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 ガサガサガサ。
 草を掻き分け、踏みしめる音が近付いて来て、ローゼが振り向くのと同時に手首を掴まれた。
「きゃっ!」
「え?女の子?」
 ローゼの手首を掴んだ女性が困惑の声を上げる。
 日が暮れかけた湖畔に立ち竦んでいたローゼは、シャツにベスト、ズボンに革靴、キャスケットに髪を隠した少年姿だったのだ。
 ローゼは自分の手首を掴む女性を見て目を見張る。
「…デボラ・ムーサフ」
 思わず呟く。
「え?何で私の名前を…」
 女性が驚いてローゼの顔をマジマジと見てくる。
 しまった。
 ローゼは顔を隠そうとするが、その前に「あ!」と声を発した女性の手が、ローゼの被るキャスケットを掴み取った。
 ピンクの髪が溢れる。
「ローゼ・エンジェル!」
 キャスケットを握りしめた女性がそう叫んだ。

 デボラ・ムーサフは悪役令嬢の一人で、攻略対象者である生徒会会計のマリック・ドイルの幼なじみの恋人だ。
 マリックは商家の息子、デボラは薬問屋の娘で二人ともローゼと同じ学園の一年生だ。

「あんな所で何してたのよ?」
 ローゼをぐいぐいと引っ張り、自身の乗っていた馬車へ押し込むようにして乗らせると、向かいの座席に座ったデボラは苦虫を噛み潰したかのような表情で言う。
「……」
 どう言えば良いのか判らず、ローゼは居心地悪そうに座席で小さくなりながら黙って俯いた。
「…まさか」
 そんなローゼを見てデボラは目を見開く。
「あんた!もしかして死ぬ気だったの!?」
「…え?」
「デップマン様が舞踏会であんな事言って王都で噂になってるからって死ぬ事ないでしょ!?」
 デボラは座席から立ち上がると、ローゼの両腕をガシッと掴む。
「『幼くして父親を誘惑し破滅させ、学園で複数の男を籠絡した妖婦』って噂だけど、噂なんて所詮噂なんだし、その内収まるし、死ぬ事はないわよ!」
「……妖婦」
 ローゼは思わず呟く。
 父を破滅させ、男を籠絡…そんな噂になってるなんて…
 青褪めるローゼに気付き、デボラはパッと腕を掴んでいた手を離した。
「…まさか、その噂、知らなかった…とか?」
「しっ知らない」
 もちろんローゼも舞踏会でのサフィ・デップマンの発言が巷の噂になった事は知っている。だからこの夏期休暇には男装でコーネリアとお忍びデートした以外は出歩く事もできなかったから。
 でも「妖婦」なんて…
 デボラはローゼに負けないくらいに青褪めて自分の口を両手で塞ぐ。
「ごっごめん!知らないと思わなくて」
「……」
 ローゼはゆっくりと首を横に振る。
 デボラが噂を広めた訳ではないのだから謝られるのもおかしい。
「あのさ…さっきも言ったけど、噂なんてその内収まるんだから気にする事ない…わよ?…まあ気にするなって言っても難しいだろうけど…」
 申し訳なさそうに言うデボラ。
「…ムーサフさんって意外と…」
 ローゼはデボラの顔をまじまじと眺める。
「意外と、何よ?」
「いい人」
「は?」
 呆気に取られた表情のデボラを見て、ローゼはふっと笑いを漏らす。
「だってムーサフさん私の事嫌いでしょう?なのに噂を耳にいれてしまって慌てるなんて…」
 デボラはローゼの言葉に鼻白みながら言う。
「…だって、あの時デップマン様が言われた事、王太子殿下があれだけキッパリ否定されたんだから、本当に事実じゃないんでしょ?」
「王太子殿下?」
 ローゼの胸がドキンと鳴る。
「そうよ。殿下が『不完全な情報で相手を貶める事は自分を貶める事だ』っておっしゃったの。そんな風におっしゃるって事はデップマン様が言われた事は多少の事実はあっても大方は事実じゃないんだろうと思ったの」
 あの時はショックで呆然自失の状態だったので、ローゼはそのサイオンの言葉は覚えていない。それでもそんな風に受け止めてくれる人がちゃんと居るんだと思うと胸がじんわりと熱くなった。
「やっぱりムーサフさん、いい人だわ」
「…やめてよ。私はあんたの事嫌いなの!でもそれと事実じゃない事で貶めるのは別問題なのよ!」
 少し頬を赤くしてそっぽを向くデボラ。
 ああ、何てハッキリ物を言う人なんだろう。嫌われてても、私は好きだな。ムーサフさんの事。
 ローゼは思わず微笑んだ。




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