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Ⅰ.ラブコメ前夜の静けさ
10.桜の樹の下にはヒロインがいる。
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完璧、と言っていい。
あまりにも異様な、けれども美麗な風景。
そこに佇む、一人の少女。
白いワンピースに、長い黒髪。
俺がこの世界で目覚めてから起きた出来事の、最初の最初。始まりにすれ違い。物語がひと段落した時に再度現れ、こうして邂逅する。
おかしな話だ。自分の歩む人生に物語を見出すなんて。人生はノンフィクション。けして想定のつかない、どこか退屈な現実。そんなことは痛いほどわかっている。
なのに。
俺は今、目の前に佇む少女を、自分の歩む現実のヒロインに見立てている。
そして、その非現実みのある仮説を、否定できずにいる。
理由もある。
それは、
(……情報が、ないんだよな……)
そう。
情報がないのだ。
例えば立花こまち。彼女に関してはしっかりとブラコンの妹だという認識があった。時雨明日香だって、幼馴染として、なに不自由なく接していた。天野千代にしても同様だ。
今まで出会った女の子の知り合いは全て、その情報が思い浮かぶ相手だった。
それが思い浮かばないのだ。
交差点の彼女について俺が持っている情報はふたつ。
ひとつ。登校時に交差点にいたように見えた、ということ。
ふたつ。今、俺の目の前に、まさにメインヒロイン然として登場した、ということ。
これだけだ。
後は何も分からない。
名前も、性格も、身長も、声の高低も、喋り方も、俺に対する接し方も、SなのかMなのかも、なにもかも分からない。
それらが意味するところはたったひとつ。
俺が、少なくともこの世界において、彼女に出会うのは初めてである、ということ。
だから、メインヒロインなのだ。
ラブコメの勝ちヒロイン、メインヒロインはこうやって、後から現れる。物語が開始した段階で関係を持っている相手、というケースはそんなに多くは無い。そして、このあまりにも歪な世界……いや、“セカイ”のメインヒロインということは、“セカイ”そのものの秘密について、なんらかの、それどころか全ての情報を持っている可能性も高い。
聞かない手はない。しかし、
(答えてくれるか……だな……)
なにせ、このあまりにも不思議で、あまりにも歪な世界のメインヒロインだ。おまけに、彼女が今立っているのは、未だかつて見たことがないレベルの大きさの、今まで何とも見てきた日本人の心に刺さる原風景だ。これは俺の勘でしかないが。煙にまかれる可能性の方がずっと高い。
ただ、だからと言って、このまま立ち去るわけにもいかない。
俺は意を決して歩みを進め、少女の近くまで、
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」
少女が、一人、語り始める。
「これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」
ただただ、語った。
その言葉は決して、俺には向けられていない。
そんな気がした。
分からない。距離感からすれば、俺の存在を察知して語り掛けたのかもしれないし、実際聞いていることを前提にしているのかもしれない。
しかし。
それでも。
彼女がその言葉を俺に向けたような気が、どうしてもしない。少女の澄んだ、中性的にも聞こえる声で奏でられたその言葉は、今、ここにいる俺ではない聞き手に向けられたような、そんな、気がしたのだ。
その証拠、と言っていいのかは分からないが、少女がこちらを振り向き、やや声のトーンを柔らかくし、
「だ、そうだが。宗太郎はどう思う?」
「どうって……っていうか、俺の名前知ってるんだな」
少女はふっと口角を上げて、
「ああ。驚かないんだな?」
「まあ、そんな気はしてた」
なにせ、こんな衝撃的な情景と共に登場したヒロインだ。俺の名前くらいは知っててもなんら不思議はない。通常ならここで「なんで俺の名前を知ってるんだ?」とかそういうやり取りがあるんだろうけど、俺からすれば想定内だ。もっとも、ここが「ラブコメじみた世界」だっていう認識がなけりゃ怪しいけど。
少女は何事も無かったかのように、
「で、どうだ?」
「何が?」
「だから、さっきのやつだ。桜の」
「ああ」
なるほどね。
さっき少女が口にした文は、梶井基次郎の短編「桜の樹の下には」。その一番有名な、書き出しの部分だ。
桜の樹の下には屍体が埋まっている。
でないと桜の花が、あんなに美しく、見事に咲くはずなんて信じられない。
文章の解釈は色々だ。
作者が存命ではない以上、真相は闇の中と言ってもいい。
だけど、想像することは出来る。推察することも出来る。
それは目の前の少女の意図についてだって一緒だ。
「要は、こんな狂い咲きの桜の下にはさぞかし醜いものが埋まってんじゃねえかっていいたいのか?」
質問を質問で返すべきではないのかもしれない。
