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1章 魔女 扉を開ける
10 魔女と太陽 4
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「何をしている?」
「えと、あの……わたしお風呂の帰りなんですが……お部屋がどこだかわからなくなって……」
「え? まさか迷ったのか! こんな小さな城で⁉︎」
呆れかえられて、ザザの身が竦む。けれど、彼は少しの間、下を向いただけですぐに先に立って歩き出した。横顔の口元が笑っているように見える。
「やれやれ仕方がない。間違えたところまで送っていこう。まぁ無理もないか。今まで森で暮らしていたんだし、廊下は似たようなものだからな。どこで間違えたんだ?」
少し戻った先にザザが間違えた十字の廊下がある。薄暗いのと床のタイルが同じだから見誤ったのだ。
「方向音痴の魔女とはちょっと愉快だな」
「……ごめんなさい」
情けないところを見られてしまった……。
ザザは恥ずかしくて俯いた。しかし、ギディオンはその曲がり角を過ぎても一緒に歩いてくれている。どうやら部屋まで送ってくれるようだ。
「さっきのあの突き当たりのお部屋はあるじさま……ギディオンさまのお部屋ですか?」
「そうだ。俺はとりあえずの後見人と言うか、保護者ということになっているから、なるべく近いほうがいいと、あの部屋をお前用に借りた」
「ありがとうございます」
「その服は」
その目はザザの着ている服に落とされている。
「キンシャさんたちにいただきました」
「ああ、多分それはフェリア殿下からのくだされものだな。さっき報告に上がった時におっしゃられていた」
「フェリアさまの?」
ザザの問いにギディオンは応じずに言った。
「おそらく、お前が華美なものを好まないと思われてのご配慮だろう。奔放なようで、なかなか気遣いがあるお方だ……よく、似合っている」
「……え?」
今まで服のことなど考えたことがなく、ましてや自分の着ているものについて、感想など言われたことのないザザは、褒められていると気がつくまでにかなりの時間を要した。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
「礼はフェリア様に申し上げるがよい。ここだ。覚えられたか?」
塔の下のザザの部屋の前でギディオンは言った。
「はい。送っていただいてありがとうございます。おやすみなさい、ギディオンさま」
ザザは広い背中に向かって頭を下げた。
「おやすみ」
部屋にはすでに明かりが灯され、小卓に並べられた夕食と一緒にろうそくが何本か置いてあった。
ランプはこの部屋にはないようだ。暗闇でも少しは目の利くザザだが、灯りというものは不思議な安心感を与えてくれる。ここは初めての場所なのだ。
夕食は赤みのあるスープの大鉢とパン二つ、それに焼いた肉が一切れ、野菜とともに添えられていた。食べたことのないご馳走である。
だいたい魔女の食事は一日一回が通常だ。贅沢は禁じられている上に、もしものことがあっても飢えに耐えるためだ。
大魔女になると何日も食べなかったり、食べても固く焼きしめた団子のような滋養食だけ、という話をドルカから聞いたことがあるが、さすがにザザは一日一度、ささやかながら普通の食事を取っていた。
けれど。
こんな豪華な食事、許してもらえるのかしら?
誰に許してもらえるかと問われると、答えられないザザだったが、飽食する魔女なんて想像したこともない。貧しくあるのが魔女なのだ。
しかし、ここでは魔女だということは黙っておかなくてはならないから、出された食事に注文をつけるわけにはいかない。
ザザは添えられた匙をとった。
なんとか食べられたのは濃いスープ、小さなパンを半分。肉に至っては一口かじっただけでお腹がいっぱいになってしまった。
食事を残してしまうことは憚られたが、これ以上食べられない。
でも明日お皿を下げる時に見られたら、怒られてしまうかも……。
仕方がないので残した料理に頭を下げ、肉とパンは細かくちぎってから窓から放った。こうしておけば明日の朝、鳥たちが食べてくれるだろう。
今日はもう寝てしまおうと鏡台を見ると、水差しと洗面器が置いてあるので、手早く口と手をすすぎ、寝台に置かれてあった寝間着を着た。
寝具はとても柔らかくて良い香りがする。ザザは気恥ずかしい気持ちで清潔な敷布の上に体を横たえた。暗く煤けていない天井を見るのも久しぶりだ。
ここはもう自分の家の天井裏の寝間ではない。吊り下がったたくさんの薬草から香る香ばしい匂いも、出来もしないのに何度も読んだ魔法書も、自分では扱えない埃だらけの魔道具もない。
「一日で何もかも変わってしまった……」
知らない城の知らない部屋。布団でさえもなんだかよそよそしい。
ドルカ……!
