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87 王都再び 3

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「て、手袋は、侍従としての作法のうちでございます。先の少年もしていたでしょう?」
 メノムは自分の右手を咄嗟とっさに背後に隠した。
「そうだな。しかし、お前の右手は異様に膨らんでいるぞ。手袋の下に何を隠している?」
「これは先日、うっかり筋を違えてしまって包帯を……」
「筋を違えて?」
 エルランドは大きく一歩前に出た。その分メノムは後ろに下がる。
「筋を、違えて、だって?」
「ええ、ですから湿布を……」
「それは大変な災難だったなぁ、メノム筆頭侍従」
 あえてゆっくり、穏やかに話すエルランドの様子に、今やメノムの顔からは汗が流れ落ちている。
「そ、そうで……」
「俺がみてやろうか。職業柄、捻挫や打撲には詳しいんだよ」
「えっ⁉︎  いいえ、とんでもない。恐れ多くも陛下の侍医に診ていただきましたので、お気遣いなく。御用がその程度なら、もうこれにてお引き取りを。キーフェル卿」
 メノムが一歩下がり、背後を振り向こうとした途端、エルランドはさっと前に出て彼の視界を塞いだ。
「その手の傷な? 本当のところは火傷だろう? なぁ、メノム」
 眼鏡の奥の細い目を金緑の眼光が射抜く。
「ひいっ!」
「あの男は全部吐いたぞ」
 エルランドは更に歩を進めた。メノムはどんどん背後のとばりの方へと後退していく。
「あ……の男とは?」
「ああ……気がついていなかったのだな。バルトロのことさ。ヤーリスが雇った盗賊の一人で、丸太小屋でお前とヤーリスが密談しているところを隠れて見ていたそうだ。傷はその時に熱湯がかかってついたものだろう? 火傷は治りが遅いからな」
「いっ……言いがかりだ!」
「そうか? だったらその手袋を外して俺に見せてみろ。筋を違えたと言うのが本当なら、傷はないはずだな」
「ぶ、無礼なっ……衛兵を呼びますぞ!」
「ああ、呼ぶがいい。大事おおごとにせずに、ケリをつけてやろうとした俺の配慮がぶち壊しになるがな。大事になっても俺には痛くも痒くもない。お前、ヤーリスと最近会ってないだろう? 奴はお前の庶子らしいな」
 エルランドはメノムの肩越し、帳の奥に向かって言った。まるでそこに人がいるかのように。
「はあああぅ……!」
「おや? 顔色がいつにも増して悪いようだが? メノム、陛下の侍医がついているのだろう? 呼んでやろうか? リザ、多分この奥にいる人に頼んだら……」
「やめて! やめてくれ!」
 メノムは悲鳴をあげた。
「エル、それ以上いじめるのはかわいそうよ。このおじさん、よだれまで垂らしてる」
 リザはそろそろメノムが本気で気の毒になってきて言った。
「おお、我が妻はいつも慈悲深い。では最後に一つ聞くぞ、おい」
「ひわああっ!」
 宝石の留め金をつけた絹のクラバットを上着ごと、エルランドがぐいと引き寄せる。身長差があるため、メノムの爪先は今にも浮いてしまいそうだ。
「お前、俺の代わりに領主になると言ってたらしいな?」
 エルランドの拳が喉に食い込み、メノムの青白い顔が真っ赤に染まった。元々小心者のこの男は、一旦エルランドに尻尾を掴まれると、最初の傲慢さはどこへやら、あっけないほどに醜い中身がはみ出し始める
「け……決してそんなことは……ぐ、ぐうぅ! た、助けて! 殺さないで!」
「その魂胆はお前だけのものか?」
「……」
「答えろ! それとも、奥の人を引きり出すか!」
「やめてやめて! そうです! さ、左様でございます! 私の独断専行でございます! イストラーダに騒乱を起こせば、あなたが領主の座を追われ……別の領主が選定されると……」
