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59 狩り 2
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秋の深まる森は美しかった。
樹々は華やかな色彩で飾られ、さながら王宮の貴婦人達のようだ。
集まった騎士たちは久しぶりに自慢の腕を競える狩りの催しに高揚しているらしく、槍や弓の確認をしながら大声で笑い合っている。商人たちはここでも簡単な店を出し、狩りに必要な小物を商って、人だかりができていた。
「リザ」
エルランドはリザを見つけると、すぐにやってきた。
「大丈夫か? 夕べはあまり食べていなかった」
「ええ、へいき。今朝はたくさん食べられたわ。バネッサは?」
「こっちだ。コルが引いている」
おとなしい雌馬は、リザを見ると鼻を鳴らして挨拶をした。
コルはにこにこと手綱をエルランドに渡し「今日はよい一日になりますよ」と言って、自分の持ち場に戻っていく。
「おはようバネッサ」
バネッサはリザがエルランドから貰った馬である。
もともとはコルの愛馬で戦場にも出たことがあるそうだが、今では年老いて気性も優しいので、リザが毎日少しずつ乗って練習している。コルについてもらって城壁内を一周するのがリザの日課の一つだ。
エルランドの指示で常歩ばかりで、速足や駆け足はしない。つまり、リザの乗馬技術はまだその程度なのだ。
「すまないな。リザ、遠乗りに行く約束も果たせてないのに、こんなことになって」
エルランドはリザがバネッサに跨る腰を支えようと、手を添えながら言った。
「大丈夫よ。だってまだそんなに遠くに行けるほど上手じゃないもの。私もバネッサもここでゆっくりしているわ。私達はすっかり仲良しなの。それに私、一人で跨がれるようになったのよ。支えなくても大丈夫。ほら!」
リザは身軽にバネッサにまたがって見せる。体重を感じさせないその動きを、エルランドは好ましく見守った。
「すごいな」
「ね? だからエルランド様はしっかりお客様をもてなして。ご領主様でしょう?」
「……リザは賢いな。だが、少し一緒に馬をうたせよう」
そう言ってエルランドはアスワドの轡をバネッサに並べた。二人は小道をゆったりと進んでいく。
「綺麗ね。こんなにいろんな色の樹があるって知らなかった」
「ああ、だが辺境の森は綺麗なだけじゃない。あちこちに獣の掘った穴があったり、樹木の根が張り出しているところもある。それに奥には大型の獣が多い。この季節は冬に備えて、貪欲に餌を漁る獣も多いからな。決して一人になるんじゃないぞ」
「わかったわ」
リザは馬の揺れに上手に体を預けている。
「それにしても……」
エルランドは上達したリザの乗馬姿勢を見ていささか残念そうだ。
「こんな気持ちになるなら、リザに馬を与えなければよかったな」
「どうして?」
「リザが馬に乗れなければ、俺の馬に同乗できるだろう」
「でもそれじゃ、アスワドがかわいそうだわ」
「リザの重さなんか、こいつには子猫程度にしか感じないさ。な?」
見事な黒馬は、そうだと言うようにぶるると鼻を鳴らし、首を振る。
「子猫?」
「ああ、子猫だな、リザは。黒い子猫だ」
子猫だったらいつでも捨てられる、そう言う意味かしら?
