あなたの遺伝子、ください

志藤みかづき

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第4章「あなたがいなくても、大丈夫です」

4.2 悪意にさらされて

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 ガウスさんに先導されておそるおそる病院の中に入る。


「どうだい?お嬢さん。悪くないだろう?」


    一番に目に飛び込んできたのは、ぷわぷわと浮いている落ち着いたクリーム色の光。室内を淡く照らすその様は、元の世界から程遠い。
 オフホワイトでまとめられた壁に、つるつるのタイルの床。ガウスさんに倣って靴を脱いで、転倒防止の靴紐のない脱ぎ履きしやすい靴のようなスリッパに履き替える。


「私が受付をしてくるよ」


    ガウスさんの好意に甘える。受付に向かうガウスさんの背中を見つめながら、正体不明の手触りの良いファーのソファに座ってふうと一息吐く。


「毛玉さん?」


    わたしの毛玉さんが怯えたようにぶるりと震える。


 わたしも慌てて周囲を見渡した。待合室で待っている人はまばらで、隙間をあけるようにしてそれぞれ座っている。雑誌を読んだり、小さくお喋りをしたり、膨れたお腹に話しかけたりしている。
 

 警戒するよりも、むしろ、幸せな光景に胸が痛む。
 本来わたしは、この場所に存在するべき人間じゃない。
 だって、わたしは、薬で、無理矢理にリュイを―――。



「お嬢さん、何か余計なことを考えているところすまないね。本人確認が必要みたいだ。一緒に来てくれるかい?」


 物思いの海に沈みかけるわたしを、ガウスさんがすくってくれる。


「あ。ご、ごめんなさい!すぐ行きます。
受付ですね。…受付?人間じゃ、ない…」



 ガウスさんに頼まれて慌てて受付に向かって、固まる。


    普段見かける毛玉さんの倍のサイズがいた。


    木製の横長の受付で、かなり大きめの毛玉さんが、書類を後ろの棚に仕分けたり、電卓のようなものを弾いていた。毛を蠕動させて作業しているかと思いきや、マジックがひとりでに動き出し、プラカードに名前を書く。それを毛玉さんが持ち上げれば、名前の持ち主である女性がソファから立ち上がり、連れの男の人と一緒に会計をしたり、指示された病室に入っていく。


「岸上トウコです」


    困惑しながらも、大きな毛玉さんに話しかける。


 ココア色のもさもさした毛に、チョコレート色の美味しそうな目をした毛玉さんは、新しい患者であるわたしに気がつくと、ぴょこぴょこと机の上で跳ねた。それからプラカードをふしぎなちからで持ち上げて、『はじめてですか?』と声をかけてくれる。紙がひとりでに一枚浮いて、わたしの目の前で止まる。問診票だった。



「癒されますね」



 感心しながら、渡された問診票に手を伸ばした。



 その時、同時に、病室の扉が開いて、一組の男女が出てきた。



 音がしたからと反射的に顔を向けたことを、わたしはすぐに、後悔した。



「うわうわうわ!珍しいこともあるもんですね!どうして、病院ここにいるんです?<素質なし>のトウコさん!」


 無邪気な調子で話しかけられ、静かな待合室に響き渡る声の大きさで、わたしの代わりに自己紹介をしてくれる少女。
 わたしと同じ日本人で、わたしより後に召喚された。最初に友だちになれると思った女の子。
 真っ直ぐな髪は明るい茶色で、焦げ茶色の大きな瞳が印象的な可愛い女の子。わたしよりも若くて、可愛くて、素敵な<素質>を持っていた。


「リカ


「リカです!ちゃん付けはしないでくださいって言いましたよね?
ほんっと、トウコさんはダメダメです」


 ぷくっと頬を膨らませて、ぷりぷり怒るリカ。そんな彼女を、隣りに寄り添った美しい男が宥める。
 名前のせいで、リカは子どもの頃から散々からかわれてきた。
 そんな彼女の<素質>は、からかわれた名前の影響か、<ひとりの人間を人形のように思い通り操る素質>だった。



「なんでここにいるんです?リュイのところに戻ったほうがよくないですか?
ここって、あたしみたいな子どものいる女が主に診てもらう病院ですよ?
女医さんがすっごい美人で、<素質>もキマってるっていうかー」



 リカはしゃべり続ける。
 彼女が話す言葉に、悪気はほとんどないのだろう。
 ただ理解できないのだ。
 女のわたしから見ても可愛らしくて、<素質>もあって恵まれていて。
 日本でも、こちらでも愛される彼女には、
 


「―――リカ。家に帰ろう」



 リカの言葉を聞いて、今すぐこの場から消えてしまいたいだなんて思い始めた頃。


 彼女の隣りに黙ってたっていた男が、ただ一言呟いた。


 それだけで、リカが嘘のようにぴたりと静かになった。



 リカもまた、召喚された女性のほとんど誰しもが通る道であるリュイに一目惚れを経験している。
 <素質>を自覚したリカはもちろんその<素質>の対象としてリュイを選び、当然のように跳ね返された。
 逆にリュイの<素質>で骨抜きにされ、言われるがままに、その場で女性を物色しに訪れていた隣の夫を操るように仕向けられ、早々に孕まされて屋敷を退場した経緯がある。

 リュイがわたしに目をかけるのが気に入らなかったリカは、リュイに<素質>を使う前から他の女性を使ってわたしに色々してくれたし、もちろんわたしも望まないことを色々させられた。
 すぐにリュイが気づいて、彼女を隔離してくれなければどうなっていたことか。


