上 下
71 / 96

70 実りの時 2

しおりを挟む
 それから毎日、リザはたくさんの素焼きのうつわに絵を描き続けた。
 森から帰ってきてからすぐに描き始めたのだが、どうにも筆が止まらず、翌日コルに荷馬車で焼き物の集落まで行ってもらい、大量の素焼きを運んでくれるように頼んだのだ。
 皿、器、カップ、鉢、杯、壺。
 様々なものに、リザは自分が美しいと思うものを描き続けた。
 以前アンテに見せてもらった、イストラーダにしか咲かないと言われるカラス百合の花なども描き、全ての器にリザは自分の名前の頭文字を入れた。
 それは小さなものだったが、自分で考えた自分だけの署名だった。
 描いた器は再び職人のところまで持って行ってもらい、釉薬うわぐすりをかけて本焼きされる。

 ああ! 出来上がりが待ち遠しいわ。

 久しぶりに楽しみなことができて嬉しいリザである。
 描いている間はウルリーケとも顔を合わさずにすむ。リザは悪いとは思いながら、どうにも彼女が苦手だったのだ。
 エルランドは今、鉄樹の山に入っている。
 作物の収穫期は終わり、一時の休息を経て鉄樹の伐採ばっさいが始まったのだ。イストラーダでも一番重要な季節だ。
 リザは主の留守の間、自分にできることはないかと一生懸命に考えた。
 コルに相談してみると、冬場は女の働く場が少ないということで、仕事を提供すれば良いとのことだった。
 リザは簡単な図案を描いて、絵に興味のある村娘を募った。また鉄樹の伐採のため、村から男手が減ったので、城に残っている兵士の一部に村を巡回させ、力仕事などを手伝わせた。

 最初、王都から来た何もできない姫君だと、リザを遠巻きに見ていた者たちも、彼女の優しさや素直さに、次第に敬意を持って仕える者が増え出した。
 リザが領主夫人の部屋に収まったことや、リザを軽視していたアンテがいなくなったことも一因かもしれない。
 そしてまた、ウルリーケが新たに領地から呼び寄せた侍女や侍従が、エルランドやコルの目の届かないところで、古くからいる召使を下に見ていることも彼らは気に食わなかった。
 リザの部屋には次第にものが増え、午後のお茶の係は当番制になった。希望者が多すぎるのだ。
「最近ちっともリザ様とお話ができない!」
 これはターニャの不平である。ニーケを除いて、この城では一番古いリザ専属の侍女だというのに、最近では二日に一度くらいしか、朝の湯を持って行ったり、着替えの手伝いができないのだ。
「みんなやっと、リザ様のすばらしさがわかってきたのよ」
 ニーケも笑った。
 その時、ウルリーケの侍女が失礼しますと言って入ってきた。
「奥方様、ウルリーケ様がお話ししたいと言っておられますが、よろしいでしょうか?」
「え? ……ええ。もちろん。ターニャ、お茶の用意をお願いできる?」
「かしこまりました」
 ターニャはすぐに動いてくれたが、ウルリーケの侍女の前を通り過ぎてからべろりと舌を出した。
「こんにちは、リザ様」
 ウルリーケが入ってきたのはそのすぐ後だ。
「こんにちは」
「もっと早くに伺いたかったんですけど、リザ様ちっとも私を呼んでくださらないのですもの。奥方様なのに」
「それは……申し訳ありません。それも女主の役割なんですね」
「そうですわよ。なんだかお忙しかったようですわね」
 ウルリーケは工房化しつつある居間の片隅を珍しげに眺めた。ターニャが熱いお茶を淹れてくれている。ウルリーケの侍女はなにも手伝わなかった。
「ええ。ウルリーケ様はなにをしていらしたの?」
「お部屋を整えたり、お城の中を見て回ったりしていました。イストラーダ城はすごく古くて、地下には迷路みたいな場所もあるんですって?」
 ウルリーケはお茶を飲みながら言った。
「ああ、エルランド様。早くお戻りにならないかしら? リザ様ご存知?」
「私もよく知りません……早くても七日後くらいとコルが。鉄樹は雪が深くなる前に伐り倒すと聞きました」
 リザの声は弱い。
 数日前、エルランドが旅立つ時に抱きしめようとした腕を、リザはやんわり拒絶してしまったのだ。
 彼は苦しげに笑って静かに「行ってくる」と告げ、リザは「お気をつけて」と言うのが精一杯だった。エルランドを見送るのは慣れているつもりだったのに。
「そのようですね。私、この次お帰りになられた時、伐採の現場を見に連れて行ってもらおうかと思うのです。私山道の乗馬も得意ですし、寒さも平気ですから」
 それは、いかにもリザが乗馬もまだ素人で、体が弱いから無理だと言っているように聞こえた。
「私はこの地のことをもっと知らねばなりません。エルランド様に頼んでみますわ! 私はきっとお役に立てるはず!」
 ウルリーケは勝ち誇ったように言った。背後ではニーケやターニャと、ウルリーケの侍女が火花を散らしている。
「いいですよ」
 リザは黙って茶を啜った。それは少しだけ渋い味がした。

