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48 石の薔薇 2
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かつて『石の薔薇』は、石造りの陰気で巨大な建物だったが、今は白く塗りつぶされている。
その脇にはかつてマリュリーサが住んでいた、小さな家も見えた。
「私たちに気がついた人がいる!」
畑にいた男がこちらを指差し、その男が大声をあげて人が集まり始めた。背後に走って行く者もいる。
レイツェルトは斜面の下で馬を停めた。手綱を雑木にくくりつけると、マントの下に剣を隠して歩き始める。
「マリューは俺の後ろにいろ」
「え……ええ」
「マリュー? マリューなの?」
不意に背後から呼ばれた。弱々しい声だ。
マリュリーサが振り返ると、たくさんの粗朶を抱えた女が立っていた。半ば白髪になった痩せこけた女である。
「か……母さん?」
「マリュー! マリュー!」
女は粗朶を投げ出し、こちらへ駆け出した。マリュリーサも走り出す。
「母さん!」
「帰ってこられたのね! 信じられない! 私のマリュー!」
「ええ、ええ! そうなの。私は戻ってきたの! 母さん! 母さん!」
母子はお互いの頬を両手で挟んで涙を流しあった。十年間も引き離されていた親子がようやく再会できたのだった。
「おかえり、マリュー」
「……ただいま」
気がつくと、周り中に人が集まってきていた。
ざっと三十人くらいはいるだろうか? ほとんど皆若い。中には幼い子供もいる。
「あんた、レイツェルトだろう? その銀髪!」
駆け寄ってきたのは、若い男だ。マリュリーサも彼に記憶があった。かつて『石の薔薇』で一番年上だった少年だった。確かレイツェルトよりも三つくらい年下のはずだ。
「覚えているか? 俺だよ、オド!」
「ああ。覚えている。オドアケル」
「そう、そうだよ! お前、すげぇいい男になったなあ! 子どもの頃から立派だったけど……よく一緒に家畜の世話をしたよな」
「ああ、そうだった」
「だが、聞きたいことがある」
オドアケルの声が不意に低くなった。
「なぜ今、この島に来たんだ? お前達は俺たちを、ここから連れ出しにきたのか?」
「違う」
「なら、なぜ来た」
「来たんではない。帰ってきた」
「なぜ?」
「目的が達せられたからだ」
レイツェルトの答えは短い。それだけに端的で、嘘がないことをオドアケルもわかってきたようだった。目に見えて彼の緊張が緩んでいく。
「目的? それは?」
「マリューを取り戻した」
振り返ると、マリュリーサとその母がこちらを見ている。
「では、敵ではないんだな」
オドアケルが重ねて聞いた。
「違う」
「オド、聞いてください。私たちは故郷に帰ってきたの。ここしかいくところがなかったから。そして、大国や神殿のやり方に疲れ切った人達を連れてきているの」
マリュリーサも一生懸命に説明した。周りの者達も真剣に耳を傾けている。
「人達? それはどこにいるんだ?」
「大勢で来ると警戒されると思って、東の草原で待たせている。二十人ほどだ」
レイツェルトは草原の向こうを指した。
「つまり入植者というわけか?」
「……そうなる」
「迎えに行ってやれ」
オドアケルがそう言うと、数人が駆け出していった。彼が今、この島のリーダー的な役割を務めているらしかった。
陽が傾く頃、一同が集まったのは『石の薔薇』の元の大部屋だった。
ここでかつて、十人以上の子供達が寝たり、食事を取ったりしていた場所だ。今ではすっかりしつらいが変わって、集会所のように使われているのだろう。威圧感も冷たさもなく、居心地が良くなっている。夜はすでに寒い季節になったので、暖炉には火が焚かれていた。
「そうか、全てはリュウノス神殿の企みだったのか」
マリュリーサから全ての話を聞いたオドアケルは、背後に座った初老の男に振り向いた。
「クルスさんはこのことを知っていたのか?」
クルスというのはマリュリーサの父親である。少し前から体を悪くして、長く働けなくなっている。彼もまた、娘と再会し、喜びの涙を流した。
