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第5章「あなたの遺伝子、いりません」

5.3 嘘つきがふたり

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 ガウスさんからの提案に、外の―――高くそびえる漆喰の塀の向こう側の喧噪さえも、遠くなる。 



 ガウスさんの言葉の何もかもが受け入れがたい。わたしは助けを求めるように無意識に丸窓の外を見た。 


 形の整えられた木が揺れている。 
 赤い林檎のような小さな実が、風もないのにひとりで揺れていた。 
 白い綿毛のようなごみがゆっくりと落ちるようにして宙を舞う。 


(リュ)


「お嬢さん」 



 心の中で無意識に呼ぼうとした名を、ガウスさんの呼びかけによって遮られる。


「聞いていてくれていたかい?」

 
 ガウスさんは目元の黒子に指を添えたまま、まだわたしを見下ろしていた。


「最近、特に体が辛いのだろう?それは胎の中の赤子の苦しみでもある。赤子のためにも、楽になりたければ早く決めたほうがいい」


    わたしの煮え切らない態度にいらつきを示すように、とんとんと指でリズムを刻む。



「悩むのはお嬢さんの世界の倫理観かい?
それとも、リュイに罪悪感でも感じているのかい。
そんなものは気持ちは不要だろう。まして、あのリュイだ。お嬢さんが操を立てる必要もない」


 ガウスさんは燃え尽きて灰になった鞄を足で踏み、その場にしゃがみ込んだ。 


「私かタクトか、好きなほうを選べばいい。選べないのなら、サイコロの目で決めたっていい。これは悩む時間すら勿体無い、シンプルな話だ」


 選択を促すガウスさんの、タクトと同じ桜色の瞳と見つめ合う。 
 説明は終えたとばかりに、わたしからの答えを求めるガウスさんはそれ以上何も言わなかった。桜色の瞳が愉快げに細めてられているが、形だけなのがわかる。目の奥は笑っていない。ずっと、観察されている。


 ガウスさんのことは、それしか分からない。それ以外、なにもわからない。 


「ガウスさんのことは、選べません」


    声を絞り出して答える。


「ほう。ではタクトにするのかい?」


 ガウスさんからの当然の返しに、喉がはりついたかのように声が出なくなる。タクトという残された選択肢を、口に出したくない。
 からからに渇き、胃に焼けつくような不快感もある。少ない苦い唾液を無理矢理飲み込んで、回転する視界と吐き気を我慢する。 


 まともにガウスさんの目を、顔を、この目に映すことすら辛い。


(だれも選びたくない。たすけて、―――) 



 わたしが、助けを求めて呼びたくなる名前はいつだって。 


「タクトか」


    心中で思い浮かべたものとは別の名が、ガウスさんの良い声で紡がれる。桜吹雪とともに音もなくガウスさんの背後にタクトが現れた。ガウスさんは振り向かずに気配だけで名前を呼び、それから少しだけわたしを見つめて、背後のタクトに目をやる。



「親父、トーコをいじめるのはヤメロって。
親父のせいでトーコがへそを曲げて俺の子を産んでくれなかったらどうすんだよ」


   やれやれとわざとらしく肩を落とし、タクトが座り込むわたしの肩に手を置く。


「………ほら、トーコ。辛かったな。
無理にトーコが選ぶ必要なんてねぇっしょ。
俺が勝手に、魔力をちょっと分けてやるって決めたんだからな」 


「タクト、い、嫌。まだわたしは大丈夫」


「ダウト。全然大丈夫じゃねーから。黙って俺の言うこと聞いとけ」


   口に出した拒絶は、すぐに却下された。



「タクトがそう言うのなら、まあ、かまわない。私がこれ以上突っ込むのは野暮か」

  

 ガウスさんは少し驚いた顔をするも、笑って頷き、身を引く。ガウスさんの深紅の毛玉さんが床の灰を全部食べて、どやあっと膨れる。毛玉さんに対して桜色の瞳を細めて頷くと、わたしへの興味を失くしたガウスさんは部屋から出て行った。
 

