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地下劇場

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 開けた扉の向こうに広がっていたのは、煌びやかな世界だった。劇場と言うからにはステージがあって徐々に高さが変わっている座席が備え付けられた皇都の劇場を思い描いていたのだけれど、どちらかと言えばどこかの貴族邸で開かれる夜会の様相だ。部屋のあちこちに置かれた丸いテーブルには色とりどりのスイーツや、サンドイッチ、スコーン。離れた奥のテーブルには肉料理や魚料理、野菜類の食事も用意されている。忙しそうに歩き回る給仕達は飲み物を配り歩いているようだ。
 視線を巡らせれば最奥に小さなステージがあった。劇場を名乗るにはあまりに小さなステージの両脇に赤い幕が垂れ下がっている。恐らくオークションが始まればあの幕の向こうから“商品”が出てくるのだろう。ステージの前には警備らしき男達が立っていて今の時点で近くに寄れそうにもない。

「1杯くれ」

 アクアが給仕を呼び止めグラスを2つ受け取るのを眺め、何となく給仕を見上げてぱらり、と扇で口元を隠す。そこにいたのは僕達と同じ仮面をつけているけれどイグニスだ。思わず驚きの声を上げてしまう所だった……。
 あまりに自然に溶け込んでいるイグニスを目で追いかけそうになるけれど、ぐ、と堪える。後ろ暗い人間は相手を観察する事にも長けている。些細な仕草で僕達に繋がりがあると気付かれては困る。
 アクアの腕に絡めていた手を離してグラスを受け取り扇に隠しながら一口飲んだそれは、前の人生で時折口にしていたワインだった。

(クロレス伯爵領のワイン……)

 僕に渡される物は大概媚薬入りか死なない程度の毒薬入り。
 媚薬の快楽で、もしくは毒薬の苦しみに悶える僕を抱く事が何よりもの娯楽だと言われた記憶がこのワインの味を拒絶する。

「どうした?」

 たまたま通りかかった給仕にグラスを返却した僕の耳に唇を寄せて小声で訊いてくるアクアに、何でもない、と返して、傍目には夫婦、もしくは愛人同士が仲睦まじく寄り添っているかのように見せかける。アクアの手が腰に回されてより密着度が増したのは、貴族らしき男が近寄って来たからだろう。
 国内のある程度の貴族は前の人生で把握している。目の前にいるのはテオドール派のコーリン男爵だろう。僕らと同じ仮面で隠していても特徴的な頬の痣を見れば誰なのか直ぐわかる。中肉中背のパッとしない容姿はその痣がなければ記憶に残らない程だけれど。

「やぁ、新入りさんかな。初めて見るね」

「ええ、ようやく会の一員と認めて頂きましてね。長い道のりでしたよ」

「そうでしょうとも。閣下は用心深い方ですからねぇ。……お隣のご婦人は奥方かな?」

「ここではそういった事を聞くのはマナー違反では?」

 ふふ、と意味ありげに笑ったアクアがぐ、と腰の手に力を入れてきたから、仕方なく僕も意味ありげに微笑んで見せる。
 
「や、これは失礼!仮面で隠していてもご婦人があまりに美しいもので、つい要らぬ口を利いてしまいましたな」

 そう言いながらもアクアが手を回している腰元や露わになった首元を舐める様に見てきて正直気持ちが悪い。嫌悪感で歪んでしまいそうになる唇を何とか笑みの形で保ってアクアにしな垂れかかると、コーリン男爵はやや鼻息荒く、けれどアクアの手前紳士的に給仕からグラスを受け取ってアクアとグラスを掲げ合う。

「今日の商品は何があるのでしょう?」

「前回の歌を歌う猿とやらも珍しかったですがね、今日は久しぶりに良いものが手に入ったという話ですよ」

「ほう、それは楽しみですね。初めての夜に良いものが拝めるだなんて」

「毎回が入荷すると欲しがる人間が多くてなかなか手に入れるのは難しいですが……はは、初めての貴方方ならば少し融通してもらえるかも知れませんな」

 どこか名残惜しそうに僕の体を舐める様に見た後その場を去ったコーリン男爵はまた別の誰かと談笑を始める。
 僕の知る彼はどちらかと言えば本当に特筆すべきものは何もない大人しい貴族の男だったけれど、ここでの彼は随分と気さくで饒舌だ。このどこか別世界のような雰囲気がそうさせるのか、仮面で正体を隠しているからなのか。尤も僕が気付いたくらいだから、ここにいる大半の貴族は彼がコーリン男爵だとわかっていて知らないフリをしているのだろう。恐らく逆もまた然り、だ。顔も名前も隠して、けれど本当はその裏にある顔を知っている。互いが互いの弱みを握る事で結束を高めているようだ。

「裏に子供達がいるらしい」

 僕が開いた扇の裏で、耳に唇を寄せて小声で囁くアクアに頷く。
 こうして頻繁に顔を寄せ合うのははしたなくて目立つんじゃないのかと思ったけれど、周りを見てみれば所かまわず口づけたりはだけた衣装と乱れた髪を直しながら小部屋から出てくる人々までいる。

(乱交パーティーか)

 僕がまだ皇妃だったなら間違いなくこんな所再起不能なくらい叩き潰していただろう。
 潔癖過ぎて面白味もない、と言ったのは誰だったのか。けれどこんな乱交の他に人身売買までしている闇オークション会場なんて皇国には必要ない。多少のお遊びならば目を瞑るけれど、これはあまりに醜悪だ。
 ただ僕にはもうそんな権限はないのだけれど。

 しばらく他の参加者達と話して、何回かクロレス産じゃないワインを飲んで、酔いが回ったフリでアクアと小部屋を1つ借り受けた。勿論その鍵を持ってきたのはイグニスだ。
 でもまだイグニスと合流はしないらしく、鍵を受け取る時僅かに視線を絡ませただけでお互いそのまま背を向ける。

「そこのソファーに横になると良い。今水を貰ってくるよ」

 どこで誰が聞き耳を立てているかわからないから、未だ余所行きな口調で僕をソファーに座らせて頬を撫でてついでに頬にキスして去る背中を呆然と見る。

(キスまでする必要あった?)

 頬を掠めた暖かい感触を手の平で触っていると部屋の扉が静かに開いた。

「ア……」

 アクア?と呼びかけて慌てて唇を閉じる。ここで名前を呼ぶのは愚の骨頂だろう。
 だから黙って見つめた扉からするり、と入って来たのは。

(コーリン男爵……?)

 どこか息の荒い、やけにぎらついた雰囲気には覚えがある。まずいと思って体を起こすと同時に、がちゃん、と重々しい施錠の音が響いた。
 
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