ブライダル・ラプソディー

葉月凛

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『──さん。ほん……さ……ほんじょ……さん』
「ん……」

 誰かに呼ばれたような気がして、薫は重い瞼を持ち上げた。薄暗い天井が目に入る。

(……ああ何だ、まだ夜中か。今、何時だ……ん)

 普段あまり夜中に目を覚ますことはないのだが、少し飲みすぎたのかもしれない。枕元の時計を見ようとして……固まった。
 ──体が、動かない。

(え……何だ、え?)

 起き上がることも、手を動かすことも、できない。

(っ、)

 生臭い、匂いがした。

『本城さん。海、行きましょう』
「っ!」

 すぐ隣で、ひなのの声がした。
 体が動かないので、横が、見られない。

『本城さん、海、行きましょう』

 薫は必死に体を動かそうとするが、びくともしない。生臭い匂いが、広がった。

(──相川、相川はっ)

 声のする方向からして、おそらくひなのがいるところは、相川が寝ている筈だ。相川の、気配がしない。

『ほら──行きましょう』

 掛布団が、ゆっくりと剥ぎ取られてゆく。

『本城さん』
「っ、」

 薫は引きつるように、息を呑み込む。
 ひなのの声は、すぐ耳元で聞こえた。

「……ぅ、うぅ……」

 声を出そうとするが、喉が詰まったかのように声が出ない。

『本城さん』
「っ、……」

 冷やりとした空気が、頬に触れた。
 ……おそらく、すぐ、隣にいる。
 体が、動かない。息すら、できなくなってくる。

 冷たい空気が、こちらを覗き込もうと動いた。その時──

『薫に、触るな!』

 温かい風が、一瞬、薫の顔の上を横切った。

「っ!」

 ふっと、力が抜けた気がした。首が、動く。ゆっくりと隣を見ると、男の子の後ろ姿があった。あれは──披露宴会場で、見た子だ。

『本城さん』

 再び、ひなのの声がした。
 男の子の向こう、表情のない顔で、こちらを見ている。

 男の子が、薫を振り返った。
 やっぱり15、16才くらいの、茶色い髪と黒い瞳の……

(──ああ、この子。この子は)

『ねぇ、あの子に何か、もらったでしょう。どこ?』

 男の子が、部屋の中を探すように見渡した。

(え、もらった? もらったって、何を……あ!)

 お守りだ。お守りを、もらった。小さなピンク色の、巾着袋の──

「ぁ……ス……ツの……ポ、ケ……」

 男の子が、さっと動いて壁に掛けてあった薫のスーツのポケットから、例の巾着袋を取り出した。生臭い匂いが強くなる。

『やめて!』 

 ひなのの悲鳴が聞こえた瞬間──男の子の手の中で、お守りが弾けて消えた。

 薫の視線の先に見えた、ひなのの姿が薄くなる。生臭い匂いが消えて、ふわりと花の香りがした。

 薄くなったひなのの表情が、悲しげに歪む。

『……私も、海に、行きたかっ……皆、と……』

 最後に、ひなのの目に涙の粒が、淡く光って、消えていった。

「………」

 薫は、自身の手を動かしてみる。握って開けることを確かめると、深く息を吐いた。ようやく全身の自由が戻り、起き上がろうとして──腹の上に男の子が乗っていることに、気が付いた。

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