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「あの頃の成瀬さんは、社内でも上の人とよく衝突しててね。孤立してる感じだったよ」
木嶋は、目の前のだし巻き卵に箸を伸ばす。
「前の支配人とは特に相性が悪くてね。成瀬さんの企画はことごとく潰されたって聞いたよ。でも、今の高嶺支配人になってメルマリーができてからは、成瀬さんもやりたいことができるって喜んでたなぁ。結局のところ、仕事が好きなんだよ、あの人は」
メルマリーの支配人は、ホテル・メルローズの高嶺支配人が兼任していると、本城に聞いたことがある。でも、実質的には成瀬に一任されていて、滅多に顔を出さないので、奈津はまだ会ったこともなかった。
「だから、ここができたことは、成瀬さんにとって良かったと思うよ」
木嶋は通り掛かった店員を捕まえて、日本酒をオーダーした。今日の飲み会は、飲み放題と聞いている。奈津も付き合って日本酒に切り替えた。お酒は強くないけれど、ちびちび舐めていればいいだろう。
「今日の模擬もさ、人前式だったろ」
「え? はい」
「ほんとはさ、ホテル側としては、教会式か神前式を売って欲しいんだよ。まぁ、メルマリーに神殿はないけどさ、チャペルはあるだろ?」
「ええ。でも何で……今日の人前式、評判良かったと思うんですけど」
「うん、良かった。でもほら、お金にならないからね、人前式は。ホテルとしては、教会式の方が、売り上げになるから」
「……確かに」
「でも成瀬さん、色んな挙式スタイルを紹介したいって、その方が結果的に売り上げに繋がるからって言ってね。高嶺支配人が、それならって成瀬さんに任せたんだよ。そのかわり、新規の成約ノルマを課せられたらしいけど」
木嶋はさすが古株なだけあって、奈津の知らない裏事情を色々知っているようだった。
支配人の高嶺は、成瀬のことをよく理解し、信頼しているのだろう。成瀬も、それに応えている。それは決して一朝一夕にはいかないのだろう。
成瀬の、仕事に対する姿勢のようなものを垣間見た気がして、奈津は黙り込んだ。
いつの間にか打ち上げ会場には人が増え、木嶋は向かいの人と会話を始めた。
(………)
与えられている重責を考えれば、自分ならもっと余裕がなくなるだろう。それでも、成瀬はいつも冷静だ。
仕事に厳しいのは、それだけ真摯に取り組んでいるからに他ならない。自分は成瀬の、そんなところにも惹かれていたのだと、奈津は改めて思った。
(──でも。それなら、尚更。この仕事に情熱を持っているなら尚更……だめじゃないか。結婚しているのに……浮気なんて)
奈津は、先程の衣装室での成瀬を思い出した。自分に触れてくる指先と、優しい眼差しが脳裏に浮かぶ。自分も、もう少しで触れそうになった。
(何で、成瀬さんはあんな……僕をからかって楽しんでいるのか。最低じゃないか)
「……っ」
自分で思い至った考えに喉を詰まらせ、手元の日本酒をぐいっとあおる。
奈津はもう、気付いてしまった。成瀬を好きだという、自分の気持ちに。そのことがより一層、奈津を惨めな気分にさせた。
(本城さんには悪いけど、メルマリーの担当はやっぱり誰かに代わってもらった方がいいのかもしれない。……ああ、でも)
誰かが置いてくれた日本酒のおかわりをごくりと飲みながら、奈津は思った。こんな個人的な理由で、与えられた職場を投げ出すようなことはしたくない。本城が、どんなに自分に失望するだろう。
(……ああ、でも)
手にしたグラスを、口に付ける。
(もう、いやだ……こんなことを考えるのは)
また誰かが、奈津の空いたグラスを下げ、おかわりの酒を置いた。
木嶋は、目の前のだし巻き卵に箸を伸ばす。
「前の支配人とは特に相性が悪くてね。成瀬さんの企画はことごとく潰されたって聞いたよ。でも、今の高嶺支配人になってメルマリーができてからは、成瀬さんもやりたいことができるって喜んでたなぁ。結局のところ、仕事が好きなんだよ、あの人は」
メルマリーの支配人は、ホテル・メルローズの高嶺支配人が兼任していると、本城に聞いたことがある。でも、実質的には成瀬に一任されていて、滅多に顔を出さないので、奈津はまだ会ったこともなかった。
「だから、ここができたことは、成瀬さんにとって良かったと思うよ」
木嶋は通り掛かった店員を捕まえて、日本酒をオーダーした。今日の飲み会は、飲み放題と聞いている。奈津も付き合って日本酒に切り替えた。お酒は強くないけれど、ちびちび舐めていればいいだろう。
「今日の模擬もさ、人前式だったろ」
「え? はい」
「ほんとはさ、ホテル側としては、教会式か神前式を売って欲しいんだよ。まぁ、メルマリーに神殿はないけどさ、チャペルはあるだろ?」
「ええ。でも何で……今日の人前式、評判良かったと思うんですけど」
「うん、良かった。でもほら、お金にならないからね、人前式は。ホテルとしては、教会式の方が、売り上げになるから」
「……確かに」
「でも成瀬さん、色んな挙式スタイルを紹介したいって、その方が結果的に売り上げに繋がるからって言ってね。高嶺支配人が、それならって成瀬さんに任せたんだよ。そのかわり、新規の成約ノルマを課せられたらしいけど」
木嶋はさすが古株なだけあって、奈津の知らない裏事情を色々知っているようだった。
支配人の高嶺は、成瀬のことをよく理解し、信頼しているのだろう。成瀬も、それに応えている。それは決して一朝一夕にはいかないのだろう。
成瀬の、仕事に対する姿勢のようなものを垣間見た気がして、奈津は黙り込んだ。
いつの間にか打ち上げ会場には人が増え、木嶋は向かいの人と会話を始めた。
(………)
与えられている重責を考えれば、自分ならもっと余裕がなくなるだろう。それでも、成瀬はいつも冷静だ。
仕事に厳しいのは、それだけ真摯に取り組んでいるからに他ならない。自分は成瀬の、そんなところにも惹かれていたのだと、奈津は改めて思った。
(──でも。それなら、尚更。この仕事に情熱を持っているなら尚更……だめじゃないか。結婚しているのに……浮気なんて)
奈津は、先程の衣装室での成瀬を思い出した。自分に触れてくる指先と、優しい眼差しが脳裏に浮かぶ。自分も、もう少しで触れそうになった。
(何で、成瀬さんはあんな……僕をからかって楽しんでいるのか。最低じゃないか)
「……っ」
自分で思い至った考えに喉を詰まらせ、手元の日本酒をぐいっとあおる。
奈津はもう、気付いてしまった。成瀬を好きだという、自分の気持ちに。そのことがより一層、奈津を惨めな気分にさせた。
(本城さんには悪いけど、メルマリーの担当はやっぱり誰かに代わってもらった方がいいのかもしれない。……ああ、でも)
誰かが置いてくれた日本酒のおかわりをごくりと飲みながら、奈津は思った。こんな個人的な理由で、与えられた職場を投げ出すようなことはしたくない。本城が、どんなに自分に失望するだろう。
(……ああ、でも)
手にしたグラスを、口に付ける。
(もう、いやだ……こんなことを考えるのは)
また誰かが、奈津の空いたグラスを下げ、おかわりの酒を置いた。
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