朱に交われば紅くなる2

蒼風

文字の大きさ
上 下
18 / 29
chapter.10

37.澱みきった世界の片隅で。

しおりを挟む
 どれくらいの時が経っただろう。

 お互いがお互いを見つめあい、相手の出方を探る、居合のような状態を打破したのはいろはだった。

「なんでって……近くに来たから、寄っただけよ」

 恐らく、その言葉に嘘はない。

 彼女は別に何も、紅音くおんを驚かせようと思っていたわけでもなければ、嫌がらせをしようと思っていたわけでもない。

 ただ、単純に「実家の近くに来たから寄っただけ」なのだ。その行動が紅音にとってどんな意味を持つのかなど、夢にも考えていないのだろう。

 そんな心中を察したのかは分からないが、いろはは続けて、

「別に、驚かせるつもりは無かったのよ。だから、ほら、優姫ひめにも連絡をしておいたのよ」

「優姫に……?」

 二人の視線は自然と彼女の方を向く。すると優姫はうつむいたまま小さく縦に頷いて肯定する。いろはは補足を入れるようにして、

「今日の……昼くらいかしら、今日の夜、そっちにいくよって優姫には話してたの。紅音にも伝えておいてねって言っておいたんだけど、話してなかったのね?」

 再び小さく頷く。その姿はいつもよりも大分小さく見えた。

 謎が解けた。

 つまりはこういうことだ。

 いろはは優姫に対して連絡を入れたのだ。家に帰る、と。紅音にもそう伝えて欲しい、と。

 ところが優姫はそれを紅音に伝えなかった。

 いや、伝えることが出来なかったのだ。

 それを伝えたとき、その情報を紅音が知ったときにどんな反応をするのかが分かっているから。だから言えなかった。

 それでも時間は過ぎていく。相手はそんなことで予定を変えてくれることはない。だから優姫はそれを一人で抱え込んでしまったのだ。そして、とうとう期日になってしまった。

 もしかしたら、ずっと気にしないようにしていたのかもしれない。けれど、それで事実が消えてなくなるわけではない。それが、先ほどまでの「悩みを抱えた、心ここにあらず」な状態の真相だ。

 分かってしまえば大したことではないし、そう言われてみれば、彼女のこの反応は見覚えがあるものだ。

 そして、それはこと数年前までは「当たり前に横たわっていたもの」だ。なんで気が付かなかったのだろう。それだけ、今の生活に慣れていた、ということなのかもしれない。

 紅音は優姫の元によって、背中をぽんとさわり、

「顔上げて」

「…………ごめんなさい……どうしても、言えなくて」

「いいんだ。だからさっきまで様子がおかしかったんだな?」

 無言の首肯。それが真実だ。

 紅音は語りかける。

「大丈夫だ。優姫は俺のためを思ってくれたんだよな?それで十分だ。な?」

 優姫は再び頷く。その目は既に少し湿り気を持っていた。

 紅音は立ち上がり、

「何しに来た」

 いろはに語り掛ける。

 問わなければならない。そして、事の次第によっては糾弾しなければならない。例え相手が誰であろうとも。

 いろはは申し訳なさそうに、

「何しに来たって……そんな、驚かそうとか、そんなつもりで来たんじゃないよ。ただ、単純にどうしてるかなって……」

 余計なお世話だ。

 そう言ってやろうかとも思った。

 ただ、そんな単調で薄っぺらい感情の吐露は意味が無いことも知っていた。

 だから、

「……優姫」

「な、なに?」

「悪いけど、相手してもらえるか?お兄ちゃんはちょっと、用事を思い出したから」

「用事……?」

 疑問を抱える優姫。そんな彼女を背にして紅音は、家を背にして歩き出す。

 そんな背中にいろはが、

「待って。どこにいくの、こんな時間に」

 またか。

 まだ、そんなことを言っているのか。

 紅音は振り返らずに、

「そんなものを説明する義務はねえよ」

 いろはは全く状況がつかめないような塩梅で、

「そりゃ、無いかもしれないけど……教えてよ、心配になるじゃない」

 うるさい。

 うるさいうるさいうるさい。

 耳障りだ。

 紅音は質問には一切答えずにその場から走り去る。その間、背後からしていた、どこにでも転がっているようなワードの組み合わせを、紅音は右から左に聞き流していた。


               ◇


「…………ここまでくれば大丈夫、か」

 一切振り返らず、わき目もふらず、信号すらも無視して車に轢かれそうになりながらも、紅音は走り続けた。「死にたいのか!」そんな怒声を聞いたときは「そんなに殺したいなら殺せばいいだろう」とも思ったが、流石にそこまでの度胸はないらしい。当たり前か。誰だって殺人者にはなりたくない。責任の所在が100%相手にあろうとも、殺人は殺人だ。

 立ち止まった紅音は、ポケットから取り出したスマートフォンで、優姫に連絡を入れる。


「悪い。少なくとも今日一日はどっかで時間潰す。多分、俺がいない方が面倒なことにならないと思うしな。迷惑かけるけど、一つ貸しってことにしておいてくれ」


 返事はすぐに来た。


「了解しました。深夜まで起きてるので、何か必要なものがあったら言ってください。明日までに用意しておきます」


 ありがたい。その必要が生じるのかは分からないが、もしかしたら、長期戦になるかもしれない。そうなればある程度持ち出しておきたいものはあるだろう。

 紅音は「サンキュー」とだけ返してスマートフォンをしまい込み、一つ、ため息をつく。

「さて、これからどうしたもんかね……」

 そう呟いて、既にすっかりと暗くなった夜空を眺めていると、

「あら?もしかしてそこで黄昏ているのは……西園寺さいおんじ?」

 まただ。

 耳に覚えのある声がする。

 しかもこれは、

「…………佐藤さとう……陽菜ひな……」

 そう。

 忘れることなどありはしない。紅音のライバル……違った、噛ませ犬こと佐藤陽菜その人ではないか。

 ただ、その様子は普段とは大分違う。

 この時間だ。制服姿でないのはいいだろう。ただ、上下ジャージというのはどういうことだ。それに眼鏡。赤い縁の目立つもの。そんなもの、普段は掛けていないはずだ。

 金髪も後ろで一つにまとめあげて、ポニーテールのようになっている。いつもの彼女から漂う高慢なお嬢様然とした雰囲気は一切なく、どちらかと言えば没落貴族という表現の方がふさわしい気がする。ここまで来ると金髪のほうが逆に浮いている。

