1 / 7
童皇子 イルナス
しおりを挟む
「あなたとの婚約を解消させて頂きます」
華やかな庭園で響く淑女の声が、一瞬にして周囲を沈黙させた。
イルナスには状況がよく整理できていなかった。招待されたお茶会の場で、上級貴族のマリンフォーゼから突然の宣告。よく、晴れた日だった。
「そう言うことだ。まあ、残念だろうが現実を受け入れろ。マリンフォーゼは、そなたにはもったいない」
隣の男がイルナスの肩をポンポンと叩く。燃えるような赤毛を持つ、頑強な肉体を持つ男。垂れ下がった細い眼光は明らかに勝ち誇ったような微笑みが垣間見える。皇位継承候補第一位――エヴィルダース皇太子は、彼女に近づき婚約の誓いの口づけを躱す。
「本日この場を持って、マリンフォーゼは我の正式な婚約者となった」
まるで、劇でも見ているようだった。悲劇ですらない、喜劇。それを証拠に、マリンフォーゼとエヴィルダースの側近は下を向きながらクスクスと笑っている。イルナスの側近たちも、彼を擁護することなく下を向く。
マリンフォーゼの頬は真っ赤に染まっていた。もはや、イルナスなどは眼中にもなく、一心にエヴィルダースを見つめている。他国から噂されるほど美しい彼女は、残酷なまでに女の表情をしていた。
イルナスは黙って庭園を後にした。
部屋に戻ると、母のヴァナルナースが笑顔で待ち構えていた。金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。『傾国の美女』とまで噂されている彼女は、皇帝陛下の側室である。
「早かったですね。久しぶりに会ったのだから、もう少し、マリンフォーゼとお話をしてくればよかったのに」
「……ははっ」
イルナスにできることは、精一杯作り笑顔を浮かべることだけだった。遅かれ早かれ、目の前の優しい母はこの事実を知ることになるだろうが、こんな自分が情けなくて、どうしても伝えられなかった。
彼女と親子のように仲がよかった母様は、どんなにガッカリされるだろう。
無論、恋愛事だ。そこには、いいも悪いも存在しない。要するに、マリンフォーゼがイルナスを捨て、皇太子であるエヴィルダースを選んだだけだ。あのお茶会は、エヴィルダースが戯れに画策したのだろうが、そんな嫌がらせにも、もう慣れている。
ただイルナスの心に、母への申し訳なさと自身の情けなさが溢れてくる。
「……少し疲れているので、もう寝ます」
なんとかそうつぶやき、母に背を向けてベッドにダイブする。泣いている顔は見られたくない。自身の涙を布に吸わせて、寝たふりをした。
やがて、母が帰るとイルナスは仰向けに寝転んだ。そして、自分の姿を鏡で見て、はぁと大きくため息をついた。
「なんで……こんな身体に生まれたのだろう」
金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。その中性的な顔立ちは、皇帝の寵愛を受ける側室ヴァナルナースの面影を感じさせる。聡明さを感じさせる鮮やかな青の澄んだ瞳は、皇帝レイバースと瓜二つ。誰もが羨むような容姿だった。
しかし、彼の容姿は異常なほど異質だった。
ノルマンド帝国の皇子として生を受け、国中が生誕を祝った。誰もが彼を羨望の眼差しで見つめた。その明るい未来を誰もが疑わなかった。実際、イルナスは母と父の愛情を受けて、真っ直ぐに育った。その時、上級貴族のマリンフォーゼと婚約をして順風満帆な貴族生活を送っていた。
『イルナス皇子が病気である』と噂が立ったのは、8歳の頃だった。
母のヴァナルナースも心配し、国中の魔医に診察させたが原因はわからなかった。兄のエルヴィダースの嫌がらせは、この頃からどんどん酷くなった。周囲からは嘲笑や同情の眼差しで見られるようになった。そして、更に2年後には誰もが確信した。
ああ、イルナスは異常なのだ、と。
誰もが羨むような容姿であるのは疑いない。このまま大きくなれば、誰もがため息をつくような美男子になる。帝国中の貴族の女性の羨望の的になり、容姿端麗なマリンフォーゼと美男美女のカップルとしてもてはやされるのは間違いない。
