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しおりを挟む 空に変な町が見えて、ちょっとしたら変な渦も出来て、大きな地震が来て、空に伸びる光が見えた。丁度外に出ていた彼は寝転がったまま、その空に伸びる綺麗な光を見ていてあんまりにも綺麗なそれを辿ってみたら発信元が案外近いのを知ったから、動けるようになってすぐ探しに行った。
サワサワ……、サラサラ……。
木々の揺れる音、川の水が流れる音。彼にとって聞き慣れたそれはいつもと変わらない。けれどふと視界の隅でふわふわとした柔らかな光が見えた気がして視線を巡らせる。
(……人)
視線が捉えた光はそのままふわりと消えてしまったけれど、その光が見えていた川縁に人が倒れている。彼とあまり年が変わらなさそうな青年だ。血の気のない綺麗な顔は現実味が薄くてまるで人形。ましてその服装は彼が見たこともないくらい仕立ての良さそうなものだ。泥にまみれてしまった所為で良くわからないけれど。
(……人?)
もしかして人間そっくりな人形だろうか。いらなくなったから捨てた、とか?それならそれで処理をしなければ。そう思いながら近付いて、試しに頬に触れてみる。
(……冷たい)
しかし柔らかい。やはり本物の人間か?と身を屈め心臓に耳を当てる。
(……あ)
生きてる。微かながら脈打つ生命の音を聞き付け、彼は人形の様な体を抱き上げた。
◇
5日眠り続けている人形青年を覗き込む。とりあえず一番の峠は脱したようで、彼……リョウは安堵の息を吐いた。
5日前、家に連れて帰ったものの処置に困ったリョウはとにかく体を温めようと考えた。思い付いたのは人肌。部屋を温めてありったけの毛布をかけ、脱いで脱がせて抱き締めてみる。
(確か低体温症は急に温めるとショック死する……)
と、いうか既にそのレベルじゃなく冷えた体に効果的なのかも謎だが。
いつ止まってしまうかもわからない呼吸音と心音を確かめ、時折人工呼吸をしてやりながら根気強く温め続けた。やがて何とか温もりを感じられるようになってきて、服を着せてやって、体の周りに入れた湯タンポのお湯を小まめに変えながらとにかく温めた。
何度か医者を、と思ったがここは森の中の小さな家。いるのはリョウだけ。医者を呼ぶにも鳩便を頼むにも、歩いて一週間かかる近隣の村まで行かなければならない。この状態の青年を動かせる訳もなく、まして放置して呼びに行ける訳もなく。とにかく聞き齧った知識でもって面倒を見続けた。本当は固形ミルクを飲ませたい所だが意識のない相手に無理矢理飲ませて溺死されても困る。
(医者……)
やはり医者を、とは思うけれど。
都合良く誰か訪ねてきたりしないものか。世捨て人のような自分の元へ誰が訪ねてくるのか、と思い直して溜め息をつく。
「……っ」
「!」
未練がましくチラリと外を覗いたリョウの耳に微かな呻きが飛び込み、慌てて駆け寄った青年の瞼がフルフル震えている。
「……ぅ、ん……」
持ち上げて失敗し、また持ち上げて……を何度か繰り返した青年の瞼の向こうから僅かに黒曜が覗く。
(起きた……)
リョウは顔には出ないものの内心歓喜した。
「……だ、……」
掠れた声が、誰だ、と言ったけれどリョウは答えず立ち上がった。意識がある今なら固形ミルクを飲ませられる。
「起きてて」
そうは見えないけれど焦った彼はそう言いおいてミルクを温めに走った。
起きてて、と言われたからといって起きていられるのなら疾うに回復しているだろう。だから当然起きていられなかった青年は再び寝入ってしまっていた。
(……起こす?)
