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本当の母親は
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御者の服装に変わったイグニスが引いてきた馬車に乗って会場を後にする。途中入れ替わりで騎士団を見かけたからきっとあの子達は今回は助かる筈だ。
馬車の座席にご令嬢にしてはだらしなくヒールを脱ぎ捨て片足を立てて寝転がる。めくれあがったスカートを直す気力もない。
「大丈夫か?」
さりげなく足に上着をかけてくるアクアに返事をする余裕もない。口を開いたら吐いてしまいそうだ。だから黙って腕で顔を隠したらそれ以上アクアが声をかけてくる事もなく、ただ馬車の車輪の音とガタガタ揺れる音だけが耳に入って来る。
――消えた精霊の愛し子をね
テオドールの声が脳裏を過ってギュッと拳を握った。
本当に僕を捜してるんだ。この時期テオドールはまだ学生の筈。だけどこの頃には既にユヴェーレンとの仲は深まっていたと思うから、これもまたユヴェーレンが関わっているんだろう。今の僕とテオドールには何の関りもないし、僕を知らないテオドールが個人の理由で僕を捜す筈ない。
――不老の秘薬
僕の耳には入らなかったけれど、実際精霊師が誘拐されて殺されていたのならきっと前の人生でも同じ扱いを受けていただろう。同じ人間に食材として殺されるだなんてどれだけの恐怖と絶望を感じながら死んでいったのか。魔女の食事が負の感情に乱れた精霊師の魂なら確かに効率のいいやり方かも知れない。この腐敗した皇国の貴族を動かすには更なる繁栄を求めさせるのが手っ取り早いから。現にあの場にいたほとんどの貴族がオークションに参加していた。ギラギラと欲に塗れた声色は簡単には記憶から消えてくれそうにもない。
(皇帝陛下がまだ生きている“今”でもこれだから……)
テオドールが皇帝になった後にはもっと大々的に行われていたのかも知れない。
だったら騎士団にはどうしてその情報が入らなかったんだろう。騎士団は“皇帝”に従属する組織だ。皇帝陛下が亡くなった後はテオドールがその主になった筈なのに。
「第一王子……」
確かテオドールより4つ年上で、僕が皇城に行く前に暗殺されていたから出会った事はない。
「公女様の依頼、受けるか?」
僕の呟きが聞こえたんだろう。それまで黙っていたアクアが静かに問いかけてきた。
公女様は僕達に国境を超える許可証が発行されるまででもいいから手を貸して欲しいと言っていた。クレル公爵家が疑われたら元も子もないから公女様自身が大々的に動く事は難しいだろう。その為に動く駒は必要な筈だ。
「あんた達がそれでいいなら……受ける」
前の人生でも僕の知らない所でこうやって多くの精霊師達を絶望の末に殺して来たのだったら、僕はそれを止めたい。僕らの命は僕らの物だ。誰かの好きなようにされる為に生きてるんじゃないから。
それにあの場にテオドールがいた事で確信した。テオドールは今回の人生でもユヴェーレンの為に動いていて、そのまま皇帝になってしまえばこの国は緩やかに滅びてしまう。第一王子がどんな人物かなんてわからないけれど、彼を捜し出してテオドール達を止めないといずれ事実を知った精霊国が皇国に攻め込まないという保証はない。戦争になったらあの国境近い村は真っ先に戦場と化してしまう。
ただ第一王子が善人だなんて保証はどこにもないから、もしも彼もまた権力に狂った人間だったのならその時は精霊師は皇国に入らないように、皇国の人間は精霊国に入らないようにするしかないだろう。
「なら公女様にはそう返事をしよう」
悪路に入ってがたん、と馬車が大きく揺れて流石に寝転がっていられずに起き上がった僕の腕をアクアの手が引いた。
「何?」
「いいから」