けれど、何故か、彼女に対してはこの“距離感”が正解のような気もして、
「ふっ……相変わらずめんどうな奴だな」
笑う。
あまりにも異様な、けれども美麗な風景。
そこに佇む、一人の少女。
白いワンピースに、長い黒髪。
俺がこの世界で目覚めてから起きた出来事の、最初の最初。始まりにすれ違い。物語がひと段落した時に再度現れ、こうして邂逅する。
おかしな話だ。自分の歩む人生に物語を見出すなんて。人生はノンフィクション。けして想定のつかない、どこか退屈な現実。そんなことは痛いほどわかっている。
なのに。
俺は今、目の前に佇む少女を、自分の歩む現実のヒロインに見立てている。
そして、その非現実みのある仮説を、否定できずにいる。
理由もある。
それは、
(……情報が、ないんだよな……)
そう。
情報がないのだ。
例えば立花こまち。彼女に関してはしっかりとブラコンの妹だという認識があった。時雨明日香だって、幼馴染として、なに不自由なく接していた。天野千代にしても同様だ。
今まで出会った女の子の知り合いは全て、その情報が思い浮かぶ相手だった。
それが思い浮かばないのだ。
交差点の彼女について俺が持っている情報はふたつ。
ひとつ。登校時に交差点にいたように見えた、ということ。
ふたつ。今、俺の目の前に、まさにメインヒロイン然として登場した、ということ。
これだけだ。
後は何も分からない。
名前も、性格も、身長も、声の高低も、喋り方も、俺に対する接し方も、SなのかMなのかも、なにもかも分からない。
それらが意味するところはたったひとつ。
俺が、少なくともこの世界において、彼女に出会うのは初めてである、ということ。
だから、メインヒロインなのだ。
ラブコメの勝ちヒロイン、メインヒロインはこうやって、後から現れる。物語が開始した段階で関係を持っている相手、というケースはそんなに多くは無い。そして、このあまりにも歪な世界……いや、“セカイ”のメインヒロインということは、“セカイ”そのものの秘密について、なんらかの、それどころか全ての情報を持っている可能性も高い。
聞かない手はない。しかし、
(答えてくれるか……だな……)
なにせ、このあまりにも不思議で、あまりにも歪な世界のメインヒロインだ。おまけに、彼女が今立っているのは、未だかつて見たことがないレベルの大きさの、今まで何とも見てきた日本人の心に刺さる原風景だ。これは俺の勘でしかないが。煙にまかれる可能性の方がずっと高い。
ただ、だからと言って、このまま立ち去るわけにもいかない。
俺は意を決して歩みを進め、少女の近くまで、
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」
少女が、一人、語り始める。
「これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」
ただただ、語った。
その言葉は決して、俺には向けられていない。
そんな気がした。
分からない。距離感からすれば、俺の存在を察知して語り掛けたのかもしれないし、実際聞いていることを前提にしているのかもしれない。
しかし。
それでも。
彼女がその言葉を俺に向けたような気が、どうしてもしない。少女の澄んだ、中性的にも聞こえる声で奏でられたその言葉は、今、ここにいる俺ではない聞き手に向けられたような、そんな、気がしたのだ。
その証拠、と言っていいのかは分からないが、少女がこちらを振り向き、やや声のトーンを柔らかくし、
「だ、そうだが。宗太郎はどう思う?」
「どうって……っていうか、俺の名前知ってるんだな」
少女はふっと口角を上げて、
「ああ。驚かないんだな?」
「まあ、そんな気はしてた」
なにせ、こんな衝撃的な情景と共に登場したヒロインだ。俺の名前くらいは知っててもなんら不思議はない。通常ならここで「なんで俺の名前を知ってるんだ?」とかそういうやり取りがあるんだろうけど、俺からすれば想定内だ。もっとも、ここが「ラブコメじみた世界」だっていう認識がなけりゃ怪しいけど。
少女は何事も無かったかのように、
「で、どうだ?」
「何が?」
「だから、さっきのやつだ。桜の」
「ああ」
なるほどね。
さっき少女が口にした文は、梶井基次郎の短編「桜の樹の下には」。その一番有名な、書き出しの部分だ。
桜の樹の下には屍体が埋まっている。
でないと桜の花が、あんなに美しく、見事に咲くはずなんて信じられない。
文章の解釈は色々だ。
作者が存命ではない以上、真相は闇の中と言ってもいい。
だけど、想像することは出来る。推察することも出来る。
それは目の前の少女の意図についてだって一緒だ。
「要は、こんな狂い咲きの桜の下にはさぞかし醜いものが埋まってんじゃねえかっていいたいのか?」
質問を質問で返すべきではないのかもしれない。
けれど、何故か、彼女に対してはこの“距離感”が正解のような気もして、
「ふっ……相変わらずめんどうな奴だな」
笑う。
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