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「何だ。それならエラ嬢も一緒に行けば良いじゃないか」
 テオバルトが事もなげに言う。
「え…?いいんですか?」
 ニーナは拍子抜けした様子で言った。
 ギブソン男爵家に突然訪問して来たテオバルト。
 避暑の招待への返事を寄越さないニーナに痺れを切らせて会いに来たのだ。
「女性がニーナちゃん一人だから、むしろ歓迎するよ」
「え?女性、私一人ですか?」
「そうだよ。避暑には毎年行くけど、リオンもジェラルドも女性を招待した事はない。俺もニーナちゃんが初めて」
 テオバルトはニーナに笑顔を向ける。
「…あのぉ、私が舞踏会の精算に手伝うってなった時に、リオン殿下は夏期休暇に入ったら出て来ないよってテオバルト様仰いましたよね?あれは、何ていうか…リオン殿下に会えると期待するなよ、って、私とリオン殿下を近付けたくないと言うか、そういう事だったんじゃないんですか?」
 ニーナが首を傾げて言うと、テオバルトは頷いた。
「そうだね」
「つまり、テオバルト様が私を恋人にしたいと言うのは、リオン殿下に近付けないため?」
 ニーナの言葉にテオバルトは片眉を上げる。
「ん?好意を抱いている女性を他の男に近付けたくないと思うのは普通の事だよね?」
 にっこり笑うテオバルト。
 その、テオバルト様が私に好意を抱いてるっていうのが、にわかに信じがたいと言うか、信じられないと言うか。
「でもじゃあ何故リオン殿下の避暑に私を呼ぶんですか?避暑に行かなければ夏期休暇中に私とリオン殿下が会う機会はないです。そのままお妃選びの舞踏会で殿下が結婚相手を決められれば…」
 ニーナが言うと、テオバルトは苦笑いを浮かべた。

 コンコン。
 ニーナとテオバルトのいる応接室の扉がノックされる。
 部屋の隅に控えていたロザリーが扉を開けると、レジスが立っていた。
「お話中に申し訳ありません。ニーナ、ちょっと」
 テオバルトに頭を下げると、ニーナを手招きで呼ぶ。
「どうしたの?」
 レジスが公爵令息のテオバルト様がいらっしゃる所へわざわざ私を呼びに来るなんて、余程急ぎの事なんだわ。
 ニーナがソファから立ち上がり、レジスの方へ行くと、レジスはニーナの耳元で小声で言った。

「エラさんが逃げて来た。怪我をしている」

 -----

 勢い良く扉を開けて、ニーナは自分の部屋へ飛び込む。
 エラはニーナの部屋のソファに座って手布で自分の左頬を押さえていた。手布は血が滲んで赤くなり、エラの手にも、着ているお仕着せやエプロンにも血が着いている。
「ニーナ…」
 泣きそうに瞳を揺らしながらエラがニーナを見た。
「エラ!」
 ニーナがエラに駆け寄ると、エラは包帯をした手を伸ばしてニーナの服を掴む。
「エラ、もう大丈夫よ」
 震える手を撫でながらニーナはエラの前に跪いた。
「あ…ニーナの服が汚れ…」
 手を離そうとするエラの手をニーナは軽く押さえながら撫で続ける。
「服なんていいのいいの。レジスがお医者さまを呼んでくれてるから安心して。手も怪我してるの?」
 努めて明るい声でニーナが言う。
「うん…」
 眼をウルウルと潤ませてエラが小さく頷いた。

 扉の外に立ち、レジスが部屋の中のニーナとエラを見ている。
 そこにテオバルトが近付いて来た。
「ゴールドバーグ公爵家の噂は聞いているが…こんなに酷い状態なのか?」
 中を窺いながら小声でレジスに言う。
「いえ。小さな折檻などはあったようですが、このように大きな傷を負わされたのは初めてではないかと」
 レジスが言うと、テオバルトは自分の顎に手を当てた。
「そうか…」
「テオバルト様?」

「ゴールドバーグ家がエラ嬢を取り返しに来るかも知れないな」
 テオバルトがレジスを見ながら言う。
「そうですね」
 レジスは神妙な表情で頷いた。
「相手は公爵家、匿うのは難しくないか?」
「……」
 男爵家の我が家が公爵家に逆らうのは無理だ。
 しかしもちろん、ニーナも俺も何の考えもなしにエラさんに「逃げて来い」と言った訳じゃない。
 幸いギブソン家の生業は旅行業だ。交通手段や宿泊施設には国の内外を問わず伝手がある。ただ、いつまでも家に戻らず逃げ続ける訳にもいかない。
 そこをどうするか…
「では、エラ嬢の手当てが終わったら速やかに出立する事にしようか」
 ポンとレジスの肩を叩くテオバルト。
「はい?」
 レジスが首を傾げると、テオバルトはニッコリと笑った。
「リオンの避暑だよ。王家の避暑地ならいくら公爵家でも強権発動できないだろう?」



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