「いや……私は北方の貧しい農家の家の出身だ。マリューが生まれた冬は、酷い飢饉で、俺たちは飢え死に寸前で、海岸地方を彷徨い歩いていた」
「お父さん……」
「そこを黒服の男達に拾われ、この島につれてこられたんだ。お前や母さんを死なす訳にはいかなった私は、大人しく船に乗った。連れてこられたのがここだ。仕事を与えられ、とりあえずの衣食住を保証されたのだ。島から絶対に出ないという条件付きで」
隣に座っている母のアリアも頷く。彼らがこの島で一番の年長者なのだ。
「ここには既に何人かの子ども達がいて、自分たちが迎えに来るまで世話をしろと言われたのよ。前の管理人は死んでしまったと聞いたわ。もうその頃の子達はここにはいないけれど」
「……」
「男達は『導師』と名乗っていた。子どもを連れに来るのはいつも夜で、その日の夕食には特別な薬を混ぜ、俺たちも食べるようにと指示された。体には害はなく、ただ深く眠るだけだって。そして朝になると、誰かが一人いなくなっていた。その子がどうなったかは知らない。ただ、ここに暮らしていれば、定期的に必要なものは届いた……今となっては、いなくなった子達に申し訳ないとしか言えないが……」
「お父さんお母さんには、どうしようもなかったのだと思う」
マリュリーサは老いた両親を愛情深く見つめた。
「いいえ。それでも何かしら抗う術はあったかもしれないの! でも私たちはあなたがいなくなるまで何もしなかった! その罰としてあなたが連れていかれたのよ! マリュー、ごめんなさい!」
「いいえ。母さん、母さん達が抵抗していたら、きっと殺されていたと思うから。むしろこれでよかったのよ。私は記憶こそ奪われていたけど、ちゃんと生かされていたのだから」
「だが、死んでしまった子もいるのだろう?」
オドアケルはレイツェルトに尋ねた。
「ああ。俺の調べたところでは、大体半分くらいが人知れず消されている。のこりは家を継いだり、その後に死んだものもいる。幸せにやっている者も少ないが、いる」
「……」
「だが、その組織は解体した。後はギーズの仕事だ。俺たちがこれ以上関わる理由はない」
「そうか……」
オドアケルは安心したようだった。
「マリューが連れていかれてから『導師』はいなくなり、それから誰も来なくなり、ここは忘れられた島になってしまった。俺たちは二度といなくなる子が出ないように、洞窟を塞ぎ、船着場を使えなくした。東の入江は五年前に見つけた。細々とではあるが、畑を耕し、羊を飼い、布を織って生きている。年に二回、海岸沿いの村と交流があるが、その程度だ。俺たちの何人かは結婚し、子供もできた。ここは俺たちの島だ。貧しいが、働いて生きていく術を知っている」
「俺たちも働く! ここに置いてくれ! 俺の家族は戦でみんな死んじまった」
船でやってきた青年の一人が言った。
「まず朽ちた家を治し、住処を作る。いろんな種や苗、薬草も持ってきたから、畑を作って育てる」
「私たちは少しですが、医療の心得がありますわ。たくさんの本も持ってきたから、まだまだこれから勉強します!」
マティルダも力強く頷いた。
「俺たちは争いことはご免なんだ。ここにいる奴らは、自分の生家の都合で見捨てられた者ばかりだ。故国に帰ったら殺される奴もいるだろう。ここにいる条件はただ一つ、協調、労働、平等を理解できることだけだ。あんたにできるか? レイツェルト」
オドアケルの厳しい目が、レイツェルトに向けられる。
「あんたは、大陸でいくつもの戦いに参戦し、多くを殺してきたんだろう? 今の話じゃ、あのザフェルの王の養子にまでなれそうだったらしいじゃないか。あんたにこんな島での素朴な暮らしが耐えられるのか? お前は何をするつもりなんだ?」
「……」
「どうなんだ、レイツェルト」
オドアケルの追求に、レイツェルトはふらりと立ち上がった。
それはこんなみすぼらく暗い石の部屋には似つかわしくない、美しく堂々とした姿だった。
彼はオドアケル、クルスとアリア、この部屋に集う者達を見渡し、最後にマリュリーサを見つめた。
「俺は、馬を増やす」
***********
空気を読まないレイツェルトさん。
次回最終話です!