 その隔離した密室でリュイに<素質>を使って返り討ちに遭い、今隣で落ち着いたトーンでリカに話しかけている男性にそのままお持ち帰りされているわけだが。



「逆らわないよね?リカ」


 それが、リカに言い聞かせるように囁く男だった。

 <抱いた女を従わせる素質>。

 それなんてエロゲ。

 リュイの目の前で犯されたらしいリカは、腰を抱く美しい男に卵子すらも排卵させられて受精させられたとかなんとか。


「ハイ。カエリマス、アナタ」


 男の緑青色の瞳が煌めいて、リカの瞳が虚ろになる。
 カタコトのような言葉で返事を返し、大人しくなる。
 男にもたれかかり、口を閉じたリカは、お人形さんのように愛らしい。



「うちのリカが迷惑をかけた。でも、きみの存在も迷惑。リカがおれ以外に目を向けるなんて許せない。
リカのからだが心配だからここには結構通ってきてるんだ。……なあ、おれの言いたいこと、わかる?」



 サイコパスですか、この男は。
 わたしは顔が強張るのがわかった。
 隣のガウスさんの心臓は鋼で出来ているらしく、おやおやと目を丸くしている。


「リカさん以外にも、屋敷でわたしと面識のある女性に会ったら嫌だなとは思ってました。
……ごめんなさい、ガウスさん。わたし、やっぱり、みんながいるような病院には来たくないです。
この子が無事に生まれてきてくれるなら、わたしは別に…。あ、なるべく動きますし、バランスの良い食事だって摂ります。死ぬつもりはありません!」



 今すぐ危害が加えられることはないだろう。リカの男の<素質>で、すぐにわたしをどうこう出来るとは思っていない。

 そもそも、わたしなんて抱きたいとも思っていないだろう。

 ただ<素質>抜きにして、この美しい男はヤバいのだ。どんよりとした魔力の靄が、男を覆っている。
 わたしの返答次第で、魔法にもならない魔力だが、ドロドロとした怨念のような魔力でナニカをしてくるのは本能でわかる。



「お嬢さんの意思を尊重するので構わないが。いいのかい?
私の、アインヘルツの力を使えば、逆にこのふたりを街から追い出すことも可能だが?」



 ガウスさんが桜色の瞳を細め、男を煽る。
 男の青緑色の瞳の眼光が鋭くなり、リカのからだがカタカタと震え始める。男から漏れ出る魔力が濃密になり、病室の床をドロドロと流れるようにして広がる。この場にいる関係の無い人たちが、息を呑む。


「後から来たのはわたしのほうですから!大丈夫です!行きましょう、ガウスさん。受付の毛玉さんもごめんなさい、これ、わたしには必要ありません。お騒がせしました!」


「ハハ、お嬢さん。そんなに引っ張られると服が伸びてしまうよ」


 ぺこりと頭を毛玉さんと怯えさせた人たちに下げて。
 なるべく男とリカを見ないようにして、ガウスさんの軍服を引っ張って逃げるように病院から出た。
 ガウスさんは危機的状況に気がついていないのか、愉しんでいるのか(間違いなく後者)、呑気に笑っている。



 そうして病院の門を出ると、どこかにジープを預けてきたらしいタクトが、無駄に桜の花びらを散らせながら歩いてきていた。


「あり?なんでもう外にでてるわけ?んな診察が早く終わるわけねえよな?」


 可愛い顔をして、タクトが首を傾げる。


 ガウスさんの服の袖から手を離し、大きく深呼吸をする。ああ、新鮮な空気がおいしい。 


「病院で、ちょっと。やっぱり、あんまりわたし人に会いたくない。というか、会わないほうがよさそう」


 リカたちに絡まれて面倒だったのもあるけれど。
 <素質なし>と言われた瞬間、それまでわたしたちに無関心だった男女の空気も明らかに変わっていた。


「ふうん?なーんか大体予想つくわ。あんた、つまんない屋敷で喜んで引きこもっているような女だったもんな!」


「………」


 タクトに明るく断言されるも、何も言い返せない。


「ま、医者はここの女医だけじゃねえし?診察の腕は落ちるかもだけど、あんたにも馴染みのある医者でも紹介してやるよ」


を紹介するのかい?タクト」


「ああ。あいつなら俺らの家に直接来てくれるだろうし、引きこもりのトウコでも問題ないっしょ」


「いいんじゃないか。私も許可しよう。カノジョはだいぶ風変わりだからね、お嬢さんも心配しなくていいと思うよ」


「今度はやらかさないよう気をつけます。……あとタクト、好きで引きこもりたいわけじゃないです」


「引きこもりはみんなそういうらしいけど?んじゃさっき預けたばっかだけど、車取ってくるわ。
トウコはここで親父と待ってろよ!すぐ取ってくるから!」


 ローブをはためかせながら、タクトがさっと走り出す。
 桜の花びらの跡を踏みながら、辿るようにして、あっという間に背中が見えなくなる。
 あの桜の花びらはヘンゼルとグレーテルの小石みたいなものだったらしい。


「ガウスさん、わたし、この世界に馴染みのある医者なんていないんですが」


 ふと気がついて、病院の外壁に背中を預けているガウスさんに質問する。


「直接は会ったことないだろうね。カノジョは一度会えばなかなか忘れがたい存在だ。
だが、お嬢さんはしっかりカノジョのお世話になっている。会ってみればわかるさ」


 部分的に長い真っ赤な前髪をかきあげて、ガウスさんはにいっと口角をつり上げた。
 そして、甘く蕩けるような桜色の垂れ下がった瞳が、わたしの顔から段々と視線を下げ、わたしのお腹のあたりで止まるのだった。
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