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熊鍋
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仕事終わりの人達で賑わう食堂の一角でグツグツと煮える鍋の中には僕達が倒したあの熊肉が入っている。命を奪うからこそ、それを無駄にしないように使える所は全て使うのがマナーだ。
毛皮は大きな町に行って高額で引き取ってもらうし、買い取った商人はそれを使ってコートを作る。食べられるところは余す事なく食べ、薬になる所は村の小さな診療所に持って行った。骨は粉砕して他の材料と混ぜて畑の肥料にするし、頭蓋骨は村の入口に置く。電気柵があっても寄ってくる魔獣もこれを見て怯む事が多いからだ。
こうやって自然と共に生きるこの村での生活は、前の人生で高級品に囲まれていた時より幸せだと思う。
「で?」
だからこそこの村がずっと平和でいられるように魔獣の巣は壊しておきたい。
鍋の中から肉とキノコ、僕が差し入れた大根や他の野菜をお玉ですくっていたアクアが話を促す僕にたっぷり具を入れた器を手渡してきた。丁寧に灰汁が取ってあり、野生の獣特有の臭みは生姜や香辛料で消されていて気にならない程度に落ち着いている。
「で?って?」
「……魔獣の巣。壊しに行くって嘘なの?」
イグニスにも同じようによそって渡すアクアは案外世話焼きなのかも知れない。
季節はまだ夜少し肌寒い春だとは言え、変わらずローブを着てフードを目深に被った状態での鍋は暑いから早く話を終わらせて欲しいんだけど。
返事を待ちながら一口食べると、冷凍保存してた熊肉は新鮮な物よりは少し硬くなってる。けれど食堂のおじさんの腕前は皇都で店を開いてたくらい一流だから味が損なわれてるなんて事はもちろんあり得ない。
「嘘じゃないけど、腹が減ったから先に食おう」
そう言って食べ出した二人をこっそり観察する。
イグニスは普段から礼儀正しくて洗練された動きをする。意識せずにしているらしいそれは明らかに平民の物でも傭兵や冒険者の物でもない、貴族特有の優雅な動きだ。
対するアクアは言葉は貴族らしくないし、粗野な感じで振舞ってはいるけれど食べ方がやはり平民とは違う。周りの人達が大声で笑いながら豪快にスープやお酒を飲む中でアクアの所作は綺麗すぎる。
恐らくは貴族だけれど家督を継げない次男以降なのかも知れない。男児が二人生まれた場合、基本長男が家督を継ぐ為次男以降は領地を持てない事が多い。そのまま残り兄を補佐するか、娘しか生まれなかった他家に婿養子として入るか、領地から出て仕事に就くか。多くは貴族の身分を捨てられずそのまま残って補佐か婿養子を選ぶ。それすら出来ないくらい男児の多い家は渋々皇族や格上の家の家臣や騎士になる事が多い。
(オブシディアンも確か元々は伯爵家の三男だって言ってたな……)
ふ、と最後に見た溶け出した氷水のような冷たい青眼を思い出す。
――違う、僕じゃない!信じてよ、オブシディアン!