しかしどうやって。
ひっぱたいたら流石に怒るだろうか。怒る体力があればだが。ホカホカ湯気を立てるミルクを一口飲んでみる。多少砂糖も入れてあるそれは。
(……甘)
いや、俺が飲んでどうする。リョウは自分に突っ込みを入れて暫し青年とカップを見比べた。青年の意識は確かに戻っていた。今なら起こしても大丈夫かもしれない。
「……起きて」
一言声をかけ、背中に差し入れる手に感じる温もりにホッと息を吐いた。体は温かい。低体温に関してはもう大丈夫。
「……ん……」
無理矢理起こした青年が微かに呻き、また僅かに目が開く。
「これ、飲んでください」
「……?」
ぼんやりした黒曜が言葉を理解し損ねてリョウを見上げた。
「……飲めますか?」
緩慢な瞬きを繰り返す青年の唇にチョン、とカップを当ててみると、やがてそれが何なのか漸く理解の及んだ青年が飲み込むような仕種を見せた所で、ミルクを少しずつ口へと流し込む。コクリ、コクリ、と喉が鳴ってカップが軽くなってきた辺りで一度唇から離した。
飲んでる途中で寝てしまった青年の口からミルクが溢れたからだ。
(えっと……)
飲めなかっただけで気管に入った様子はない。
(……横向き?)
仰向けで寝かせて万一吐いたら困る。青年の口元を拭って、溢れて濡れた服を替えて横向きに寝かせて。
(やっぱり医者……)
医者に診せた方がいいのではないか。思考がループした。
だがリョウの心配は杞憂だったようだ。それからさらに5日、つまり拾ってから10日。青年はパッチリと目を開けた。時折意識が戻る度ミルクを飲ませた甲斐があったのか本人の生命力が勝ったのかは謎である。
「……ここは」
未だ掠れてはいるものの、今度はハッキリした声音がリョウの耳に届く。
「俺の家です」
「……誰だ?」
リョウ、と答えて相手に名前を訊いたら青年は眉をひそめて
「…………俺、は……」
呟きながら頭に手をやる。ずっと気になっていた一葉模様がある右手だ。
しかしそんなことより。
(まさかこの展開は)
「誰だ……?」
凍死寸前から復活した青年は一切の記憶を失っていた。
「……誰、と言われても……」
すみません、俺も拾っただけだからわかりません。そう告げたら青年は複雑そうな顔をする。
「拾った……」
「川縁に落ちてたんで……」
「川縁……」
心当たり、ありますか。
とは訊いてみたけれど、反応を見る限り記憶に引っ掛かる物は何1つないようだ。
「……あ」
着ていた服を見せたらいいのだろうか。一応洗って干した高級そうな衣服を手渡す。何度見ても高そうな服。どう考えても金持ちだ。
「これは?」
「着てた服……」
今はリョウの服を着ている。リョウが規格外に長身の所為で若干肩がずり落ち気味なのが、どこか青年を幼く見せていた。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
「……わからない」
やがて彼はポツンとそう言った。
「……そう、ですか」
リョウは俯く青年を宥めつつ、とりあえずもう少し体力が回復したら大きな町で訊いてみよう、と考えた。
◇
それから、半年。
あの日何とかカツキという名だけ思い出した彼は未だにそれ以外の記憶を取り戻せていない。ただ体が動くようになったカツキは手頃な棒切れを手に素振りをするようになったから、もしかしたら元は剣士なのかも知れない。本人にも良くわからないらしいけれど、体に染み付くくらいには日課にしていたのだろう。
「カツキさん」
“さん”付けなのは接しているうちに何となくカツキの方が年上のような気がしたからだ。記憶を無くしていても、彼には相当の知識があった。その知識は会話の中でポロリと思い出したり、何かをしていて不意に思い出したり、であったがむしろ本来の彼は知らない事の方が少なかったのではないかとすら思う。
その膨大な知識を持っていた彼ですら唯一全く出来ないこと。
それが料理である。
着ていた物の豪華さや身のこなし、言動、それらを併せて考えた結果やはり彼は金持ちの子息だとリョウは考えている。だから料理がからきしだという事に関しては全く意外だとは思わなかった。むしろそんな彼に手伝わせてもいいものか、と思ったのだが当の本人がやると言い張るのだから仕方ない。
