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「驚き過ぎて無言でサロンから帰って来ちゃったわ…」
 イライザは呆然として鏡の中の自分を見た。
「それでアドルフ様の赤い糸の相手はどなただったんですか?」
 侍女のアンリがイライザの髪を梳きながら聞くと、イライザは小声で呟いた。
「…ブリジット」

「え!?あ…そう言えば…」
 アンリが思い当たったように言うと、イライザは頷く。
「そう。アドルフお兄様って私たちと血が繋がってなかったのよ。今まで忘れてたけど」
「奥様の友人夫婦のお子様でしたよね?」
「そう。その友人夫婦はお兄様がまだ生まれて間もない頃に事故で亡くなって…お兄様の本当のお父様が公爵家の次男で、お母様が商家の娘で、駆け落ち同然の結婚だったからお父様は公爵家から勘当されてたの。それで残されたお兄様の引き取り手がなくて、学園時代からお兄様のお母様と友達で、駆け落ち後も仲が良かったお母様がお兄様を引き取ったんですって」
 その時のお母様はまだお父様と婚約中で、お母様は周囲の反対を押し切ってお兄様を引き取ったから、結婚はもうできないと思ったんだけど、お父様はお母様に「その子を自分たち夫婦の子として育てよう」とプロポーズしたのよ。

「旦那様…格好良いですねぇ」
 プロポーズのくだりを聞いたアンリが言う。
「そうね。それに今の今までお兄様と血が繋がっていない事を私が忘れてたくらいだもん。お父様とお母様、本当に我が子と分け隔てなく育てたって事よね」
 イライザの父と母はアドルフの出生について隠しはしなかったので、イライザもブリジットもいつしかアドルフが父と母の実子ではない事を知っていた。
 それでもイライザにとってアドルフは、自分が生まれた時から兄として存在していたので、血の繋がりなど気にした事はなかったのだ。

「アドルフ様、密かにブリジット様の事を想っていらっしゃるのかしら…」
 アンリがうっとりとした表情で言う。
「アンリ、そんな夢見る乙女みたいな表情かおしないでよ。こっちが恥ずかしいわ」
 鼻白んでイライザが言うと、アンリはぷくりと頬を膨らませた。
「お嬢様は夢がないですよ。血の繋がらない妹を想う兄、なんてロマンス小説みたいで素敵じゃないですか」
「お兄様がブリジットを想っているかどうかはまだわからないわ。もしかしたら、この家を継ぐためにはこの家の娘と婚姻しなければならないとお兄様が考えてるのかも知れないし」
「ええ~そんな打算的なの、嫌ですよぅ」
 不満気に言うアンリ。
「私だって嫌よ。だけどお兄様の立場ならそう考えても不思議はないもの」

 もしも打算なら、私がグレイ殿下を諦めたとしても、これだけ悪役令嬢として有名になった私に縁談なんか来ないだろうし、お兄様に私と結婚してもらう事はできないかな?
 そうすればお兄様はこの家の娘と結婚して嫡男の立場は磐石になるし、私は売れ残って家の恥にならずに済むし。
 ブリジットはロイ殿下とくっつけば、八方上手く収まるんじゃない?
 お兄様とブリジットの赤い糸を切って、ロイ殿下とマリアンヌの赤い糸を切って、私がお兄様への好感度を上げれば…
「お嬢様?」
「!」
 ハッとするイライザ。アンリが鏡越しにイライザを見ていた。

 私が赤い糸を切ってお兄様やブリジットの運命を変える?
 もしもお兄様が本当にブリジットを好きだったらどうするの。
 それに、マリアンヌはどうなるの?
「…無理」
 イライザはふるふると顔を横に振った。

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「痛っ」
 梳いていた髪が櫛に引っ掛かり、イライザは思わず声を出す。
「もっ申し訳ありません!」
 イライザの髪を梳いていた年若い侍女が青褪めた顔で飛び退くようにイライザから離れ、頭を深々と下げた。
 今朝はアンリがイライザが変わった事を他の侍女に知らせたくてわざと違う侍女を身支度に寄越したのだ。

 あー…これ以前のイライザなら「私に痛い思いをさせるだなんて、クビよクビ!二度と私の目の届く場所に現れないで!」って怒鳴り散らして手鏡とか投げたりして侍女を泣かせて実際クビにするパターンよね。
 頭を下げたままの侍女はブルブルと震えている。
 でも急にイライザが優しくなっても、そっちの方が胡散臭くて信じ難いだろうし…
「貴女、名前は何と言うの?」
「…も…申し訳ありませ…」
 震える声で言う侍女。
「名前を聞いているのよ?私は」
 イライザは、あまり低い声にならないように気を付けながら言った。
「…ヘレン…です」
「そう。ヘレン」
 侍女ヘレンは震えて消えそうな声で「はい」と返事をする。
「私の髪はウェーブがきつくて梳きにくいの。毛先の方から細かく丁寧に梳いて頂戴」
 イライザがほんの少し口角を上げて言うと、ヘレンは青褪めた顔のまま、目を見開いてイライザを見た。
「わかったかしら?ヘレン」
「は、はい!」
 持っていた櫛をギュッと握ると、ヘレンはイライザに近付いて、また髪を一束手に取った。
 





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