 エルランドとは職人の村に行った時以来、二人きりで話す機会はなかった。伐採期が始まったこともあるが、ウルリーケが常に視界に入るからだ。
 二人には微妙な関係が続いていた。
 リザには、ウルリーケと彼が森の中で抱擁し、その夜、廊下に消えた背中が目に焼き付いて、忘れることができないのだ。
 自分は王家の出自のみ尊重されている妻で、領主には夫人以外の恋人がいるのが普通なのだと、繰り返し言い聞かせても、心が鉛を飲んだように重い。
 そんなリザにエルランドは、時折問いかけるような眼差しを向けるだけで、決して彼女を追い詰めようとはしなかった。いつも冷静で我慢強く、領地の経営や村々の警備に関しては果断であった。
 そういう意味で彼は理想の夫だと言えるのかもしれない。

 だけど、私はもうエルランド様を好きになってしまった。
 だからなんて、したくない。
 領主の妻としてだけじゃなく、私自身を見て欲しいの。

「リザ様! コルが戻りました!」
 昼食を食べ終えたリザが休んでいると、ターニャが意気揚々と飛び込んできた。
「陶器が焼き上がったそうです!」
「本当⁉︎」
 リザはすぐに階段を駆け下りた。
 そこにはちょうど荷馬車から馬を外したコルがいて、リザにこっそり厩舎の方へと手招きしている。
 なんだろうとリザがついていくと、そこには驚くことにエルランドが立っていた。
「リザ! 元気だったか」
「お……お帰りなさい」
 彼の帰城はもっと遅くなると思っていたリザは、思わず顔を赤くした。出立の時の自分の態度を思い出したのだ。しかし、エルランドは全然気にしていないように、リザを軽く抱きしめ、すぐに身を離した。
「第一弾の出荷が思ったより手際よく進んだのでな。戻ってくると途中でコルに会ったんだ」
「またすぐに山に戻るの?」
「ああ。だが、村の男達も兵もどんどんこの仕事に慣れてきて、俺がずっとついていなくてもよくなった。次に行くのは伐り出した鉄樹を運ぶ時だな。だから数日はここにいられる。だが」
 エルランドはそこで声を落とし、リザの耳に口を寄せる。
「ウルリーケ殿には内緒にしてくれ。俺は村長の家に泊まらせてもらうから」
「……え?」
 それはあまりにも想定外の言葉だった。
「どうして? だって……」
「あの人に鉄樹のことをあまり知られたくないんだ」
 エルランドは少し難しい顔をして言った。
「あの人がここに滞在する理由は、イストラーダの今の経済力を測るためでもあるからな」
「……」
 リザにはよくわからなかった。二人は恋人同士で、いずれ第二夫人に迎えるのなら、そんなことを隠す必要があるのだろうか? 
 しかし、治世に関する知識のないリザは納得するしかない。

 もしかしたら、私に気を使ってそう言っているのかもしれないし……。

「私のお皿、どう? どんなのができたの?」
 リザは気を取り直してコルに尋ねた。
「リザ様! 素晴らしい出来栄えです!」
 そう言って、コルは抱えていた袋の中からリザが最初に書いた皿を取り出した。
 陶器用の絵具は暗い青だったが、焼くと鮮やかな青に変わる。白い皿の上に鮮やかな青色で蔦の模様が見事に表現されていた。
「わぁ! 思っていたよりずっときれいな色だわ! 青色も赤色も!」
「本当に、ここらの人間は陶器といえば無地なものだと思っていましたからね。これはみんな欲しがるでしょう」
「手始めに城で使ってみよう。客用ではなく、皆が使える食器として。その方がみんな喜ぶ」
「いいの?」
 エルランドが提案する。
「もちろんだ。リザ、もっとやってみたければやっていいぞ。これは思っていたよりも、かなりいいものに仕上がっている」
 エルランドは他の器も注意深く目を凝らしながら言った。
「うまくすれば、次の産業になるかもしれない」
「え⁉︎」
 リザの中には、もっともっと描きたい図案があふれていいる。
「真冬になれば、そうそう出歩ける日も少なくなる。コルから聞いたが、陶器に絵を描きたければ、他の部屋も使って、器用な村娘たちにもどんどん教えてやればいい。兵士たちは村々を定期的に巡回するから、素焼きの皿を仕入れたり、焼き上がった器を配ったりできる。そうだ、近いうちに絵具も、もっと注文しよう」
「わぁ、ほんとう? 嬉しい! ありがとう! エルランド様!」
 すっかり嬉しくなったリザは、思わずエルランドの両手を握る。
「……やっと普通に喋ってくれたな」
「え⁉︎」
 リザの目を見てエルランドは意味ありげに笑った。
「さて、これからしばらくは俺のために時間を使ってもらおうか。自業自得だと我慢していたが、もうずいぶん長いこと、他人行儀にされたから。さぁ、いくぞ!」
 いつの間にか、エルランドの愛馬アスワドが主を待っていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

あなたが残した世界で

天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。 八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜

花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか? どこにいても誰といても冷静沈着。 二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司 そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは 十条コーポレーションのお嬢様 十条 月菜《じゅうじょう つきな》 真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。 「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」 「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」 しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――? 冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳 努力家妻  十条 月菜   150㎝ 24歳

処理中です...