ブライダル・ラプソディー

葉月凛

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 理由は教えてもらえなかったが、その時から奈津は母と共に、母の実家で祖父母と暮らすことになった。父に会えなくなった理由を何度も母に尋ねた気がするが、曖昧な答えしかもらえなかったように思う。

 祖母は、母に似てよく笑う優しい人で、祖父は少し頑固だが物知りで頼りがいのある人だった。
 実家には大きなグランドピアノがあり、母はまた子どもたちにピアノを教えた。髪は短くなり、静かに微笑んでいることが多くなった。

 その頃、母がよく弾いていたのは、『ラプソディー・イン・ヘヴン』という曲だった。物憂げな美しい旋律を弾いていたかと思うと急に激しく鍵盤を叩き出し、不協和音すれすれのメロディーになったかと思うとまた穏やかな旋律に戻る。子供心に、不思議な魅力がある曲だと思った。

『ラプソディーってね、形にとらわれたりしないで、自由なところがいいのよ』
『じゆう?』
『……こうでなくちゃ、とか思わなくていいのよ。結局は、自分の好きにすればいいのよね』

 そんな風に母は楽しそうに言っていたが、時々、憑かれたようにピアノを弾く姿は少し怖いものがあった。大人になって分かったのだが、母はかなり自我流にこの曲を弾いていた。結構大胆だったんだな、と思う。

 奈津は、母に叱られた記憶がほとんどない。もちろんだめなことはだめだと言われるが、酷い叱責を受けたことはなかったと思う。それは単に、奈津が大きく道を外すような間違いを犯さなかったから、だけなのかもしれないが。

 母が亡くなったのは、奈津が中学校3年に上がったばかりの春だった。

 胃がんだった。見つかった時にはもう手遅れで、進行が早くあっという間に亡くなった。あまり苦しまずに済んで、良かったのかもしれない。母が大好きだった桜も、最後に見せることができた。

 葬式には、父も来た。久しぶりに会う父は、随分と小さく見えた。
 柩を前にした父は手で顔を覆い、『すまない』と何度も何度も繰り返し、泣いていた。祖父母は黙ってそれを見ていたが、父が柩に横たわる母に手を伸ばそうとした時、祖父がその手を掴んで止めた。

 斎場の桜は、もう散りかけていた。

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