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53 番外編(柚佳視点)*1 ファーストキス
しおりを挟む長い前髪の奥、黒の瞳が私を見つめている。
今、目の前にいる男の子……沼田海里は幼稚園の時からの幼馴染。高校二年になった現在まで変わらず、性格に難のある私とも仲良くしてくれる優しい心根と努力家な一面を持つ…………私の好きな人。
彼の右手が動いて私の髪に触れた。心臓が飛び出そうになる。今までの人生でこんな事はなかった。
築三十年くらい経つありふれたアパート。二階建ての二階に位置する海里のお家の居間で放課後、さっきまで一緒にゲームしていた。なのに今、二人で向かい合って座り何をしているのかというと……。
徐に顔が近付いてきて、目をぎゅっと瞑った。ま、まだ心の準備ができてないのに……!
左頬に温かい感触があり、それはすぐに離れた。
目を開くと私の様子を心配するような海里の視線があって、思わず下を向いて動揺を隠した。
……海里は余裕がありそう。その現実がちくっと胸を刺す。
私はずっと彼の事が好きだった。自覚したのは小学生の頃。今に至るまで告白できなかったのは自分に自信が持てなかったのと振られるのは耐えられないから。もし告白してギクシャクし、幼馴染という関係も失ってしまったら私はこの人生に二度と希望を見出だせない。
何度か別の男子から告白された事はあったけど毎回断っていた。彼らは私の本性を知らない。私は学校では大人しいフリをしている。昔の出来事を引きずっていて、本性を知られて友人に嫌われるのが怖くて自然とそう振る舞うようになった。だから私に告白してくる子も、きっと本性を知ったら離れる。それに私も彼らに興味がなかった。
海里だけだった。
海里が私をどん底から救ってくれたのだ。海里じゃないと意味がないと分かっているから、大切過ぎて臆病になる。
でも海里の好きな人は私じゃない。彼には過去、付き合った人がいたのだとさっき初めて知った。ショックだった。全然知らされなかった事も衝撃だった。キスをした事のあるその相手とは、今は付き合ってないと言っていたけど。
悲しかった。私が告白をためらってもじもじしている間に海里がどこか知らない所へ行ってしまう予感がする。
……けれどもう手遅れだった。
知ってしまった。海里の好きな人。
私なんかが敵いっこない、学年一の美少女……花山美南ちゃん。彼女は引っ込み思案な私にも気さくに話しかけてくれて。失くしたくない友達。
尊敬する大切な友人の筈なのに、どうしても譲りたくない想いが嫌悪感を抱かせる。
一週間くらい前……美南ちゃんに言われた。海里からラブレターをもらったって。まさか……って疑った。でも美南ちゃんが見せてくれた手紙に書かれた文字は海里の字に見える。
失恋したと実感してくると日常が味気なく色褪せているように思えた。
美南ちゃんから口止めされていたし海里に確認する事はできない。一週間質問しないように努めたけど限界が近付いていた。そして今日、我慢できずに聞いてしまった。「海里の好きな子って美南ちゃんでしょ?」と。
今日の昼休みにあった出来事も私を焦らせた。学年一イケメンと噂されるクラスメイトの男子、桜場篤君に呼び出されたのだ。
海里は私の好きな人が桜場君だと勘違いしている様子だった。
「私の好きな人は海里だよ」そう言ってしまいたかった。言える筈もなく開いた唇は憎まれ口を紡いで「まあ、もうすぐ告白する予定だし?」と付け加えた。
それは願望だった。未来の私はきっと海里に告白する。振られたとしても……そうするのが正解だと本当は知っていた。
海里は私が桜場君に相手にされないと断言していた。「キスもした事のない色気のない女」と言われた。経験した者の言葉には重みがある。
海里の好みの子は、恐らく「キスの上手い色気のある子」なのだろう。キスなんてした事ないし……到底、彼好みの女子になれる気がしない。
気落ちしていたところへ海里が思いがけない提案をしてきた。
「キス、練習すりゃいいだろ? 篤をイチコロにするやつ」
「練習相手になってやろうか?」
目を瞠った。…………私はその提案に乗った。天の助け……いいえ。悪魔の誘惑かもしれない。
海里は美南ちゃんが好きで、美南ちゃんも海里の事が…………それなのに。
私はきっと二人の仲を邪魔する悪魔よりも悪い奴。
海里への恋心を悟られないように咄嗟に「桜場君を振り向かせたいの」と嘘をついた。この想いは海里を困らせるから。
ぐるぐる考えていた意識を再び海里へ戻す。目の前にいる彼も何か考え事をしているようで眉間に皺を寄せ俯いている。
名前を呼ぶと顔を上げた彼と視線が合った。怯みかける自分に心の中で鞭を打ち、平静を装って瞳を見返した。
もう大丈夫。覚悟は決まった。地獄に堕ちてもいい。今しかない。こんなチャンスもうない。
これまで海里と何もなかったのは、私が何もしなかったから。
友達を裏切る最低な私。知られれば当然、嫌われるだろう。でもいいの。ひと時でも海里が私を見てくれるなら。
「口にして」
気が変わってしまわないうちに望みを放った。
海里が大きく開いた目を私へ向けている。好みじゃない私とのキスは嫌じゃないのかな、と不安になる。
それも僅かの間だった。距離が縮まる。
今まで何もなかった幼馴染との進展は現実味がなくて、夢でも見ているような心地で目を閉じた。
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