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第3章「嘘でも、真実だと信じさせていて欲しかった」
3.2 雨の中魅入られて
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会うのを承諾するとトントン拍子で日程が決まり。
遂に面会日がやって来た。
通例では男性が屋敷に通う決まりのところだが、「同級生に見られるのはちょっと」という文章が送られてきて、リュイも許可してくれたので、屋敷の外で会うことになった。
小さな蝶が心臓の上に刺繍されたアオザイのような服を着て、赤い髪紐でポニーテールにした。肩から下げた革鞄にはハンカチとリュイから渡された少しのお金を入れてある。一緒にわたしの周りをふわふわ漂っていた毛玉さん―――使い魔のようなもの、簡単な雑用をしてくれる―――を掴んで、鞄に収納する。<素質>も魔法も使えないわたしに、便利な毛玉さんは手放せない。私の容姿に合わせたのか真っ黒な毛並みに、白いごま粒のような目を持った毛玉さん。金具をつけて鞄に下げれたなら、元の世界のボンボンのキーホルダーみたいになるような見た目をしていて、可愛くて大変癒される。
自室の鏡台の前で、紐からはみ出た髪を整えていく。
必死で髪と格闘していると、わたしの背後にぼんやりとした様子でリュイが立っているのに気がついた。
「び……っくりしました。急に立たないでください」
わたしが髪を良い感じにしていくのを見ながら、背後でリュイは僅かに難色を示す。
「ノックならしたよ?トウコが集中しすぎて気づかなかっただけで。ぼくが許可しておいてあれだけど……そっか……ぼくの目の届かない所で会われるのか」
自然な手つきで結んだ髪の毛先に触れ、なんとはなしにいじられる。リュイに触れられると髪の先まで神経が通っているような感覚になる。ゾクゾクしたものが触れられた毛先から背筋に走るようで、わたしは頭を軽く動かしてリュイの手から逃れる。
期待しちゃダメ。
リュイの行動に深い意味なんてない。一年もほとんど一緒に過ごせば、<素質>とは関係なしに、リュイが人タラシというか女性に誤解させる性質であることは気づく。
「リュイが会えって言ったのに、おかしなこと言うんですね。……あ、リュイの毛玉さんが」
「まあそうなんだけど。
ああ、時間みたいだ。
―――もうそんなに手を加えなくたって、トウコは十分可愛いよ。楽しんでおいで」
リュイの肩に乗った白い毛に赤い豆粒の目をした毛玉さんが激しく主張するように転がり始める。
外で会うために、屋敷の近くにレイシ・マックスウェルが迎えに来てくれたのだろう。リュイの毛玉さんは屋敷全体を感知することができる。
「ありがとうございます。それじゃいってきます」
鏡台の前から立ち上がり、くるりと振り返ってリュイに手を振る。
「うん、いってらっしゃい」
リュイは眩しげに目を細めて同じように振り返してくれて。
今日の面会が、リュイとのデートだったら楽しかっただろうなとつい無い物ねだりしてしまう。
屋敷から出て、門のところまで行くと背の高い男の人がもたれかかるようにして待っていた。
こちらに背を向けているので顔は分からない。声をかけようと口を開きかけると、唇に水滴が落ちてきた。
「あ」
ぽつ。
ぽつぽつ、ぽつ。
空があっという間に暗黒に染まり。
小雨が降り始めた。
過去に会った天気予報士が見たくないので、天気予報はチェックしていない。毛玉さんがぶるぶるとからだを震わせて、傘を持っていないわたしのために体積を広げようとしてくれる。毛玉さんを鞄から取り外して傘代わりにし、屋敷に戻ってリュイから傘を借りようと思っていると、影が差す。
「あ。……あ、あの雨で。わたし予報確認してなくて。すぐに傘取りに戻りますから」
顔をあげれば、男物の大きい紺色の傘の中にいた。ぼつぼつぼつと傘を打つ雨音が大きくなる。本格的に雨が降り始め、地面があっという間に色濃く染まる。
「慌てなくていい。はじめまして、トウコさん。俺の名はレイシ・マックスウェル。あなたに興味があって、一度会って話してみたかった」
