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2章 魔女 未来に向かって

88 騎士と最後の魔女 4

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 人々が集まった伯爵家の談話室では、これまでの経緯がギディオンによって説明された。
 ディーターの妻で女主のアガーテは、このところ体調が回復しているというが、この場には降りてはこなかった。
「すごい話だ……にわかには信じられんが、この世にはそういうこともあるのか」
 フォルストは画帳と帳面をザザに返した。
「その娘……いや、ザーリアザ嬢は我が血縁であったか……」
「係累の少ない我が家には、朗報と言うことではないでしょうか? 兄上」
 リッツァが冷静に言った。
「しかも、魔女? にわかには信じられない……が、そうなのだろう。まだ存在していたのだ」
「すごい……私も本の中の知識しかないんだけど……ザザの魔法を見てみたいわ」
 サルビアがうっとりとザザを見つめる。
「義姉上、魔法は本来見せるものではないものですよ。それに、ザザの魔法は今傷ついている」
「魔鉱石が割れてしまったんでしたね……魔鉱石、まだ見つかるものなんだろうか?」
 感慨深げにリッツァが呟く。彼は若いだけに、学術的な好奇心が抑えられないようだ。
「そんなものは見つからないほうがいいのだろう。大伯父やザザのような良き魔女だけでなく、主人と認めた人間にも作用するもののようだからな。俺もザザも、そんなものはもう要らない」
 ギディオンの答えに惑いはなく、その横でザザも黙って頷いた。
「で、父上の見解は?」
 フォルストがディーターに向けて尋ねた。
「ギディオンの証言、ザーリアザ嬢の母御の日記と輝石、これらの証拠によって、ザーリアザ嬢を我が伯爵家に迎え入れたい」
 ディーターは重々しく言った。サルビアの顔が輝く。
「まぁ!」
「つまり、我らとはどういう間柄になるのでしょうか?」
 リッツァが首を傾げ、フォルストも考え込んでいる。
「大伯父上の娘だということはつまり、父上にとっては従姉妹になる……のか? で、我々にとっては……」
「なんでもいい。俺にとってはただのザザです」
「ザザ・フォーレットです」
 ザザはギディオンにもらった名前を堂々と名乗った。それへギディオンも大きくうなずき返す。
「そのとおりだ。父上、兄上、以前にも申し上げましたが、私はこの家から籍を抜きたいと思います。ただの市井しせいの男として、ザザとともにこの世界を生きていきたい」
 ディーターも二人の兄弟もしばらく何も言わなかった。予想していたことでもあった。
「父上、ザザとこの家のえにしなど、どうでもいいのです。俺たちは二人一緒にいられたらいい」
「だが、いつかは子が生まれるやもしれぬ。その子どもにセルヴァンティースの後ろ盾は必要だろう」
 ディーターが重々しく断言する。
「それこそ必要ありませんよ、父上。才と運に恵まれ、本人が望めば大成するかもしれないし、なければないで市井に埋もれて生きていけばいい。幸せだったらそれでいい」
「……どうしても、家を捨てるというのか?」
「捨てるのではありません。巣立つのです。それだけのことです」
「……私を恨んでか?」
 ディーターは苦く言った。
「いいえ。俺は誰も恨んでなどいない。ただもう縛られたくはないだけです。この家にも、王家にも」
「自由になってどうする? 何をして身を養うのだ?」
「さて、とりあえず旅に出ようと思います。ザザの薬売りの手伝いでもしますかな?」
「それを世間ではヒモというのではないか?」
 フォルストが、にやにやしながらからかった。彼自身はこの優秀な義弟の決断をすでに受け入れているのだ。
「ひも? ひもなのですか?」
 ザザがぽかんとしている。その手が画帳を閉じるひもをいじっていた。これは絶対に勘違いしているなと、ギディオンは思ったが教えるつもりもない。
「ま、ザザは知らなくてもいい言葉だ。いや、まぁ、グレンディル殿を見習って、辺境の村や町で男たちに身を守る術でも伝えながら、暮らしていきます。まずはグレンディル殿の終焉しゅうえんの地にもうでようかと。幸いその手帳に地図もありますし」