ずっと側にいたくせに。
毒を入れられるタイミングなんてなかった、って知ってる筈なのに。
突き放された。
最初からユヴェーレンに忠誠を誓ってた事を打ち明けられた。
テオドールが僕の騎士に任命した時から、もうオブシディアンは僕に訪れる運命を知っていた。
カラン、と木の匙が落ちた音で我に返る。
「少年?どうした?」
「……ごめん、何でもない」
新月が近付くと斬り落とされた首の生々しい感覚が蘇ってきて体が震える。
思わず触れた首は当たり前だけどちゃんと体と繋がっていて、指の下でトクトクと血が流れている音がする。
「暑いのか?少しフードを取ったらどうだ?」
イグニスが変わらない表情ながら心配そうな声音で水を差し出してきた。
「……ありがとう。でも暑さにやられたみたいだから、少し風に当たってくる」
ここでローブを脱いだらいいと指摘される前に僕はそこから逃げ出した。
外に飛び出すと外は満天の星空でそよそよと涼しい風が吹いている。一度店の入り口を振り返り、二人が追ってきていないのを確認すると店の裏手に回った。裏手は少し歩くと川になっていて表通りより涼しいしこの時間人の通りも殆どない。もう一度周りを確認してから、ようやくローブを脱いだ。
「涼し……」
精霊師のアクアがいなければ水の精霊を忍ばせてローブを着ていても暑くないようにする事も可能なのに。リーしか呼べない事にしておきたいからそれも出来ない。
川の畔に座り込むと夜空を見上げた。
『どうしたの、ベリル~?また頭が痛い?』
「リー……」
助けてあげられなくてごめんね、と光になって消えていったリー。
僕を助けようと雨を降らせ続けてくれた精霊達。
昔から長く続いた雨が上がった日と、新月の日が苦手だった。それが年々酷くなっていく。理由はわかってる。僕の年齢が“あの日”に近付いていくからだ。
暗くて冷たい牢屋の中。捕まった日から続く雨の音。時折やって来て僕を嘲り笑うユヴェーレン。テオドールは一度だけ僕を手酷く抱きに来たんだった。雨がやまないし公開処刑が出来ないから暇つぶしだ、と。テオドールが触るには汚いからと綺麗に洗われて、でも固くて冷たい牢屋の中で最期だから、と牢屋番まで巻き込んで辱められた。
痛くて、惨めで、悲しくて。
(今はもう違う)
この体は綺麗だし、テオドールは側にいない。同じ結末を迎える筈がない。
記憶があったから今回はテオドールから逃げられた。
でも記憶があるからいつまでもテオドールに苦しめられる。
(誰か助けて……)
膝を抱えて耳を塞ぐ。劈くような耳障りなユヴェーレンの笑い声と、口汚く罵倒してくるテオドールの声が木霊する。たまにオブシディアンの冷たい声色が混ざったり、エゼルバルド家の家族の罵倒が聞こえたり。
名前を変えて人生を変えて、それでもまだ足りないのか。
(いっそ国を出た方が良いのかな)
カミラはダンゼン子爵と幸せに暮らしているし、この国を離れるのもいいかも知れない。どうして今まで考え付かなかったんだろう。そう考えたら少しだけ心が軽くなった気がして、すっかり冷えてしまった体にローブを羽織ってフードを被る。
ひとまず今は魔獣の巣を何とかしないと。
毛皮は大きな町に行って高額で引き取ってもらうし、買い取った商人はそれを使ってコートを作る。食べられるところは余す事なく食べ、薬になる所は村の小さな診療所に持って行った。骨は粉砕して他の材料と混ぜて畑の肥料にするし、頭蓋骨は村の入口に置く。電気柵があっても寄ってくる魔獣もこれを見て怯む事が多いからだ。
こうやって自然と共に生きるこの村での生活は、前の人生で高級品に囲まれていた時より幸せだと思う。
「で?」
だからこそこの村がずっと平和でいられるように魔獣の巣は壊しておきたい。
鍋の中から肉とキノコ、僕が差し入れた大根や他の野菜をお玉ですくっていたアクアが話を促す僕にたっぷり具を入れた器を手渡してきた。丁寧に灰汁が取ってあり、野生の獣特有の臭みは生姜や香辛料で消されていて気にならない程度に落ち着いている。
「で?って?」
「……魔獣の巣。壊しに行くって嘘なの?」
イグニスにも同じようによそって渡すアクアは案外世話焼きなのかも知れない。
季節はまだ夜少し肌寒い春だとは言え、変わらずローブを着てフードを目深に被った状態での鍋は暑いから早く話を終わらせて欲しいんだけど。
返事を待ちながら一口食べると、冷凍保存してた熊肉は新鮮な物よりは少し硬くなってる。けれど食堂のおじさんの腕前は皇都で店を開いてたくらい一流だから味が損なわれてるなんて事はもちろんあり得ない。
「嘘じゃないけど、腹が減ったから先に食おう」
そう言って食べ出した二人をこっそり観察する。
イグニスは普段から礼儀正しくて洗練された動きをする。意識せずにしているらしいそれは明らかに平民の物でも傭兵や冒険者の物でもない、貴族特有の優雅な動きだ。
対するアクアは言葉は貴族らしくないし、粗野な感じで振舞ってはいるけれど食べ方がやはり平民とは違う。周りの人達が大声で笑いながら豪快にスープやお酒を飲む中でアクアの所作は綺麗すぎる。
恐らくは貴族だけれど家督を継げない次男以降なのかも知れない。男児が二人生まれた場合、基本長男が家督を継ぐ為次男以降は領地を持てない事が多い。そのまま残り兄を補佐するか、娘しか生まれなかった他家に婿養子として入るか、領地から出て仕事に就くか。多くは貴族の身分を捨てられずそのまま残って補佐か婿養子を選ぶ。それすら出来ないくらい男児の多い家は渋々皇族や格上の家の家臣や騎士になる事が多い。
(オブシディアンも確か元々は伯爵家の三男だって言ってたな……)
ふ、と最後に見た溶け出した氷水のような冷たい青眼を思い出す。
――違う、僕じゃない!信じてよ、オブシディアン!