初対面の人にいきなり失態を見せてしまった。慌てて言いつのれば、男の人は―――レイシさんは優しげな笑みを浮かべて、ゆっくりと左右に首を振る。
「俺がこんな日を面会日に指定しまったのもいけなかった。あなたが良ければ、このまま街まで行きませんか」
レイシさんの目が覚めるように鮮やかな緑の瞳とぶつかる。
枯葉色の髪を後ろでゆるくひとつに纏め、フレームレスのレンズの向こう側の新緑の切れ長の瞳は穏やかに細められていて。茶色の生地に金糸で刺繍されたローブの下は、黒いズボンと、かちっとしたシャツを着ていて首のところまでしっかりボタンを留めている。知的な雰囲気と相まって、きっちりした人なんだなという印象を受ける。
レイシさんの持つ傘は、二人分の人間が入ってもまだ少し余裕があった。濡れてないか心配でレイシさんの肩を見たが、レイシさんのローブの色が変わったようには見られない。くっつきすぎず、かといって離れすぎず。ぎりぎり肩が触れない距離で、ほのかにレイシさんの体温を感じる距離。
(リュイ以外の男の人のそばにいる)
意識してしまうと、顔に熱が集まってくるのがわかった。―――リュイ以外にここまで優しく扱われたのは初めてだった。
「わたしは嫌じゃ、ないです。でも、レイシさんも嫌じゃなければですけど」
「俺が誘ってるのに嫌なわけない。じゃあ行こうか。色々観て回りたかったけど、あいにくの天気だしカフェでお茶でもしよう」
消え入りそうな声で付け足した言葉を喉で笑われる。傘を差したまま、レイシさんが先を促すように僅かに歩き出す。レイシさんの言葉に安堵し、わたしも足を一歩前に踏み出した。
雨音で声がかき消されないように、普段より声を大きく出すように意識しながら街に着くまでふたりでお喋りを楽しんだ。
屋敷から一番近い街の入口に来ると、石の門の隣に革と金属の鎧を身につけた門番が二人立っていた。金髪の双子で、<一度見た顔は絶対に忘れない素質>と<あらゆる格闘技に精通しやすい素質>を持っている。先にレイシさんの顔を見た門番が問題ないというように頷き、槍を持った門番が構えを解いて門の脇に寄る。そして彼らの視線がレイシさんからわたしのほうに移ると、揃って真っ赤になった。口をぱくぱくさせてわたしの胸元を指さす。
「な、なんで…っ!!」
指の先を辿れば、わたしの胸で、傘で防ぎきれなかった雨のせいでアオザイの下から下着の色がはっきり浮かんでいた。分厚い生地だからと黒色を身につけていたのもよくない。はっきり浮かんだ色と形に、わたしも門番と同じように真っ赤になる。
「ぬ、濡れていると、だっ!か、風邪を引いてしまうな!いささか濡れることに適していないみたいだし、嫌じゃなければ俺の上着でも羽織ってくれないか。におったりはしないよ、な?」
洗濯はかかしてないつもりだと言いながら、傘をわたしに渡して、レイシさんはローブを脱ぎ始めた。
留め具を外し、傘からはみ出さないように丁寧に腕を外して、「ごめん」と耳元で謝罪され、抱き寄せるようにして茶色のローブを肩にかけられた。
「嫌じゃないです。それに良い匂いがしますね」
「そうだろうか?それならよかった」
わたしの言葉に、レイシさんがレンズの向こうの瞳を細める。
肩にかけただけのローブの留め具を手に取り、前を閉めてくれる。それからボタンをいくつか留められる。その際、胸のあたりでレイシさんの手つきが少しまごつく。<素質なし>のわたしでも女として見られるんだなって自虐的なことを考えしまう。
「………何か変なこと考えていたか?」
背の高いレイシさんが屈んでボタンを留め終える。上目遣いで問われ、内心ドキリとする。
レイシさんの<素質>が何か聞いていない。こころにはたらくもの、だろうか。
「考えてませんよ。強いていうなら、ボタン留めるの慣れてるなって」
「ああ、昔、からだの弱った母の面倒を看ていたから…っと、すまない。こんな暗い話をしたいわけではない。あたたかい格好にもなったし、カフェに行くか」
「お母さんですか。ううん、はい。カフェ行きます」
お母さんの話に興味を引かれるも、レイシさんの新緑の瞳が陰ったのを見て、続ける言葉を飲み込んだ。初対面で深く突っ込んでいい話ではなさそうだ。振り切るように首を振って、レイシさんの提案に頷く。