「カツキさん」
真剣に芋と向き合っている彼にもう一度声をかけると
「煩い、気が散る」
と怒られた。
(……芋の皮剥き、難しかったかな……)
子供が手伝う時に使う包丁を持たせてみたものの、手をフルフル震わせながら慎重に皮を剥いている姿は見ている方の心臓にも悪い。おかげでさっきから嫌なドキドキが止まらなくて困っている。
(刃物には慣れてるだろうに……)
剣と包丁では使い道が全く違うけれど。起きられるようになってから数ヵ月、料理だけは上達する気配がない。
それでも何とか皮を剥き終わったカツキを労って――カツキが2個剥く間に他の材料は準備万端である――、具材を手早く調理。今日は彼が食べたい、と言ったシチューだ。
「……料理人になればいい」
一口食べて、彼がそう言うのはこれで数回目。
「イヤです」
リョウが断るのも毎回の事。人が煩わしくてわざわざ森の中などと不便な場所に住んでいると言うのに。勿体ないな、と毎回残念がるカツキをチラリと見る。
(何故かカツキさんは平気なんだよな……)
彼が必要以上に絡まないからだろうか。人というものが煩わしいリョウが、今まで心を許した相手はそう多くない。
リョウに親はいない。いや、勿論昔はいたのだけれど。
やめて、と泣き叫ぶ子供の声。酒瓶が落ちて割れて、それから。
「……カツキさん、もう少ししたら町に出てみませんか」
過去の記憶は無理矢理締め出して、上品にシチューを啜るカツキを見る。人が嫌いだったのだとしても、いつまでも彼をここに閉じ込めておくわけにはいかないだろう。彼が本当にどこかの金持ちの子息にしろそうじゃないにしろ、捜している人がいる筈だ。リョウの都合で後回しにしてはその相手にもカツキにも迷惑がかかる。
「……町に?」
「カツキさんを捜してる人がいると思うんです」
「……どうかな」
彼は珍しく顔を曇らせた。
カツキは内心
(俺を捜す相手などいるとは思えない)
と考えている。自分でも何故かはわからない。しかし確信じみた思いはある。失った記憶の断片的な欠片はこの半年で徐々に形を取りつつあり、その事がとても不安になるのだ。その不安はまるで、自分の中の何かが思い出すことを拒否しているかのようで。
「カツキさん?」
「……誰かに話を聞くくらいは必要だろう。お前の都合のいい時に連れて行ってくれ」
思い出したくない気持ちが半分。逃げるな、と訴えかけてくる気持ちに応えたいのが半分。
(どちらにしても真実を知らなければ)
記憶を無くした得体の知れない人間を助けてくれたリョウに申し訳ない。
サワサワ……、サラサラ……。
木々の揺れる音、川の水が流れる音。彼にとって聞き慣れたそれはいつもと変わらない。けれどふと視界の隅でふわふわとした柔らかな光が見えた気がして視線を巡らせる。
(……人)
視線が捉えた光はそのままふわりと消えてしまったけれど、その光が見えていた川縁に人が倒れている。彼とあまり年が変わらなさそうな青年だ。血の気のない綺麗な顔は現実味が薄くてまるで人形。ましてその服装は彼が見たこともないくらい仕立ての良さそうなものだ。泥にまみれてしまった所為で良くわからないけれど。
(……人?)
もしかして人間そっくりな人形だろうか。いらなくなったから捨てた、とか?それならそれで処理をしなければ。そう思いながら近付いて、試しに頬に触れてみる。
(……冷たい)
しかし柔らかい。やはり本物の人間か?と身を屈め心臓に耳を当てる。
(……あ)
生きてる。微かながら脈打つ生命の音を聞き付け、彼は人形の様な体を抱き上げた。
◇
5日眠り続けている人形青年を覗き込む。とりあえず一番の峠は脱したようで、彼……リョウは安堵の息を吐いた。
5日前、家に連れて帰ったものの処置に困ったリョウはとにかく体を温めようと考えた。思い付いたのは人肌。部屋を温めてありったけの毛布をかけ、脱いで脱がせて抱き締めてみる。
(確か低体温症は急に温めるとショック死する……)
と、いうか既にそのレベルじゃなく冷えた体に効果的なのかも謎だが。
いつ止まってしまうかもわからない呼吸音と心音を確かめ、時折人工呼吸をしてやりながら根気強く温め続けた。やがて何とか温もりを感じられるようになってきて、服を着せてやって、体の周りに入れた湯タンポのお湯を小まめに変えながらとにかく温めた。