「行ったな、親父。
つか、マジでこれも先行投資みたいなもんだから。嫌とか傷つくじゃん。
ヘンに気にし過ぎるなよ、トーコ」 


 いやだ、いやだ、いやだ。 
 何度も首を左右に振るが黙殺される。 


「そういう問題じゃないんです。嫌なものは、嫌なの。だって、わたし、まだリュイのことが」


    好きなの。


 続けようとした言葉は、タクトの手がわたしの後頭部伸ばされ、ぐっと顔を引き寄せられたことで止まる。


「なあ、トウコ」


    タクトの声のトーンが落ちる。



 「俺の家の周りの連中だっているし、マグナスマグは遠い。フツーに考えてみろよ、簡単にリュイが来れるわけがないんだからさ。俺で妥協しろって」 


 最後は囁くような声音でタクトは、わたしの悪あがきを止める。 



「ふううぅんむッ…!?」



 抵抗を止めると、唇ごと食べつくすような勢いで塞がれた。呼吸も許さないとばかりに貪られる。 
 唾液をたっぷり乗せた舌に侵入され、口腔内の隅々まで嬲り、馴染ませ、浸食されていく。 


 ぞわぞわぞわ。背筋に走る悪寒が止まらない。 
 『胎児魔力欠乏症』とは別種の気持ち悪さに襲われる。 


 気持ちを裏切るように、体はふわりと羽が生えたみたいに軽くなる。こころは鉛のように重くなる。泥の中に沈み込んでいくような不快さ。 
 目の端に涙が浮かび上がり、溢れ、頬を伝っていく。止まらない。



「――――っは、んだよ。
つか、泣くほど嫌なわけ?でもざーんねん。あんたには俺しかいねえから、な?」 



 唇が離れ、わたしの泣き顔に気づいたタクトが笑う。 
 いつものようにふざけた態度だったけれど、可愛らしい桜色の瞳はどこか傷ついたように揺れている。


「泣ーくなって」


 わたしの顔に流れる涙の筋を、ローブの袖で拭き取り、ぎゅっと頭を抱き寄せる。ぽんぽんと背中を叩き、宥められるも、涙が止まらない。 


 わたしに泣く資格はない。 
 すべて自分勝手なわたしの選択の結果だった。
 タクトはいつもわたしに協力してくれていた。


「だって、だって…っ」

 
 いくらわたしが拒絶しても、タクトは傷つかない。身勝手にもどこかでそう思っていた。 


 タクトは母親と同じ日本人なら誰でもいい、ならわたしがタクトを利用したって許される。
  けれど、わたしが嫌がって泣けば慰めてくれた。こうして泣いて嫌がれば、わかり辛くも傷ついた姿を見せられて。ようやく、どこまでわたしは自分本位なのだと愕然とする。―――屋敷にいる間、リュイがわたしの世界のすべてだった。リュイ以外、どうでもよかった。わたしはリュイのこと以外ほとんどなにもわからなかった。


 リュイがすべての世界から逃げ出した時点で、そんな言い訳はもう許されない。


「ごめ、ごめんなさいっ、タクト。ごめんなさいっ」 



 壊れたCDのように何度も謝罪を繰り返す。


    わたしの涙を吸って、白いシャツが皺になり、色が濃くなってしまった。ごめんなさい、と服を汚してしまった意味で謝れば、タクトはいーよと笑った。


「は?何が?意味わかんねえな。さっぱり聞こえねえ。なんにも聞こえねえから。
……どーでもいいんだよ。あんたがどれだけ嫌がろうが、俺はあんたを今晩、抱く。 
―――まあ、どうしても嫌だっつうんなら、俺のセーヘキに付き合って」 


「ん……性癖…?」


 顔の横で物が揺れる気配がして、タクトの胸元から顔をあげる。


「目隠し…?」


 泣き腫らしたわたしの目の前に垂らされていたのは、厚手のしっとりとした黒いリボンだった。生地越しに向こう側を見ることは難しく、一切の光を通さない素材で、わたしの頭を一周しても余りある長さだった。


「そ、これが俺のセーヘキ。ドン引きした?」 


 軽薄な言動とは裏腹に、タクトはこれまでも協力的で、意外と面倒見が良かった。 


    タクトの提案する性癖とやらは、嫌がるわたしのためだと気づく。
 わざとふざけて、わたしのリュイへの罪悪感を軽くしようとしてくれている。タクトの優しさにすら気づけない愚か者にはなりたくない。


 だから、 


「ドン引きしました」 


    わざと、タクトの嘘を受け入れて。


  差し出されたリボンを受け取って。


「でもわたしも嫌いじゃないです」


    同じ嘘を吐いた。
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