いくらリザが自己否定気味だとしても、エルランドがそんな風に思っていないことくらい、頭ではもう理解している。しかし、あまりに誰にも大切にされない年月が長かった為に、ついそう感じてしまうのだ。
そんな自分の心が卑しく醜いと感じたリザは、いつしか俯き加減になっていた。
「リザ、顔を上げて。ほら、ここから木漏れ日が差している」
「え?」
エルランドの言葉にリザは思わず顔をあげた。そこは少し木々が切れて広場のようになっている場所だった。
「本当だ。赤い梢の間から空が見える。とってもきれい」
「……」
エルランドは空など見てはいなかった。木漏れ日を拾って藍色に輝くリザの瞳を見つめていたのである。
「本当に美しいな」
彩の森にぽっかりあいた空間。
森の色と対照的な深い青を纏ったリザの姿は、非常に際立って見えた。それなのに、すんなりとした体は、見るものに圧を与えない。
実りをつかさどる秋の精─。
「……この色を選んでよかった」
「え?」
「あなたの瞳に近い色だ」
「私の目はこんなに綺麗な藍色じゃないわ」
エルランドの答えは軽く触れ合う口づけだった。リザが驚く間もなく、それは蝶のように離れていく。一瞬の温もりは失った途端に寒くなる。
「リザ、近いうちに俺はあなたに……」
小首を傾げたリザにエルランドは何か言いかけたが、その声にかぶさるように、角笛の音が響き渡る。
いよいよ狩りが始まるのだ。
「エルランド様! こちらにいらしたのね! ご領主様の合図を皆が待っていますわ! ほら、皆様方がお見えに!」
ウルリーケが巧みな馬術で馬を寄せる。その後から、客たちが次々に押し寄せ、小さな空間はあっという間に人と馬で埋め尽くされた。
二人のひそやかな時間は終わってしまった。
「おお、ここでございますか? なるほど、よい出発点ですな!」
騎士の一人が声を上げる。
エルランドはリザと並んで一同を見渡した。馬主を並べた領主夫妻に、皆は首を垂れて敬意を表する。
「方々、これより狩猟を始めよう。この森は豊かだ。大いに暴れてもらいたい! 時刻は陽が城の塔にかかるまで! 一番多くの獣を狩った方には、王都から取り寄せた最上級の葡萄酒ひと樽を進ぜよう!」
エルランドの言葉に、一同はわっと盛り上がった。
「リザ、行ってくる。リザのために、一番柔らかい肉を獲って来よう。待っていてくれ」
「はい」
再び角笛が吹き鳴らされた。
馬たちは勇んで走り出す。
最後の木霊がまだ消え去ってもいないのに、エルランドの姿は見えなくなった。
樹々は華やかな色彩で飾られ、さながら王宮の貴婦人達のようだ。
集まった騎士たちは久しぶりに自慢の腕を競える狩りの催しに高揚しているらしく、槍や弓の確認をしながら大声で笑い合っている。商人たちはここでも簡単な店を出し、狩りに必要な小物を商って、人だかりができていた。
「リザ」
エルランドはリザを見つけると、すぐにやってきた。
「大丈夫か? 夕べはあまり食べていなかった」
「ええ、へいき。今朝はたくさん食べられたわ。バネッサは?」
「こっちだ。コルが引いている」
おとなしい雌馬は、リザを見ると鼻を鳴らして挨拶をした。
コルはにこにこと手綱をエルランドに渡し「今日はよい一日になりますよ」と言って、自分の持ち場に戻っていく。
「おはようバネッサ」
バネッサはリザがエルランドから貰った馬である。
もともとはコルの愛馬で戦場にも出たことがあるそうだが、今では年老いて気性も優しいので、リザが毎日少しずつ乗って練習している。コルについてもらって城壁内を一周するのがリザの日課の一つだ。
エルランドの指示で常歩ばかりで、速足や駆け足はしない。つまり、リザの乗馬技術はまだその程度なのだ。
「すまないな。リザ、遠乗りに行く約束も果たせてないのに、こんなことになって」
エルランドはリザがバネッサに跨る腰を支えようと、手を添えながら言った。
「大丈夫よ。だってまだそんなに遠くに行けるほど上手じゃないもの。私もバネッサもここでゆっくりしているわ。私達はすっかり仲良しなの。それに私、一人で跨がれるようになったのよ。支えなくても大丈夫。ほら!」
