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鳥型の魔獣

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 魔塔に入る事自体は簡単だった。公女様が予想した通り田舎から出てきた男爵令嬢に観光地を案内している、と言えば準王族である公爵家の姫の行く手を阻むような愚か者はいなかったし、実際他の貴族達も領地内で爵位が低い相手を魔塔に案内して来る事は良くあるから怪しまれる事もなかった。しかもそこからシャンソン博士に取り次いでもらうのも公爵家の権力をもってすれば簡単な事で、あっさりと捕縛された魔獣を見る事も出来たしそれとなく檻や枷が厳重である事を確認もした。さらに博士が見ていない間に公女様が“カメラ”と名付けたあの景色を映し出す魔道具をしかける事も拍子抜けするくらいあっさりと出来たんだ。

「……女装する必要、ありました?」

 馬車を待つ間ぼそり、と呟いてみる。

「最初から博士と話したいって言えば全て解決したのでは?」

 田舎令嬢に観光をさせる、なんて偽の目的を作らなくてもこんなに簡単に全て終わるのであれば僕がこんな姿になる必要性はどこにもなかったのでは。

「何の理由もなく博士に会いたいと言っても博士は会って下さらないわ。見た事のない魔獣を見たい、と言った珍しいご令嬢の存在が博士を動かしたのよ。博士の行動理由はいつだって魔獣でしょう」

 確かに博士は嬉々として魔獣について語ってくれたけれど。

「それで?ここからどうするんだ?」

 頭の後ろで手を組んだアクアに訊かれて公女様は一度魔塔を振り返る。
 博士には魔獣の逃亡が起きないか心配している事を伝え、その事を意識させた。勿論それだけで完全にそれを防げるわけではないとわかっている。けれど直に魔獣をどうにかする権限がない僕らにはこれ以上出来る事がないのも確かだ。

「もし魔獣が現れるとしたら平民街よ」

 オーニュクスの手をとって馬車に乗り込みながら言うその背中にアクアは尚も問う。

「そこにも行くつもりか?」

「いいえ。今日の所はこれで終わり。そろそろベリルのマントも限界が来るわ」

 確かに少しずつ肌に痛みが出てきている。焼けてはいないから気のせいかと思ったけれど、もう限界だったのか。本当はもう少し昼の街並みを見ていたかったけれど仕方ない。学生の頃みたいに影を探して歩けばまだ保つのだろうけれど、少人数ならまだしも公女様や護衛騎士に扮したアクア達まで一緒に日陰を捜し歩くのもおかしな光景だろう。


 けれど公爵邸に帰っていつもの服に着替えて、公女様に宿屋まで転移で送ってもらって、その夜にそれは起こった。
 突如響き渡った魔獣の咆哮、人々の悲鳴と上がる火の手。宿屋は平民街に近かったから急いで向かったそこには既に3匹の巨大な魔獣がいて逃げ惑う人々に襲い掛かっている。

「何で……!?」

 魔獣は目に入った物を手当たり次第に壊して回っていて、勿論それは人間も。地面に倒れた子供に向かって振り下ろされた手をアクアの氷が止めて、その隙にイグニスが子供を抱いて走る。

「考えてる暇ないだろ!とにかく倒すぞ!!」

 狼型、鳥型、蛙型の3種類の魔獣達はそれぞれ別方向に好き勝手走り出している。

「鳥に行く!」

 背中に背負った矢筒から取り出した矢をつがえながら走る。瞬時に理解したらしいアクアが狼型の、炎に弱い蛙型にイグニスが向かうのを見ながら、確かあの鳥型の魔獣は素早いけれど体が重いから長時間は飛んでいられない筈だと思い出した。だからこそあの西砦までやって来た事が不思議だと博士が調べていたんだ。
 あの時の記憶では魔獣自体におかしな所は何もなかった。ただ異常な興奮状態で本来飛べない距離を飛んできた、ただそれだけだった、と。その異常な興奮状態の原因を突き止める前に魔獣は弱って死んでしまったから原因はわからず終いでモヤモヤしたのを覚えている。
 巨大な翼を動かすたびに木っ端が舞い、炎が襲ってくる。果敢にも戻って来た男達が消火にあたりながら魔術を使える人々が魔獣を落とそうと個々で魔法を放っているけれど、統率の取れていない動きは逆に互いの足を引っ張り合っているようだ。

「それじゃダメだ!あの魔獣の弱点は――ッ」

「退け!!」

 ドン、と胸を押されよろめいた僕をさらに何人かが押しのけて魔獣の前に出る。魔獣の煌めく赤い瞳がぎろりと男達を見下ろした。鋭い爪が炎に煽られて不穏に揺らめく。あれに引き裂かれたら人間なんてひとたまりもない。男達が次々放つ小さな火球ではあの魔獣は倒せない。
 皇都で精霊術を使ったらどんな事態になるか想像しただけで恐ろしいけれど。

 ――僕が守ろうとした、国の宝

 民がいなくなればテオドール達王家は意味をなさなくなる。滅びていくのをただ眺めているのが一番の復讐なのかも知れない。

(僕はどこまでも中途半端だ)

 過去僕を罵って石を投げた彼らを見捨てる事すら出来ない。
 今にも魔獣の爪が届きそうだった男に向けて風の精霊術を放とうと意識を向けた――瞬間。

「伏せろ」

 とん、と体を押されてぞわり、と総毛立つ。地に伏せた僕の頭の上に乗った大きな手の平。真横から感じる魔力の気配。鳥型という形に惑わされるけれど、弱点属性は風である魔獣にぶつけられたその力。

「殿下!!」

「殿下、ああ、ありがとうございます……!」

「みんな!殿下が来てくださったぞ!!」

(テオドール……!!)

 どうして、公女様は魔獣が出た現場にテオドールが来るなんて一言も言ってなかった。
 まだ僕の頭の上に乗っている手の平の感触が過去を呼び起こして、この手に殴られた痛みが脳裏を過る。温かいというには少し熱い、粘ついた手の平。それは本当に粘ついていたのか、僕の恐怖がそう感じさせていたのかはわからない。
 魔獣が劈くような声を上げて空高く舞い上がったのが見えた。

「急降下するつもりだな。オブシディアン、結界を」

「はい」

 ビクリ、と体が跳ねた。黒髪の騎士がそこにいて、僕の良く知る魔力を練り上げている。

「大丈夫か?怪我は?」

 差し出されたテオドールの手を取れないまま座り込んで呆然と見上げた。記憶にあるものとは違う、本当に心配しているかのような優しい顔で僕の髪についた土を払う。

「ここは危険だ。早く逃げると良い」
 
 恐怖と混乱でうまく頭が働かないまま自力で立ち上がって一度頭を下げて、その場を立ち去った。
 ただ何も考えずに、アクアの所まで逃げたら何とかなる、と自分でも良くわからないままそう思って。

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