ザザはぎゅっと目を閉じた。
愛情などはなく、ただただ厳しかったドルカ。それでも母を知らないザザにとって、唯一の家族で師匠だった。情はなくとも魔女として、人として生き抜く術を教えてくれたのだ。
『あたしら魔女の時代はもう終わりさ。私ももうすぐ死ぬ。たぶんあんたが最後の魔女なんだろう。だから、あんたは人として生き残るんだよ。魔法なんか忘れたっていい。人はもう魔法なんかに頼ることはないだろう。あんたの主が現れることもきっとない。大切なことはただ生きることだ。孤独で貧しく、みっともなく生きて、そして死ぬんだよ。人生それで上出来さね』
涙が目じりを伝う。ザザは柔らかい布団を頭からひっ被った。
それでも。
それでも、私は後悔なんかしない。だって、従うべき人を今日、見つけたのだから。
いつしかザザは眠りに落ちていった。
「えと、あの……わたしお風呂の帰りなんですが……お部屋がどこだかわからなくなって……」
「え? まさか迷ったのか! こんな小さな城で⁉︎」
呆れかえられて、ザザの身が竦む。けれど、彼は少しの間、下を向いただけですぐに先に立って歩き出した。横顔の口元が笑っているように見える。
「やれやれ仕方がない。間違えたところまで送っていこう。まぁ無理もないか。今まで森で暮らしていたんだし、廊下は似たようなものだからな。どこで間違えたんだ?」
少し戻った先にザザが間違えた十字の廊下がある。薄暗いのと床のタイルが同じだから見誤ったのだ。
「方向音痴の魔女とはちょっと愉快だな」
「……ごめんなさい」
情けないところを見られてしまった……。
ザザは恥ずかしくて俯いた。しかし、ギディオンはその曲がり角を過ぎても一緒に歩いてくれている。どうやら部屋まで送ってくれるようだ。
「さっきのあの突き当たりのお部屋はあるじさま……ギディオンさまのお部屋ですか?」
「そうだ。俺はとりあえずの後見人と言うか、保護者ということになっているから、なるべく近いほうがいいと、あの部屋をお前用に借りた」
「ありがとうございます」
「その服は」
その目はザザの着ている服に落とされている。
「キンシャさんたちにいただきました」
「ああ、多分それはフェリア殿下からのくだされものだな。さっき報告に上がった時におっしゃられていた」
「フェリアさまの?」
ザザの問いにギディオンは応じずに言った。
「おそらく、お前が華美なものを好まないと思われてのご配慮だろう。奔放なようで、なかなか気遣いがあるお方だ……よく、似合っている」
「……え?」
今まで服のことなど考えたことがなく、ましてや自分の着ているものについて、感想など言われたことのないザザは、褒められていると気がつくまでにかなりの時間を要した。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
「礼はフェリア様に申し上げるがよい。ここだ。覚えられたか?」
塔の下のザザの部屋の前でギディオンは言った。
「はい。送っていただいてありがとうございます。おやすみなさい、ギディオンさま」
ザザは広い背中に向かって頭を下げた。
「おやすみ」
部屋にはすでに明かりが灯され、小卓に並べられた夕食と一緒にろうそくが何本か置いてあった。
ランプはこの部屋にはないようだ。暗闇でも少しは目の利くザザだが、灯りというものは不思議な安心感を与えてくれる。ここは初めての場所なのだ。
夕食は赤みのあるスープの大鉢とパン二つ、それに焼いた肉が一切れ、野菜とともに添えられていた。食べたことのないご馳走である。
だいたい魔女の食事は一日一回が通常だ。贅沢は禁じられている上に、もしものことがあっても飢えに耐えるためだ。
大魔女になると何日も食べなかったり、食べても固く焼きしめた団子のような滋養食だけ、という話をドルカから聞いたことがあるが、さすがにザザは一日一度、ささやかながら普通の食事を取っていた。
けれど。
こんな豪華な食事、許してもらえるのかしら?
誰に許してもらえるかと問われると、答えられないザザだったが、飽食する魔女なんて想像したこともない。貧しくあるのが魔女なのだ。
しかし、ここでは魔女だということは黙っておかなくてはならないから、出された食事に注文をつけるわけにはいかない。
ザザは添えられた匙をとった。
なんとか食べられたのは濃いスープ、小さなパンを半分。肉に至っては一口かじっただけでお腹がいっぱいになってしまった。
食事を残してしまうことは憚られたが、これ以上食べられない。
でも明日お皿を下げる時に見られたら、怒られてしまうかも……。
仕方がないので残した料理に頭を下げ、肉とパンは細かくちぎってから窓から放った。こうしておけば明日の朝、鳥たちが食べてくれるだろう。
今日はもう寝てしまおうと鏡台を見ると、水差しと洗面器が置いてあるので、手早く口と手をすすぎ、寝台に置かれてあった寝間着を着た。
寝具はとても柔らかくて良い香りがする。ザザは気恥ずかしい気持ちで清潔な敷布の上に体を横たえた。暗く煤けていない天井を見るのも久しぶりだ。
ここはもう自分の家の天井裏の寝間ではない。吊り下がったたくさんの薬草から香る香ばしい匂いも、出来もしないのに何度も読んだ魔法書も、自分では扱えない埃だらけの魔道具もない。
「一日で何もかも変わってしまった……」
知らない城の知らない部屋。布団でさえもなんだかよそよそしい。
ドルカ……!
ザザはぎゅっと目を閉じた。
愛情などはなく、ただただ厳しかったドルカ。それでも母を知らないザザにとって、唯一の家族で師匠だった。情はなくとも魔女として、人として生き抜く術を教えてくれたのだ。
『あたしら魔女の時代はもう終わりさ。私ももうすぐ死ぬ。たぶんあんたが最後の魔女なんだろう。だから、あんたは人として生き残るんだよ。魔法なんか忘れたっていい。人はもう魔法なんかに頼ることはないだろう。あんたの主が現れることもきっとない。大切なことはただ生きることだ。孤独で貧しく、みっともなく生きて、そして死ぬんだよ。人生それで上出来さね』
涙が目じりを伝う。ザザは柔らかい布団を頭からひっ被った。
それでも。
それでも、私は後悔なんかしない。だって、従うべき人を今日、見つけたのだから。
いつしかザザは眠りに落ちていった。
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