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お前は私の物
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目覚めは最悪だった。殴られた腹は痛いし、頭はガンガンと痛んで吐き気がする。体を包み込む布団は微かに薔薇の香りがしていてそれもまた吐き気を誘った。その香りは皇城の居室に使われていた香りと全く同じだったからだ。嫌な予感は確信に変わり、ゆっくり体を起こして辺りを見回す。
赤い絨毯の敷かれた部屋。白のチェストと同色で合わせたドレッサー。部屋の真ん中に置かれた丸いテーブルもその横の椅子も白で揃えてある。
(……皇妃時代の、僕の部屋)
隣の執務室に続いている筈のドアがないから同じ部屋ではないのかも知れない。
痛む頭に手を添えてドレッサーの前に立つと、そこには染めていた色を落とされて髪が真っ白に戻った僕の姿が映る。尤も今部屋を照らしているのがゆらめく蝋燭の炎だけだからハッキリとはわからないんだけど。
「フィン」
まずここがどこなのか正確に把握したい。テオドールに僕の正体がバレている以上もう精霊師である事を隠していても意味はないだろう。だから隠す事なくフィンを喚ぼうとしたんだけど、いつもなら直ぐ姿を現すのに返事がない。
「……フィン?」
もう一度虚空に呼びかけてもあのにんまりと笑う顔が見えない。
「リー!」
いつもの明るい笑顔を求めてリーを喚んでみるけれど結果は同じ。
どうして、と頭を抱えようとして気付く。僕の手首に覚えのないアクセサリーがはまっている。真っ黒な、嫌な感じがする腕輪だ。良く見れば黒の中に細かい文様が蔦のように連なっていて、本当は動いていないんだろうけれどザワザワと蠢いているように見える。
きっと取れないだろうと思いながら引っ張ったりテーブルにぶつけてみたり色々試してみたけれど案の定外れる事はなくてため息をついた。耳が誰かの足音を拾ったのはその時だ。
「!」
テオドールかも知れない、そう思ったら収まっていた震えがまた始まって動けないままその場に立ち尽くす。
解錠の音と共に開いた扉から現れたのはやっぱりテオドールだった。後ろにオブシディアンの姿も見えたけれど扉の前で待つように言われてその姿は閉ざされた扉の向こうに消えた。
「テオドール殿下」
「どうした、アレク。いつものように呼んでくれないのか?」
「いつも、とはいつの事でしょうか。僕はただの平民です」
落ち着け、落ち着け、と無意識に自分の両腕を抱き締める様に抱えて一歩近寄るテオドールから一歩下がる。そうやって下がって行けば当然壁に追い詰められて気を失う前と同じ状態になるのは必然だろう。麻痺した頭がどこか冷静に言うけれど、大部分は恐怖で固まっている。
まだダメだ。僕はまだテオドールの支配から逃げられていないんだ。強くなったつもりでいた。一人でなんでも出来るように、魔獣だって一人で精霊術を使わずに倒すことが出来るようになった。
なのに、テオドールを前にすると僕は昔の僕に戻ってしまう。何も出来ずに泣いてばかりいる役立たずの僕に。
「アレク」
バン!と顔の横に拳を叩きつけられると反射的にびくりと強張ってしまう体が嫌だ。
「お前は私の物だ」
「殿下、……」
次に音を立てたのは僕の頬だった。パン、と乾いた音がして床に倒れ込んだ僕の髪を掴んで顔を上げさせたテオドールは一見穏やかに笑う。
「アレク、お前は私の物だろう。聞き分けのないお前は好きじゃないな」
聞き分けの良い僕の事だって好きじゃなかったくせに。
思わず睨みつけると今度は髪を引っ張って床に倒される。ぶちぶちと嫌な音がしたけれど、黙って睨んだ。今の僕にはそれしか反抗する術がないから。唇を噛み締めていないと歯の根が合わずにカチカチ音を鳴らしている事に気付かれてしまう。
「……精霊術を使えば逃げられると思っているのか?」
僕が反抗的なのは精霊術を使えばどうにかなると思っているから。テオドールはそう思っているようできっと赤くなっているだろう僕の頬を撫でながらぴり、と痛む唇に触れた。ぬるりと滑った指が舌に押し付けられて、その鉄錆臭さに血が出ているのだと知った。何度かぬるぬると舌を擽って出て行った指が僕の腕輪に辿り着く。グイ、と腕を引かれて前のめりに床に片手をついた所為で握られている腕が変な風に捩れて痛い。
「この腕輪は前の人生での失敗を生かして作った、霊力を阻害する魔道具だ」
「霊力を……」
「精霊師は魔術師よりも強い。確かに精霊師としてのお前は右に出る者はいない程に強かったからな」
僕を無理矢理立たせて髪を引っ張ったまま歩き出したテオドールが向かった先を見て小さく息を飲んだ。――この先には、ベッドしかない。
抵抗しようとした瞬間力任せに引きずられてベッドに放り投げられる。弾みを利用して起き上がろうとした背中にテオドールの体が圧し掛かって動きを封じられた。
(嫌だ……っ!)
