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SS42話ー『アイズの思い出』
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ミンミンと蝉の鳴き声が聞こえている。
それはまだアイズ・クルシュト・レインテーゼが、弱冠5歳児であった子どもの頃、囚われの渓谷と呼ばれる森林地帯で迷子になった時の話。
そしてーー初めてアイズが、あの少年と出会った頃の思い出話になる。
「それにしても困りましたね……」
鬱蒼と生い茂る富士の樹海さながらの大森林の奥地、アイズは右も左も分からぬまま立ち尽くしていた。
湖の畔のせせらぎに釣られて、川沿いを歩いて数時間。
いくら歩いても帰り道の方角まで辿り着かない。
幼少の頃から天才と持て囃されて来たアイズ・クルシュト・レインテーゼが、まさか森で迷子になったと聞けば、誰もがヴィルヘルム帝国で驚愕の色を示すことだろう。
とは言え、
「泣き言は一切なしです」
道に迷ったのは、自分の責任だし、何より天才と呼ばれている自分が、道に迷った程度の困難で弱音を吐き捨てる訳にもいかないだろう。
齢5歳にしてアイズは、着実に大人としての階段を登りつつある。
「この森の中で迷ったのは、主に自分の力不足が原因ですからね」
そのことを他責するのは簡単だ。
けど、それではいつまで経っても自分の身にはならないように思える。
きっと自分自身の行動の責任は、いつだって自分自身にあるだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、河原のすぐ近くを繰り返し歩いた。
一通り歩いていた時、何処からともなくその軽やかな音が鳴り響く。
パンッ、と言う空気を叩くような音、それは拳を何かに打ち付けた時と同じような音だ。
その音色に釣られて、アイズは音を頼りに森の中を散策する。
「一体、何でしょうか?」
こんなところで、誰かが修行でもしているのだろうか?
そう思いながらアイズが歩くと、河原に佇む一人の少年の姿が見受けられた。
年の功は、およそ10歳ぐらい。
アイズよりも身体の大きい、中学生ぐらいの少年だ。
不思議に思ったアイズは、少年の隣に近寄ってみる。
「あの……何でこんなところで、正拳突きの練習なんてしてるんです?」
「うん? 何でって、魚が食べたいからだけど?」
弱冠5歳にして天才として称されているアイズには、その少年が何故そんなことを理解しているのか、まるで理解できなかった。
「魚が食べたいなら、釣れば良くないですか?
まさか正拳突きをして、この河原ごと割って釣ろうとでも?」
そんなの不可能に決まっている。
けれどアイズは、その不思議な少年を面白いと思えた。
小さく体操座りをして、ちょこんと座ったアイズは、背中に身に着けていた魔剣を手に取る。
お腹も空いたし、釣りをして魚を取れれば、道に迷おうが少なくとも生きてはいける。
(私のこの魔剣で振り払っても、この河原は割れないでしょうね)
全体的な横幅のサイズ感が広すぎるし、何よりこの河原は激流だ。
剣でも割れない河原の濁流が、たかが拳なんかで割れる訳がない。
(ハッキリ言って時間の無駄ですね)
ジト目で少年を睨めつけたアイズは、手にした魔剣に釣り糸を括り付ける。
その辺の虫を拾えば、餌はいくらでも用意できる。
そうして迷子の暇つぶしがてら、釣りでもして魚を食べてやり過ごすことを考えたアイズは、呆然と少年が修行している姿を横目で眺めていた。
「君のその剣なら、この河原を割ることは出来そうかい?」
横から問われた少年の言葉に、アイズは黙って首を振る。
「逆にあなたの拳で、この河原を割ることが可能だとでも?」
「ーーいいや。今は出来ない」
「じゃあ、どう考えても時間の無駄ですね。
今できないのにいくら時間をかけたところで、人は急に強くなったりなんかしないですから」
結局、努力なんて言う物は、ただの幻想に過ぎない。
それは天才であるアイズが、一番よく知っている。
生まれ持った才能には、端から勝てない。
例えば、語学なんかも当にその例だ。
いくら勉強して外国語を話せるようになったところで、どの道ネイティブの者には敵わないのが現実。
それ程までに、持って産まれて身に付けた才能と言う物は、恐ろしく。
努力なんて物は、才能を支える為に必要な、ほんの供え物に過ぎない。
今ある現状で勝負して勝てないようなヤツが、いくら時間をかけて場所を変えようとも、強くはなれないのと同じように……。