引かれるまま側に寄ったら腿の上に横抱きに乗せられて思わず胡乱な目を向けてしまう。
「こういうのってご令嬢なら悲鳴を上げる所だよね」
「頬を染めて寄りかかる所だろ」
「馬鹿じゃないの」
またもがたん、と大きく揺れた所為でアクアの言う通り肩に凭れる体勢になってしまって、イグニスがわざと揺らしたんじゃないかとすら思った。しかもそのまま腰に回した腕が離れないしついでに膝にかけてあった上着を肩にかけられてしまえば見た目は完全に寄り添う男女だ。
「扇で殴られても文句言えないから」
「そう?ご令嬢に殴られるなんてご褒美だろ」
「あんた馬鹿じゃなくて変態の方?」
僕の言い草にクスクスと楽し気に笑っているアクアの顔を見上げて、ふと思った。
――その顔、そっくりだから
そう切なげに言ったあの言葉。
「……僕の本当の母親はどうして僕を捨てたの」
脈絡のない問いに一瞬僕の顔を見下ろしたアクアは少しの逡巡の後それくらいならいいか、と答えてくれる。
「捨てたわけじゃないし、彼女の意志でもなかったよ。彼女が知らない間にベリルはエゼルバルド伯爵家に連れて行かれてたんだそうだ」
「その頃はあんたもまだ子供でしょ。どうしてそれが事実だってわかるの」
「……そんな事を平気でしそうな相手だったからな。彼女から赤子を取り上げた奴もエゼルバルド伯爵も」
「伯爵を知ってるの?」
「直に知ってるわけじゃないけど、まあこんな仕事してると他人の裏事情なんて簡単に耳に入るんだよ」
「あんたはどうして僕の母親の事を信じるの?」
「何だ、今日はえらく質問攻めだな?」
またがたん、と揺れた衝撃から庇うように腕に力が籠って首元につけた耳の奥でトクトクと命を刻む音がする。何となく触れた僕の首からも同じように拍動は聞こえて来てしばらくその音に耳を澄ませていると。
「初恋だった」
「え?」
「ベリルの本当の母親は俺にとっての初恋の貴婦人だったから」
「だから全面的に信じるの?あんたその内ハニートラップで自滅するんじゃない?」
僕の言葉にアクアは呵々と笑った。
馬車の座席にご令嬢にしてはだらしなくヒールを脱ぎ捨て片足を立てて寝転がる。めくれあがったスカートを直す気力もない。
「大丈夫か?」
さりげなく足に上着をかけてくるアクアに返事をする余裕もない。口を開いたら吐いてしまいそうだ。だから黙って腕で顔を隠したらそれ以上アクアが声をかけてくる事もなく、ただ馬車の車輪の音とガタガタ揺れる音だけが耳に入って来る。
――消えた精霊の愛し子をね
テオドールの声が脳裏を過ってギュッと拳を握った。
本当に僕を捜してるんだ。この時期テオドールはまだ学生の筈。だけどこの頃には既にユヴェーレンとの仲は深まっていたと思うから、これもまたユヴェーレンが関わっているんだろう。今の僕とテオドールには何の関りもないし、僕を知らないテオドールが個人の理由で僕を捜す筈ない。
――不老の秘薬
僕の耳には入らなかったけれど、実際精霊師が誘拐されて殺されていたのならきっと前の人生でも同じ扱いを受けていただろう。同じ人間に食材として殺されるだなんてどれだけの恐怖と絶望を感じながら死んでいったのか。魔女の食事が負の感情に乱れた精霊師の魂なら確かに効率のいいやり方かも知れない。この腐敗した皇国の貴族を動かすには更なる繁栄を求めさせるのが手っ取り早いから。現にあの場にいたほとんどの貴族がオークションに参加していた。ギラギラと欲に塗れた声色は簡単には記憶から消えてくれそうにもない。
(皇帝陛下がまだ生きている“今”でもこれだから……)
テオドールが皇帝になった後にはもっと大々的に行われていたのかも知れない。
だったら騎士団にはどうしてその情報が入らなかったんだろう。騎士団は“皇帝”に従属する組織だ。皇帝陛下が亡くなった後はテオドールがその主になった筈なのに。
