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chapter.11
42.計算されていた俺たちのこと。
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朝霞文五郎という人間の基本姿勢は「観測者」である。
一年次から新聞部に所属し、様々な情報をどこからともなく収集し、新聞を作成する。
ただ、その中で一貫しているのは「観測者」という立場なのだ。
「マスコミっていうのはもっと観測者であるべきだと思うんだよね」という本人の言葉通り、ある意味で無思想、無感情な紙面を作成する彼は、どうしたことか、私生活でもまた、そのスタイルが徹底されている。
それこそ紅音が授業中から部室にいたとしても「おう」くらいの挨拶しかしないし、下手をすれば彼女を連れ込んでいちゃついていたとしても「次からは事前に申告しておいてくれると助かるよ」くらいのコメントしかしない可能性がある。
よく言えば「個人として人を尊重」しているともいえるし、悪く言えば「人間に興味が無い」とも取れるのが彼、朝霞文五郎なのだ。
その彼の名前が今、イメージからは最も程遠い場所で挙げられた。
紅音だって、朝霞の全てを知っているわけではない。
むしろ知らないことの方が多いくらいかもしれない。
だが、そんな紅音にも分かることが一つだけある。「本来全く関係ないはずの陽菜に何かを吹き込んで、行動を起こさせる」という事実と朝霞文五郎という人間は、もっともかけ離れた存在であるということだ。
陽菜も流石にそれは理解していたのか、
「……私も最初は驚いた。だって、西園寺とならともかく、私と朝霞ってなんの接点もないでしょ?クラスも違えば、部活動だって違う。接点らしい接点なんて全くない。だから、最初は警戒したのよ。私に何か用?って聞いた。敵意をまき散らしてね。そしたらなんていったと思う?」
「……分からんな。既に佐藤に話しかける朝霞っていうのが想像の範疇外だ」
「このままだと紅音をぽっと出の子に取られちゃうよって」
「…………え」
陽菜は苦笑し、
「意味わかんないでしょ?取られるって何?って、そもそもぽっと出の子って何?って思った。だからそのまま聞いてやったの。そしたらあいつはこういったの」
一呼吸置き、
「このままだとアイツは、君と勝負すらしてくれなくなると思うよって」
理解が、追いつかなかった。
「ぽっと出のあの子」というのは間違いなく月見里のことだ。それは間違いない。ただ、そこを結びつけるとなおさら話が繋がらない。
確かに、紅音は月見里と友達になり、部活動にも入った。そういう意味で言えば陽菜の存在が眼中から消えかかっていたのは間違いない。
ただ、だから何だというのか。陽菜の側からしてみれば敵前逃亡。不戦勝。労力を伴わずに勝利出来た。それでいいのではないか。
これから先、紅音の成績が落ち、順位で陽菜の後塵を拝することになったとして、なんの問題があるのか。それが本来、陽菜の求めていた事実ではないのか。対戦相手が勝手に死んでいくのに何の問題があるのか。
いや。
違う。
これは敵前逃亡ではない。
紅音に置き換えてみれば分かる話だ。
陽菜が突然別のことに──この場合分かりやすいところだと男という話になるが──かまけるようになった。その結果紅音との勝負などどうでもよくなって、成績すら落ちていったとしよう。紅音がそれで勝ちとするだろうか?よしとするだろうか。勝手に自滅してくれてラッキーと思うだろうか。そんなことは無いはずだ。
きちんと正々堂々戦って、相手にしっかりと負けを認めさせる。それこそが求めていることのはずなのだ。そう考えれば確かに、今の状況は陽菜にとっては不都合なのは間違いないだろう。
が、それでもなお分からないことがある。
それは、
「それをあいつ……朝霞が言ったのか?」
「ええ」
そう。
今まさに問題なのは、その事実を伝えたのが朝霞である、ということだ。
おかしいではないか。紅音の知る限り、朝霞はそういったことには干渉しない質のはずだ。