「君は、そう言ってやる前から諦めるのか?」
「諦めることも時には肝心だと教わりました。子どもの内に出来ないことを努力したところで無駄だと分かっているので、成長して大人になってからやれば良い」
「確かに君の言っていることにも一理あるな。
だけど俺は、今、大きな魚が食べたいんだよ」
「たかが拳一つでは、小さな魚も釣れないのが関の山です。
それこそ……私みたいに剣でもなければ」
「かも知れないね」
そう言って自嘲気味に笑みをこぼした少年の姿は、まるでバカの一つ覚えみたいで面白かった。
(そんなことで大きい魚が食べられるなら、誰も苦労はしないと言うのに)
結局、大きい魚が食べたいなら、小さな魚をコツコツと釣って地道に努力するしかない。
そんなことも分からないようなバカでは、一生かけたって大きな魚は食べられない。
(第一、釣りをしていたって、大きな魚ほど知恵が回りますからね。
この近辺で釣れる魚なんて、餌に釣られて寄って来る程度の、バカ小魚ぐらいなもんです)
そう述懐して釣り上げた小魚の数々は、落ちていた木の枝を魔法で燃やして、焚き火にしてから焼き魚として食す。
もちろんこれだけでは飽きてしまうので、時に魔剣で捌いて刺し身にした。
胡桃やナッツやオリーブなどの木の実を拾い、天然樹脂と絡めればこんがりとガーリック風の味付けにもできる。
どれだけ食べても美味い物は、美味いし、これだけ味付けのレパートリーがあれば、迷子になっても何年だって過ごしていられる。
そうして、日に日に積み上げられていく小魚の数々。
食べきれないと無駄になるので、横で修行をしている少年にこっそりと差し出してみる。
(これだけ長いこと、何も飲み食いせずに、修行に励む毎日だ。
その内、音をあげて、アイズの釣り上げた小魚を懇願して欲しがるに決まっている)
これは勝負。
ーーそう、勝負なのだ。
どちらが、より自分の望みを思うままに叶えることが出来るかと言う、根比べを賭けた意地の張り合い。
「食べないんですか?」
食べないなら、こちらから食べやすいように仕向けてやる。
そう思ってアイズは、少年に甘い声をかける。
「俺はもっと、脂の乗ったでっけえマグロみたいな魚が食べたいなぁ。
中トロとか食べたら最高だもんなぁ?」
「そんなのこの河原じゃ、釣れやしないですよ」
来る日も来る日も道に迷ったアイズは釣りをした。
釣った小魚をこっそりと少年の横に置くも、決して少年はそれを口につけることは無かった。
なんて頑固な野郎だ。
その内アイズの中で、少年の態度に苛立ちが増す。
「どうして食べないんですか? あなただって、お腹は空いてるんでしょう?」
ぐうぐうと鳴る少年の腹の音を、アイズは河原で生活を始めてから、何度も耳にして来ている。
「毒を入れるようなヤツだとでも、思っているのですか?
だとしたら、心外です。私は、そんなことに愉悦を見い出すような愚か者たちとは、違います。
受ければ良いじゃないですか? 施しを。餓死して、死んでも良いんですか?」
「餓死して死ぬのも嫌だし、別に施しを受けたくない訳じゃないし、君のことも疑ってなんかいないよ」
「だったら何故!?」
「俺は、もっとデカくて美味い魚が食べたいだけなんだ」
「バッーーバカなんじゃないですか!?」
「かも知れないな」
そう言って少年は、来る日も来る日も拳を振るった。
(バカげています!!)
「そんなことをしていたって無駄です!! そんなことをしていたって、人は、急に強くはなれないのに!!」
少年を見ていると苛立ちが増す日々が、3ヶ月は続いた。
★
来る日も来る日も正拳突きの音が鳴る。
アイズは焚き火を起こして釣った魚を焼く。
魔剣で切り捌けば、刺身にもできる。
その辺に生えている山菜や木の実を使えば、多種多様なレパートリーで美味しく調理することが可能。
いくら食べても飽きないし、ここでずっと釣りをして生活していても、アイズが生活に困ることは生涯ない。
(困るのは私ではなく、あなたの方でしょう?)
そうして苛立ちが増す日々が続いて、気がつけば半年ぐらいの時が過ぎた。
尚も繰り返される、正拳突きの音。
この間、少年は、ほとんど何も飲み食いせずに拳を振り抜き続けている。
口にした物と言えば、それこそ精々河原の水ぐらい。
汗を脱ぐって、身体を上着で拭き、やっていることと言えばそれだけだ。
そんなことの為に半年も捧げているなんて、この少年は、違った意味で常軌を逸脱している。
(頭がおかしいとしか、思えません!!)
