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善人のふりをする為に

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 浮遊感がなくなって、足の裏に地面の感触があって。ぎゅ、っと瞑っていた目を開いたら、そこは全く知らない場所だった。
 急に現れた僕達に驚くでもなく黙って見ているイグニスと、その横にはガイスト仕様の公女様が何だか泣きそうな顔をしてこっちを見ている。勿論側にはトイフェル仕様のオーニュクスもいて、泣きそうな公女様に心配そうな視線を送ってる。
 何でそんなに泣きそうな顔なのか良く分からないまま、アクアの腰に回してた腕を解いて辺りを見回した。
 踏みつぶされてくたびれた茶色い絨毯と、やや重厚そうなローテーブル。革張りの茶色いソファーがくたびれた絨毯と合ってないような気がするけれど、よく見たら本物の革じゃなくてここ最近市場に出回るようになった合皮っていう偽の素材。窓はなくてソファーの後ろに鍵がついた本棚と隅に小さな棚と流しがあるだけの部屋。

「……ここ、どこ?」

「俺達が良く知る男の家なんだけどな……まあ、仕事柄あんまり表には出ないから隠れるにはもってこいの場所だ」

「やはり本人はまだ帰らないようです」

 イグニスから渡された手紙はここの家主がまだ仕事中である事と、以前も言った通り家の中の物は自由に使ってもいいという事が書いてある。
 魔術配達で届いた手紙にはまだほんのりと相手の魔力が残っているけれど、この魔術は転移と違って対象が小さい為残った魔力を追う事は出来ない。その代わり確実に対象に届ける為の繊細な魔術の調整と遠方まで飛ばせるだけの魔力が必要な高等魔術。誰もが使える物ではないから相手は恐らく相当な魔術師なんだろう。

「まあアイツがいない方が落ち着いて話せて良い」

 何だかげっそりしてるアクアに首を傾げつつ、まだ泣きそうな顔をしていた公女様を見る。

「無事だったんで……だね。ユヴェーレンが光の魔力を手に入れてたから、心配してたんだ」

 ですね、と言いかけて怒られそうな気配を察して言い直した。
 公女様は側に近寄って来て僕の手を握りしめると、さっきよりもますます泣きそうな顔をしながら頭を下げる。

「ごめんなさい。貴方こそ無事で良かった……!」

「どうして謝るんです……謝るの?貴方の所為じゃないでしょう?」

「いいえ。殿下に記憶があるかも、なんて欠片も思い浮かばなかった。本来ならこの時期殿下は各地へ視察に出ていて皇国にはいない筈だったから、まさかあの場に現れるなんて……こんなの言い訳ね。本当にごめんなさい……」

 実際学園にもその理由でテオドールの休学届けが出されていて、出席もしていなかったという。
 確かにこの時期僕もテオドールも王家が直に治めている領地の視察で皇国にはいなかった時期だ。公女様も視察に行って不在の筈のテオドールが魔獣の現れる現場に来るなんて想像もしてなかっただろう。
 
「ガイストも知らなかったのか?」

「どのルート……未来でもあの魔獣の暴走現場に殿下が来た事はないわ。本来殿下が不在だったから研究者である博士が陣頭指揮を執る事になる事件だったんだもの」

 思いの外戦いでも優秀な博士を軍部に、という声が上がる事件だったのだという。

「でも博士はあの場にいなかったよね」

「ええ。しかも見て」

 そう言って出したカメラの内容を映す小さな箱が映し出したのは。

「……魔獣は捕まったって事か?」

 僕達が昼に見た通りあの檻の中で寝ていたり暴れている魔獣の姿だ。

「いいえ。これは魔獣が平民街に現れた時と同時刻の映像よ」

「という事はその博士とやらが連れ帰った魔獣は逃げていない……?」

「魔塔にも問い合わせたけれど、魔獣は逃げていない。誰かが魔塔にいる魔獣と同じものを街中に放したのよ」

「何の為に」

 公女様は一度煤けた天井を仰いで、それから僕を見る。

「――きっと貴方をおびき出す為」

 言われた意味を考えて、きゅう、と胃が冷たくなった。
 
「僕を、おびき出す為に……町の人を犠牲にしたの……?」

 ああ、そうだ。テオドールは目的の為なら手段は選ばないし平民なんて道端の石ころくらいにしか思ってないんだった。
 魔獣に襲われて何人亡くなっただろう。炎に巻かれて逃げ惑った人達は家財一式置いて逃げていたに違いない。その人達の生活はどうなるんだろう。沢山の民家が壊されていた。
 あれが全部、僕をおびき出す為――?

