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一章 本編

6 咬み付く者は蝕まれる

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 正直、学校の授業は退屈だろうなーと思っていた。出されたテストもすぐに書き終わり用紙を裏返した。

 授業中はキョロキョロしたりする訳にもいかないし先生の話を黙って聞く。
 話し方とか授業を進めるスピードとか、先生の視点を想像して授業を見てみると新たな発見もある。自分の子供が生まれて無事成長したとして、勉強を教える時の参考になるかもしれない。


 生徒には一人一人通学路が設定されていて、学校への行き帰りはその道を通るよう言われていた。私には遠回りの道だったんだけど、そのほとんどが車の通りが少ない道になっている。
 小学校を出て歩道橋を渡って、中学校の前を通って裏の細い道を抜けて……。




 その日は朝から雨で午後には晴れたので、傘は畳んだまま手に持って帰る。
 お気に入りの黄色い傘。かわいいウサギの模様が入っている。
 いつも一緒に帰っていた咲月ちゃんは今日は風邪でお休みだし、たまに一緒に帰る龍君や陽介君も今日は一緒じゃない。

 ……今日だろうと思った。

 歩道橋の階段を上り切った所で、後ろから走って来たクラスメイトの男の子に傘を奪われた。

 そのまま右と左、別のクラスメイトが一人ずつ私が動けないように腕を押さえてくる。
 全部で六、七人? 私を取り囲む男の子も女の子も『あいつ』の指示で動いているのは分かっていた。

 私は両腕を掴まれた格好のまま、前方で他の子たちと笑いながらこちらを見ている女の子を睨んだ。

 多地田(たじた)恵理奈(えりな)……。

 一度目の人生でもこうやって複数人で私に絡んできた。
 私はその時の事……この人生では今日の事をその後の長い人生の中で事あるごとに思い出しては歯噛みしていた。

 そう。これはいじめだ。

 いじめた方はたいした記憶もないかもしれない。だがいじめられた方は一生憶えているものだ。
 彼女たちの行いは私の人生に暗い影を落とした。

 一度目の人生ではそれでも、担任の先生に窘(たしな)められ大人しくなった彼女と表面上は仲良く過ごした。当たり障りのない会話もできた。
 彼女は学業も仕事も順風満帆に進み、二十代前半には結婚したようだった。比べて私はこの日のトラウマをずっと背負ったまま職を転々とし、やっと結婚した頃には子供もできにくい体で……。


 何なの?


 私の人生の汚点。憎悪に震えがくる。……いや。喜びに、の間違いかもしれない。


 神様、私にやり直すチャンスを与えてくれてありがとう。


 頬が薄ら緩む。それに気付いた様子の多地田がサッと顔色を変えた。

「何だ? こいつ震えてるぜ……うわっ!」

 私の左腕を押さえていた男子が何か言っていたが、私は構わず男子二人を振り解いた。男子といえども小学一年生。そんなに力は変わらない。一度目の人生でも振り解けた。彼らも最初は油断していたのかもしれない。

 前回のこの日と同じように傘を取り戻そうと前方のクラスメイトの後を追う。暫く歩道橋の上を行ったり来たり追いかけた。向こう側の歩道まで階段を下った所でまた両側を押さえ込まれる。
 目の前……少し離れた場所で多地田が笑っている。取り巻きの女子も、加担する男子も。

 この日のいじめのクライマックスが迫っていた。

 頭上からの声に見上げると、多地田の仲間の二人が歩道橋の上からこっちを見ている。その内の一人が私の傘を手すりから出し、私に狙いを定めている。


「後悔しない?」

 私は多地田に問いかけた。そして胸中を教えてあげる。

「私は後悔している」

「え?」

 多地田が聞き返すのと、私の頭に傘が落とされたのはほぼ同時だった。
 バシッと音がして、私は頭を押さえた。
 子供用の小さな傘だったのは本当に不幸中の幸い。

 私はもう遠慮なく大きな声で泣き始めた。


「うああああん! 痛いよー!」


 途端に周囲にいたクラスメイトたちがオロオロしだした。
 前回と同様に「ごめん、謝るから先生には言わないで!」とか言ってくるからもっと大きな声で泣いてやった。

 本当、涙が出る。

 この人たちの事を人生の中の多くの時間を使って考えていた事がバカらしい。もう決別しよう。

 前の人生と今日とで違ったのは、私が未来を知っている事。
 そして三十七年生きた中で、自分に毒を持った事。

 一度目の人生で小一だった私は、今よりもっと純粋で優し過ぎた。いじめた奴らの心配をするくらいに。前時間では私が泣いて帰ったので事情を聞いた母から吉野先生に連絡がいき、多地田は先生に呼び出された。そんな彼女さえ私は心配していたのだ。傘を落とされた後も、私は泣き声を精一杯抑えながら帰った。
 後からあの時思いっ切り泣けばよかったって後悔していた。だからわざと前回と同じシチュエーションになるまで待ってた。

 わんわん泣いていると、近くにあった中学校の体育館から中学生らしきお姉さんが二人、走って来てくれた。

「どうしたの?」

「みんなに、上から傘落とされて、頭に……あたっ……」

 嗚咽しながら伝える。お姉さん二人は「えっ」と顔を見合わせて一人は「先生呼んでくる」と中学校の校舎へ走って行った。

 多地田たちの顔色が見る見る悪くなっていくけど、私は知らない。



 電話でお母さんに迎えに来てもらって、大事を取って病院に行った。中学校の方から小学校にも連絡してもらい吉野先生が来てくれた。前回の今日より大事(おおごと)になってよかった。
 後は……一度目の人生では多地田がいじめをしていた事を他の生徒には話していなかったんだけど、今回の人生では会う人会う人にさり気なく教えまくろう。

 それが私が手に入れた心を守る為の、ささやかな『毒』。

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