背筋を伸ばしたレイシさんに傘を渡して、石の門をくぐって街に入り、レイシさんのおすすめのカフェに向かった。
結論だけいうと、レイシさんとのデートは楽しかった。
パステル調のメルヘンなカフェ。
季節のケーキを食べて、今まで一番美味しいミルクティーを飲んで。
男の人がひとりで来てケーキを頬張っていたり、男女でわたしたちと同じようにお茶をしている人がいたりする店内で、休みの日は何をして過ごすとか、好きな食べ物とかを話したりして。軍人だというレイシさんの仕事の面白い話をおもしろおかしく聞きながら、時間はあっという間に過ぎた。
窓から見える雨がだいぶおさまってくるのを見て、まだ時間はあるからと、短い観劇を観に行こうということになった。
劇場に着くと、少しだけ濡れてしまったわたしを魔法の微風で乾かしてくれた。レイシさんは<素質>とは関係なく、魔法で風を少しだけ操れるらしい。
今流行りだという観劇はアクションもので、知的な雰囲気とは真逆に、子どものように目を輝かせて夢中になっているレイシさんの姿にぐっときた。わたしよりも観劇に熱中してごめんと謝られたときには、この人はなんてことを素で言うのかと全力で首を横に振った。観劇の入口に貼り出されたラインナップを見て、アクションものがほとんどなのは驚いた。女性が圧倒的に少ないこちらでは、恋愛もの自体が稀らしい。あっても女性役は当然男。こちらの男性が、多くの目に自分の女を晒すことはない。わたしとしても、アクションもののほうが楽しく見れるから問題ない。
それからぶらぶらお店を店回って。
その後はレイシさん行きつけのご飯屋さんに行った。
裏町に近い位置にあるそこはおいしかったけど、女がひとりで来るには物騒らしい。仕事の関係で見つけたそうだ。
「レイシさんも素質を仕事で活かされてるんですか?」
「活かせる仕事だったから使っているって感じだな」
運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながらふと疑問に思ったことを聞けば、レイシさんはあっさり肯定してくれた。でも詳細までは話せないのか、あとは他愛もないおしゃべりをして終わった。
それだけのことがとても楽しかった。
わたしのことをいろいろ聞いてくれて、つかの間、リュイのこと忘れられた。
陽もすっかり落ちて、別れの時間。
人工の明かりはほとんどなく、月と星だけで明るく照らされた夜空の下を、傘がなくてもわたしたちは近い距離で並んで歩いていた。
「まだ出会ったばかりだが、あなたが――あいつより俺を好きになってくれると俺は嬉しいと思うだろうな」
屋敷で不意に立ち止まったレイシさんが、そう言って切なそうに目を細める。
「あいつって」
「薄々そうなんじゃないかとは思ってたんだ。一緒に街を散策して確信した。
それに、あいつに似たような中性的な男を目で追われれば、誰だってわかるさ」
遠回しに言い当てられ、背筋が凍る。わたしよりも随分と背の高いレイシさんが、目を細めて遠くを見ている。屋敷のほうへ。
「トウコさん。【あなたはあいつを好きだと錯覚している。あなたは俺のほうが気になっている】だろう?」
鮮やかな緑の瞳が微かに陰り、燐光を放つ。
頭に浮かんだリュイの顔が黒く塗りつぶされるような感覚を覚える。怖くなって、出かける前にリュイが触れてくれた髪の位置を触ろうとするも、強い力でレイシさんに掴まれる。ぐっと身体を引き寄せられ、目を逸らすなと言わんばかりの目力で、互いに何も言わずに見つめ合う。ガンガンと頭痛がして、吐き気もする。レイシさんから逃げなければ。そう思うのに身体の力がどんどん抜けて、レイシさんに身体を預けるようにもたれれかってしまう。
レイシさんの腕の中で不安な気持ちが収まってくると、見透かしたようにレイシさんがわたしを離した。
「今日は楽しかった。―――また近いうちに誘う」
レイシさんがキラキラと輝いて見える。
男らしい低い声を聞くと、痺れるような心地になる。まともに見てられなくて、下を向いたままでわたしもとか細い声で返した。
そして、レイシさんの姿が見えなくなるまで、いつまでもその場で立ち尽くしていた。