「私も兄上の意思を尊重します。でも陛下や王太子殿下が許してくれますかねぇ。兄上は自分で思っていらっしゃるよりずっと重要人物ですよ」
 リッツァも言った。
「そっちも何とかなるさ。今回の俺とザザの働きに免じて、レストレイ殿下が渋々許してくれたからな。ただ」
「必要な時には馳せ参じよ、と言うのだろう。あの喰えない殿下のことだ」
「ご明察。さすがは兄上」
「私を無視して話を進めるな」
 苦り切った様子でディーターが口を挟む。
「私はまだ許しておらんぞ」
「父上、もう諦めてください。ギディオンはもう人生を決めてしまったのです」
 フォルストが言った。
「兄上?」
「こう申してはなんですが、父上は我が母よりも、オリヴィエ様を愛しておられた。そしてその息子ギディオンを手元に残しておきたいと思われている」
 フォルストの声は平坦だが、優しい目の色だ。
「……」
「ええ、そうですよね。フォルスト兄上、昔からギディオン兄上は父上の『特別』だった。あ、いえ、我らはやっかんでた訳じゃないんです。ギディオン兄上はずっと我らに遠慮されてたし、あんまり家にいなかったですからね」
 リッツァも同意する。ディーターは黙って長兄の言葉を聞いていた。
「……」
「母上には気の毒だったけれども。あのご性格ですし。しかし、幸い我々は、ありがちな兄弟で憎しみあうことなく平等に育った。これは父上と母上のおかげだと思っております。ですが」
 フォルストはギディオンとザザに目を向けた。
「我らも、もう立派な大人だ。自分の道は自分で選ぶ。私は嫡男として、伯爵家をついで見せましょう。しかし、ギディオンもリッツァも好きに生きればいいと思います。もちろん援助は致しますが」
「私は建築に興味があるんです。外国に行っていろんな建造物を見たいです。あと、どこかの家に婿養子に入るのは嫌ですからね。愛する人は自分で選ぶ。兄上達のように」
「フォルスト……リッツァ」
 長兄と末子に立て続けに言い募られて、ディーターは返す言葉が見つからないようだった。
「ギディオン。好きに生きろ。家に縛られることはない。籍を抜いたって我らが兄弟であることには変わりがないからな。ただし、たまには顔を見せに帰ってこい」
「兄上……感謝いたします」
 ギディオンは常に穏やかな兄に首を垂れた。ディーターはテーブルの木目を見つめている。
「父上。お許しいただけますでしょうか?」
「……」
「……父上」
「……認める」
 長い沈黙の後、ようやくディーターは顔を上げ、ギディオンに、息子達に向かって行った。
「好きにするが良い」
「ありがとうございます! 今までのご恩は決して忘れませぬ」
 ギディオンは起立し、深々と腰を折った。
「息子が父に恩などというものではない」
 ディーターは重々しく言った。
「さぁさぁ、お話はついたようね。ごはんにしましょうよ!」
 空気を破ったのはサルビアである。
「もうさっきからお腹が空いてしまって! 食堂にまいりましょう! さっきからジローランがやきもきしていてよ! 今日は特別なご馳走ですって! ザザ。窮屈な思いをさせてごめんなさいね」
 その言葉で人々は立ち上がった。
 ホールの横を通り抜けると食堂である。
 ザザは一番後ろをついて歩いた。
 大階段の横でふと顔を上げると、二階のホールからこちらを見つめる老婦人と目が合った。
 夫人はやつれてはいたが、美しい顔立ちで、ディーターと、そしてギディオンを目で追っている。その目には様々な感情が渦巻いているように見えた。
 瞬間、ザザは理解する。
 この老婦人が伯爵家の女主であり、ギディオンの義母、アガーテなのだ。
「ギディオンさま……」
 ザザは前をいく、背中にそっと声をかけた。
 ギディオンはすぐに振り返り、ザザの視線を追って上を見上げる。
 二人の視線がぶつかった。
「……」
 ギディオンは立ち止まり、再び腰を折った。
 見下ろす老夫人の口元が微かに動く。
 ザザの目にはそれが「お元気で」と言っているように見えた。


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