それからアイズが道に迷って1年が過ぎた頃、途端にその拳の音に変化が起こる。そ
パン、となっていた筈の拳の音が、急に聴こえなくなったのだ。
「えっ?」
と言うアイズのか細い声が、困惑がちに喉元を過ぎる。
コクリと首を傾げて見れば、視線の先の少年の拳には、急激な変化が起きているように感じた。
(音が消えただけじゃない?)
「どうして……ただの拳が光り輝いているんです?」
普通に考えれば、それは異常な光景だ。
音を置き去りにしたこともそうだが、人の拳がこれほどまでに光り輝くなんて聞いたこともない。
「確かに人は、急には強くはなれないよ。
俺も人形技士であった父の背中を見て来たからね? そのことは強く実感して来ている……」
そう言って少年は一思いに眉根を下げると、深呼吸と共に瞳を伏せる。
両肺が膨らみきるとパチリと瞳を開き、吐息を吐き出し青空を見た。
「だけど人はーー時に予想を超えてくる」
力強さの籠もった視線が、その言葉にピリリと痺れるような威圧感を与える。
聴かせた者の背筋が痺れるような感覚だ。
何が起ころうとしているのか、見当も付かない。
だけど、アイズの瞳に映っている少年の総体魔力量、それが自分の総体魔力量よりも遥かに超えて渦巻いている。
自然にコクリと息を飲み、これから巻き起ころうとしている、その何らかの現象に瞳を見張らす。
「今は、このゴールデンパンチの最大チャージに1年か。
大人になれば、もっと時短ができるのかな?」
にこりと微笑んだ少年の拳から打ち出された光は、やがて大森林のすべてを、たちまち呑み込むほどの光源と化した。
「これが、俺の必殺技なんだ」
「必殺技……ですか?」
「あぁ、迷える子羊に道を示す為の奥義だよ」
「朝陽のように眩しい攻撃なんですね?」
「新しい朝を迎える為の攻撃さ」
そう言って少年は、シュッと右拳を振り抜く。
その瞬間、大気が震えるのが分かった。
森中を埋め尽くしていた光が、その右拳の一点に集中する。
(これはッーー!? まるでドラゴンブレスの光ッ!?)
吐き出された光線は、たちまち一筋の光となって河原を焦がす。
打ち出された拳の余波に、その日ーー「囚われの渓谷」と呼ばれる大森林全体のダンジョンフィールドが、世界地図から名を消した。
アイズは今でも、その時の光景を目に焼き付けている。
「これでもう迷子にならなくて済むだろ?」
晴れ晴れとした晴天の下、雲一つない群青が視界を埋め尽くす。
夜明けのように美しい新しい朝陽の光が、すべてを覆い尽くして輝いていた。
「ロマンを追い求めるヤツが、必ずしも天才に劣るとは限らない。
人生において最も大事なのは、自分が最後に何を成したかだ」
そうして天から雨のように降りしきる魚の数々。
それはアイズがこの1年を通して、一度も釣ることが叶わなかった大型の魚ばかりになる。
「それは、私への当て付けですか?」
「いや、そんなつもりはないし、君の名前も知らないよ。
ただ、もしこの世に天才と呼ばれる者たちが数多と居るなら、俺に出せる答えはこれだけだ」
そう言って少年は、天から降って来た一番巨大な魚に手をつけると、拳から炎を灯して腹から魚に喰らいつく。
「うーん!! やっぱでっけえもんは、美味いね~!!」
少年の手により差し出された魚をまじまじと見たアイズは、かぷりとその差し出された魚に口をつける。
「お、美味しい……ッ」
それはアイズが、この1年を通して口にしたことのない味、端的に言って美味だった。
たっぷりと脂の乗ったまるで高級肉のような旨味。
噛めば噛むほど溢れ出る肉汁。
弾力もあって歯ごたえがある、なのに脂の甘味もくどすぎることは決してない。
程よいバランス感覚、その下に成り立つ蠱惑的な肉の味わい。
一度かぶり付けば、また一口欲しくなる。請わずには居られない。もっと欲しいと言う感情が溢れ出る。
「こ、こんなにも美味しいだなんて……ッ」
そんな肉の前に、アイズはめでたく屈服した。
「君が道に迷ったら、また俺のところに来ると良い。
そしたら俺が、またお前の帰るべき道を照らしてやる」
鬱蒼とした大森林も、時折漂っていた霧も、服を濡らし続けた積乱雲も。
その日だけは、すべて晴れた青空の下に統一される。
ゆっくりと立ち上がったアイズは、ぷいっと顔を背けて荒野と化した渓谷を歩く。
そうして帰路に着こうと言うその時、アイズは人知れず歩きながら肩を震わせていた。
「拙者ーーアイツに惚れたッ!!」
甲賀一族の忍であった忍者アイズ・クルシュト・レインテーゼが、初めて自分以外の他人に心を開いた瞬間だった。
それはまだアイズ・クルシュト・レインテーゼが、弱冠5歳児であった子どもの頃、囚われの渓谷と呼ばれる森林地帯で迷子になった時の話。
そしてーー初めてアイズが、あの少年と出会った頃の思い出話になる。
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湖の畔のせせらぎに釣られて、川沿いを歩いて数時間。
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とは言え、
