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45 リュウノスの後継者 4

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 その巨躯きょくに似合わず、男は素早く通りを渡り、マリュリーサのいる暗がりまで移動した。後に続く男達が数人いる。
「お下がりください!」
 敵は二人と見たエクィは、マリュリーサの前に立ちはだかり、マントから細身の武器を逆手に構えた。小さい棒切れのようだが、握り混むと両側に刃が飛び出す。暗器である。
「こんなところに女が二人。なるほど。あの王女が言ったことは、本当だったようだな。お前が氷王の女か」
「なんのことです?」
 マリュリーサは声が震えないように言い返した。
「私はただの島の女です」
「ははは。度胸は買うが、こんな俺でも巫女姫の祝福を受けたことはある。お前は、リュウノスの巫女姫だ。今夜の襲撃はさっぱりわからないことだらけだが、ここにきてやっと運が向いたか……おおっ!?」
 ぬっと伸びた太い腕に、エクィが刃を払う。鋭い切先は防具の薄い腕を斬ったようだった。微かな血の匂いが夜気に漂った。
「この小娘!」
 怒り狂ったタイラスは、傷をものともせずにエクィに掴みかかった。エクィは肩を掴まれながらもうまく体を捻り、タイラスの脇腹に切先を突き刺す。
 しかし──。
「ほほぅ、暗器を使うか。だが残念だな、この鎖帷子はリールス鋼でできている。大剣ならまだしも、そんなおもちゃのような剣が通るものか!」
 そう言いながら剛腕ごうわんでエクィを放り投げた。狭い路地では体術を使うゆとりがなく、エクィの体は壁に積み上げられた道具類の上に叩きつけられる。大きな音が闇に響いた。
「エクィ!」
「お……お逃げください!」
 エクィは落ちかかる道具の山に埋もれながらも、まだ攻撃の意思を捨てず、懐から針のようなものを投擲とうてきしようとしている。しかし、タイラスの部下にひどく蹴り付けられてしまった。
「エクィ!」
 駆け寄ろうとしたマリュリーサはタイラスの右腕にはばまれた。そのまま腕を捻られる。
「捕まえたぞ、巫女姫」
 禍々しい笑いをその顔に浮かべながらも、その声は低い。
「なるほど、これは美しい。あの『氷王』の想い人だと言うのもうなずける」
 タイラスは右腕でマリュリーサを捕らえ、左手で顎をつかんで舌なめずりをした。
「……おもしろい。よし来い! お前を犯し尽くし、なぶり尽くしてあの男の前に晒してやろう」
「は、放して!」
 恐怖に頭が侵食されていく。
 しかし、ここで思い切り叫ぶ訳にはいかない。自分を助けに誰かが駆けつけることで、アラベラが再び危険に晒されるかもしれないのだ。
「お前はここで見張っていろ! 夜が明けたら壁外で体勢を立て直す」
 部下にそう言い捨て、タイラスはマリュリーサを連れ去ろうとしていた。
「嫌です!」
 マリュリーサは腕を掴まれながらも、渾身の力で足を踏ん張る。
「おのれ小娘! 歯向かうか!」
 苛立ったタイラスが、マリュリーサを抱え上げようと、更に腕に力を入れる。いよいよ進退極しんたいきわまった時、不意にすぐ後ろでどさりと人の倒れる音がした。
「……?」
 振り返ったタイラスの足元にぶつかるものがある。
 足で転がすと、それは人の首だった。さっきまで彼の部下だった男だ。
「う、うお!」
「その汚い手を離せ」
 月が雲間から顔を出す。
 現れたのは、銀色の髪の戦士だった。タイラスが絶叫する。
「氷王レイツェルト!」
「……離せ」
 地を這うような声がタイラスの顔を歪ませる。
「は、離すものかよ。一歩でも動いてみろ、この女の首も、お前の足元に転がしてやる」
 そう言うとタイラスは、マリュリーサの喉元に大剣を突きつけた。
「レイ! 私はいいの! エクィを助けてちょうだい!」
「黙れ小娘! 剣をこちらに投げろ! 氷王! くれぐれも変な気は起こすなよ」
「……」
 ほとんど間髪を入れずにレイツェルトは剣を投げ捨てる。タイラスからほんの少し離れた距離だ。
「ほぅ……素直ではないか。それほどこの女が大事か……それにしても良い剣だ、いただいていこう。動くなよ」
 タイラスが落ちた剣に目をやった。
 そして、マリュリーサは見た。
 レイツェルトが掌を下に向けている。伏せろと言う意味だとマリュリーサはすぐに悟った。
 タイラスが足先で剣を蹴ったその瞬間、マリュリーサは勢いよく膝を折ってしゃがみ込んだ。掴まれていた二の腕が意外にもあっさりと離れる。タイラスの右手は、前回のレイツェルトとの一騎打ちで指が欠損し、握力が弱まっていたのだ。
 頭の上を、何かがものすごい勢いで通り過ぎた。レイツェルトがタイラスに飛びかかったのだ。
「ぐあっ!」
 不意を疲れてタイラスが大きくよろけたが、倒れ込まずに踏みとどまったのは、さすがに歴戦の傭兵将軍だからだろう。
 そのまま男同士の組み打ちが始まる。
 双方、短剣程度なら隠し持っているはずだが、取り出す隙がないほど激しい素手での応酬である。
 狭く暗い路地に、肉がぶつかり合う恐ろしい音が響く。レイツェルトは細身だが、タイラスは巨漢である。太く長い腕を巧みに使って、効果的な打撃を与え続ける。
 しかし、レイツェルトも優れた敏捷さを駆使して、急所への攻撃を避けていた。
「おおらあっ!」
 憎しみに満ちた咆哮と共に、タイラスの左拳がレイツェルトの目を狙う。レイツェルトは腕を交差してそれを受けた。がきぃと言う鈍い音が響き、力の拮抗が一呼吸分の間あった。
 しかし、膂力りょりょくでレイツェルトに勝るタイラスがレイツェルトに押し勝ち、右手がレイツェルトの脇を強襲する。指が欠損してるとはいえ、その腕力は全ての憎しみを込めたものだった。
「……つあっ!」
 吹っ飛ばされたレイツェルトが路地の壁に叩きつけられた。したたかに頭をぶつけ、視界が揺れたのだろう、足元がおぼつかなくなる。その瞬間を見逃すタイラスではなかった。
「ずあああああ!」
 素早く大剣を拾い上げ、水平に構えたタイラスは異様な唸り声と共に、レイツェルトの心臓めがけて突進する。
 ──が。
「っ!?」
 おそらくタイラスは、自分に何が起きたかわからなかったのだろう。そのまま惰性で数歩走ったが、足取りが急に乱れた。
 レイツェルトの短剣を握りしめたマリュリーサが、彼にぶつかったのである。剣は深々と彼の脇腹に突き刺さっていた。ちょうど鎧の接続部分の僅かな隙間だ。
「こ、このあま……!」
 真っ赤に目を血走らせたタイラスが、大剣をマリュリーサに向かって振り下ろす。
「ぎゃあああああ!」
 恐ろしい喚き声と共に、剣を握りしめたタイラスの腕が石畳に転がっていた。
「おおおおおのれぇえええ!」
 戦意をいささかも衰えさせぬタイラスが、残った右腕でレイツェルトに掴みかかる。欠損した指先が彼の銀髪に掴みかかろうとした時、マリュリーサは彼の後頭部から血塗れの切先が生えるのを見た。レイツェルトが咆哮をあげる彼の口腔へ、自分の剣を突き通したのである。
「ぶふぅううう」
 仰けに倒れた男から、ヒキガエルが踏み潰されたような、無様なうめき声が漏れる。手足がしばらくヒクヒクと動いていたが、すぐに力をなくして事切れた。
 それが傭兵将軍タイラスの最後だった。
 レイツェルトの真正面で、マリュリーサはがくがくと震えていた。生まれて初めて人が死ぬところを見たのだ。それも自分も手を貸して彼を死に追いやった。
「マリュー!」
 レイツェルトが駆け寄る。
「マリュー、大丈夫だ。もう奴は死んだ。俺が殺した」
 自分の足元に大剣を握りしめたままの腕が転がっている。自分の血が、ざあっと音を立てて引いていくのがわかった。
「……」
 受け止めたのは暖かい胸と腕。そして彼の匂い。
 マリュリーサの全てだった。
「レイツェルト!」
「氷王閣下! ご無事ですか!」
 路地にギーズやエドガーが飛び込んできた。通りの残党を打ち倒してきたのだ。最後尾に護衛に守られたアラベラもいる。
「大丈夫だ。俺は──取り戻した」
 レイツェルトは短く応えた。
 
