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マルガレート・ベレリヒト・クレル公爵令嬢

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 ガラガラと街道を進む馬車は一見何の変哲もない、普通の商家の馬車である。進むにつれて悪くなっていく道は中に乗る人物にとって苦痛になるほど大きな揺れを生んでいるけれど、彼女にとっては何の支障もない事だ。
 マルガレート・ベレリヒト・クレル公爵令嬢。皇族とは縁戚で現皇太子に世継ぎが生まれなければ次の皇帝を輩出出来るクレル家唯一の公女。学園トップの秀才。皇太子の婚約者候補。貴族子女の鑑――彼女を表す言葉は多くある。
 片側に寄せて結び、肩口から前に垂らしたさらりと艶やかなオレンジ色の髪は毛先に行くほど若葉のような緑に代わる。キラキラと輝く瞳は春先に咲くサクラの花のような薄い桃色。小ぶりな鼻の下にはふっくらとした艶々しい唇が楽しそうに弧を描いている。
 零れ落ちそうな程豊満な胸と華奢な腰は妖艶さと愛らしさの両面を兼ね備え、聖女と呼ばれるようになったユヴェーレン・マジェラン侯爵令嬢と共に学園生徒の憧れの的だ。
 その高嶺の花、マルガレートはほぅ、と物憂げなため息を蠱惑的な唇に乗せた。

「お疲れですか?お嬢様」

「いいえ、シュタール……。わたくし楽しみで仕方がないの」

 メイドのシュタールはその肩口で揃えられた黒髪を揺らし、赤い目を細めて首を傾げる。愛らしい顔立ちとメイド服に包まれた小柄な体は頼りなく見えるけれど、物理戦闘力だけならば今ここにいる誰よりも強い事をマルガレートは知っている。その為に雇ったメイドだ。気が利いて、仕事が出来て、そして強い。私は何て有能な人物に恵まれているのかしら、とはマルガレートが口癖のように言う言葉。魔族との混血児である自分を重宝してくれる変わり者のお嬢様はシュタールにとって命よりも大切な人だ。
 
「楽しみですか」

「ええ。だってやっと見つけたのよ。わたくしの……」

 シュタールはお嬢様が大好きだ。命の恩人で、混じり物と蔑まれてきた自分なんかを重宝してくれて、美人で優しくて努力家で。ただ一つ、困っている事がある。

「わたしのアレクたん……っ!!待ってたのよこの時をずっとずっと探してやっと見つけたのよ楽しみにしてないわけないでしょう前世でゲームをプレイしてからあまりに薄幸過ぎるアレクたんを幸せにする薄い本を何冊出したと思ってるのまさかのゲーム転生に脳みそ死んだと思ったけどアレクたんのいる世界の空気なら美味い美味すぎる空気すら尊いわゲーム通り学園にいなかった時は絶望したけどああどうしましょうアレクたんの吐く息を持ち帰ったらダメかしら家宝にして生涯大切にすると誓うから」

「人の息持ち帰る前に自分が息してください、お嬢様」

 お嬢様はたまに言っている事がおかしくなる。

 マルガレート・ベレリヒト・クレル公爵令嬢、御年17歳。
 前世の名は野薔薇 真凛。28歳、会社員。特にブラックでもない普通の会社に勤める冴えないOLだった真凛は男運がすこぶる悪かった為付き合っては別れの繰り返し。本人は三度の飯よりBL好きな骨の髄まで腐に染まった筋金入りの腐女子だったけれど、人並みに恋愛への憧れもあった。
 だから通算何度目か忘れた彼氏との別れの後、癒しと愛情を求めてネットで酷評されていた乙女ゲームなる物を買ったのである。とりあえずその時はとち狂っていたとしか思えないが、しかしその乙女ゲーム、聖なる乙女と精霊の国で理想の受けに出会ったのだ。――乙女ゲームでありながら唯一のBL枠のキャラ、アレキサンドリートに。

 ネットではスチルが綺麗なだけに勿体ない、乙女ゲームにBL要素はいらん、気持ち悪い、とかなりの低評価だった。しかし腐女子の真凛からすれば、イケメンとの恋愛を楽しみつつBLまで拝めるなんて最高じゃないか、ととち狂った頭が判断して購入に至ったのだが。

 ――何なの、これ!アレクたんが幸せになるエンドが1つもないじゃない!

 物語にがっつり関わってくるのはテオドールルートしかなかったアレキサンドリート。アレキサンドリートの護衛騎士だったオブシディアン含め他のルートだと所々で会話に名前が出てくる程度、そして最後魔女に命を奪われた、もしくは自死したとスチルが出てくるだけのサブキャラだ。
 どう見てもあの無能な皇太子、いやもう皇帝になっていたか?とりあえずあのクソ野郎にDVを受けているようにしか見えない、テオドールが大好きなアレキサンドリート。15禁ゲームだったからサラッとそれとなく描かれていた書庫でのあれはどう見たって強姦だ。
 あんなに尽くしてくれているのに当のテオドールは魔女に操られ健気なアレキサンドリートをこれでもかと傷つけている。
 そしてアレキサンドリートが無実の罪で処刑され、新月が終わったその日に精霊達がシルヴェスター皇国を滅ぼしに来るのがテオドールルートのバッドエンドだ。圧倒的な6大精霊王達の力に人間たちは成すすべなく敗れるのである。
 
 アレキサンドリートが処刑される前に主人公マルガレートがテオドールを操る魔女の正体を暴き、彼の洗脳を解いて手を取り合って倒すのがハッピーエンドに繋がる道だけれどその前にアレキサンドリートはその魔女に取り込まれそうになりテオドール、いや国と精霊を守る為自死を選ぶというどう足掻いても生存ルートのないキャラクター。
 ノーマルエンドだとアレキサンドリートは家族や信頼していた人々に裏切られ無実の罪で投獄された事に耐え兼ね、処刑の日を待たず自死を選んでしまう。そしてアレキサンドリートの穴を埋めるべく側妃に取り立てられたマルガレートは彼と同じ運命を辿るのである。テオドールからのDV、積み重なる仕事。暴動の尽きない国。いや、これもうバッドエンドじゃね、と何度思った事か。

「わかるかしらどう頑張っても生存ルートがないキャラに恋する気持ち頭の中で歴史の捏造とかいやいやあの時実は生きてましたよifの薄い本を作成してしまうのが腐女子の役目じゃないかしらそうよアレクたんは誰より幸せにならないといけないのよ人一倍頑張ったあの子が一体何をしたっていうのかしら製作陣のクソ野郎」

「お嬢様」

「しかも魔女は力が万全じゃなくてその人の心の中の醜い部分や欲望を引き出してたのよという事はテオドールのクソ野郎は元々DV気質満載って事じゃない冗談じゃないわあんな男の婚約者候補に名前あげやがったのはどこのどいつよあんなクソ男魔女と一緒にアレクたんの神々しさに目をやられてどこぞの大佐みたいになればいいのよ」

「お嬢様~」

 シュタールはお嬢様が大好きだ。ただこの息継ぎなく話し続ける“暴走モードお嬢”の姿はまだ慣れない。
 何とも言えない顔でマルガレートを眺めている内に馬車は目的地へと到着したのである。マルガレートが愛してやまない彼がいる筈の村へと。

 
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