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一章
29 追憶(※内巻晴菜視点)
しおりを挟む泥だらけで泣いていた私に「泣かないで」と髪留めをくれた。金色で波の形をしたヘアピン。
「明ちゃんだけが、ちゃんと私を見てくれた」
鏡台の椅子に腰を下ろしている時分、呟いた。鏡に映る自分を眺める。
焦げ茶色の髪には波形のヘアピン。私の宝物。
少しつり目だったから自分の顔が昔は嫌いだった。小学生だった頃はクラスメイトに意地悪だと思われていた。母の事もあって性格も明るくなかったので殊更に。
でも明ちゃんだけは諦めずに私へ話し掛けてくれた。
ある日帰り道に寄った公園でベンチに座って話をしている際、自分の顔が嫌いだと愚痴をこぼしてしまった。気が緩んでいたのかもしれない。ついいつも考えている事を口走って「あっ」と思った。ただでさえ暗い性格なのに、こんな後ろ向きな発言をして嫌われないかと心配になった。オロオロと内心焦っていた。だけど明ちゃんは事もなげに言った。
「どうして? 凄く美人なのに」
びっくりして相手を見つめた。艶々した黒髪は肩下に垂らして優しい目は今は不思議そうに私へ向けられている。控えめに言っても凄く可愛い。物語に出てくるお姫様みたいな子。そんな子に「凄く美人」と言われた。
弱っている時に優しくされたのも相まって、私は明ちゃんの虜になった。
岸谷聡は昔から目の上のたんこぶだった。何かにつけて明ちゃんに近寄ろうとする。その気持ちは分かるけどさ。
岸谷が明ちゃんと結婚の約束をしたと知った時はモヤッとしたなぁ。
小二の時、学校の廊下で岸谷と言い争った。
「私も明ちゃんと結婚する! 明ちゃんとずっと一緒にいる!」
「女同士は結婚できないんだぞ?」
呆れ顔で岸谷が諭してくる。そんな。岸谷だけ明ちゃんとずっと一緒で私は? 仲間外れ?
恋とかではなかったけど、きっともっと重いものだった。
明ちゃんは理想で、私のヒーローなの。
そんなモヤモヤを抱えたまま中学生になった。私は岸谷の事をただライバルだと思っていた。だが、その思いは別のものへと変化する。大きな切っ掛けとなった日があった。
岸谷に借りていた漫画が結構溜まっていて、紙袋に入れて家へ直接持って行った。
重いから少しイライラしていたけど、岸谷の家の玄関に女子の靴があって「まさか明ちゃんが来てる?」と気分が明るくなった。何てよいタイミング。思いがけず明ちゃんに会えるし、岸谷と明ちゃんの逢瀬を邪魔できるとうきうきしていた。驚かそうと二階の岸谷の部屋まで足音を忍ばせた。
「明ちゃんっ!」
部屋のドアをバンッと開けた。
岸谷と……驚いた顔でこちらを見ている黒髪ショートカットの女の子がいた。床に座っている二人の距離が近い。私はその子を凝視したまま岸谷へ尋ねる。
「誰よ。その子」
岸谷は答えない。理解した。今まで薄ら噂は耳にした事があったけど、明ちゃんが好きな者同士だったから信頼していた部分もあった。デマだと思って聞き流していた。
「よくも明ちゃんじゃない子と……!」
漫画の入った袋を床に投げつけた。漫画が散乱する。あぐらで座っていた岸谷の胸ぐらを掴んで訴える。
「この裏切者! 明ちゃん一人を幸せにしてくれたらよかったのに」
岸谷は何も言わず見上げてくる。涙を流してしまった自分が負けたような気がしてシャツから手を離し、走ってその場を去った。
その後、調べてみると岸谷に泣かされた子は多かった。遊ばれて捨てられたらしい。
私は奴を、明ちゃんを好きな同志だと思っていた節があった。その分、恨みは深くなった。
女子トイレの手洗い場で岸谷を好きだった子の話を聞いていた。彼女は思い出してつらくなったのか涙を浮かべ、その背を別の女の子が摩っていた。
私の中で何かが切れた。
「ねぇ、岸谷の本当に好きな子って知ってる?」
暗い策謀を朗らかに持ち掛ける。
「皆で岸谷君に復讐しようよ」
徹底的に明ちゃんと岸谷を遠ざけるようにした。ついでに明ちゃんに近付こうとする人物も追い払った。怖かった。明ちゃんの気持ちがほかへ向くのが。
高校生になった。明ちゃんも岸谷の事が好きだったらしい。私に打ち明けてくれた。私にだけ教えてくれて嬉しい反面、相手が岸谷なのは容認できない。薄々分かっていたけどね。明ちゃんは優しいから、岸谷と小一の時にした約束を覚えている筈だ。
第二図書室で明ちゃんの長過ぎる話を聞いていた時は苦かった。明ちゃんが岸谷の事を持ち上げて私に熱弁してくる。
そいつ、そんないい奴じゃないよ。明ちゃんだけを想う人じゃないからありえないよ。私、あいつの話には興味ないよ。
明ちゃん。目が合ったり優しくされたりって、私は? やっぱり好きな人には友達じゃ勝てないの?
絶望に似た惨めな気持ちを抱えて、嬉しそうに笑う彼女を見ていた。
話が終わって明ちゃんは先に教室へ戻った。私は「気になってる本を探すから」と第二図書室に残った。さて。
「私が気付かないとでも思った? 盗み聞きなんて趣味悪いわよ」
奥の方へ声を掛ける。本棚の間を歩いて来る足音。姿を現した男子生徒を睨んだ。
家にいる時もずっと頭を悩ませていた。風呂場で湯船に浸かりながら考えを巡らせていた。
最近明ちゃんの岸谷への熱が異常に高まっているし。私は危機感を募らせていた。これは本当に告白してしまうのかもしれない。まずい。岸谷の方も頑なに明ちゃんを諦めないし。
いっそ岸谷とキスしてるところでも見せて明ちゃんに幻滅してもらおうか。
でも明ちゃん傷付くだろうな。岸谷の相手が私だったら私には慰める事もできない。慰め役が必要だわ。
仕方ない……あいつに譲ってやるか。明ちゃんはあいつの事よく知らないだろうし。明ちゃんも岸谷にベタ惚れの様子だからほかの奴なんて眼中にないだろうし。
教室に誰もいない時、岸谷と取引した。キスしてもいいなら明ちゃんとの仲を応援するというもの。更々応援する気なんてないけど。
「明ちゃんに何を望んでいるのか知らないけど」
言いながら考えている。知りたくもないと。
「安心して私を好きになってくれていいんだよ」
そう微笑んでいる裏でほくそ笑む。
明ちゃんにも選ぶ権利があると思うんだぁ? その前に私が篩に掛けるけどね。
そして遂に訪れたあの日。
明ちゃんが第二図書室にいるのを知りながら岸谷に迫ってキスをした。
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