今度は殺されるわけにいきません

ナナメ

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頑張ったな

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「多分下に降りたら声は届かなくなると思う」

『……わかった。出口で待ってるからな』

 アクアの声がぷつりと途絶えた瞬間少しだけ不安になるけれど、頭を振って取っ手をしっかりと握った。
 フローリアンリヒトは茎に小さな棘がある。薔薇みたいに固い棘ではないけれど、出来れば素手で触らない方が良い花だ。けどここに保護具はないし悩んでる暇もないから痛みを我慢して取っ手に絡まる茎ごと隠し扉を引き開けた。この温室だけは皇帝陛下が手ずから手入れをしてるからこの隠し扉の存在は本当に陛下しか知らない筈。
 ギギギ、と錆び付いた音をさせて開いた扉の向こうには暗闇が広がっている。カサカサ聞こえるのは虫か他の生き物か……精霊術の使えない今リーに灯りを頼めないのが不安ではあるけれど仕方ない。辛うじて見える梯子の一段目に足をかけながら扉を慎重に閉めていく。確か一度閉めたらもうこちら側からは開かない仕様になっていると言っていた。温室側の花も元通りになるように仕掛けがしてあるから、万が一テオドールや他の誰かがこの温室を怪しんでいても通り抜ける事さえ出来たら扉の正確な位置がわかっていない限り見つからないんだって。

(僕がいつかテオドールから逃げるって思ってたのかな)

 皇帝陛下が生きていた頃はまだテオドールは優しかった筈だけれど、陛下には何かしら感じる物があったのかも知れない。
 ギシギシと軋む梯子を降りきったらそこは足元すらギリギリ見えるかどうかという暗闇だった。一本道なのかすらわからない、何がいるのかもわからない。けれどここはきっと前皇后陛下の為に作った抜け道だという予感があったから、ゆっくりと歩みを進める。足元を掠めていく生き物に度々驚きつつも両手を広げれば側壁に手が届くのを利用して、分かれ道を見逃さないようにゆっくりと。
 ちょっと不安になってきた頃、平坦だった道が少しだけ上り坂になって離れた場所に僅かな灯りが見えた。小さく差し込む光を見て一旦立ち止まって様子を窺うけれど微かに聞こえるのは虫の声だけだ。

(出口……)

 ゆっくり近寄って見上げると、上は板で塞がれている。この目立たない位置にある古井戸に近寄る人は少ないけれどそれでも見つかるのを防ぐ為と誰かが落下するのを防ぐ為に塞いであるんだろう。
 上から見たら目立たない位置に古びた梯子があった。足をかけるとパラパラと破片が散るのが少し不安だけれどここを登らないと外には出られない。試しに両足をかけて軽く跳んでみる。

(大丈夫そう……?)

 見た目の古さに怯むけれど思ったよりは丈夫そうだ。前皇后陛下の為の物ならきっと見た目とは違って崩れる事はない筈、と一段一段登る。木の蓋をグッと押すけれど簡単には開きそうにもない。何度かゴンゴンと拳で叩いて、一か所だけ小さな穴が開いている所を見つけた。さっき光が漏れていたのはこの穴からだろう。もしかして、と穴に指をかけて横に動かすとさっきまでびくともしなかった木の蓋はまるで氷の上を滑るかのようにするん、と動いた。
 外の気配に神経を尖らせて、ほんの少し待った後ゆっくり頭を外に出してみる。外は光源が月明りしかない暗闇で、さらりと吹いてくるそよ風は平民街の炎の所為だろう焦げ臭さが微かに混じっていた。

「ベリル」
 
「!」

 気配がなかった背後から急に声をかけられて危うく落下しかけた僕の腕を掴んで引き上げるその気配。焦げ臭さをかき消す甘いアンバーグリスの香り。ほとんど抱き上げる形で僕を古井戸から引っ張り出したのはアクアだ。外の土の上に下ろされた後ろでギギギ、と音を立てて木に見える蓋が元通りに閉まっていく。

「すごいな、これ。どんな仕掛けなんだ?ベリルが来る前に下に降りてみようと思ったけど全然動かなかったわ。……って、すごい事になってんな」

 僕の顔を見たアクアが髪についた蜘蛛の巣を払いながら笑ってる。ついでに頬も汚れてたのか手の平で撫でて、そのまま頭の上に来た手の平にビクリと身を竦ませたけれどその手も僕の頭を優しく撫でただけだった。

「頬、腫れてる」

「……殴られたから」

「ああ。……本当に頑張ったな」

 よしよし、って撫でる手が優しくて、ほろ、と零れた雫は下を向いて隠したけれどアクアは僕を優しく腕の中に隠した。
 暖かくて心地いい。誰かの腕の中がこんなにも安心できるものなんだって、僕は知らなかった。
 茎を触った時に出来た手の平の傷を見つけて帰ったら治してもらおう、って言うその言葉で公女様も無事なんだって知って安堵のあまり力の抜けそうになった僕を支えてくれる力強い腕はどうしてこんなにも暖かいんだろう。
 知らない感情、違う、本当は知ってるけれど認めたらまた地獄が待ってる気がして認めたくない感情を見ないフリをしてアクアを見上げた。

「迎えに来てくれてありがとう。助かった」

「気にするな。ベリルを精霊国まで無事に連れて行くって約束してるからな」

 アクアの初恋は僕の実母だという人。だから優しいのはその人の為。勘違いしたらダメなんだ。

「イグニスは?」

「先に隠れ家に行ってる」

「隠れ家?」

「あのクソ皇太子が俺達の泊まってる宿屋を探り当てるのも時間の問題だろうからな」

 確かに髪色を染めていた僕を見てるし、顔を隠してたとは言え逆に顔を隠してる人物を捜してると言えば選択肢は狭まるだろう。

「でも隠れ家って……?あんた達精霊国の人でしょ?」

「……あんまり行きたくないんだけど、緊急だから仕方ない。家主は不在だけどいつでも使っていいとは言われてるんだ」

 家主不在?なのにいつでも使っていい?アクアは度々皇国に来てたんだろうか。アクアの謎は深まるけれど、今ここで時間を費やすわけにはいかない。早くしないと僕が部屋にいない事に気付いたテオドールが動き出してしまう。

「そこにはどうやって行くの?」

「これを使う」

 アクアが出したのは魔方陣が書かれた紙。首を傾げていると、

「公女様みたいに完全に気配を消せるならともかく、転移魔法だと僅かに痕跡が残るだろ?」

 そう言いながら地面に紙を置く。

「この魔道具だと痕跡は残さずに任意の場所に転移出来るんだとさ」

 だからイグニスは先に隠れ家に行ってこの魔道具の出口を設置しているらしい。
 向こうの準備が終わってたら少しの魔力を流すだけで発動して、転移が終われば勝手に燃え尽きて痕跡も残らないこの魔道具は公女様が作ったんだとか。ただ遠距離は無理な事、出口の魔道具が破壊された場合どこに飛ばされるかわからない事があるから絶対的に安全な近場でしか使えないそうだ。
 公女様がこれを用意したという事はその隠れ家とやらは絶対的に安全なんだろう。アクアの魔力に反応して青白く光り始めた魔方陣の上で差し伸べてくるその手を取った瞬間視界は大きく揺らいだ。

 
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