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「マリーナ・ザイル男爵令嬢を知っているか?」
 側防塔の上で隣り合わせに座ったオリビアへ、ダグラスは問う。
「…領主様…パリヤ殿下の『運命の恋人』だわ」
「そう。今はもう男爵令嬢ではないが、北方の修道院にいる」
「そうね。え?待って。領主様のお願いってマリーナ様…さんが関係するの?」
「そうだ。パリスはオリビアに、マリーナ・ザイルの居る修道院へ行って彼女の様子を見て来て欲しい、と言っている」

 やっぱり面倒な話だったわ!

「何で私!?」
「事情を弁えていて、身動きがとりやすくて、後ろ暗い所のある、女性、だから」
「後ろ暗いって…脅す気なの?」
 オリビアはダグラスを睨む。
「脅す気はないけど、言う事聞かせやすいかな、と」
 ダグラスは両手を上げて降参のポーズを取る。
「そういうの『脅す』って言うのよ」
「ごめん。今は脅す気はないよ。お願いだけ」
 ダグラスは、実際オリビアに会うまでは、取り潰された侯爵家の令嬢で、自ら王太子妃候補の令嬢を誘拐するような女だから、上位貴族に返り咲きたいと切望する、鼻持ちならない高飛車な女なのではないか、と想像していたのだ。
 実際のオリビアは、ハッキリと物を言うが、令嬢に戻りたいとは思っておらず、何かに怯えている、ように感じていた。
「マリーナさんのいる修道院ってここから遠いわよね」
 ここは国境沿いだが、マリーナのいる修道院は逆の国境沿い…つまり国の端と端なのだ。
「ああ。馬車で片道二十日くらいかかる」
「はつか!?往復四十日も私をどうやって家から連れ出すつもりでいるの!?」
「…俺と、結婚して」
「……」
 オリビアは想定外の言葉に思わず固まった。

「勘当されてるけど、チャンドラー伯爵家の領地が北方なんだ。それで挨拶ついでに新婚旅行を兼ねて…と言えばその位の日数でも不審じゃないんじゃないかと」
「チャンドラー伯爵家の領地って北方なの?」
「ああ。まあマリーナ・ザイルのいる修道院までは領地からでも片道二、三日かかるけど」
「ふーん」
 オリビアはふと気付いてダグラスを改めて睨む。
「ダグラス…本当に結婚する訳じゃないのに、帰って来てからどうするつもりなの?」
「…道中で喧嘩して破談になった事に…」
「やっぱり!つまり、私に『結婚寸前で破談になった女』という汚名を着せる気なのね!?」
「そう…なる…のか」
「断るわ。悪いけどこれ以上の汚名はいらないの」
「…そうだな。悪かった」
「……」
「……」
 二人で押し黙る。
「帰るわ」
 オリビアが立ち上がると、ダグラスも立ち上がる。
「送る」
「いいわ。二人で歩いてるの見られても面倒だし」
「…そうだな」
 そう言いつつ、側防塔を降りる時、ダグラスはオリビアの手を取り、手は離したが、そのまま子爵家まで並んで歩いた。
「…もう会う事もないわね」
 オリビアが呟くと
「そうだな…」
 ダグラスも呟く。

 離れがたい?
 ううん。きっと、こんな風に気を置かず話せる男性は初めてだから、何となく惜しいだけだわ。

 子爵家の門まで来ると、玄関から騒ぎ声が聞こえて来た。
「また、あいつ…」
「何の騒ぎだ?」
 ダグラスが問うと、オリビアはダグラスへ嫌そうな表情かおを向けた。二人で門の影に隠れて玄関を窺い見る。
「ガイア・ハモンドよ」
「ハモンド…夜会の時にオリビアに絡んでた男か」
「そう。何だかわからないけど『オリビアに会わせろ』って最近毎日来るの」
「毎日?」
「今の所『オリビアに会わせろ』としか言わないからよく分からないんだけど…」
「あいつ、あの時『お前を嫁に貰ってやる』とか言ってなかったか?」
「聞いてたのね」
「ごめん。割と最初から見てた」
 オリビアはべしんとダグラスの腕を叩く。
「早く助けてよね」
「悪かったって」
 オリビアは「はあ~」と長く息を吐く。
「ここでこうしてても帰るあいつと鉢合わせるだけだし、行くかあ」
「俺も行こうか?」
「いいわよ。何でダグラスがここにいるのか説明できないもん」
「でも…」
「大丈夫よ。じゃあダグラス、いつかまた会えたら良いわね」
「……」
 オリビアはにっこり笑うと門の影から出て玄関へ足を向けた。
「あっオリビア!」
 ガイアが振り向いてオリビアを呼ぶ。
「やっと会えた!」
「何の御用でしょうか?」
 オリビアがアルカイックスマイルを浮かべると、ガイアは強引にオリビアの手を取った。
 オリビアが眉を寄せ、ガイアの手を振り払う。
 振り払われても気に介さないように、またオリビアの手首を掴んだ。
「…嫌」
 小さなオリビアの呟きが聞こえた気がして、門の影にいたダグラスは駆け出した。

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