朱に交われば紅くなる

蒼風

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chapter.1

4.青い春と書いて青春と読むんだよ、少年。

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 紅音くおんはやや不快感を出しながら、

「なんですか。一応、五時間目の準備とかあるんですよ?」

「ぐっ……」

 冠木かぶらぎは一瞬ひるむも、

「や、それは分かるんだけど。見捨てないでよ、少年」

 はて。

 見捨てる、とはどういうことだろうか。

 確かに、紅音は冠木との話を強引に打ち切った。そこには女子生徒A(仮)乱入前の話題をうやむやにしたいという狙いがある。

 しかし、その会話の内容で助けを必要としていたのはどちらかというと紅音の方であり、冠木ではなかったはずである。

 にも関わらず今、冠木は紅音に助けを求めている。これは一体どういうことなのだろうか。

 紅音は取り合えず、

「見捨てるって……どういうことですか?」

 尋ねてみる。分からなければ聞けばいいんだ。

 すると冠木は「本当に困った」という塩梅で、

「だって……このままだとまたお説教コースだもん」

「お説教……」

美代みよちゃんに……」

「ああ」

 合点がいく。

 美代ちゃんというのはこの学生相談室を任されている養護教諭の一人だ。本名をおおとり美代子みよこという。

 年齢は恐らく冠木と同じくらい。身長はやや低め。髪型は肩より短めのボブカットで、服装は3日のうち2日以上はピカピカのスーツという塩梅。

 新社会人の入社式から、一人拉致して連れてきましたと言われても、正直そこまで違和感の無い見た目をしている彼女は、そこから想像出来る範疇の性格をしていた。

 流石に身近に冠木がいる以上、四角四面ではないものの、実に真面目で、最初は冠木と紅音が、ここでカップ麺を食べることにもかなり難色を示していたくらいだ。

 もしかしたら世間的には彼女の方が正しいのかもしれないが、正直紅音としては冠木の方が接しやすいので助かっている。

 その鳳だが、どうやら怒ると怖いらしい。

 冠木から聞いたところによると、その日の夜、夢に出てくるほどなのだそうだ。もちろん、その原因は半分以上怒られる行動をする冠木にあるわけで、紅音もこれまた半分以上笑い話として聞いていたのだが、

「お説教ですか」

「そう」

「またなんで」

「だって、さっきの子、私がここで少年と遊んでたから逃げてったってわけでしょ?それ知ったら絶対怒るよ美代ちゃん……」

 そうだ。

 こと、今回に関しては笑い話にするわけにもいかない。

 これが、冠木が酒盛りしていて、生徒が逃げていったという話であれば、散々爆笑したうえでその生徒を探し出し、もう一度学生相談室に連れてきた上で鳳と面談させる。

 そのうえで、事の顛末をきっちりと話させて、行く末を見守ってもうひと笑いまであるくらいなのだが、今回に関して言えば、紅音もしっかり当事者だ。

一応、校則や、学生相談室の規約に違反した行動をしているわけではないので、おとがめが無い可能性は高いとみているが、そのせいで冠木が悪夢にうなされるというのは少し忍びない。

 と、いうことで、

「ってことはですよ。さっきの彼女を、先生がいて、鳳先生がいないときに、ここにくるように仕向けられればいいわけですね」

 冠木は「何を言っているんだ」といった具合に、

「そうだけど……そんなこと出来ないでしょ。どこの誰かも分からないのに」

 紅音はさらりと、

「どこの誰かなら分かりますよ」

 冠木はけげんな表情で、

「…………はい?」

「さっきの彼女ですよね?名前は確か……やまなし。そう。月見里やまなし朱灯あかり。“やまなし”は月を見る里と書いてやまなし。“あかり”は朱印船の朱に、灯台の灯。2年E組出席番号37番。血液型は確かAがt」

「ちょっとちょっとちょっとちょっと!!!!」

 止められた。

 なんなんだ。せっかく人が有益な情報を開示しているのに。

 冠木は何度も瞬きしながら、

「え、それほんと?でまかせじゃなくて?」

「ここで情報でっち上げてどうするんですか……」

「いやだって……」

 冠木はそれでも納得がいかない様子で、

「ありえなくない?だって、友達とかじゃないんでしょ?」

「え、ええ。まあ」

 おっと危ない話題だ。出来ればその話はもうこれきりにしていただきたい。

 ただ、そんな紅音の懸念とは裏腹に、

「じゃあ、なんでそんなに詳しい……はーん」

 瞬間。

 冠木の表情が一気に変化した。

 まるで「これはいいおもちゃを見つけた」とでも言わんばかりの意地の悪い笑みに。

「少年、もしかしてあの子のことが好きなのか?」

「はぁ~~~~」

 ため息。

 それも思いっきりでかいやつ。

 冠木はそれはそれは意外そうな表情で、

「え、違うの?」

「違いますよ全く……先生まで恋愛脳になっちゃったら、ここはもう恋愛相談所になっちゃうんで帰ってきてもらえますか?」

 ちなみにもう一人の養護教諭である鳳美代子が恋愛脳なのはもう、言うまでもない。学生の悩みは恋愛だけではないのだから自重して頂きたい。 

 冠木はやや申し訳なさそうにぽりぽりと頬をかきながら、

「ごめんごめん……え、でもじゃあなんで知ってるの?」

「定期テスト」

「ていきてすと?」

 冠木はそのまま復唱する。そんな初めて聞いた単語みたいに……一応教師でしょうに……まあいいか。

 紅音は続ける。

「そう。定期テストです。あれって、中間テストと、期末テスト。それぞれ学年の上位50人が廊下に名前と点数を貼りだされるのは知ってますよね?」

 冠木は漸く話に追いついたという感じで、

「ああ……そういえばそうだったね」

「一年次一学期中間テスト2位。同期末テスト3位。一年次二学期中間テスト3位。同期末テスト8位」

「な、なにそれ?少年の順位?」

 紅音ははっはっはっと笑い飛ばし、

「そんなわけないじゃないですか。俺は一学期の期末テストからずっと1位ですよ。やだなぁ~」

「うわっ、可愛くねえ~……」

「可愛くなくて結構です。そんなことより、今言ったの、月見里の順位なんですよ」

 冠木は意表をつかれ、

「へ?マジ?」

「大マジです。実際に調べれば記録残ってるんじゃないですかね」

「いや……残ってると思うけど……少年は、なんでそんなことを覚えてるのさ」

「そうですね……細かいことを説明するとタイムオーバーになっちゃうんで割愛しますけど、要は俺が1位を狙い始めて、順位も気にするようになったときに、二回連続で自分のちょっと下にピタッとつけてたから印象に残ったんですよ」

 まあ、より正確に言うのであれば、「紅音がどうしても勝ちたかった佐藤さとう陽菜ひなの下にぴったりとついていたものだから気になったというのが本当のところだが、それを説明するためには彼女陽菜のことも説明せねばならないのでやめておいた。

 冠木はやはり納得したのかどうか分かりにくい反応で、

「ふ~~ん……」

 紅音は今度こそ話をまとめに、

「と、まあ、そんなわけですから。当たってみてください。多分、捕まると思いますよ。目立った部活に入ってる様子もないみたいですし。んじゃ、俺はこれで」

「待った」

 かかれなかった。つくづく人を引き留める人だ。遠距離恋愛カップルのお別れか何かじゃないんだから、さっさと戻らせてほしい。

「なんですか?」

 既に部屋を出ようとしていた紅音が振り向くと、

「や、少年に頼みがあるんだよね」

 そこには悪戯っ気満点の笑みを浮かべた冠木がいた。

 何を企んでいるんだこいつ。

「少年さ。名前まで知ってるんだったら、その子ここまで連れてきてくれない?」

「何でですか。俺が探すより、先生が呼びかけた方が確実じゃないんですか?」

「その時に時間まで指定は出来ないもん。もし、タイミングが悪かったら一巻の終わりだよ?」

「それはそうかもしれないですけど……でも、それは俺とは、」

「美代ちゃんが怒っちゃったら、西園寺くんは昼休みにご飯を食べる場所がなくなっちゃうかもなぁ~」

「な」

「だって、今回のことって、元はと言えば二人で遊んでたせいじゃなーい?そうなると美代ちゃん、もうこういうのはやめようっていうかもなぁー」

 まずい。

 それは非常にまずい。

 そして、もっとまずいことに、鳳という人間の性格を考えるとその可能性は十分に考えられる、ということだ。

 もちろん、紅音に行く当てがないわけではない。

 新聞部の部室に行ってもいいし、葵に声をかけて、一緒に昼食を取ってもいい。

そもそも昼休みの外出を禁止されているわけではないので、外に食べに行ったっていい。

 ただ、そうなると、冠木と昼食を取るということも、カップ麺のおこぼれにあずかるということも出来なくなる。紅音としては、それだけは何としても避けたい結末だ。

 そうなると結論は一つである。

「…………分かった。分かりましたよ。連れてくればいいんでしょ?月見里をここに」

「サンキュー少年」

 何がサンキューだ、ひっぱたくぞ。

 まあ、教師相手にそんなことはしないけど。

 ただ、それならば、

「んじゃ、連絡先、教えてもらっていいですか?」

「ん?連絡先?」

「そりゃそうでしょ。基本的に誰がどの時間にいるかは決まってますけど、実際に先生一人とは限らないじゃないですか。確実に一人のタイミングを狙うためには連絡は取れるようにしておかないと」

 冠木は口に手を当てて「いひひ」と笑い、

「そんな口実無くても言ってくれれば教えてあげるのに」

 紅音はため息をつきながらスマフォをいじって、

「はいはい……ほら、交換しますよ」

 メッセージアプリを起動し、催促する。冠木もポケットから自らのスマフォを取り出し、

「あいよ」

 来た。

 これで交換は完了だ。

 思わずにやりと口角が上がる。

 紅音はこんどこそという思いで、

「んじゃ、連絡しますね」

「おう、よろしくなー」

 バタン!

 カラカラカラカラ……

 扉が閉まり、取り付けられていた鈴が音を立てる。

 そんな動きを冠木はじっと眺める。

 やがて、予鈴のチャイムが鳴り響く。廊下から急ぎ足で教室へと向かう足音がバタバタと聞こえる。

「廊下を走るな!」と叱る声は教頭先生だろうか。しかし、そんな圧力には屈さずに「すみませーん」という謝り一つに駆け抜ける音が遠くへと消えていく。

 そんな中、冠木は自らの握っているスマートフォンの画面を眺める。そこに表示されているのは西園寺さいおんじ紅音のメッセージアプリのプロフィール欄。アイコンは紅音と女の子の2ショット写真。

紅音よりもやや幼いことや、幼馴染である八雲やくもあおいではないことから、恐らくは彼の妹であろうことが推察される。そんな写真を見ながら冠木は一人、誰に向けるでもなく呟く。

「私はな、恋愛はしないんだよ、もう」

 空は、呆れかえるほどの青さだった。
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