「精霊術を封じられたお前は赤子も同然だと言うのに」
長い髪を乱暴に払われ露わになったうなじに生暖かい息がかかる。ぬるりと滑った感触がしたのはテオドールの舌だろう。竦み上がって固まる僕に満足そうな吐息をもらしてもう一度、今度は軽く唇を当てて気配が離れていく。
何度か髪を梳いて、一房手の平に取るとそこにまた唇を当てた気配があってそのままさらりと手が離れた。
怖くて気持ち悪くて、顔も上げられないまま両手を胸に当てて縮こまっている僕の頭を撫でたテオドールは、今度こそ小さく軋む音を立て立ちあがった。
「面倒だが前の人生の繰り返しをするわけにはいかないからな。いい子で待っていろ、アレク。魔獣退治の後始末を済ませたらまたここに私の子種を注いでやろう」
最後に僕を仰向けに倒して腹を撫でたテオドールが部屋を出て行く。
ガチャン、と施錠される音。コツコツと去っていく靴の音。それらが充分遠ざかった頃ようやく動くようになった体が吐き気を訴えて浴室に飛び込んだ。
魔術で溜めるタイプの浴槽にたっぷり溜まったお湯がホカホカと湯気を立てている事すら気持ちが悪くて、側の蛇口から水を出して頭からかぶる。何度も込み上げる吐き気は収まる気配がなくて、その度に水をかぶった。
テオドールが帰ってきたら、またあの男に抱かれてしまう。
「嫌だ……、嫌だ、嫌だ……!!」
その瞬間耳に届いたのは。
『ベリル』
「ア、クア……?」
低くて心地いいアクアの声だった。
赤い絨毯の敷かれた部屋。白のチェストと同色で合わせたドレッサー。部屋の真ん中に置かれた丸いテーブルもその横の椅子も白で揃えてある。
(……皇妃時代の、僕の部屋)
隣の執務室に続いている筈のドアがないから同じ部屋ではないのかも知れない。
痛む頭に手を添えてドレッサーの前に立つと、そこには染めていた色を落とされて髪が真っ白に戻った僕の姿が映る。尤も今部屋を照らしているのがゆらめく蝋燭の炎だけだからハッキリとはわからないんだけど。
「フィン」
まずここがどこなのか正確に把握したい。テオドールに僕の正体がバレている以上もう精霊師である事を隠していても意味はないだろう。だから隠す事なくフィンを喚ぼうとしたんだけど、いつもなら直ぐ姿を現すのに返事がない。
「……フィン?」
もう一度虚空に呼びかけてもあのにんまりと笑う顔が見えない。
「リー!」
いつもの明るい笑顔を求めてリーを喚んでみるけれど結果は同じ。
どうして、と頭を抱えようとして気付く。僕の手首に覚えのないアクセサリーがはまっている。真っ黒な、嫌な感じがする腕輪だ。良く見れば黒の中に細かい文様が蔦のように連なっていて、本当は動いていないんだろうけれどザワザワと蠢いているように見える。
きっと取れないだろうと思いながら引っ張ったりテーブルにぶつけてみたり色々試してみたけれど案の定外れる事はなくてため息をついた。耳が誰かの足音を拾ったのはその時だ。
「!」
テオドールかも知れない、そう思ったら収まっていた震えがまた始まって動けないままその場に立ち尽くす。
解錠の音と共に開いた扉から現れたのはやっぱりテオドールだった。後ろにオブシディアンの姿も見えたけれど扉の前で待つように言われてその姿は閉ざされた扉の向こうに消えた。
「テオドール殿下」
「どうした、アレク。いつものように呼んでくれないのか?」
「いつも、とはいつの事でしょうか。僕はただの平民です」
落ち着け、落ち着け、と無意識に自分の両腕を抱き締める様に抱えて一歩近寄るテオドールから一歩下がる。そうやって下がって行けば当然壁に追い詰められて気を失う前と同じ状態になるのは必然だろう。麻痺した頭がどこか冷静に言うけれど、大部分は恐怖で固まっている。