ずっと側にいたくせに。
毒を入れられるタイミングなんてなかった、って知ってる筈なのに。
突き放された。
最初からユヴェーレンに忠誠を誓ってた事を打ち明けられた。
テオドールが僕の騎士に任命した時から、もうオブシディアンは僕に訪れる運命を知っていた。
カラン、と木の匙が落ちた音で我に返る。
「少年?どうした?」
「……ごめん、何でもない」
新月が近付くと斬り落とされた首の生々しい感覚が蘇ってきて体が震える。
思わず触れた首は当たり前だけどちゃんと体と繋がっていて、指の下でトクトクと血が流れている音がする。
「暑いのか?少しフードを取ったらどうだ?」
イグニスが変わらない表情ながら心配そうな声音で水を差し出してきた。
「……ありがとう。でも暑さにやられたみたいだから、少し風に当たってくる」
ここでローブを脱いだらいいと指摘される前に僕はそこから逃げ出した。
外に飛び出すと外は満天の星空でそよそよと涼しい風が吹いている。一度店の入り口を振り返り、二人が追ってきていないのを確認すると店の裏手に回った。裏手は少し歩くと川になっていて表通りより涼しいしこの時間人の通りも殆どない。もう一度周りを確認してから、ようやくローブを脱いだ。
「涼し……」
精霊師のアクアがいなければ水の精霊を忍ばせてローブを着ていても暑くないようにする事も可能なのに。リーしか呼べない事にしておきたいからそれも出来ない。
川の畔に座り込むと夜空を見上げた。
『どうしたの、ベリル~?また頭が痛い?』
「リー……」
助けてあげられなくてごめんね、と光になって消えていったリー。
僕を助けようと雨を降らせ続けてくれた精霊達。
昔から長く続いた雨が上がった日と、新月の日が苦手だった。それが年々酷くなっていく。理由はわかってる。僕の年齢が“あの日”に近付いていくからだ。
暗くて冷たい牢屋の中。捕まった日から続く雨の音。時折やって来て僕を嘲り笑うユヴェーレン。テオドールは一度だけ僕を手酷く抱きに来たんだった。雨がやまないし公開処刑が出来ないから暇つぶしだ、と。テオドールが触るには汚いからと綺麗に洗われて、でも固くて冷たい牢屋の中で最期だから、と牢屋番まで巻き込んで辱められた。
痛くて、惨めで、悲しくて。
(今はもう違う)
この体は綺麗だし、テオドールは側にいない。同じ結末を迎える筈がない。
記憶があったから今回はテオドールから逃げられた。
でも記憶があるからいつまでもテオドールに苦しめられる。
(誰か助けて……)
膝を抱えて耳を塞ぐ。劈くような耳障りなユヴェーレンの笑い声と、口汚く罵倒してくるテオドールの声が木霊する。たまにオブシディアンの冷たい声色が混ざったり、エゼルバルド家の家族の罵倒が聞こえたり。
名前を変えて人生を変えて、それでもまだ足りないのか。
(いっそ国を出た方が良いのかな)
カミラはダンゼン子爵と幸せに暮らしているし、この国を離れるのもいいかも知れない。どうして今まで考え付かなかったんだろう。そう考えたら少しだけ心が軽くなった気がして、すっかり冷えてしまった体にローブを羽織ってフードを被る。
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