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 6 銀色の戦士 3

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「……あなたは!?」
「紹介は終わっているはずだ、巫女姫殿。いや……マリュー」
 あたりは水音で満たされていて、男の声が少し聞き取りづらい。低い音を拾うため、マリュリーサは知らずに一歩踏み出していた。
「マリュー? 違います! 私は愛称で呼ばれたことなどありません」
「ある」
「……な、ないわ」
 声が萎むように弱くなる。
「名前だけではない」
「……え?」
 意味をかいしかねて、マリュリーサは首を傾げた。
 気がつけば、マリュリーサの体は滝の下から引き出され、男の体に寄り添わされている。濡れた素肌が男にぴったりとくっついているのだ。布越しに男の体温が伝わる。
「きゃあ!」
 マリュリーサは慌てて体を突っぱねた。
「離して……離してください!」
「だめだ」
 レイツェルトは容赦なく、腕をつかんでマリュリーサを水から、密生するヒカリゴケの上に引っ張り上げる。
 そこでやっと手が緩んだので、マリュリーサは自分の腕をひったくるようにもぎ取った。
「無礼な!」
「言っただろう。これ以上、体を冷やしてもらいたくない」
「冷やす? なんのことですか!? 私は明日の術式のために身を清めなくてはならないのです! そもそもあなたは、どうやってここまで入れたの!? ここは私しか入れない聖なる滝です! 罰当たりとはあなたのことです!」
 マリュリーサは混乱しつつも、なんとか威厳をかき集めて叫んだ。
「おお、これは昼間の物静かな巫女殿の姿からは想像もできない、勇ましいお姿だ」
 薄く形のいい唇がゆがんだ。笑ったのだろう。
「昔のままだな、マリュー」
「……いったい何を言ってらっしゃるの?」
 想定外の言葉に、マリュリーサは思わず目の前の男を見つめた。
 氷王。
 その二つ名がこれほど相応ふさわしい男がいるだろうか?
 冷え冷えとした瞳に見事な銀の髪。昼間と違って簡素な服装をしているので、布の下の見事な肢体が際立っている。太いベルトに下げた剣が、鈍く水を反射している。
 こんな男は見たことがなかった。一度会えば、絶対に忘れられないだろう。
「意味が……わかりません」
「今から思い出させてさしあげる。だがまずは最初の質問から答えよう」
 レイツェルトは、月光と苔に薄く照らされたマリュリーサの体を眺め、目を細めた。
 マリュリーサは気がついていないが、薄もののひとえがぴったり肌に張りつき、体の曲線が丸わかりなのだ。常人なら薄暗くて見えない、胸の尖りや足の付け根の淡い翳りすら、レイツェルトには伝わっている。
「俺はレイツェルト・アルトゥーレ。だが、かつてお前は俺をレイと呼んでいた」
「知りません。あなたをそう呼んだのは、あの可愛らしい姫君でしょう?」
「あれは、舌足らずにそう呼ぶだけだ。罪はないから許している」
「……」
 主君の娘に対し、なんという不遜な態度だろうか。しかし、彼に悪気はないようだった。
「お前は寒がりだろう。体を冷やすのは良くない」
「寒くなどありません」
 マリュリーサはとりあえず言い返したが、内心は恐れおののいていた。
 この洞窟は神樹の霊気で満たされているため、冬でもあまり寒さは感じない。しかし確かに、彼女は冷たい冬の風や雨は苦手なのだ。

 どうしてこの人、そんなことまで知っているの?

「次の質問だが、俺から言わせてもらえれば、この神殿の警備はザルもいいところだ。広さの割に歩哨ほしょうも巡察も少な過ぎる。壁の高さ、神殿の権威、そして神の樹に悪事を働く者などいないと安心しきっている。昼間、俺はおおよその構造を探った。ここは広いことは広いが、しごく単純な構造だ」
 彼は今までで一番長く喋ったが、その声は耳に心地よく染み込む深い声音だった。
「あ、あなたは私が王陛下とお話ししている間に、この地下道に降りる通路を見つけたというの?」
「そうだ。その時はさすがに忍び込めなかったが、方向はわかった。洞窟の天井にいくつか隙間が空いているだろう? 俺はそこから忍び込んだ。ここは神樹リュウノスの背後の山の下だ」
「あ、あんなに高いところから……」
「上の方は乾いているし、足場はいくらでもあるから難しくはない。さぁ、全ての質問に答えた。そろそろ本題に入ろう、マリュー」
「そんな名で呼ばないで!」
 マリュリーサは無意識に耳を塞いで叫んでいた。酷く混乱している。

 マリュー。

 その響きを聞くたび胸がざわつき、脳がかき回される感覚に襲われる。
「今なら黙っておきます。だから、ここから出て行って!」
「嫌だ」
「あっ!」
 短い答えと同時に、腰がひっさらわれた。
 口づけは荒々しく始まる。それが口付けと言えるならば。
 男の薄い唇がぶつかる。背中と後頭に回った腕に体を固定されて、身じろぎもできない。
 冷えたマリュリーサの唇を覆いつくし、むさぼり喰らう銀色の獣。
 あっという間の出来事に、マリュリーサは何もできなかった。思考が言葉の形にならないのだ。ただ、押し付けられる唇が、ひどく熱いということがわかった。
 熱いのは唇だけではない。男の体は、たった今まで水に浸かっていたとは思えないほどの熱を持っていた。
「マリュー……俺のマリュー!」
 激しい口づけの合間に、男はうわごとのように彼女の名を呼んだ。ぐいと引き寄せられる腰が男の体に密着する。腹に当たる硬い異物はなんだろうか?
 彼はその部分を擦り付けるように、激しく上下に体を揺すっていた。
「思い出せ! はるかなる『石の薔薇』を! 俺たちはこうして触れ合っていた」
「聞きたくない! 聞きたくない!」
「マリュー! マリュリーサ!」
 不思議なことに、男の息が荒い。氷のような冷たい視線はひどく陰り、切羽詰まったような悲壮感さえ漂わせる。
 この冷たい男でも、こんな必死な顔ができることに、マリュリーサは驚いていた。しかしそんな余裕はすぐに消え去った。つま先が宙に浮き、頼りなくなった体を不届な手指がい回り、あろうことか尻の谷間を伝って、腿の付け根に入り込もうとしているのだ。
「あ! 嫌! いやです!」
 体を捩って逃れようとするが、男の指先はますます深く侵入し、ある一点を探り当てた。そこには生まれて初めて感じる、強烈な刺激があった。
「いや、いやあああ!」
 抱きしめられながら、マリュリーサは叫んだ。

 この感覚、この熱、この腕を私は知って……いる?

 突然頭が割れるように痛んだ。
 マリュリーサの意識はそこで途切れた。


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