紅音が陽菜との勝負をそっちのけで、月見里や両先輩と部室でわいわいやっていたとしても、それによって陽菜が消化不良を起こしていたとしても、それをただただ観測し、そこから得た一切の感情を表に出すことすらないはずだ。それが朝霞であり、だからこそ紅音にとっては数少ない友達でありえたのではないか。
話が違う。
朝霞からすれば、そんなことを言われても困るかもしれない。ただ、少なくとも紅音の中に残っているのは「そんなはずはない」という困惑と、朝霞という人間に対する疑惑の感情だけである。
陽菜は続ける。
「私も最初は適当にあしらおうと思った。けど、朝霞が言うことにも一理あると思ったのよ。もし、西園寺がこのまま部活に現を抜かすようになって、骨抜きになったときを考えると、凄くもやもやした。だから話に乗った。話に乗って、言われた時間に、部室に行った」
つながる。
あれはつまりそういうことだったのだ。
おかしいとは思っていた。
朝霞ともあろう人間が、なんの意味もなく紅音を引き留めるなど。
通常であれば、紅音が帰ると言えば「そう?じゃあまた明日ね」くらいのことしか言わないし、なんなら顔すらこちらに向けずに、手をひらひらさせているだけのこともあるあの朝霞が、紅音をほんの少しでも引き留めようとした、食い下がった。
傍から見ればなんの問題もない、学生生活のワンシーンに他ならないし、紅音からしてもちょっとした違和感でしかない。喉の奥に引っ掛かった魚の小骨。放っておけばそのうち取れるもの。
だけど、一度意識してしまえばその存在は現実よりもなお大きくなって、突き刺さってくる。全ては計算されていた。朝霞は陽菜と紅音を合せる算段をしていたのだ。
「あとはまあ……流れかな。勝負を挑むってところまでは考えてたけど、野球でってのは流石に考えてなかった。あれは本当にたまたま。偶然」
本当に偶然なのだろうか?
あの日、部室は様変わりしていた。
散らかり放題だった部員の私物はほぼ全て隣の第二部室へと移され、残っていたのは、最初からあった新聞部関連の資料と、ハンモックにテント。そして、野球道具である。
流石にそこにまで朝霞の意思が働いているとは思い難いが、視界に映る位置にあることくらいは承知の上のはずだ。陽菜が本来野球をやっていたことも知っていてもおかしくはない。全ては計画の上だったのではないか。
分からない。
これらは全て紅音の勝手な想像である。
ただ、一つだけ確かなことがある。
これ以降、朝霞の言動には注意が必要、という事だ。
そこにどんな意図があるのかは分からない。ただ、結果として彼の想定通りに事は進んだ。それが紅音に対して有利に働くのか、不利に働くのかは、見極める必要がある。
ただ、そうなると、
「なあ」
「な、なに?」
「勝負、別にしなくていいんじゃないか?」
「は、はあ?」
「だってそうだろう。どう考えても勝ち目がない。加えて勝負は外野から煽られて発生したものと来た。そもそも、お前。得意分野で俺を滅多打ちにして、それで満足なのか?」
「う、そ、それは……」
どうやら余り考えていなかったらしい。
紅音は続ける。
「仮に俺がこれでぼっこぼこに打たれたとする。それで俺に勝ったって言えるか?言えないだろ?だって年季が違うんだから。自慢じゃないけど、俺、この間初めてマウンドから投げたんだぞ?そんなやつに勝ってどうするんだ?」
「う、ううう………」
一瞬で反論が出来なくなる陽菜。
当たり前である。そもそも事の発端は「テストでいつも負けて悔しい」なのに、自分の得意分野でぼっこぼこにしてなんの意味があるのか。いいとこストレス発散くらいにしかならないのではないか。
これで予想以上に抑え込まれた日には余計なストレスを抱え込むことになりそうだ。百害あって一利なし。紅音も売られた喧嘩だから買ったものの、そもそも陽菜の側に余りメリットが無いのだ。なんで今まで気が付かなかったんだろう。
紅音は更に畳みかける。
「まあ、陽菜がどうしても自分の得意分野で負けない勝負を挑んで勝ち誇りたいっていうならおぶっ!?」
ベシッ!