「その前に一旦、イストラーダを王領に戻すのだろう? 鉄樹の利権を独占するために」
「それ……はっ! 私にはなんとも……ひぃっ!」
 エルランドは上着の隠しから、小さな小刀を取り出した。以前リザに与えたものだが、今それは彼の手の中にある。
「こ、殺さないでくれぇっ! 許してくれ!」
「殺すか、馬鹿」
 エルランドは小刀をさっとメノムの後頭部に回すと、結えた彼の髪を切り取った。
 そのまま男を床に突き落とす。
「ぎゃっ!」
「俺は男の髪など興味はないが。これが今日、お前が白状したことのことの証だ。あと、念のためな」
 エルランドは帳の上で腰を抜かしているメノムからさっと手袋を抜き取った。
 白い包帯を小刀で切るとその下からは醜いやけどの痕が現れる。まだ治りきっていず、擦れたのかうっすら血が滲んでいた。
「おお! 確かにこれは切り傷でも、擦り傷すりきずでもない、まぎれもない大火傷だ! 誰が見てもわかる! お気の毒に傷跡は一生なおりませぬなぁ。いつでも証言台に立っていただける!」
 大げさな仕草でエルランドは叫んだ。
「俺を討つつもりなら、覚悟するがいい。俺が今まで何もしなかったと思っているのか? 今のイストラーダには、確かに二百人程度の守備兵しかいないが、俺が本気で兵を募れば、お前たちが俺から奪い、各地に散った部下たちが、それぞれ兵士を連れて集結するだろう。その数、おそらく数千にはなる。俺を敵に回すと言うことは、そついら全部敵に回すことだと覚えておけ」
「ひぃ、ひいいい! は、叛逆だ! その言葉は叛逆ですぞ! 聞き捨てならない!」
 メノムが這いつくばったまま叫びだす。ずり落ちた眼鏡も直せずにひたすら、汗と涙とよだれを流していた。
「叛逆? とんでもない。戦はもうたくさんだ。これまで忠義の貴族たちが尊重してきた、古い王家を壊す権利など、俺にはない。あんなにも不遇だったのに、王家を守り通した祖父や父の教えだからな」
 エルランドは静かに語る。
「だから、あなた方も俺の領地と俺が守るものに手を出しさえしなければ、大人しく今までのように、定められた税を納め、街道の整備と治安の維持に努め、東の守りに徹するつもりだ。元々俺に権利欲などない。家族と領地の安寧、それ以上は望まない。多少守備隊は増やすかもしれないが」
「……」
「わかったな!」
 エルランドはもはや、メノムではなく、帳の方向に向かって怒鳴った。厚い布が揺れたように見えたのは、部屋の熱気のせいだろうか?
 エルランドはそれ以上は何も言わなかった。全て察しがついたからだ。彼はそばの妻の手を取った。
「さぁリザ、ここでの仕事は終わりだ。ここのよどんだ空気はもうたくさんだ。行こう」
「ええ、エル」
 リザに異存はない。だが、リザもメノムを見据え、そして顔をあげて奥へと向き直った。
わたくし、とても感謝しておりますの。ここでの暮らしが、私を作り上げ、辺境でも生きていけるようにしてくれたんですもの。お陰さまで、カラスはカラスのまま、自分の翼で羽ばたけますわ! ではごきげんよう。二度と会うことはないでしょうけど、ご健勝でお過ごしくださいませな」
 リザの最大限の丁寧な口調に、エルランドは声を上げて笑う。
「ははは! 俺も感謝する! このように愛らしく素晴らしい妻に出逢わせてくれたことに! ああメノム、この石は返してもらうぞ。証拠の品になるし、何よりこれは我が妻のものだからな」
 そう言ってエルランドは、飾り棚から青い原石を取り出し、恭しくリザに手渡した。
「リザ、遅くなったが、これを。我が妻よ」
「ありがとうエル! 嬉しいわ! 大好き!」
 二人はへたり込む男には、もう目もくれずに一つの影となって部屋を出ていく。
 扉が重く閉まった。

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