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「この森の中で迷ったのは、主に自分の力不足が原因ですからね」
そのことを他責するのは簡単だ。
けど、それではいつまで経っても自分の身にはならないように思える。
きっと自分自身の行動の責任は、いつだって自分自身にあるだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、河原のすぐ近くを繰り返し歩いた。
一通り歩いていた時、何処からともなくその軽やかな音が鳴り響く。
パンッ、と言う空気を叩くような音、それは拳を何かに打ち付けた時と同じような音だ。
その音色に釣られて、アイズは音を頼りに森の中を散策する。
「一体、何でしょうか?」
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アイズよりも身体の大きい、中学生ぐらいの少年だ。
不思議に思ったアイズは、少年の隣に近寄ってみる。
「あの……何でこんなところで、正拳突きの練習なんてしてるんです?」
「うん? 何でって、魚が食べたいからだけど?」
弱冠5歳にして天才として称されているアイズには、その少年が何故そんなことを理解しているのか、まるで理解できなかった。
「魚が食べたいなら、釣れば良くないですか?
まさか正拳突きをして、この河原ごと割って釣ろうとでも?」
そんなの不可能に決まっている。
けれどアイズは、その不思議な少年を面白いと思えた。
小さく体操座りをして、ちょこんと座ったアイズは、背中に身に着けていた魔剣を手に取る。
お腹も空いたし、釣りをして魚を取れれば、道に迷おうが少なくとも生きてはいける。
(私のこの魔剣で振り払っても、この河原は割れないでしょうね)
全体的な横幅のサイズ感が広すぎるし、何よりこの河原は激流だ。
剣でも割れない河原の濁流が、たかが拳なんかで割れる訳がない。
(ハッキリ言って時間の無駄ですね)
ジト目で少年を睨めつけたアイズは、手にした魔剣に釣り糸を括り付ける。
その辺の虫を拾えば、餌はいくらでも用意できる。
そうして迷子の暇つぶしがてら、釣りでもして魚を食べてやり過ごすことを考えたアイズは、呆然と少年が修行している姿を横目で眺めていた。
「君のその剣なら、この河原を割ることは出来そうかい?」
横から問われた少年の言葉に、アイズは黙って首を振る。
「逆にあなたの拳で、この河原を割ることが可能だとでも?」
「ーーいいや。今は出来ない」
「じゃあ、どう考えても時間の無駄ですね。
今できないのにいくら時間をかけたところで、人は急に強くなったりなんかしないですから」
結局、努力なんて言う物は、ただの幻想に過ぎない。
それは天才であるアイズが、一番よく知っている。
生まれ持った才能には、端から勝てない。
例えば、語学なんかも当にその例だ。
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それ程までに、持って産まれて身に付けた才能と言う物は、恐ろしく。
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「君は、そう言ってやる前から諦めるのか?」
「諦めることも時には肝心だと教わりました。子どもの内に出来ないことを努力したところで無駄だと分かっているので、成長して大人になってからやれば良い」
「確かに君の言っていることにも一理あるな。
だけど俺は、今、大きな魚が食べたいんだよ」
「たかが拳一つでは、小さな魚も釣れないのが関の山です。
それこそ……私みたいに剣でもなければ」
「かも知れないね」
そう言って自嘲気味に笑みをこぼした少年の姿は、まるでバカの一つ覚えみたいで面白かった。
(そんなことで大きい魚が食べられるなら、誰も苦労はしないと言うのに)
結局、大きい魚が食べたいなら、小さな魚をコツコツと釣って地道に努力するしかない。
そんなことも分からないようなバカでは、一生かけたって大きな魚は食べられない。
(第一、釣りをしていたって、大きな魚ほど知恵が回りますからね。
この近辺で釣れる魚なんて、餌に釣られて寄って来る程度の、バカ小魚ぐらいなもんです)
そう述懐して釣り上げた小魚の数々は、落ちていた木の枝を魔法で燃やして、焚き火にしてから焼き魚として食す。
もちろんこれだけでは飽きてしまうので、時に魔剣で捌いて刺し身にした。
胡桃やナッツやオリーブなどの木の実を拾い、天然樹脂と絡めればこんがりとガーリック風の味付けにもできる。
どれだけ食べても美味い物は、美味いし、これだけ味付けのレパートリーがあれば、迷子になっても何年だって過ごしていられる。
そうして、日に日に積み上げられていく小魚の数々。
食べきれないと無駄になるので、横で修行をしている少年にこっそりと差し出してみる。
(これだけ長いこと、何も飲み食いせずに、修行に励む毎日だ。
その内、音をあげて、アイズの釣り上げた小魚を懇願して欲しがるに決まっている)
これは勝負。