リザは身軽にバネッサにまたがって見せる。体重を感じさせないその動きを、エルランドは好ましく見守った。
「すごいな」
「ね? だからエルランド様はしっかりお客様をもてなして。ご領主様でしょう?」
「……リザは賢いな。だが、少し一緒に馬をうたせよう」
そう言ってエルランドはアスワドの轡をバネッサに並べた。二人は小道をゆったりと進んでいく。
「綺麗ね。こんなにいろんな色の樹があるって知らなかった」
「ああ、だが辺境の森は綺麗なだけじゃない。あちこちに獣の掘った穴があったり、樹木の根が張り出しているところもある。それに奥には大型の獣が多い。この季節は冬に備えて、貪欲に餌を漁る獣も多いからな。決して一人になるんじゃないぞ」
「わかったわ」
リザは馬の揺れに上手に体を預けている。
「それにしても……」
エルランドは上達したリザの乗馬姿勢を見ていささか残念そうだ。
「こんな気持ちになるなら、リザに馬を与えなければよかったな」
「どうして?」
「リザが馬に乗れなければ、俺の馬に同乗できるだろう」
「でもそれじゃ、アスワドがかわいそうだわ」
「リザの重さなんか、こいつには子猫程度にしか感じないさ。な?」
見事な黒馬は、そうだと言うようにぶるると鼻を鳴らし、首を振る。
「子猫?」
「ああ、子猫だな、リザは。黒い子猫だ」
子猫だったらいつでも捨てられる、そう言う意味かしら?
いくらリザが自己否定気味だとしても、エルランドがそんな風に思っていないことくらい、頭ではもう理解している。しかし、あまりに誰にも大切にされない年月が長かった為に、ついそう感じてしまうのだ。
そんな自分の心が卑しく醜いと感じたリザは、いつしか俯き加減になっていた。
「リザ、顔を上げて。ほら、ここから木漏れ日が差している」
「え?」
エルランドの言葉にリザは思わず顔をあげた。そこは少し木々が切れて広場のようになっている場所だった。
「本当だ。赤い梢の間から空が見える。とってもきれい」
「……」
エルランドは空など見てはいなかった。木漏れ日を拾って藍色に輝くリザの瞳を見つめていたのである。
「本当に美しいな」
彩の森にぽっかりあいた空間。
森の色と対照的な深い青を纏ったリザの姿は、非常に際立って見えた。それなのに、すんなりとした体は、見るものに圧を与えない。
実りをつかさどる秋の精─。
「……この色を選んでよかった」
「え?」
「あなたの瞳に近い色だ」
「私の目はこんなに綺麗な藍色じゃないわ」
エルランドの答えは軽く触れ合う口づけだった。リザが驚く間もなく、それは蝶のように離れていく。一瞬の温もりは失った途端に寒くなる。
「リザ、近いうちに俺はあなたに……」
小首を傾げたリザにエルランドは何か言いかけたが、その声にかぶさるように、角笛の音が響き渡る。
いよいよ狩りが始まるのだ。
「エルランド様! こちらにいらしたのね! ご領主様の合図を皆が待っていますわ! ほら、皆様方がお見えに!」
ウルリーケが巧みな馬術で馬を寄せる。その後から、客たちが次々に押し寄せ、小さな空間はあっという間に人と馬で埋め尽くされた。
二人のひそやかな時間は終わってしまった。
「おお、ここでございますか? なるほど、よい出発点ですな!」
騎士の一人が声を上げる。
エルランドはリザと並んで一同を見渡した。馬主を並べた領主夫妻に、皆は首を垂れて敬意を表する。
「方々、これより狩猟を始めよう。この森は豊かだ。大いに暴れてもらいたい! 時刻は陽が城の塔にかかるまで! 一番多くの獣を狩った方には、王都から取り寄せた最上級の葡萄酒ひと樽を進ぜよう!」
エルランドの言葉に、一同はわっと盛り上がった。
「リザ、行ってくる。リザのために、一番柔らかい肉を獲って来よう。待っていてくれ」
「はい」
再び角笛が吹き鳴らされた。
馬たちは勇んで走り出す。
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