「第一王子……」
確かテオドールより4つ年上で、僕が皇城に行く前に暗殺されていたから出会った事はない。
「公女様の依頼、受けるか?」
僕の呟きが聞こえたんだろう。それまで黙っていたアクアが静かに問いかけてきた。
公女様は僕達に国境を超える許可証が発行されるまででもいいから手を貸して欲しいと言っていた。クレル公爵家が疑われたら元も子もないから公女様自身が大々的に動く事は難しいだろう。その為に動く駒は必要な筈だ。
「あんた達がそれでいいなら……受ける」
前の人生でも僕の知らない所でこうやって多くの精霊師達を絶望の末に殺して来たのだったら、僕はそれを止めたい。僕らの命は僕らの物だ。誰かの好きなようにされる為に生きてるんじゃないから。
それにあの場にテオドールがいた事で確信した。テオドールは今回の人生でもユヴェーレンの為に動いていて、そのまま皇帝になってしまえばこの国は緩やかに滅びてしまう。第一王子がどんな人物かなんてわからないけれど、彼を捜し出してテオドール達を止めないといずれ事実を知った精霊国が皇国に攻め込まないという保証はない。戦争になったらあの国境近い村は真っ先に戦場と化してしまう。
ただ第一王子が善人だなんて保証はどこにもないから、もしも彼もまた権力に狂った人間だったのならその時は精霊師は皇国に入らないように、皇国の人間は精霊国に入らないようにするしかないだろう。
「なら公女様にはそう返事をしよう」
悪路に入ってがたん、と馬車が大きく揺れて流石に寝転がっていられずに起き上がった僕の腕をアクアの手が引いた。
「何?」
「いいから」
引かれるまま側に寄ったら腿の上に横抱きに乗せられて思わず胡乱な目を向けてしまう。
「こういうのってご令嬢なら悲鳴を上げる所だよね」
「頬を染めて寄りかかる所だろ」
「馬鹿じゃないの」
またもがたん、と大きく揺れた所為でアクアの言う通り肩に凭れる体勢になってしまって、イグニスがわざと揺らしたんじゃないかとすら思った。しかもそのまま腰に回した腕が離れないしついでに膝にかけてあった上着を肩にかけられてしまえば見た目は完全に寄り添う男女だ。
「扇で殴られても文句言えないから」
「そう?ご令嬢に殴られるなんてご褒美だろ」
「あんた馬鹿じゃなくて変態の方?」
僕の言い草にクスクスと楽し気に笑っているアクアの顔を見上げて、ふと思った。
――その顔、そっくりだから
そう切なげに言ったあの言葉。
「……僕の本当の母親はどうして僕を捨てたの」
脈絡のない問いに一瞬僕の顔を見下ろしたアクアは少しの逡巡の後それくらいならいいか、と答えてくれる。
「捨てたわけじゃないし、彼女の意志でもなかったよ。彼女が知らない間にベリルはエゼルバルド伯爵家に連れて行かれてたんだそうだ」
「その頃はあんたもまだ子供でしょ。どうしてそれが事実だってわかるの」
「……そんな事を平気でしそうな相手だったからな。彼女から赤子を取り上げた奴もエゼルバルド伯爵も」
「伯爵を知ってるの?」
「直に知ってるわけじゃないけど、まあこんな仕事してると他人の裏事情なんて簡単に耳に入るんだよ」
「あんたはどうして僕の母親の事を信じるの?」
「何だ、今日はえらく質問攻めだな?」
またがたん、と揺れた衝撃から庇うように腕に力が籠って首元につけた耳の奥でトクトクと命を刻む音がする。何となく触れた僕の首からも同じように拍動は聞こえて来てしばらくその音に耳を澄ませていると。
「初恋だった」
「え?」
「ベリルの本当の母親は俺にとっての初恋の貴婦人だったから」
「だから全面的に信じるの?あんたその内ハニートラップで自滅するんじゃない?」
僕の言葉にアクアは呵々と笑った。
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