百合カップルを眺めるモブになりたかっただけなのに。

蒼風

文字の大きさ
上 下
34 / 137
Ⅰ-Ⅴ.マイペースな先輩─馬部碧─

30.置き去りのスケッチブック。

しおりを挟む
 ごめんね。あの人、一度言い出したら聞かないの。ほんとーにゴメン!

 そう謝られたところで事実は変わらない。

「どうしてこんなことに……」

 場所は美術部室。俺の希望(というか懇願)により、扉の鍵はきちんと閉められ、外から内部を見ることは(よほどの緊急事態でも無い限り)叶わない状態になっている。

 参加者は、三人。うちひとりはモデルで、もう二人はそのモデルを描く、描き手、という構図だ。
 そして、モデルとなった俺の恰好はというと、

「いいね、やっぱり可愛いよ君」

「ごめんなさい……ほんとにごめんなさい……」

 全裸だった。

 いや、正確には毛布が一枚付属していたけど、こんなの、あってないようなもんだ。

 一人で勝手に盛り上がったあおいのプロデュースで、「嬉しはずかし初夜の後」という謎のタイトルがついたポーズを指導され、結果として、健全なヌードデッサンとは程遠い、艶めかしさと、ちょっとした初々しさの入り混じったモデルが完成していた。

 ちなみに、俺の思考回路はさっきから全然役に立っていない。取り合えず恥ずかしいから、あの、そんなにじっと見ないでください……。

 碧は、そんな心の叫びを無情にも切り捨てるようにして、

「それじゃ、描こうか。ほら、一色いっしきも」

「ごめんね……すぐ終わらせるから」

 謝るなら止めて欲しいと思った。

 けれど、それが出来ないのもなんとなく理解できた。そうだよね。なんだって碧の描く絵が見られる千載一遇のチャンスかもしれないもんね。俺が全裸にさせられて、凝視されて、ちょっと変な気持ちになることくらいじゃ比較にもならないよね。分かってた。分かってたよ。素数を数えて気持ちを落ち着かせるよ。

 と、まあ、そんな経緯で唐突に始まった(ほぼ)ヌードデッサンだったけど、始まってみれば二人は意外と真剣だった。

 育巳はもちろんのこと、碧の表情も真剣そのもので、スケッチブックに鉛筆で描いているだけのデッサンでしかないとはいえ、出来栄えがちょっと気になるレベルだった。なにせその絵にほれ込んで部活動に入部する人間が居るくらいの絵だ。素人でも分かるくらいの凄いものが出来上がるのだろう。楽しみだ。

 最初にあった変な感情は消え去り、途中からずっとモデルを全うし続けていたのだが、

「先輩?出来ました?」

「大体ね。そっちは?」

「出来ましたよ」

 おっと。どうやら絵が描けたようだ。

 碧が、

はなちゃん。先にどっちの絵から見たい?」

 選択権を委ねてくる。

 どうしようか。正直気になるというか、今日の本命は碧の絵だ。育巳いくみのものも気になるにはなるが、それとはベクトルの違う“興味”がそこにはある。それはきっと、育巳も同じことだろう。

 一方で、そんな絵を見ることに躊躇いがあるのもまた事実だ。

 なにせ、碧はずっと、人前で絵を描くという事をしてきていなかったのだ。

 人の見ていないところでは密かに研鑽を積み重ねていた可能性もゼロではないが、自分を慕ってくれる可愛い後輩に技術を見せていない以上、そこには何らか“見せられない理由”があったに違いない。

 その理由が、今、ここで暴かれる。

 先か後かはほんのちょっとの違いだが、何が出てくるか分からないブラックボックスを開けるのは、ワンクッション置いてからにしたい気もする。

 と、いう訳で、

「えっと……じゃあ、一色先輩から」

 それを聞いた育巳は淡々と、

「ん。分かったわ」

 手元のスケッチブックを裏返して、こちらに絵が見えるようにする。

「わ」

「うん」

 二人の反応は全く違うものだった。当たり前だ。俺は碧と違って、見慣れていないんだ。そこには一目で「上手い」と言えるレベルのデッサンがあった。

 美化するわけではなく、けれど、しっかりと美人に描かれた笹木華の姿がそこにはあった。多分実際の姿はもうちょっとスタイルが良くない気もするし、美人ではない気がするのだけど、そのあたりも「盛った」というよりは「綺麗に見せた」という感じだ。嫌みが無い。

 育巳は、そんな絵とは正反対に、嫌みをたっぷりと入れ込んだ視線を碧に向けて、

「先輩は、そんな反応をするってことは、当然もっといい絵を描いてくれてますよね?」

 煽るなぁ。でも多分それは碧には効かないと思うよ。

「分かった、分かった……はい」

 そんな嫌みを受け流しつつも碧がスケッチブックに描かれたデッサンを俺らの方に向け、

「え」

「…………は?」

 なんだ、これは。

 確かに人体の構成要素はきちんと描かれている。髪の長さや、体の凹凸を考えれば女性を描いたものだということも分かる。そこまではいい。

 ただ、

「なんですか、それ?」

 分かるのはそこまでだった。

 技術的に劣っている……かは分からない。と、いうかそれ以前の問題だ。

 馬部碧の描いた笹木華は、あまりにも独創的な、キュビスムもびっくりの前衛絵画だった。

 碧は、

「どうだろうか。華くんの可愛さと、奥ゆかしさを表現、」

「先輩、質問に答えてください」

 低い声。

 そこに込められているのは怒りか、失望か。

 一触即発。

 そんな空気でも碧は全く動じず、

「どうしたの。そんな怖い顔して」

 育巳は更に眉間にしわをよせ、

「怖い顔にもなりますよ。なんですか、それ。デッサンですよ?真面目に描いてくださいよ」

 碧はさらりと、

「真面目に描いたって」

「真面目にって……」

 育巳はそこで言葉を切って唇をかむ。両の拳は力を籠めすぎて、爪で皮膚を傷つけてしまうんじゃないかというくらい固く握られている。

 そんな状態で暫く逡巡したのち、ぽつりと小さな声で、

「……帰ります。お疲れ様でした」

 そう呟いて、立ち上がる。碧が、

「帰るって、華ちゃんはどうす、」

 育巳はそんな呼び止めを完全に無視し、スケッチブックも置いて、自らの鞄だけをひっつかんで部室を出て、扉を、行き所のない感情を全部ぶつけるような乱暴さで閉め、去っていく。思い切りたたきつけるようにて閉められた扉の、痛いほど大きな残響と、虚しいほどに純粋に、そして真剣に描かれたデッサンだけが残される。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

さくらと遥香(ショートストーリー)

youmery
恋愛
「さくらと遥香」46時間TV編で両想いになり、周りには内緒で付き合い始めたさくちゃんとかっきー。 その後のメインストーリーとはあまり関係してこない、単発で読めるショートストーリー集です。 ※さくちゃん目線です。 ※さくちゃんとかっきーは周りに内緒で付き合っています。メンバーにも事務所にも秘密にしています。 ※メインストーリーの長編「さくらと遥香」を未読でも楽しめますが、46時間TV編だけでも読んでからお読みいただくことをおすすめします。 ※ショートストーリーはpixivでもほぼ同内容で公開中です。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~

メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」 俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。 学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。 その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。 少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。 ……どうやら彼は鈍感なようです。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【作者より】 九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。 また、R15は保険です。 毎朝20時投稿! 【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】

処理中です...