「貴方は町の人を見捨てられない。だから大きな被害があれば絶対に出てくる、そう踏んでいたのでしょう」

 現に僕はノコノコと現場に赴いてしまった。

「そして魔獣が出た現場に救援に向かえばそれだけで殿下の株も上がるわ。恐らく明日には被害に遭った民に何かしらの補償を申し出るのではないかしら」

「自分で、やっておきながら……?」

「自作自演の善行なんて良く聞く話だな」

「でもあの皇太子が町に魔獣を放ったという証拠がない」

「……ユヴェーレンは?公女様が無事ならどうやって光の魔力を手に入れたの?それにどうして僕がもう皇都にいるって知ったの?」

 光魔法は退魔を得意とする。偽物とはいえ聖女と呼ばれるくらいの魔力があれば魔獣を捕まえたまま皇都まで戻ってこれる可能性は充分にあるし、テオドールと一緒にいた事を考えれば魔獣を捕らえたユヴェーレンをテオドールの転移で平民街まで運んでそこで魔獣を放した事も考えられる。
 けれど本当に僕をおびき出そうとしていたとしたら、僕が確実に皇都にいなければ何の意味もない行為だ。

「わからない。わたしの元に彼女は現れなかった。ただベリルが皇国に来た事は予測がついていたのだと思うわ――いいえ、ついていなかったとしても、恐らく可能性があったからやったのでしょう」

 アクア達が皇国に来る前にはなかったらしいけれど、今は皇都の役所で国外に出る手続きをしないといけない。けれど地下劇場で僕を見てから直ぐ様調べたけれど僕らしき届けは出ていない。それ以前の物にもそれらしき届けがなかった。だから役所に僕と同じ年齢の人物からの届けが出たら報告するように伝えていたのかも知れない。それだけで僕だと断定出来るわけないけれど、もし僕がいれば必ず出てくるだろうと魔獣を放った――それが公女様の予想だ。

「僕がいなかったら何の意味もないじゃないか!」

「そんな事殿下が気になさると思う?出て来なかったなら魔獣を倒して民に補償をして復興を手伝って、善人のふりをする為に利用するだけよ。そしてまた可能性がある時に魔獣を放つ」

「そんな……」

 僕の所為で町の人が犠牲になってしまう可能性があるなんて。

「魔女が光の魔力を使えるようになったのはどうしてだ?公女様以外に光の魔力を持つ人がいるのか?」

 アクアの問いに公女様はしばらく考えて、やがて言った。

「前皇后陛下は光の魔力をお持ちだったと聞いた事があるわ」

「でも前皇后陛下はお亡くなりになったのでは?」

「ええ。確かに亡くなった……。けれど、死した後も魔術属性は体に残る」

「……まさか、墓を……」

 そんな馬鹿な、という思いとあの二人ならやりかねないと言う思いが錯綜する。

「……皇帝陛下にお目通りをして真実を確かめないと……」

「前皇后陛下の墓なら王墓だろう?王墓にそうも簡単に入れるものか?」

 首を傾げたイグニスの問いにまた少しの間考えた公女様は額に手を当て、小さく答えた。

「現皇后陛下が関わっていたなら……簡単でしょうね」

 皇后陛下を止められるとしたら皇帝陛下だけだ。けれどただ墓参りをするだけ、と言われてしまえばいくら陛下だって無闇にダメとは言えないだろう。

「今すぐに皇帝陛下にお目通りを、というわけにはいかないけれどどうにかして話を伺ってくるわ」

「危険じゃないのか?あのクソ皇太子に前の記憶とやらがあるなら公女様が本物の聖女だと気付いてる可能性もある筈だ。今は動かずに様子を見た方が良い」

 
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