なかなか屋敷の中に戻ってこないわたしを心配して、リュイが出てきて何度も声をかけられても、わたしはその場から動けなかった。
遂に面会日がやって来た。
通例では男性が屋敷に通う決まりのところだが、「同級生に見られるのはちょっと」という文章が送られてきて、リュイも許可してくれたので、屋敷の外で会うことになった。
小さな蝶が心臓の上に刺繍されたアオザイのような服を着て、赤い髪紐でポニーテールにした。肩から下げた革鞄にはハンカチとリュイから渡された少しのお金を入れてある。一緒にわたしの周りをふわふわ漂っていた毛玉さん―――使い魔のようなもの、簡単な雑用をしてくれる―――を掴んで、鞄に収納する。<素質>も魔法も使えないわたしに、便利な毛玉さんは手放せない。私の容姿に合わせたのか真っ黒な毛並みに、白いごま粒のような目を持った毛玉さん。金具をつけて鞄に下げれたなら、元の世界のボンボンのキーホルダーみたいになるような見た目をしていて、可愛くて大変癒される。
自室の鏡台の前で、紐からはみ出た髪を整えていく。
必死で髪と格闘していると、わたしの背後にぼんやりとした様子でリュイが立っているのに気がついた。
「び……っくりしました。急に立たないでください」
わたしが髪を良い感じにしていくのを見ながら、背後でリュイは僅かに難色を示す。
「ノックならしたよ?トウコが集中しすぎて気づかなかっただけで。ぼくが許可しておいてあれだけど……そっか……ぼくの目の届かない所で会われるのか」
自然な手つきで結んだ髪の毛先に触れ、なんとはなしにいじられる。リュイに触れられると髪の先まで神経が通っているような感覚になる。ゾクゾクしたものが触れられた毛先から背筋に走るようで、わたしは頭を軽く動かしてリュイの手から逃れる。
期待しちゃダメ。
リュイの行動に深い意味なんてない。一年もほとんど一緒に過ごせば、<素質>とは関係なしに、リュイが人タラシというか女性に誤解させる性質であることは気づく。
「リュイが会えって言ったのに、おかしなこと言うんですね。……あ、リュイの毛玉さんが」
「まあそうなんだけど。
ああ、時間みたいだ。
―――もうそんなに手を加えなくたって、トウコは十分可愛いよ。楽しんでおいで」
リュイの肩に乗った白い毛に赤い豆粒の目をした毛玉さんが激しく主張するように転がり始める。
外で会うために、屋敷の近くにレイシ・マックスウェルが迎えに来てくれたのだろう。リュイの毛玉さんは屋敷全体を感知することができる。
「ありがとうございます。それじゃいってきます」
鏡台の前から立ち上がり、くるりと振り返ってリュイに手を振る。
「うん、いってらっしゃい」
リュイは眩しげに目を細めて同じように振り返してくれて。
今日の面会が、リュイとのデートだったら楽しかっただろうなとつい無い物ねだりしてしまう。
屋敷から出て、門のところまで行くと背の高い男の人がもたれかかるようにして待っていた。
こちらに背を向けているので顔は分からない。声をかけようと口を開きかけると、唇に水滴が落ちてきた。
「あ」
ぽつ。
ぽつぽつ、ぽつ。
空があっという間に暗黒に染まり。
小雨が降り始めた。
過去に会った天気予報士が見たくないので、天気予報はチェックしていない。毛玉さんがぶるぶるとからだを震わせて、傘を持っていないわたしのために体積を広げようとしてくれる。毛玉さんを鞄から取り外して傘代わりにし、屋敷に戻ってリュイから傘を借りようと思っていると、影が差す。
「あ。……あ、あの雨で。わたし予報確認してなくて。すぐに傘取りに戻りますから」
顔をあげれば、男物の大きい紺色の傘の中にいた。ぼつぼつぼつと傘を打つ雨音が大きくなる。本格的に雨が降り始め、地面があっという間に色濃く染まる。
「慌てなくていい。はじめまして、トウコさん。俺の名はレイシ・マックスウェル。あなたに興味があって、一度会って話してみたかった」
初対面の人にいきなり失態を見せてしまった。慌てて言いつのれば、男の人は―――レイシさんは優しげな笑みを浮かべて、ゆっくりと左右に首を振る。
「俺がこんな日を面会日に指定しまったのもいけなかった。あなたが良ければ、このまま街まで行きませんか」
