここで止まるんだよ」

 必ずその位置で動きを止める懐中時計を懐かしそうに握り締めて思いを馳せる。

「何で……最期に側にいてやらなかったんだろうなぁ」

 あの日、彼女は戦いに赴くケイの腕を掴んだ。行かないで、今日だけは側にいて。聞いてほしいことがあるの、と。
 その手をふりほどいたのは自分だ。必ず帰るからその時に幾らでも、なんて言葉で飾って彼女の言葉を聞かなかった。そして戻った時には、その言葉は二度と聞けなくなっていた。
 彼女は最期に何を思い、本当は何を願って死んでいったのかもう知ることはできない。

「……あいつがいたから生きていられた、あいつがいたから笑ってられた、あいつがいたから戦えた、なのに俺はあいつを助けられなかった」

 いつだって色んな事を分かち合っていたのに肝心な事を分かち合えないまま。

「あいつは逃げる事を選ばなかった、俺が……選ばせなかった。――もう嫌なんだ。あんな思いをするのは、二度と」

 10年前のあの日、あの瞬間に戻れるのなら何かを変えてやれるだろうか。それともまた同じ過ちを繰り返すのだろうか。

「……俺は……その人の代わり?」

 澄んだ琥珀に見つめられて苦笑する。

「いや、違うな……半分は」

 そう、半分だ。

「……そういうつもりじゃなかったんだけどな。リツに代わりなのか、って言われて気付いた。多分、“そう”だったんだろうな」

 始まりはそこからだ。一目見て彼女と同じだと気が付いた。でも香に侵し尽くされている様子にもう助からないと思った。
 何の因果か彼は持ち直して今でも隣にいる。野良猫みたいな態度は弄ってやりたくなるし、たまに見せる笑顔は胸を暖かくさせてくれる。本当は色んな事に興味があって、でも言い出せずに意地を張るところも、年相応に負けず嫌いだったりするところも可愛いと思う。
 ただ、その他人の為に何かをする優しさが不安を掻き立てる。気付けば目を離せなくなっていた。
 誰かの代わりじゃなく、アサギ個人に対する庇護欲は日に日に強くなる。

「……」

「そんな顔すんな」

 ピン、と複雑そうな顔をしている彼の鼻を弾く。

「今は違う。お前はあいつじゃないし、あいつを助けられなかったからお前を助けるんじゃない。……お前は、あいつが選ばなかった道を選んだからな」

 ケイと共に逃げる。――その選択肢は結局どちらも明確には口にしなかった。

「俺は逃げただけだ」

 アサギの目線は遠く、海の向こうへ投げられる。その頭を引き寄せて撫でても彼は抵抗せずされるがまま。

「逃げることができないやつだっている。苦しいくせに我慢して、前に進めなくて足踏みばっかしてんのに……壊れるまで、終われない」

 かつて彼女がそうだったように。
 それに気付いてやれなかった自分の不甲斐なさをどれだけ罵り蔑み後悔したか。悩み苦しみ眠れぬまま過ごした幾千の夜をなかったことにする気はない。
 けれど、どんなに望んでも彼女は二度と帰らない。

「……」

「逃げたっていいんだよ。闇ん中で手探りして何が見えるってんだ?進めない足無理矢理動かしたって疲れるだけだ。逃げて、それで見えるもんだってあるだろ」

 腕の中ケイに向き直った琥珀が間近にケイを見上げる。真意を図ろうとするような、縋るかのような曖昧な目をするその目蓋に口付けてもやはりいつものように抵抗はない。
 ただぽつりと呟いた。