まだダメだ。僕はまだテオドールの支配から逃げられていないんだ。強くなったつもりでいた。一人でなんでも出来るように、魔獣だって一人で精霊術を使わずに倒すことが出来るようになった。
なのに、テオドールを前にすると僕は昔の僕に戻ってしまう。何も出来ずに泣いてばかりいる役立たずの僕に。
「アレク」
バン!と顔の横に拳を叩きつけられると反射的にびくりと強張ってしまう体が嫌だ。
「お前は私の物だ」
「殿下、……」
次に音を立てたのは僕の頬だった。パン、と乾いた音がして床に倒れ込んだ僕の髪を掴んで顔を上げさせたテオドールは一見穏やかに笑う。
「アレク、お前は私の物だろう。聞き分けのないお前は好きじゃないな」
聞き分けの良い僕の事だって好きじゃなかったくせに。
思わず睨みつけると今度は髪を引っ張って床に倒される。ぶちぶちと嫌な音がしたけれど、黙って睨んだ。今の僕にはそれしか反抗する術がないから。唇を噛み締めていないと歯の根が合わずにカチカチ音を鳴らしている事に気付かれてしまう。
「……精霊術を使えば逃げられると思っているのか?」
僕が反抗的なのは精霊術を使えばどうにかなると思っているから。テオドールはそう思っているようできっと赤くなっているだろう僕の頬を撫でながらぴり、と痛む唇に触れた。ぬるりと滑った指が舌に押し付けられて、その鉄錆臭さに血が出ているのだと知った。何度かぬるぬると舌を擽って出て行った指が僕の腕輪に辿り着く。グイ、と腕を引かれて前のめりに床に片手をついた所為で握られている腕が変な風に捩れて痛い。
「この腕輪は前の人生での失敗を生かして作った、霊力を阻害する魔道具だ」
「霊力を……」
「精霊師は魔術師よりも強い。確かに精霊師としてのお前は右に出る者はいない程に強かったからな」
僕を無理矢理立たせて髪を引っ張ったまま歩き出したテオドールが向かった先を見て小さく息を飲んだ。――この先には、ベッドしかない。
抵抗しようとした瞬間力任せに引きずられてベッドに放り投げられる。弾みを利用して起き上がろうとした背中にテオドールの体が圧し掛かって動きを封じられた。
(嫌だ……っ!)
「精霊術を封じられたお前は赤子も同然だと言うのに」
長い髪を乱暴に払われ露わになったうなじに生暖かい息がかかる。ぬるりと滑った感触がしたのはテオドールの舌だろう。竦み上がって固まる僕に満足そうな吐息をもらしてもう一度、今度は軽く唇を当てて気配が離れていく。
何度か髪を梳いて、一房手の平に取るとそこにまた唇を当てた気配があってそのままさらりと手が離れた。
怖くて気持ち悪くて、顔も上げられないまま両手を胸に当てて縮こまっている僕の頭を撫でたテオドールは、今度こそ小さく軋む音を立て立ちあがった。
「面倒だが前の人生の繰り返しをするわけにはいかないからな。いい子で待っていろ、アレク。魔獣退治の後始末を済ませたらまたここに私の子種を注いでやろう」
最後に僕を仰向けに倒して腹を撫でたテオドールが部屋を出て行く。
ガチャン、と施錠される音。コツコツと去っていく靴の音。それらが充分遠ざかった頃ようやく動くようになった体が吐き気を訴えて浴室に飛び込んだ。
魔術で溜めるタイプの浴槽にたっぷり溜まったお湯がホカホカと湯気を立てている事すら気持ちが悪くて、側の蛇口から水を出して頭からかぶる。何度も込み上げる吐き気は収まる気配がなくて、その度に水をかぶった。
テオドールが帰ってきたら、またあの男に抱かれてしまう。
「嫌だ……、嫌だ、嫌だ……!!」
その瞬間耳に届いたのは。
『ベリル』
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低くて心地いいアクアの声だった。
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