ただし、このまま大きくなればの話だ。
鏡に映ったイルナスの姿は、小さな手のひら。細く短い手足。クリクリとした瞳。そして……女性が簡単に抱き上げられるほどの、小さな身体。それは、16歳とは思えないほど異常さである。
皇子の成長が5歳のまま止まってしまっているのだった。
華やかな庭園で響く淑女の声が、一瞬にして周囲を沈黙させた。
イルナスには状況がよく整理できていなかった。招待されたお茶会の場で、上級貴族のマリンフォーゼから突然の宣告。よく、晴れた日だった。
「そう言うことだ。まあ、残念だろうが現実を受け入れろ。マリンフォーゼは、そなたにはもったいない」
隣の男がイルナスの肩をポンポンと叩く。燃えるような赤毛を持つ、頑強な肉体を持つ男。垂れ下がった細い眼光は明らかに勝ち誇ったような微笑みが垣間見える。皇位継承候補第一位――エヴィルダース皇太子は、彼女に近づき婚約の誓いの口づけを躱す。
「本日この場を持って、マリンフォーゼは我の正式な婚約者となった」
まるで、劇でも見ているようだった。悲劇ですらない、喜劇。それを証拠に、マリンフォーゼとエヴィルダースの側近は下を向きながらクスクスと笑っている。イルナスの側近たちも、彼を擁護することなく下を向く。
マリンフォーゼの頬は真っ赤に染まっていた。もはや、イルナスなどは眼中にもなく、一心にエヴィルダースを見つめている。他国から噂されるほど美しい彼女は、残酷なまでに女の表情をしていた。
イルナスは黙って庭園を後にした。
部屋に戻ると、母のヴァナルナースが笑顔で待ち構えていた。金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。『傾国の美女』とまで噂されている彼女は、皇帝陛下の側室である。
「早かったですね。久しぶりに会ったのだから、もう少し、マリンフォーゼとお話をしてくればよかったのに」
「……ははっ」
イルナスにできることは、精一杯作り笑顔を浮かべることだけだった。遅かれ早かれ、目の前の優しい母はこの事実を知ることになるだろうが、こんな自分が情けなくて、どうしても伝えられなかった。
彼女と親子のように仲がよかった母様は、どんなにガッカリされるだろう。
無論、恋愛事だ。そこには、いいも悪いも存在しない。要するに、マリンフォーゼがイルナスを捨て、皇太子であるエヴィルダースを選んだだけだ。あのお茶会は、エヴィルダースが戯れに画策したのだろうが、そんな嫌がらせにも、もう慣れている。
ただイルナスの心に、母への申し訳なさと自身の情けなさが溢れてくる。
「……少し疲れているので、もう寝ます」
なんとかそうつぶやき、母に背を向けてベッドにダイブする。泣いている顔は見られたくない。自身の涙を布に吸わせて、寝たふりをした。
やがて、母が帰るとイルナスは仰向けに寝転んだ。そして、自分の姿を鏡で見て、はぁと大きくため息をついた。
「なんで……こんな身体に生まれたのだろう」
金色の流れるような髪。透き通るような粉雪のような肌。その中性的な顔立ちは、皇帝の寵愛を受ける側室ヴァナルナースの面影を感じさせる。聡明さを感じさせる鮮やかな青の澄んだ瞳は、皇帝レイバースと瓜二つ。誰もが羨むような容姿だった。
しかし、彼の容姿は異常なほど異質だった。
ノルマンド帝国の皇子として生を受け、国中が生誕を祝った。誰もが彼を羨望の眼差しで見つめた。その明るい未来を誰もが疑わなかった。実際、イルナスは母と父の愛情を受けて、真っ直ぐに育った。その時、上級貴族のマリンフォーゼと婚約をして順風満帆な貴族生活を送っていた。
『イルナス皇子が病気である』と噂が立ったのは、8歳の頃だった。
母のヴァナルナースも心配し、国中の魔医に診察させたが原因はわからなかった。兄のエルヴィダースの嫌がらせは、この頃からどんどん酷くなった。周囲からは嘲笑や同情の眼差しで見られるようになった。そして、更に2年後には誰もが確信した。
ああ、イルナスは異常なのだ、と。
誰もが羨むような容姿であるのは疑いない。このまま大きくなれば、誰もがため息をつくような美男子になる。帝国中の貴族の女性の羨望の的になり、容姿端麗なマリンフォーゼと美男美女のカップルとしてもてはやされるのは間違いない。