面白かったかなぁ。
その脇にはかつてマリュリーサが住んでいた、小さな家も見えた。
「私たちに気がついた人がいる!」
畑にいた男がこちらを指差し、その男が大声をあげて人が集まり始めた。背後に走って行く者もいる。
レイツェルトは斜面の下で馬を停めた。手綱を雑木にくくりつけると、マントの下に剣を隠して歩き始める。
「マリューは俺の後ろにいろ」
「え……ええ」
「マリュー? マリューなの?」
不意に背後から呼ばれた。弱々しい声だ。
マリュリーサが振り返ると、たくさんの粗朶を抱えた女が立っていた。半ば白髪になった痩せこけた女である。
「か……母さん?」
「マリュー! マリュー!」
女は粗朶を投げ出し、こちらへ駆け出した。マリュリーサも走り出す。
「母さん!」
「帰ってこられたのね! 信じられない! 私のマリュー!」
「ええ、ええ! そうなの。私は戻ってきたの! 母さん! 母さん!」
母子はお互いの頬を両手で挟んで涙を流しあった。十年間も引き離されていた親子がようやく再会できたのだった。
「おかえり、マリュー」
「……ただいま」
気がつくと、周り中に人が集まってきていた。
ざっと三十人くらいはいるだろうか? ほとんど皆若い。中には幼い子供もいる。
「あんた、レイツェルトだろう? その銀髪!」
駆け寄ってきたのは、若い男だ。マリュリーサも彼に記憶があった。かつて『石の薔薇』で一番年上だった少年だった。確かレイツェルトよりも三つくらい年下のはずだ。
「覚えているか? 俺だよ、オド!」
「ああ。覚えている。オドアケル」
「そう、そうだよ! お前、すげぇいい男になったなあ! 子どもの頃から立派だったけど……よく一緒に家畜の世話をしたよな」
「ああ、そうだった」
「だが、聞きたいことがある」
オドアケルの声が不意に低くなった。
「なぜ今、この島に来たんだ? お前達は俺たちを、ここから連れ出しにきたのか?」
「違う」
「なら、なぜ来た」
「来たんではない。帰ってきた」
「なぜ?」
「目的が達せられたからだ」
レイツェルトの答えは短い。それだけに端的で、嘘がないことをオドアケルもわかってきたようだった。目に見えて彼の緊張が緩んでいく。
「目的? それは?」
「マリューを取り戻した」
振り返ると、マリュリーサとその母がこちらを見ている。
「では、敵ではないんだな」
オドアケルが重ねて聞いた。
「違う」
「オド、聞いてください。私たちは故郷に帰ってきたの。ここしかいくところがなかったから。そして、大国や神殿のやり方に疲れ切った人達を連れてきているの」
マリュリーサも一生懸命に説明した。周りの者達も真剣に耳を傾けている。
「人達? それはどこにいるんだ?」
「大勢で来ると警戒されると思って、東の草原で待たせている。二十人ほどだ」
レイツェルトは草原の向こうを指した。
「つまり入植者というわけか?」
「……そうなる」
「迎えに行ってやれ」
オドアケルがそう言うと、数人が駆け出していった。彼が今、この島のリーダー的な役割を務めているらしかった。
陽が傾く頃、一同が集まったのは『石の薔薇』の元の大部屋だった。
ここでかつて、十人以上の子供達が寝たり、食事を取ったりしていた場所だ。今ではすっかりしつらいが変わって、集会所のように使われているのだろう。威圧感も冷たさもなく、居心地が良くなっている。夜はすでに寒い季節になったので、暖炉には火が焚かれていた。
「そうか、全てはリュウノス神殿の企みだったのか」
マリュリーサから全ての話を聞いたオドアケルは、背後に座った初老の男に振り向いた。
「クルスさんはこのことを知っていたのか?」
クルスというのはマリュリーサの父親である。少し前から体を悪くして、長く働けなくなっている。彼もまた、娘と再会し、喜びの涙を流した。
「いや……私は北方の貧しい農家の家の出身だ。マリューが生まれた冬は、酷い飢饉で、俺たちは飢え死に寸前で、海岸地方を彷徨い歩いていた」
「お父さん……」