 帰りの馬車にはマリュリーサ、アラベラ、ギーズが乗っている。前方には傷ついたエクィが寝かされていた。
「あなたには幾度助けていただいたことか……私は礼の言葉を見つけられない」
「礼などいいのです。ただ、今はエクィを助けてあげたい。帰ったらすぐに泉に浸からせてやりたいです」
「それは無論。私の侍医も遣わそう。あなたに怪我はないか?」
「特にないようです」
「よかった……この娘への沙汰は帰ってから考える」
 ギーズは隅で項垂れたままのアラベラに向かって言った。
「それはそうと……さっき尋ねたことだが……その、よければ教えていただきたい……いや……無理にとは言わぬが」
「どうして私がアラベラ様の居場所がわかったか、言うことですか?」
「ああ……そうだ。おかげでほとんど損害なく、アラベラも取り戻せたし、氷王のお陰でタイラスを討ち果たすことができた訳だが……それにしても不思議でかなわぬ」
「……そうですか」
 マリュリーサはしばらく考えていたが、やがて馬車の隅で膝を抱えているアラベラの方を向いた。
「アラベラ様、最近お体に変調はありませんか?」
「……え?」
「アラベラ? どうかしたか?」
「……いいえ? お父様、特に何も」
「アラベラ様は、入浴やお着替えは一人で行われているのでしょう?」
「え? ええ。私はあまり人に肌を触られたくないの。一人でなんでもできるようにってお父さまに躾けられたのよ。髪を洗う以外、お風呂は一人で入れるし、下着は自分でつけるわ。なぜ?」
「もしよろしければ、お体を見せてくださいませぬか?」
「え? ええっ!?」
「幸い、ここには陛下と私しかいません。そうですね。背中を見せていただけますか?」
「背中を?」
「はい。どうですか?」
「……いいわ」
「陛下はカンテラをお持ちください」
 アラベラは背中を向けて衣服を緩めはじめた。幸いドレスではなく、侍女の普段着なので対して手間は取らない。
「こっ! これは!」
 ギーズが目を見張る。
「はい。思った通りです」
「なに? どうしたの?」
 アラベラは自分の背中を見ようと首を捻る。マリュリーサは左の鎖骨に指を滑らせた。
 そこにはくっきりとリュウノスの印が浮き上がっていたのだった。

 
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