バッティングセンターのカードを思いっきり顔面にたたきつけられた。
いくらぺらっぺらのカードでも、この至近距離で叩きつけられたら流石にちょっと痛いからやめて欲しい。
陽菜は打席を指さして、
「打て!」
「いや、だから、勝負なんて意味が、」
「いいから!入れ!早く!」
「ちょっ、背中を押すな!分かった、分かったから!」
紅音はあっという間に打席に押し込められてしまう。なんというか、思ったよりも頑固で、思ったよりも、
「そこ。カード入れる。早く」
「そんな日本語覚えたての外国人みたいな……はいはい……」
紅音は陽菜の指示通り、カードを差し込んで、バットを持って打席に立つ。
さて。
正直なところ、全く自身はない。
一応、小学校の頃、体育の授業で打席に立った経験はある。
ただあれはあくまでお遊び。ボールだって軟式にすら遠く及ばないゴムボールだし、バットだってプラスチック製だ。
おまけにピッチャーはマウンドから近いし、投球というよりは、下投げでのトスに近い形だったような気もする。
従って、経験など皆無に近い。この間の特訓で隣に併設されていたのだから寄っておけば良かったと、ちょっとだけ後悔する。
見よう見まねの構え。恐らく陽菜の目からしたら間違いしかないかもしれない。それでも紅音はじっと打席で投球を待つ。
やがて、ランプが灯る。ピッチャーのCGモーションに合わせて、ボールが射出される。それに合わせて、タイミングを取って、スイングする。
キンッ!
当たった。
後ろ向きな感想だが、当たるとは思っていなかった。
何を間違えたのか陽菜と同じ打席に入ったせいで、球速は130km/hしか存在しないし、運悪くバットも扱いにくい重さのものしかなかった。それでも当たった。なんでもやれば出来るもんだ。
その後、CGの投手が沈黙するまで、バットを振り続ける。
中には空振りの打席もあったが、クリーンヒットの打席もあった。素人としては上々なのではないか。
ちなみにフォームは陽菜のものを真似てみた。だってそれ以外まともなフォームを知らなかったから。いくら何でも葉月先輩のフォームは無理がある。あの人、独特な構えしかしてなかったからな、あの日。
打席が終わり、排出されたカードを取って、ガラス戸を開け、
「あんた……ほんとに素人?」
その向こうにいた陽菜に疑問をぶつけられた。
「そうだけど……なんで?」
「いや……なんでもクソも……なんであんな綺麗に打てるのよ。慣れたら普通に野球部で活躍出来そうなレベルじゃないの?」
「と、言われてもな……後、野球部というか運動部には入る気ないぞ?」
「もっと意味不明な部に入っているのに?」
「意味不明言うな。一応実態は新聞部だからな、あそこ」
「……新聞部ってハンモックとテントがあるもんだっけ?」
それを言われると辛いものがある。
陽菜は何かに満足したのか、
「まあいいわ。面白いものが見られたから。それ、あげる。今度池袋に来た時に暇つぶしにでも使って」
「え、いや、俺が持ってるより、お前が」
「いいの。それより、ちょっと行きたいところ、思いついたから付き合いなさい。返事は「はい」以外認めないわよ」
「おいおい……」
紅音の反応も聞かずにエレベーターへと向かっていく陽菜。なんというか気ままなもんだ。紅音はため息をついて、その後を、
「あん……?」
追いかけようとしたところで足が止まる。陽菜が戻って来たからだ。何故か。その理由はすぐ分かった。
「ホームラン賞があるんだって。貰ってくるわ」
ホームラン。
完全に忘れていた。そういえば当ててたな、あいつ。
一年次から新聞部に所属し、様々な情報をどこからともなく収集し、新聞を作成する。
ただ、その中で一貫しているのは「観測者」という立場なのだ。
「マスコミっていうのはもっと観測者であるべきだと思うんだよね」という本人の言葉通り、ある意味で無思想、無感情な紙面を作成する彼は、どうしたことか、私生活でもまた、そのスタイルが徹底されている。
それこそ紅音が授業中から部室にいたとしても「おう」くらいの挨拶しかしないし、下手をすれば彼女を連れ込んでいちゃついていたとしても「次からは事前に申告しておいてくれると助かるよ」くらいのコメントしかしない可能性がある。
よく言えば「個人として人を尊重」しているともいえるし、悪く言えば「人間に興味が無い」とも取れるのが彼、朝霞文五郎なのだ。
その彼の名前が今、イメージからは最も程遠い場所で挙げられた。
紅音だって、朝霞の全てを知っているわけではない。
むしろ知らないことの方が多いくらいかもしれない。
だが、そんな紅音にも分かることが一つだけある。「本来全く関係ないはずの陽菜に何かを吹き込んで、行動を起こさせる」という事実と朝霞文五郎という人間は、もっともかけ離れた存在であるということだ。
陽菜も流石にそれは理解していたのか、
「……私も最初は驚いた。だって、西園寺とならともかく、私と朝霞ってなんの接点もないでしょ?クラスも違えば、部活動だって違う。接点らしい接点なんて全くない。だから、最初は警戒したのよ。私に何か用?って聞いた。敵意をまき散らしてね。そしたらなんていったと思う?」
「……分からんな。既に佐藤に話しかける朝霞っていうのが想像の範疇外だ」
「このままだと紅音をぽっと出の子に取られちゃうよって」
「…………え」
陽菜は苦笑し、
「意味わかんないでしょ?取られるって何?って、そもそもぽっと出の子って何?って思った。だからそのまま聞いてやったの。そしたらあいつはこういったの」
一呼吸置き、
「このままだとアイツは、君と勝負すらしてくれなくなると思うよって」
理解が、追いつかなかった。
「ぽっと出のあの子」というのは間違いなく月見里のことだ。それは間違いない。ただ、そこを結びつけるとなおさら話が繋がらない。
確かに、紅音は月見里と友達になり、部活動にも入った。そういう意味で言えば陽菜の存在が眼中から消えかかっていたのは間違いない。
ただ、だから何だというのか。陽菜の側からしてみれば敵前逃亡。不戦勝。労力を伴わずに勝利出来た。それでいいのではないか。
これから先、紅音の成績が落ち、順位で陽菜の後塵を拝することになったとして、なんの問題があるのか。それが本来、陽菜の求めていた事実ではないのか。対戦相手が勝手に死んでいくのに何の問題があるのか。
いや。
違う。
これは敵前逃亡ではない。
紅音に置き換えてみれば分かる話だ。
陽菜が突然別のことに──この場合分かりやすいところだと男という話になるが──かまけるようになった。その結果紅音との勝負などどうでもよくなって、成績すら落ちていったとしよう。紅音がそれで勝ちとするだろうか?よしとするだろうか。勝手に自滅してくれてラッキーと思うだろうか。そんなことは無いはずだ。
きちんと正々堂々戦って、相手にしっかりと負けを認めさせる。それこそが求めていることのはずなのだ。そう考えれば確かに、今の状況は陽菜にとっては不都合なのは間違いないだろう。
が、それでもなお分からないことがある。
それは、
「それをあいつ……朝霞が言ったのか?」
「ええ」
そう。
今まさに問題なのは、その事実を伝えたのが朝霞である、ということだ。
おかしいではないか。紅音の知る限り、朝霞はそういったことには干渉しない質のはずだ。
紅音が陽菜との勝負をそっちのけで、月見里や両先輩と部室でわいわいやっていたとしても、それによって陽菜が消化不良を起こしていたとしても、それをただただ観測し、そこから得た一切の感情を表に出すことすらないはずだ。それが朝霞であり、だからこそ紅音にとっては数少ない友達でありえたのではないか。
話が違う。
朝霞からすれば、そんなことを言われても困るかもしれない。ただ、少なくとも紅音の中に残っているのは「そんなはずはない」という困惑と、朝霞という人間に対する疑惑の感情だけである。
陽菜は続ける。
「私も最初は適当にあしらおうと思った。けど、朝霞が言うことにも一理あると思ったのよ。もし、西園寺がこのまま部活に現を抜かすようになって、骨抜きになったときを考えると、凄くもやもやした。だから話に乗った。話に乗って、言われた時間に、部室に行った」
つながる。
あれはつまりそういうことだったのだ。
おかしいとは思っていた。
朝霞ともあろう人間が、なんの意味もなく紅音を引き留めるなど。
通常であれば、紅音が帰ると言えば「そう?じゃあまた明日ね」くらいのことしか言わないし、なんなら顔すらこちらに向けずに、手をひらひらさせているだけのこともあるあの朝霞が、紅音をほんの少しでも引き留めようとした、食い下がった。
傍から見ればなんの問題もない、学生生活のワンシーンに他ならないし、紅音からしてもちょっとした違和感でしかない。喉の奥に引っ掛かった魚の小骨。放っておけばそのうち取れるもの。
だけど、一度意識してしまえばその存在は現実よりもなお大きくなって、突き刺さってくる。全ては計算されていた。朝霞は陽菜と紅音を合せる算段をしていたのだ。
「あとはまあ……流れかな。勝負を挑むってところまでは考えてたけど、野球でってのは流石に考えてなかった。あれは本当にたまたま。偶然」
本当に偶然なのだろうか?
あの日、部室は様変わりしていた。
散らかり放題だった部員の私物はほぼ全て隣の第二部室へと移され、残っていたのは、最初からあった新聞部関連の資料と、ハンモックにテント。そして、野球道具である。
流石にそこにまで朝霞の意思が働いているとは思い難いが、視界に映る位置にあることくらいは承知の上のはずだ。陽菜が本来野球をやっていたことも知っていてもおかしくはない。全ては計画の上だったのではないか。
分からない。
これらは全て紅音の勝手な想像である。
ただ、一つだけ確かなことがある。
これ以降、朝霞の言動には注意が必要、という事だ。
そこにどんな意図があるのかは分からない。ただ、結果として彼の想定通りに事は進んだ。それが紅音に対して有利に働くのか、不利に働くのかは、見極める必要がある。
ただ、そうなると、
「なあ」
「な、なに?」
「勝負、別にしなくていいんじゃないか?」
「は、はあ?」
「だってそうだろう。どう考えても勝ち目がない。加えて勝負は外野から煽られて発生したものと来た。そもそも、お前。得意分野で俺を滅多打ちにして、それで満足なのか?」
「う、そ、それは……」
どうやら余り考えていなかったらしい。
紅音は続ける。
「仮に俺がこれでぼっこぼこに打たれたとする。それで俺に勝ったって言えるか?言えないだろ?だって年季が違うんだから。自慢じゃないけど、俺、この間初めてマウンドから投げたんだぞ?そんなやつに勝ってどうするんだ?」
「う、ううう………」
一瞬で反論が出来なくなる陽菜。
当たり前である。そもそも事の発端は「テストでいつも負けて悔しい」なのに、自分の得意分野でぼっこぼこにしてなんの意味があるのか。いいとこストレス発散くらいにしかならないのではないか。
これで予想以上に抑え込まれた日には余計なストレスを抱え込むことになりそうだ。百害あって一利なし。紅音も売られた喧嘩だから買ったものの、そもそも陽菜の側に余りメリットが無いのだ。なんで今まで気が付かなかったんだろう。
紅音は更に畳みかける。
「まあ、陽菜がどうしても自分の得意分野で負けない勝負を挑んで勝ち誇りたいっていうならおぶっ!?」
ベシッ!