ただし、このまま大きくなればの話だ。
鏡に映ったイルナスの姿は、小さな手のひら。細く短い手足。クリクリとした瞳。そして……女性が簡単に抱き上げられるほどの、小さな身体。それは、16歳とは思えないほど異常さである。
皇子の成長が5歳のまま止まってしまっているのだった。
0
あなたにおすすめの小説
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
治療院の聖者様 ~パーティーを追放されたけど、俺は治療院の仕事で忙しいので今さら戻ってこいと言われてももう遅いです~
大山 たろう
ファンタジー
「ロード、君はこのパーティーに相応しくない」
唐突に主人公:ロードはパーティーを追放された。
そして生計を立てるために、ロードは治療院で働くことになった。
「なんで無詠唱でそれだけの回復ができるの!」
「これぐらいできないと怒鳴られましたから......」
一方、ロードが追放されたパーティーは、だんだんと崩壊していくのだった。
これは、一人の少年が幸せを送り、幸せを探す話である。
※小説家になろう様でも連載しております。
2021/02/12日、完結しました。
宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです
ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」
宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。
聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。
しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。
冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。
(改定版)婚約破棄はいいですよ?ただ…貴方達に言いたいことがある方々がおられるみたいなので、それをしっかり聞いて下さいね?
水江 蓮
ファンタジー
「ここまでの悪事を働いたアリア・ウィンター公爵令嬢との婚約を破棄し、国外追放とする!!」
ここは裁判所。
今日は沢山の傍聴人が来てくださってます。
さて、罪状について私は全く関係しておりませんが折角なのでしっかり話し合いしましょう?
私はここに裁かれる為に来た訳ではないのです。
本当に裁かれるべき人達?
試してお待ちください…。
勇者パーティーを追放されました。国から莫大な契約違反金を請求されると思いますが、払えますよね?
猿喰 森繁
ファンタジー
「パーティーを抜けてほしい」
「え?なんて?」
私がパーティーメンバーにいることが国の条件のはず。
彼らは、そんなことも忘れてしまったようだ。
私が聖女であることが、どれほど重要なことか。
聖女という存在が、どれほど多くの国にとって貴重なものか。
―まぁ、賠償金を支払う羽目になっても、私には関係ないんだけど…。
前の話はテンポが悪かったので、全文書き直しました。
家の全仕事を請け負っていた私ですが「無能はいらない!」と追放されました。
水垣するめ
恋愛
主人公のミア・スコットは幼い頃から家の仕事をさせられていた。
兄と妹が優秀すぎたため、ミアは「無能」とレッテルが貼られていた。
しかし幼い頃から仕事を行ってきたミアは仕事の腕が鍛えられ、とても優秀になっていた。
それは公爵家の仕事を一人で回せるくらいに。
だが最初からミアを見下している両親や兄と妹はそれには気づかない。
そしてある日、とうとうミアを家から追い出してしまう。
自由になったミアは人生を謳歌し始める。
それと対象的に、ミアを追放したスコット家は仕事が回らなくなり没落していく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる