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一章 本編

9 悩み事

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「龍君、私たちも戻ろう。先生に怪しまれるよ。話は……」


 放課後じっくり聞かせてもらうから。……歩き出しながらそう言おうとしていたら、後方から右手首を掴まれた。


「ね、答えて」


 それは優しい声色だけど有無を言わせない圧を孕んで、私に逃げ道がない事を悟らせる。

 振り向くと視線が合った。

 見返してくる瞳が真剣で言葉に詰まる。



 彼が何を聞いているのか覚えている。私の『夫』の事だ。



「その前に……その……あいつって言ってたのは誰の事?」

「志崎の事」

 志崎君の名前を出され肩がビクッと揺れてしまった。そんな私を静かな表情で見ながら龍君は続ける。

「由利花ちゃんがあいつの事を好きなの知ってたから」

 驚愕の事実。

 体がわなわなと、ひとりでに震え出す。

「何で、知ってるの……?」

 私の言葉の後、彼は得も言われぬ面持ちで少しだけ微笑み俯いた。

 掴まれていた手が離れた。


「ごめん。いいんだ、誰でも、関係ない」

 一言一言確かめるように呟いて、彼は顔を上げた。

「教室に戻ろう。言い訳は僕がするから心配しないで」

 再び彼は微笑んだ。けれど今度は明るく。
 普段通りの彼に戻ったように見えるのだが……。


 先を行く龍君の後ろ姿を見つめながら歩いた。

 幼馴染みが何か重大な秘密を抱えている気がしてならない。何でこの人生では誰にも言っていない『夫』の事や、好きだった人の事を知っているのだろう。様子もおかしかったし心配に思う。






 教室に戻った私たちは龍君の「保健室に行く途中で笹木さんの腹痛が治まったみたいだったので戻りました」という言い訳の体でそれぞれの席に着いた。


 前の方の席に座る雪絵ちゃんと目が合った。

 彼女は「よく言うよ」と言いたげな視線を寄越してプイと前を向いた。
 完全に誤解されている。

 どうやら私たちと会った事、言わないでくれたみたいだ。彼女も許可なく立ち入ってはいけない屋上を通っていたし、私たちの事を言うと彼女まで何で通ったのかって責められる可能性があるからかもしれない。

 何とかさっきの誤解を解きたいなぁ。





 授業中頬杖をついて雪絵ちゃんを見つめていると、隣の席から遠慮がちに声をかけられた。

「笹木さん、ごめん……。ハサミ貸してもらってもいいかな? 今日忘れちゃって」

 机に仕舞っている道具入れの籠を引き出し、ハサミを取り出して志崎君に渡す。

「ありがと」

 お礼を言う志崎君の笑顔が眩しい。



 そう。すっかり忘れていたんだけど、私と志崎君の席は隣同士だった!



 毎学年、四月の頃はあいうえお順の席順である事がほとんどだった。『笹木』と『志崎』だし近いのは当然だったかもしれない。

 けど何だろうこの配置は。知り合いが周囲に多い。

 私の隣は志崎君、私の前は沢野君、私の後ろには龍君。龍君の隣……私の斜め後ろに咲月ちゃんとなっている。因みに龍君の名字は鈴谷(すずたに)で、咲月ちゃんの名字は島本(しまもと)だ。

 大体いつも男子と女子が交互に配置された席順だ。



「ハサミありがと」

 明るくそう言って志崎君がハサミを差し出す。私は少しだけ緊張してそれを受け取った。

「……どういたしまして」


 後ろの席から何やら小さく話し声が聞こえる。


「お? ……おお? 由利花ちゃんの反応が何かいつもと違う。これは恋する乙女の反応だと私の触角が言ってる! 絶対そうだよ……! 鈴谷、あんた何とかしなさいよ!」

「うるさい。肘でつついてくるな」


 咲月ちゃんと龍君のやり取りだ。私は前を向いたまま俯いて赤面した。



 お願いだからもう何も言わないでほしい。きっとその話、志崎君にも聞こえてるから……!



 目だけでちらっと、隣にいる志崎君の様子を窺った。
 視線に気付かれてしまったのか、彼も目だけでこっちを見た。なので慌てて首ごと反対側の廊下の方を向く。


 ダメダメダメダメ! もう一度目の二の舞はごめんだ。


 私は彼を好きにならない。

 失恋はしたけど、直接振られてないからこんなに動揺するのだろうか。……むしろこっ酷く振られればよかった。





 頭を抱えて悶々と思考を巡らせていると、後ろの方から咲月ちゃんの声がした。

「これは重症だわ」

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