バッティングセンターのカードを思いっきり顔面にたたきつけられた。
いくらぺらっぺらのカードでも、この至近距離で叩きつけられたら流石にちょっと痛いからやめて欲しい。
陽菜は打席を指さして、
「打て!」
「いや、だから、勝負なんて意味が、」
「いいから!入れ!早く!」
「ちょっ、背中を押すな!分かった、分かったから!」
紅音はあっという間に打席に押し込められてしまう。なんというか、思ったよりも頑固で、思ったよりも、
「そこ。カード入れる。早く」
「そんな日本語覚えたての外国人みたいな……はいはい……」
紅音は陽菜の指示通り、カードを差し込んで、バットを持って打席に立つ。
さて。
正直なところ、全く自身はない。
一応、小学校の頃、体育の授業で打席に立った経験はある。
ただあれはあくまでお遊び。ボールだって軟式にすら遠く及ばないゴムボールだし、バットだってプラスチック製だ。
おまけにピッチャーはマウンドから近いし、投球というよりは、下投げでのトスに近い形だったような気もする。
従って、経験など皆無に近い。この間の特訓で隣に併設されていたのだから寄っておけば良かったと、ちょっとだけ後悔する。
見よう見まねの構え。恐らく陽菜の目からしたら間違いしかないかもしれない。それでも紅音はじっと打席で投球を待つ。
やがて、ランプが灯る。ピッチャーのCGモーションに合わせて、ボールが射出される。それに合わせて、タイミングを取って、スイングする。
キンッ!
当たった。
後ろ向きな感想だが、当たるとは思っていなかった。
何を間違えたのか陽菜と同じ打席に入ったせいで、球速は130km/hしか存在しないし、運悪くバットも扱いにくい重さのものしかなかった。それでも当たった。なんでもやれば出来るもんだ。
その後、CGの投手が沈黙するまで、バットを振り続ける。
中には空振りの打席もあったが、クリーンヒットの打席もあった。素人としては上々なのではないか。
ちなみにフォームは陽菜のものを真似てみた。だってそれ以外まともなフォームを知らなかったから。いくら何でも葉月先輩のフォームは無理がある。あの人、独特な構えしかしてなかったからな、あの日。
打席が終わり、排出されたカードを取って、ガラス戸を開け、
「あんた……ほんとに素人?」
その向こうにいた陽菜に疑問をぶつけられた。
「そうだけど……なんで?」
「いや……なんでもクソも……なんであんな綺麗に打てるのよ。慣れたら普通に野球部で活躍出来そうなレベルじゃないの?」
「と、言われてもな……後、野球部というか運動部には入る気ないぞ?」
「もっと意味不明な部に入っているのに?」
「意味不明言うな。一応実態は新聞部だからな、あそこ」
「……新聞部ってハンモックとテントがあるもんだっけ?」
それを言われると辛いものがある。
陽菜は何かに満足したのか、
「まあいいわ。面白いものが見られたから。それ、あげる。今度池袋に来た時に暇つぶしにでも使って」
「え、いや、俺が持ってるより、お前が」
「いいの。それより、ちょっと行きたいところ、思いついたから付き合いなさい。返事は「はい」以外認めないわよ」
「おいおい……」
紅音の反応も聞かずにエレベーターへと向かっていく陽菜。なんというか気ままなもんだ。紅音はため息をついて、その後を、
「あん……?」
追いかけようとしたところで足が止まる。陽菜が戻って来たからだ。何故か。その理由はすぐ分かった。
「ホームラン賞があるんだって。貰ってくるわ」
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