レイシさんの目が覚めるように鮮やかな緑の瞳とぶつかる。
枯葉色の髪を後ろでゆるくひとつに纏め、フレームレスのレンズの向こう側の新緑の切れ長の瞳は穏やかに細められていて。茶色の生地に金糸で刺繍されたローブの下は、黒いズボンと、かちっとしたシャツを着ていて首のところまでしっかりボタンを留めている。知的な雰囲気と相まって、きっちりした人なんだなという印象を受ける。
レイシさんの持つ傘は、二人分の人間が入ってもまだ少し余裕があった。濡れてないか心配でレイシさんの肩を見たが、レイシさんのローブの色が変わったようには見られない。くっつきすぎず、かといって離れすぎず。ぎりぎり肩が触れない距離で、ほのかにレイシさんの体温を感じる距離。
(リュイ以外の男の人のそばにいる)
意識してしまうと、顔に熱が集まってくるのがわかった。―――リュイ以外にここまで優しく扱われたのは初めてだった。
「わたしは嫌じゃ、ないです。でも、レイシさんも嫌じゃなければですけど」
「俺が誘ってるのに嫌なわけない。じゃあ行こうか。色々観て回りたかったけど、あいにくの天気だしカフェでお茶でもしよう」
消え入りそうな声で付け足した言葉を喉で笑われる。傘を差したまま、レイシさんが先を促すように僅かに歩き出す。レイシさんの言葉に安堵し、わたしも足を一歩前に踏み出した。
雨音で声がかき消されないように、普段より声を大きく出すように意識しながら街に着くまでふたりでお喋りを楽しんだ。
屋敷から一番近い街の入口に来ると、石の門の隣に革と金属の鎧を身につけた門番が二人立っていた。金髪の双子で、<一度見た顔は絶対に忘れない素質>と<あらゆる格闘技に精通しやすい素質>を持っている。先にレイシさんの顔を見た門番が問題ないというように頷き、槍を持った門番が構えを解いて門の脇に寄る。そして彼らの視線がレイシさんからわたしのほうに移ると、揃って真っ赤になった。口をぱくぱくさせてわたしの胸元を指さす。
「な、なんで…っ!!」
指の先を辿れば、わたしの胸で、傘で防ぎきれなかった雨のせいでアオザイの下から下着の色がはっきり浮かんでいた。分厚い生地だからと黒色を身につけていたのもよくない。はっきり浮かんだ色と形に、わたしも門番と同じように真っ赤になる。
「ぬ、濡れていると、だっ!か、風邪を引いてしまうな!いささか濡れることに適していないみたいだし、嫌じゃなければ俺の上着でも羽織ってくれないか。におったりはしないよ、な?」
洗濯はかかしてないつもりだと言いながら、傘をわたしに渡して、レイシさんはローブを脱ぎ始めた。
留め具を外し、傘からはみ出さないように丁寧に腕を外して、「ごめん」と耳元で謝罪され、抱き寄せるようにして茶色のローブを肩にかけられた。
「嫌じゃないです。それに良い匂いがしますね」
「そうだろうか?それならよかった」
わたしの言葉に、レイシさんがレンズの向こうの瞳を細める。
肩にかけただけのローブの留め具を手に取り、前を閉めてくれる。それからボタンをいくつか留められる。その際、胸のあたりでレイシさんの手つきが少しまごつく。<素質なし>のわたしでも女として見られるんだなって自虐的なことを考えしまう。
「………何か変なこと考えていたか?」
背の高いレイシさんが屈んでボタンを留め終える。上目遣いで問われ、内心ドキリとする。
レイシさんの<素質>が何か聞いていない。こころにはたらくもの、だろうか。
「考えてませんよ。強いていうなら、ボタン留めるの慣れてるなって」
「ああ、昔、からだの弱った母の面倒を看ていたから…っと、すまない。こんな暗い話をしたいわけではない。あたたかい格好にもなったし、カフェに行くか」
「お母さんですか。ううん、はい。カフェ行きます」
お母さんの話に興味を引かれるも、レイシさんの新緑の瞳が陰ったのを見て、続ける言葉を飲み込んだ。初対面で深く突っ込んでいい話ではなさそうだ。振り切るように首を振って、レイシさんの提案に頷く。
背筋を伸ばしたレイシさんに傘を渡して、石の門をくぐって街に入り、レイシさんのおすすめのカフェに向かった。
結論だけいうと、レイシさんとのデートは楽しかった。
パステル調のメルヘンなカフェ。