「そこを黒服の男達に拾われ、この島につれてこられたんだ。お前や母さんを死なす訳にはいかなった私は、大人しく船に乗った。連れてこられたのがここだ。仕事を与えられ、とりあえずの衣食住を保証されたのだ。島から絶対に出ないという条件付きで」
隣に座っている母のアリアも頷く。彼らがこの島で一番の年長者なのだ。
「ここには既に何人かの子ども達がいて、自分たちが迎えに来るまで世話をしろと言われたのよ。前の管理人は死んでしまったと聞いたわ。もうその頃の子達はここにはいないけれど」
「……」
「男達は『導師』と名乗っていた。子どもを連れに来るのはいつも夜で、その日の夕食には特別な薬を混ぜ、俺たちも食べるようにと指示された。体には害はなく、ただ深く眠るだけだって。そして朝になると、誰かが一人いなくなっていた。その子がどうなったかは知らない。ただ、ここに暮らしていれば、定期的に必要なものは届いた……今となっては、いなくなった子達に申し訳ないとしか言えないが……」
「お父さんお母さんには、どうしようもなかったのだと思う」
マリュリーサは老いた両親を愛情深く見つめた。
「いいえ。それでも何かしら抗う術はあったかもしれないの! でも私たちはあなたがいなくなるまで何もしなかった! その罰としてあなたが連れていかれたのよ! マリュー、ごめんなさい!」
「いいえ。母さん、母さん達が抵抗していたら、きっと殺されていたと思うから。むしろこれでよかったのよ。私は記憶こそ奪われていたけど、ちゃんと生かされていたのだから」
「だが、死んでしまった子もいるのだろう?」
オドアケルはレイツェルトに尋ねた。
「ああ。俺の調べたところでは、大体半分くらいが人知れず消されている。のこりは家を継いだり、その後に死んだものもいる。幸せにやっている者も少ないが、いる」
「……」
「だが、その組織は解体した。後はギーズの仕事だ。俺たちがこれ以上関わる理由はない」
「そうか……」
オドアケルは安心したようだった。
「マリューが連れていかれてから『導師』はいなくなり、それから誰も来なくなり、ここは忘れられた島になってしまった。俺たちは二度といなくなる子が出ないように、洞窟を塞ぎ、船着場を使えなくした。東の入江は五年前に見つけた。細々とではあるが、畑を耕し、羊を飼い、布を織って生きている。年に二回、海岸沿いの村と交流があるが、その程度だ。俺たちの何人かは結婚し、子供もできた。ここは俺たちの島だ。貧しいが、働いて生きていく術を知っている」
「俺たちも働く! ここに置いてくれ! 俺の家族は戦でみんな死んじまった」
船でやってきた青年の一人が言った。
「まず朽ちた家を治し、住処を作る。いろんな種や苗、薬草も持ってきたから、畑を作って育てる」
「私たちは少しですが、医療の心得がありますわ。たくさんの本も持ってきたから、まだまだこれから勉強します!」
マティルダも力強く頷いた。
「俺たちは争いことはご免なんだ。ここにいる奴らは、自分の生家の都合で見捨てられた者ばかりだ。故国に帰ったら殺される奴もいるだろう。ここにいる条件はただ一つ、協調、労働、平等を理解できることだけだ。あんたにできるか? レイツェルト」
オドアケルの厳しい目が、レイツェルトに向けられる。
「あんたは、大陸でいくつもの戦いに参戦し、多くを殺してきたんだろう? 今の話じゃ、あのザフェルの王の養子にまでなれそうだったらしいじゃないか。あんたにこんな島での素朴な暮らしが耐えられるのか? お前は何をするつもりなんだ?」
「……」
「どうなんだ、レイツェルト」
オドアケルの追求に、レイツェルトはふらりと立ち上がった。
それはこんなみすぼらく暗い石の部屋には似つかわしくない、美しく堂々とした姿だった。
彼はオドアケル、クルスとアリア、この部屋に集う者達を見渡し、最後にマリュリーサを見つめた。
「俺は、馬を増やす」
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空気を読まないレイツェルトさん。
次回最終話です!
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