 陽菜は紅音のことをまじまじと見つめ、

「あの…………失礼ですけど、何をしているんですの?」

 はて。

 何と答えるのが正解なのだろう。

 一応、着替えだけは済ませているので、「野球の練習をした帰りです」という感じはしないはずである。

 ただ、そのせいで目立った証拠らしい証拠はなく、陽菜の目からすれば「何故かこんな時間に学生服のままで駅前の広場で何をするわけでもなくぼーっと星空を眺めていたことになる。

 それは確かに「何をしているんだ」と問いたくもなるだろう。だって、当の本人からしても疑問だもの。何してたんだと思う、俺?

 ただ、陽菜にそんな問いをぶつけるわけにもいかず、紅音は、

「暇つぶしだよ、暇つぶし。夜空ってほら、眺めてると良い暇つぶしになるんだよ」

「こんなに曇っているのにですか?」

 見上げる。

 なるほど確かに曇っていた。そもそも都会の夜空というのはそんなに綺麗に星が見えるものでもなければ、「ほらごらん、あれが春の大三角形だよ」などと知識をひけらかすことが出来るようなものでもないわけだが、そんな都会の空は完全に曇り散らかしており、星らしい星も見えなければ、月の影も見えやしない。織姫と彦星もびっくりである。

「…………曇り空ってのも良いもんだろ?」

「……………………どうしたんですの、あなた?」

 駄目か。

 こう良い感じに「ロマン感じてますよ」という雰囲気を出して、「まあ、たまには曇ってて何も見えない夜空も良いものですよね」と言わせる算段だったが、駄目か。まあ駄目だよな。

 紅音はため息一つ吐いて、

「ちょっとな。時間を潰さなくちゃいけなくなったんで、どうしたもんか考えてたんだ」

「時間を……ですか。ちなみにどれくらいですか?三十分とか一時間でしたら、買い物に付き合っ、」

「一日」

「は?」

 は?と来たか。

 しかも結構ガチトーン。君、素の声はそんな低いのね。普段は作ってるのか、声。

 ただまあ、その反応も分からなくはない。実際、紅音が陽菜の立場だったとして、その回答が返ってきたら、元からおかしかった頭がついにぶっ壊れてしまったのかと心配するところだ。

 と、まあ、そんなトンデモ回答をそのまま放置するわけにもいかないので、

「ちょっとな。家に帰るわけにもいかないんで、一日ネカフェにでも行って時間潰そうかと思ってる」

 幸いにして、駅前には最近オープンした、ちょっとこじゃれたネットカフェがある。常々興味はあったものの、「自分ちから徒歩圏内なのに、行く意味あるか?」という疑問が常に脳内で邪魔をしてくるため足を運んだことは無かったのだ。良い機会だ。家に帰れないのであれば口実としては十分だろう。

「と、まあ、そんなわけだから、俺は行くわ。佐藤もほら、早く帰らないとレ○プされるぞ」

 と、小馬鹿にし、勝ち逃げのような形でその場を去ろうとしたのだが、

「お待ちなさい」

 引き留められた。

 しかも手まで握られた。

 紅音は振り返って、

「何?まさか、夜道が怖いから家まで送ってほしいって?」

 適当に受け答えする。ところが、

「夜道が怖いわけではありませんが……」

 こほんと咳払いし、

「帰るところがないのならば……あなた、家にきませんか?」

 とんでもない提案をしてきた。あの、冗談だったんですけど。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!

佐々木雄太
青春
四月—— 新たに高校生になった有村敦也。 二つ隣町の高校に通う事になったのだが、 そこでは、予想外の出来事が起こった。 本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。 長女・唯【ゆい】 次女・里菜【りな】 三女・咲弥【さや】 この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、 高校デビューするはずだった、初日。 敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。 カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

俯く俺たちに告ぐ

青春
【第13回ドリーム小説大賞優秀賞受賞しました。有難う御座います!】 仕事に悩む翔には、唯一頼りにしている八代先輩がいた。 ある朝聞いたのは八代先輩の訃報。しかし、葬式の帰り、自分の部屋には八代先輩(幽霊)が! 幽霊になっても頼もしい先輩とともに、仕事を次々に突っ走り前を向くまでの青春社会人ストーリー。

俺たちの共同学園生活

雪風 セツナ
青春
初めて執筆した作品ですので至らない点が多々あると思いますがよろしくお願いします。 2XXX年、日本では婚姻率の低下による出生率の低下が問題視されていた。そこで政府は、大人による婚姻をしなくなっていく風潮から若者の意識を改革しようとした。そこて、日本本島から離れたところに東京都所有の人工島を作り上げ高校生たちに対して特別な制度を用いた高校生活をおくらせることにした。 しかしその高校は一般的な高校のルールに当てはまることなく数々の難題を生徒たちに仕向けてくる。時には友人と協力し、時には敵対して競い合う。 そんな高校に入学することにした新庄 蒼雪。 蒼雪、相棒・友人は待ち受ける多くの試験を乗り越え、無事に学園生活を送ることができるのか!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~

kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

処理中です...