季節のケーキを食べて、今まで一番美味しいミルクティーを飲んで。
男の人がひとりで来てケーキを頬張っていたり、男女でわたしたちと同じようにお茶をしている人がいたりする店内で、休みの日は何をして過ごすとか、好きな食べ物とかを話したりして。軍人だというレイシさんの仕事の面白い話をおもしろおかしく聞きながら、時間はあっという間に過ぎた。
窓から見える雨がだいぶおさまってくるのを見て、まだ時間はあるからと、短い観劇を観に行こうということになった。
劇場に着くと、少しだけ濡れてしまったわたしを魔法の微風で乾かしてくれた。レイシさんは<素質>とは関係なく、魔法で風を少しだけ操れるらしい。
今流行りだという観劇はアクションもので、知的な雰囲気とは真逆に、子どものように目を輝かせて夢中になっているレイシさんの姿にぐっときた。わたしよりも観劇に熱中してごめんと謝られたときには、この人はなんてことを素で言うのかと全力で首を横に振った。観劇の入口に貼り出されたラインナップを見て、アクションものがほとんどなのは驚いた。女性が圧倒的に少ないこちらでは、恋愛もの自体が稀らしい。あっても女性役は当然男。こちらの男性が、多くの目に自分の女を晒すことはない。わたしとしても、アクションもののほうが楽しく見れるから問題ない。
それからぶらぶらお店を店回って。
その後はレイシさん行きつけのご飯屋さんに行った。
裏町に近い位置にあるそこはおいしかったけど、女がひとりで来るには物騒らしい。仕事の関係で見つけたそうだ。
「レイシさんも素質を仕事で活かされてるんですか?」
「活かせる仕事だったから使っているって感じだな」
運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながらふと疑問に思ったことを聞けば、レイシさんはあっさり肯定してくれた。でも詳細までは話せないのか、あとは他愛もないおしゃべりをして終わった。
それだけのことがとても楽しかった。
わたしのことをいろいろ聞いてくれて、つかの間、リュイのこと忘れられた。
陽もすっかり落ちて、別れの時間。
人工の明かりはほとんどなく、月と星だけで明るく照らされた夜空の下を、傘がなくてもわたしたちは近い距離で並んで歩いていた。
「まだ出会ったばかりだが、あなたが――あいつより俺を好きになってくれると俺は嬉しいと思うだろうな」
屋敷で不意に立ち止まったレイシさんが、そう言って切なそうに目を細める。
「あいつって」
「薄々そうなんじゃないかとは思ってたんだ。一緒に街を散策して確信した。
それに、あいつに似たような中性的な男を目で追われれば、誰だってわかるさ」
遠回しに言い当てられ、背筋が凍る。わたしよりも随分と背の高いレイシさんが、目を細めて遠くを見ている。屋敷のほうへ。
「トウコさん。【あなたはあいつを好きだと錯覚している。あなたは俺のほうが気になっている】だろう?」
鮮やかな緑の瞳が微かに陰り、燐光を放つ。
頭に浮かんだリュイの顔が黒く塗りつぶされるような感覚を覚える。怖くなって、出かける前にリュイが触れてくれた髪の位置を触ろうとするも、強い力でレイシさんに掴まれる。ぐっと身体を引き寄せられ、目を逸らすなと言わんばかりの目力で、互いに何も言わずに見つめ合う。ガンガンと頭痛がして、吐き気もする。レイシさんから逃げなければ。そう思うのに身体の力がどんどん抜けて、レイシさんに身体を預けるようにもたれれかってしまう。
レイシさんの腕の中で不安な気持ちが収まってくると、見透かしたようにレイシさんがわたしを離した。
「今日は楽しかった。―――また近いうちに誘う」
レイシさんがキラキラと輝いて見える。
男らしい低い声を聞くと、痺れるような心地になる。まともに見てられなくて、下を向いたままでわたしもとか細い声で返した。
そして、レイシさんの姿が見えなくなるまで、いつまでもその場で立ち尽くしていた。
なかなか屋敷の中に戻ってこないわたしを心配して、リュイが出てきて何度も声をかけられても、わたしはその場から動けなかった。
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