「……俺にはまだ、何も見えない……」

 ケイが焦らなくてもいい、と言ったきりお互い会話はなくなりしばらく無言で寄り添って海を眺める。

「そういえば今日は精霊祭の日か」

 いつもの声音で呟いたのは星が1つ空を横切ってから。
 毎年決まった時期に現れる流星群を精霊に見立てた昔の人間が決めた祝いの日、そして眠る魂を供養する日でもある。
 精霊様に叶えてもらいたい願い事を流星が消えるまでに3度唱えれば願いが叶う、という伝承は後付けだろうが陸では割りと盛大に祭りをしている筈だ。
 精霊祭だと聞いたアサギはもぞりと動いて手の平に何かを取り出した。それはあの幽霊船の嘆きの魂が落としていった、カワスの故郷に伝わるお守り。300年前の魂である彼の家族もとっくに鬼籍の人。あの世と呼ばれる場所で家族と出会えただろうか、と思いながらもこれをカワスの故郷へ持っていきたい、と言ったアサギに、すでにその島は人の住める島ではないと伝えたのはケイである。
 11年前、一番争いが激化したあの年カワスの故郷は敵の砲撃で焦土と化した。カワスもまた兵士として戦地にいたから助かったのだ。故郷の家族は全滅、助かったのが戦地にいた者達だけというのが何とも皮肉だ。

「これ……」

 それでも何とか供養できないものかとケイを見上げる。

「……ちょっと待ってろ」

 お守りを見たケイがそう言い残し側を離れることに何となく寂しさを感じて、でも気の所為だと首を振って段々その数が増してきた流星を見上げた。

(去年は……)

 去年はまだ“彼ら”と共にいた。同じように流星を眺めて、同じように願い事が叶うという話をした。それもまた彼らにとっては皮肉でしかない事だったけれど、それでも――。

(強く願ったって俺達の願いなんて叶わない)

 あの日願った事はそんなにも大それた事だったのだろうか。

「もう何なんですか、一体……」

 感傷的になりかけた所で迷惑げなリツの声が聞こえて振り返った。

「いいからいいから」

 腕に何かを抱えたケイに連れられて現れたリツはやはり声の通り迷惑そう。けれど二人が並ぶ姿を見ると何故かモヤッとしてしまう。
 目を逸らしたアサギを気にした様子もなく側に立ったケイが差し出したのは小さな箱、のようなものだった。底は木、4本の支柱があり、その支柱に巻き付けられているのは薄い布。中を覗けば小さな石が1つぽつんと入っている。

「それ、中に入れて」

 不思議そうに箱を見つめているアサギの持つお守りを指し、中へ入れさせてリツを振り返った。何も言われなくても意図を察したリツは盛大な溜め息をついたが左腕を差し出す。
 するりと現れたフランもまた主と同じくどことなく迷惑げな雰囲気を醸し出しながらケイの持つ箱を足で掴むとそのまま飛び立ち、やがて船の波に大きく翻弄されない位置へ箱を下ろして戻りリツの肩に止まった。

「用事は終わりですか」

「おう、悪かったな。ありがとう」

「うわぁ……」

 ケイの言葉に一瞬動きを止めたリツからリツらしからぬ何とも微妙な声が洩れて、ついでにその肩のフランも愛らしい唇をかぱりと開いて固まっている。

「……何だ?」

「お礼とか止めてください。嵐になったら恨みますよ」

「え、何その扱い。酷くない?」

「酷いかどうかは自分の胸に聞いて下さい」

 言い置いて去る間際、ちらりとアサギに向けた視線は複雑そうな光を宿して瞬いたがアサギが視線に気付く前に逸らされた。

「あ、ほら。見ろ」

 足音が去る方を見つめていたアサギはケイの声に振り返って目を見張る。フランが箱を下ろした辺りでぼんやりとした光がいくつも瞬いている。

「なに……?」

「精霊祭の夜には先人がこっちに還ってくる。で、迷子になって向こうに戻れなくなる事がねぇようにああして目印用意してやるんだと」

 水に当たると光る光石が箱の底に入っているから光っているだけなのだが、それでもその光景はまるで魂がそこに宿り漂っているかのようで、やがてその効力を失った光石の放つ最後の光はあたかも天へ昇るかの如く上へ向かって消えていくから尚更だ。
 昔から争いの絶えなかったこの世界の人々はそうすることで自分達を慰めて来たのだろう。例えそれが気休めだったとしても遺体すら帰ってこなかった兵士の家族にとってはこの光景が救いだったのだろうと思う。
 アサギは隣のケイをちらりと見上げた。元は兵士だったというこの男は過去何を思って戦い、大切な人を失い、今は何を考えて海賊などしているのだろう。

 それは微かにアサギの心を溶かし始めた相手への興味だった。

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