ーーそう、勝負なのだ。
どちらが、より自分の望みを思うままに叶えることが出来るかと言う、根比べを賭けた意地の張り合い。
「食べないんですか?」
食べないなら、こちらから食べやすいように仕向けてやる。
そう思ってアイズは、少年に甘い声をかける。
「俺はもっと、脂の乗ったでっけえマグロみたいな魚が食べたいなぁ。
中トロとか食べたら最高だもんなぁ?」
「そんなのこの河原じゃ、釣れやしないですよ」
来る日も来る日も道に迷ったアイズは釣りをした。
釣った小魚をこっそりと少年の横に置くも、決して少年はそれを口につけることは無かった。
なんて頑固な野郎だ。
その内アイズの中で、少年の態度に苛立ちが増す。
「どうして食べないんですか? あなただって、お腹は空いてるんでしょう?」
ぐうぐうと鳴る少年の腹の音を、アイズは河原で生活を始めてから、何度も耳にして来ている。
「毒を入れるようなヤツだとでも、思っているのですか?
だとしたら、心外です。私は、そんなことに愉悦を見い出すような愚か者たちとは、違います。
受ければ良いじゃないですか? 施しを。餓死して、死んでも良いんですか?」
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「だったら何故!?」
「俺は、もっとデカくて美味い魚が食べたいだけなんだ」
「バッーーバカなんじゃないですか!?」
「かも知れないな」
そう言って少年は、来る日も来る日も拳を振るった。
(バカげています!!)
「そんなことをしていたって無駄です!! そんなことをしていたって、人は、急に強くはなれないのに!!」
少年を見ていると苛立ちが増す日々が、3ヶ月は続いた。
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来る日も来る日も正拳突きの音が鳴る。
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魔剣で切り捌けば、刺身にもできる。
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普通に考えれば、それは異常な光景だ。
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「確かに人は、急には強くはなれないよ。
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「だけど人はーー時に予想を超えてくる」
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「これが、俺の必殺技なんだ」
「必殺技……ですか?」
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「朝陽のように眩しい攻撃なんですね?」
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そう言って少年は、シュッと右拳を振り抜く。
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「それは、私への当て付けですか?」
「いや、そんなつもりはないし、君の名前も知らないよ。
ただ、もしこの世に天才と呼ばれる者たちが数多と居るなら、俺に出せる答えはこれだけだ」
そう言って少年は、天から降って来た一番巨大な魚に手をつけると、拳から炎を灯して腹から魚に喰らいつく。
「うーん!! やっぱでっけえもんは、美味いね~!!」
少年の手により差し出された魚をまじまじと見たアイズは、かぷりとその差し出された魚に口をつける。
「お、美味しい……ッ」
それはアイズが、この1年を通して口にしたことのない味、端的に言って美味だった。
たっぷりと脂の乗ったまるで高級肉のような旨味。
噛めば噛むほど溢れ出る肉汁。
弾力もあって歯ごたえがある、なのに脂の甘味もくどすぎることは決してない。
程よいバランス感覚、その下に成り立つ蠱惑的な肉の味わい。
一度かぶり付けば、また一口欲しくなる。請わずには居られない。もっと欲しいと言う感情が溢れ出る。
「こ、こんなにも美味しいだなんて……ッ」
そんな肉の前に、アイズはめでたく屈服した。
「君が道に迷ったら、また俺のところに来ると良い。
そしたら俺が、またお前の帰るべき道を照らしてやる」
鬱蒼とした大森林も、時折漂っていた霧も、服を濡らし続けた積乱雲も。
その日だけは、すべて晴れた青空の下に統一される。
ゆっくりと立ち上がったアイズは、ぷいっと顔を背けて荒野と化した渓谷を歩く。
そうして帰路に着こうと言うその時、アイズは人知れず歩きながら肩を震わせていた。
「拙者ーーアイツに惚れたッ!!」
甲賀一族の忍であった忍者アイズ・クルシュト・レインテーゼが、初めて自分以外の他人に心を開いた瞬間だった。
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