何度か医者を、と思ったがここは森の中の小さな家。いるのはリョウだけ。医者を呼ぶにも鳩便を頼むにも、歩いて一週間かかる近隣の村まで行かなければならない。この状態の青年を動かせる訳もなく、まして放置して呼びに行ける訳もなく。とにかく聞き齧った知識でもって面倒を見続けた。本当は固形ミルクを飲ませたい所だが意識のない相手に無理矢理飲ませて溺死されても困る。
(医者……)
やはり医者を、とは思うけれど。
都合良く誰か訪ねてきたりしないものか。世捨て人のような自分の元へ誰が訪ねてくるのか、と思い直して溜め息をつく。
「……っ」
「!」
未練がましくチラリと外を覗いたリョウの耳に微かな呻きが飛び込み、慌てて駆け寄った青年の瞼がフルフル震えている。
「……ぅ、ん……」
持ち上げて失敗し、また持ち上げて……を何度か繰り返した青年の瞼の向こうから僅かに黒曜が覗く。
(起きた……)
リョウは顔には出ないものの内心歓喜した。
「……だ、……」
掠れた声が、誰だ、と言ったけれどリョウは答えず立ち上がった。意識がある今なら固形ミルクを飲ませられる。
「起きてて」
そうは見えないけれど焦った彼はそう言いおいてミルクを温めに走った。
起きてて、と言われたからといって起きていられるのなら疾うに回復しているだろう。だから当然起きていられなかった青年は再び寝入ってしまっていた。
(……起こす?)
しかしどうやって。
ひっぱたいたら流石に怒るだろうか。怒る体力があればだが。ホカホカ湯気を立てるミルクを一口飲んでみる。多少砂糖も入れてあるそれは。
(……甘)
いや、俺が飲んでどうする。リョウは自分に突っ込みを入れて暫し青年とカップを見比べた。青年の意識は確かに戻っていた。今なら起こしても大丈夫かもしれない。
「……起きて」
一言声をかけ、背中に差し入れる手に感じる温もりにホッと息を吐いた。体は温かい。低体温に関してはもう大丈夫。
「……ん……」
無理矢理起こした青年が微かに呻き、また僅かに目が開く。
「これ、飲んでください」
「……?」
ぼんやりした黒曜が言葉を理解し損ねてリョウを見上げた。
「……飲めますか?」
緩慢な瞬きを繰り返す青年の唇にチョン、とカップを当ててみると、やがてそれが何なのか漸く理解の及んだ青年が飲み込むような仕種を見せた所で、ミルクを少しずつ口へと流し込む。コクリ、コクリ、と喉が鳴ってカップが軽くなってきた辺りで一度唇から離した。
飲んでる途中で寝てしまった青年の口からミルクが溢れたからだ。
(えっと……)
飲めなかっただけで気管に入った様子はない。
(……横向き?)
仰向けで寝かせて万一吐いたら困る。青年の口元を拭って、溢れて濡れた服を替えて横向きに寝かせて。
(やっぱり医者……)
医者に診せた方がいいのではないか。思考がループした。
だがリョウの心配は杞憂だったようだ。それからさらに5日、つまり拾ってから10日。青年はパッチリと目を開けた。時折意識が戻る度ミルクを飲ませた甲斐があったのか本人の生命力が勝ったのかは謎である。
「……ここは」
未だ掠れてはいるものの、今度はハッキリした声音がリョウの耳に届く。
「俺の家です」
「……誰だ?」
リョウ、と答えて相手に名前を訊いたら青年は眉をひそめて
「…………俺、は……」
呟きながら頭に手をやる。ずっと気になっていた一葉模様がある右手だ。
しかしそんなことより。
(まさかこの展開は)
「誰だ……?」
凍死寸前から復活した青年は一切の記憶を失っていた。
「……誰、と言われても……」
すみません、俺も拾っただけだからわかりません。そう告げたら青年は複雑そうな顔をする。
「拾った……」
「川縁に落ちてたんで……」
「川縁……」
心当たり、ありますか。
とは訊いてみたけれど、反応を見る限り記憶に引っ掛かる物は何1つないようだ。
「……あ」
着ていた服を見せたらいいのだろうか。一応洗って干した高級そうな衣服を手渡す。何度見ても高そうな服。どう考えても金持ちだ。
「これは?」
「着てた服……」
今はリョウの服を着ている。リョウが規格外に長身の所為で若干肩がずり落ち気味なのが、どこか青年を幼く見せていた。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
「……わからない」
やがて彼はポツンとそう言った。
「……そう、ですか」
リョウは俯く青年を宥めつつ、とりあえずもう少し体力が回復したら大きな町で訊いてみよう、と考えた。
◇
それから、半年。
あの日何とかカツキという名だけ思い出した彼は未だにそれ以外の記憶を取り戻せていない。ただ体が動くようになったカツキは手頃な棒切れを手に素振りをするようになったから、もしかしたら元は剣士なのかも知れない。本人にも良くわからないらしいけれど、体に染み付くくらいには日課にしていたのだろう。
「カツキさん」
“さん”付けなのは接しているうちに何となくカツキの方が年上のような気がしたからだ。記憶を無くしていても、彼には相当の知識があった。その知識は会話の中でポロリと思い出したり、何かをしていて不意に思い出したり、であったがむしろ本来の彼は知らない事の方が少なかったのではないかとすら思う。
その膨大な知識を持っていた彼ですら唯一全く出来ないこと。
それが料理である。
着ていた物の豪華さや身のこなし、言動、それらを併せて考えた結果やはり彼は金持ちの子息だとリョウは考えている。だから料理がからきしだという事に関しては全く意外だとは思わなかった。むしろそんな彼に手伝わせてもいいものか、と思ったのだが当の本人がやると言い張るのだから仕方ない。
「カツキさん」
真剣に芋と向き合っている彼にもう一度声をかけると
「煩い、気が散る」
と怒られた。
(……芋の皮剥き、難しかったかな……)
子供が手伝う時に使う包丁を持たせてみたものの、手をフルフル震わせながら慎重に皮を剥いている姿は見ている方の心臓にも悪い。おかげでさっきから嫌なドキドキが止まらなくて困っている。
(刃物には慣れてるだろうに……)
剣と包丁では使い道が全く違うけれど。起きられるようになってから数ヵ月、料理だけは上達する気配がない。
それでも何とか皮を剥き終わったカツキを労って――カツキが2個剥く間に他の材料は準備万端である――、具材を手早く調理。今日は彼が食べたい、と言ったシチューだ。
「……料理人になればいい」
一口食べて、彼がそう言うのはこれで数回目。
「イヤです」
リョウが断るのも毎回の事。人が煩わしくてわざわざ森の中などと不便な場所に住んでいると言うのに。勿体ないな、と毎回残念がるカツキをチラリと見る。
(何故かカツキさんは平気なんだよな……)
彼が必要以上に絡まないからだろうか。人というものが煩わしいリョウが、今まで心を許した相手はそう多くない。
リョウに親はいない。いや、勿論昔はいたのだけれど。
やめて、と泣き叫ぶ子供の声。酒瓶が落ちて割れて、それから。
「……カツキさん、もう少ししたら町に出てみませんか」
過去の記憶は無理矢理締め出して、上品にシチューを啜るカツキを見る。人が嫌いだったのだとしても、いつまでも彼をここに閉じ込めておくわけにはいかないだろう。彼が本当にどこかの金持ちの子息にしろそうじゃないにしろ、捜している人がいる筈だ。リョウの都合で後回しにしてはその相手にもカツキにも迷惑がかかる。
「……町に?」
「カツキさんを捜してる人がいると思うんです」
「……どうかな」
彼は珍しく顔を曇らせた。
カツキは内心
(俺を捜す相手などいるとは思えない)
と考えている。自分でも何故かはわからない。しかし確信じみた思いはある。失った記憶の断片的な欠片はこの半年で徐々に形を取りつつあり、その事がとても不安になるのだ。その不安はまるで、自分の中の何かが思い出すことを拒否しているかのようで。
「カツキさん?」
「……誰かに話を聞くくらいは必要だろう。お前の都合のいい時に連れて行ってくれ」
思い出したくない気持ちが半分。逃げるな、と訴えかけてくる気持ちに応えたいのが半分。
(どちらにしても真実を知らなければ)
記憶を無くした得体の知れない人間を助けてくれたリョウに申し訳ない。
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